松下政経塾 The Matsushita Institute of
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2000年9月

塾生レポート

あるまちの話 ~”観光地”でない観光地~
喜友名智子/卒塾生

 
 8月、ハンガリーのエゲルという地方に行ってきた。この国有数のワイン生産地を見るためであるが、この場所に注目した理由は主に以下の理由による。

①100以上のワインセラーが立ち並ぶ、テーマパーク的な「美女の谷」がある。
②決して大きいまちではないが、まち全体が博物館ともいえるほど、古い建物が多い。

 観光での地域振興を考える地域にとっては参考になるのではないかと思い、いったいどういう生活が営まれているのか、観光地として人を集める要素は何かを見たかったのである。

エゲル ~知る人ぞ知る「美女の谷(Szepasszony Volgy)」~

 エゲルはハンガリーの東北部に位置するまちである。ハンガリーの小学校の遠足地としても人気が高く、それを含めて年間約120万人が訪れる。その理由は古い街並みが数多く残っていることである。エゲル城をはじめ、重要文化財の数は国内第3位。まちそのものが博物館、ともいわれる。

 そのまちの中心部から歩くこと20分、なだらなかな坂を登りきると、一瞬だけアルコールとブドウの匂いが混じったような湿った土の強烈な匂いとともに、谷の斜面に沿って栽培されているワイン畑が目にとびこんでくる。その風景を見ながら、谷に通じる急な坂道を下りていく。由来は不明だが「美女の谷」という名で呼ばれているこの区域は、車が1~2台通ることができる道の両側に、たくさんのセラーの穴倉が並んでいる。ハンガリーのワインといえば、トカイ地方でつくられるトカイワインと、ここエゲルでつくられるエグリ・ヴィカベールが有名だ。先ほど「美女の谷」のことを"テーマパーク"的と述べたが、もちろんここは意図的に建造された場所ではない。13世紀にはブドウが栽培され、15,6世紀のワインづくりが盛んになった頃にはこのセラーの穴蔵が集積し始めたという。

 ワインはエゲルにとって2番目の主要産業だが、ワインセラーの正確な数を知っている人はいない。観光客への資料には「100~120」と書かれ、カウンシルの資料には「150」とあり、当のセラーの保有者たちは「知らない」という。確かにセラーの数は多いが、そのうち実際に蔵を開けているのは30箇所程度。ほかはドアにしっかりと錠や鎖をかけ、入口は閉ざされている。それぞれの入口には1番から順に番号が書かれ、それがセラーの目印となっている。

ワイン農家におじゃま

 私が訪れた8月下旬は、ブドウの収穫が始まる頃だ。今回は収穫作業中の農家をたずね、3日間だけではあるが作業に加わらせてもらった。

 まずはブドウの収穫から。ブドウの種類は3種類ある。マスカットの色をした白ブドウ、ブルーベリー色をしたもの、その中間のロゼの色をしたものである。収穫したブドウは縦・横2m、深さ1.5mくらいの荷台に山積みにされており、そこから手作業で(といってもスコップで土をすくいあげるようにだが)、実の部分をとる機械に移される。その後は自動的に別の機械へ移され、圧縮されて果汁だけを搾り取る。そのしぼりたては100%ブドウジュースでとても甘い。そこから地下の貯蔵庫へ運ばれ、樽に詰められ、長い期間熟成させてワインとなる。

 午前中は肌寒いものの、午後が近くなると気温は35度にも達し、ブドウともアルコールとも似つかない"ワイン"の匂いが立ち込める。畑の土も、空気も乾燥しているのに、ブドウのせいか湿った匂いがするのが、なんとも不思議である。

 ほとんどの農家は所有しているセラーをみせたがらないが、アルべ・シャンドールさんは快く穴蔵を見せてくれた。彼女のセラーではブドウ果汁絞りの真っ最中である。おおきなアルミの樽4つの中に絞られたブドウが詰められ、発酵しているのか表面には泡がぷくぷくとたっている。「ふたをしないでいいのかな」と心配になったが、気にもしていないようだ。沖縄で泡盛醸造を見たときにはみな樽にラップをまいて空気が入らないようにしていたのだが。

 「うちのセラーは平均的な大きさ。4種類しかつくっていないけど、どのセラーもそうだよ。味は蔵ごとに違うけど」とシャンドールさんは言う。彼女は夫婦でワインつくりをしている。セラーの入口で作業をしている最中にも、4人の地元客が2~5リットルほどのプラスチック容器をいくつか抱えてワインを買いにきた。しかしこういった形での収入は微々たるもので、製造されたワインのほとんどは海外へ輸出される。ブドウの収穫時期になると、the vine-growing communities と呼ばれる組織が各セラーの製造を記録し、ブドウやワインの質の管理や価格の設定にも関わっているという。

 管理する組織が存在する割に、同じ銘柄でもセラーによって味がかなり違うが、と訊ねると「まずくなければいいんじゃないの」とあっさり言われてしまった。「ワインのラベルをみなさいよ。ちゃんとセラーの住所や電話番号がかいてあるでしょ」という。たしかに、シャンドールさんのラベルと、他のセラーでもらったラベルは異なる。「同じ銘柄でもセラーが違えば味が違うのは当たり前よ。大量生産してるわけじゃないんだから」という言葉には、自分がこのワインをつくっているのだという自負が感じられる。

 エゲルの主要産業は観光業とワイン。しかしワインの生産量そのものはフランスやドイツにはまだまだ及ばない。ワイン農家も売上が伸びることはもちろん望んでいるものの、毎年いかに質の高いワインを製造するかに熱心なようである。先ほど述べたように、製造されたワインの味は同じ銘柄であってもセラーごとに違う。「エゲルのワインの特徴って何?」と聞いても、たいてい「エゲルのワインの特徴はよくわからないけど、うちのワインの特徴は・・」という。

"「美女の谷」は観光施設にあらず"

 エゲルでは観光スポットとなっている「美女の谷」だが、意外に行政はタッチしていない。エゲルカウンシルオフィスの文化観光部(Department of Culture and Tourism)のTietze Nandorさんは言う。「あの場所は各セラーが生産活動をしているところであって、行政が積極的に観光地として手をつける場所ではない」。歴史的なまちなみを維持することや、夏期を中心に行うイベントのサポート、宣伝などが行政の仕事であって、新しい観光施設の開発にはあまり積極的でなく、「美女の谷」の案内はしてもそこの維持管理はしないという態度は明確である。「観光客を呼ぶよりは、むしろ海外でいかにエゲルのワインを売るかが行政にとっては重要である」という。

 「今はまだ海外からの観光客はブダペストに行く人がほとんどで、地方都市目的の人はまれ。それでもエゲルやトカイなどはワインでPRできる。また、現在のハンガリーは西側の経済に食い込もうとしている途中で、10年前と比べると、ブダペストが観光客で賑わうだけでもすごいことだと思う。10年後にはエゲルもそのようになっていればいいと思う。しかし同時にブダペストのようにモダンな建物が増えるのではなく、今の歴史的建造物をどうやって維持していくかのほうが重要。なんせエゲルは"まち全体が博物館"がキャッチフレーズなんですから」と語る。

観光による振興への示唆

 「美女の谷」は、観光施設ではなく、あくまでワインをつくる場所であるということでその魅力を保っている。ここではセラーの持ち主のペースでものごとが進む。観光客はその生活の一部にちょっと入らせてもらう、という雰囲気だ。

 観光客相手にセラーを開け始めるのは早くて朝10時、ほとんどは正午だ。開いているセラーの持ち主は入口にあるテラスか、涼しい穴倉の奥で雑誌を見たり談笑したりしながらワインをあおっている。そして午後4時にはいっせいに店じまい(セラーじまい?)をする。

 ワインの直接販売の相手も、顔なじみや何度もセラーに足を運んでいる地元客である。彼らは例えば、私を含む観光客のようにきれいなコルク付きの瓶詰めワインは買わない。2リットルのペットボトルや、すごい人になると10リットルのペットボトルに水のようにワインを入れて車で去っていく。むろん団体客がくるとレストランでは民族衣装を着たり伝統的な音楽などのパフォーマンスを見せはするが、それはあくまでワインを楽しむための手段に過ぎない。

 各セラーの人たちは、観光客の相手をするのではなく、あくまでワインづくりが自分達の仕事であるという意識が強い。そして訪れる人のほとんども「ワインを飲みにくる」と目的がはっきりしている。訪れる者と、迎える側の目的がこれほど明確な場所はそう多くはあるまい。

2000年9月 執筆
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