松下政経塾 The Matsushita Institute of
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2000年7月

塾生レポート

沖縄サミットと、今後の課題
喜友名智子/卒塾生

 
 去った7月、福岡・宮崎・沖縄において、九州・沖縄サミットが開催された。残念ながら福岡や宮崎のほうへは足を運べなかったが、21日~23日にかけて開催された沖縄には滞在していた。日本における初の地方開催であること、基地問題のクローズアップなど、1枚岩ではいかない様相を見せたサミットの印象だが、故・小渕首相の「英断」で決まったこの機会を将来、どう形にていくかに力を注がねばならない。

サミットと沖縄

 本来、サミットは「主要国」の元首が集まって世界の動向を話し合う会議であって、開催される都市に関する情報が優先的に出される類のものではない。そうはいっても開催都市から見ると、つつがなく会議を運営するとともに、いかにして知名度を高めるか、が一番の焦点である。その例にもれず、「いかにして沖縄をPRするか」にその努力の多くが注がれていた。サミットの開催は外務省の管轄ということを考えると地元が独自にできることなど限られてくるが、その中で地元のPRはしっかり行ったということはプラスになったのだろう。サミットが行われる前の週に北海道を訪れたのだが、札幌のある店でサミットがあるということで「沖縄出身アーティスト特集」をしていた。本屋には「沖縄本コーナー」が設置された。沖縄では、外国からお客様がくるのだから「守礼のこころで迎えましょう」「ゴミのポイ捨てやめよう」というCMが繰り返し流されるなど、一般には緊張感よりもお祭り色が前面に押し出されていた。

 一方でPR以外の部分では、みな、必死にこの地でサミットが開かれる「意味」を探そうとしているように見えた。沖縄でおおがかりなイベントがあると「場の持つメッセージ」があるとして、「意味付け」をしたがる人が多い。そして結局伝えることと言えば基地の現状とそれに対する地元住民の意見を報道して終わり、「地元の心境は複雑なようです」と締めくくる、パターン化された報道や記事を数え切れないほど目にした。

 「IT憲章」など今回のサミットの議題内容についてはさまざまな報道がなされているのでそちらに任せるとし、地元で注目されていた話題を考えてみたい。それはクリントン米大統領の平和の礎でのスピーチ、地元住民と各国首脳との交流、サミット前日の20日に基地反対の意思表明として行われた「人間の鎖」による嘉手納基地包囲である。そしてサミットが終わった現在、そのPR効果が冷めやらぬうちにいかにして会議開催地としての実績をどう積んでいくかが課題である。

クリントン大統領のスピーチIN平和の礎

 中東和平会議が気になってしょうがなかったであろうクリントン米大統領は、沖縄に到着した21日、沖縄戦で亡くなった人たちの名前が刻まれている本島南部にある平和の礎でスピーチを行い、その中で基地問題をどう語るかに注目が集まった。
 「沖縄の基地はアジアの安定に貢献しているから戦略的に重要」という従来の姿勢を崩すとは考えられないという予想通りの内容で、沖縄の方言もとりまぜた非常によく準備されたスピーチだったと思う。現在でも地元マスコミでは評価・批判両方の意見がとびかっているが、大方の様子は「アメリカ大統領という立場のスピーチはあんなものだろう」とある意味で冷静な見方が多いように感じる。
 しかし「日米同盟にとって沖縄は死活的に重要である」と米大統領が直接沖縄県民に述べたことは注目すべきである。「沖縄基地の意味を米大統領が沖縄県民に説明したのはこれが初めてではないか」とあるジャーナリストは指摘する。一方、日本政府は沖縄の軍事的意味について県民に明快な説明をしたことはない。「沖縄県民のみなさまの心情を理解し・・」云々という言葉が枕詞のように使われているが、表面的に"県民のこころ"を理解しようとするよりも、日本の安全保障上での沖縄の位置付けや、有事の際にはどういう影響が出てくるのか、それに対して日本政府としてどう対応するのかを語りかけるほうが有効ではないか。

地元住民と各国首脳の交流

 森首相は名護市でのスピーチで「衆院選挙のときには呼ばれなかったが、ここではこんなに歓迎してくれてうれしい」と、笑えない(!)ジョークをとばしていた。  クリントン大統領の汗をタオルでぬぐってそれを「大事にします!」とはしゃいでいる女性の行動が沖縄の"ホスピタリティ"だとは思わないが、遠い国からいらっしゃるお客様を迎えようと、そしてそれを自分たちも楽しもうと、歓迎ムードであったことは確かである。おそらく大多数の県民にとっては、アメリカの大統領だろうが、ヨーロッパ各国の首脳だろうが、毎年訪れる400万人近くの観光客をもてなすときと同じこころでお迎えしよう、という感覚が強かったのではないのだろうか。

 私はテレビで見る限り、パフォーマンスが最もうまかったのはロシアのプーチン大統領だったと思う。地元小中学生の柔道大会を見学した後、飛び入り参加。一本背負いを見せたあと、相手を促し自分も投げられて喝采を受けた。警護陣もびっくりしたというが、"フレンドリーなロシア"をうまく印象づけたと思う。
 またサミット参加国について知ろうという動きができたのは評価してよい点だろう。沖縄にいるとどうしても、島の外の世界を県外とアメリカ、一部のアジア地域だけにしてしまいがちだが、今回のサミットでは参加した欧州の国々について県民が知るきっかけになったと思う。60~70代の女性を中心にしたあるグループでは、サミット参加国について知ろうという目的で、何度か勉強会を開いた。県が発行した広報誌、関連する書籍を中心に毎週2~3カ国ずつ、その国の歴史や文化の概要を学ぶ。最初の時間はまず、世界地図を広げて各国の位置を確認することから始まった。20~30代の少ないメンバーでレジュメなど資料をつくり、県内に在住する各国出身の方を呼んだりして自分の国の話をしてもらう。
 さらに次に述べる「人間の鎖」では韓国、フィリピン、プエルトリコからの参加者もいて県民との意識共有に積極的に動いていた。地元の人たちが一人ひとり、それぞれの立場で外国の文化と触れようとし、今後も続けていこうとしていることはひとつの「サミット効果」であろう。

「人間の鎖」による嘉手納基地包囲

 サミット開催前日の7月20日、27,000人が集まったと発表された「人間の鎖(嘉手納基地の周りを人の輪で囲む)」。私もこの「人間の鎖」には足を運んだが、歩いても歩いても途切れない人の群れ。非常に熱気にあふれていてすごかった。北海道から沖縄までの平和センターなどの団体の人たちや、フィリピン、韓国、プエルトリコなどからも参加者がいて、めいめい陣取った場所で、演説をしたりシュプレヒコールを繰り返したり、歌を歌ったりなどしていた。サミットの前日だったこともあり、国内メディアはもちろんのこと、海外のメディアも取材に来ていた。どういう形で放送されたのかはきちんと確認していないが、一人の外国人記者は「よくこれだけ集まって、これだけ盛りあがっているのに、暴動が起きないね」と意外な表情を見せた。

今後の国際会議誘致

 全体的には地元参加型のいいサミットだった、との印象が強く、天気に恵まれるなどPR効果はあったと思う。しかし一方でジャーナリストを中心に、県内のホテルに対して厳しい指摘があったことを忘れてはならない。「宿泊費が高すぎる」「従業員のサービスが悪い」などである。彼らの中には世界中のホテルに宿泊したことのある人たちも少なくないだろう。一定水準のサービスを提供するには、それを知っている人たちに実際にサービスしてみることだ。今回はそのフィードバックがあったのだから、それにはきちんと対応しなくてはならない。彼らが指摘したことはおそらく観光客も同様に感じている部分があるのではないか。宿泊費が高いというのは個々のホテルの問題であるから何とも言えないが、少なくともその値段を払っても「損した」と思われないだけの滞在環境とサービスを提供しなくてはならない。
 サミットが終了した1週間後、会議場だった万国津梁館を見に行ったのだが、100人程度が入る会場がいくつかあっても、大規模な国際会議は開けそうもない。「会議の誘致」といっても、どのような種類の会議を開くのか、という絞り込みをする必要があるだろう。単に会議の数をこなせばいい、というルーティンワークになってはならない。

 なににつけても「サミット」「サミット」だった開催前と比較して、開催後はサミットが開催されたことそのものがすでに生活の中から消えかかっている。嵐のあとの静けさ、のような雰囲気にならぬためにも、今回の開催で得たことが実になるようにしなくてはならない。

①国際会議機能の強化
 繰り返し述べているように、地元にとっての一番の収穫はPRができた、ということだ。
 サミット期間中に、国際会議開催を用いた振興策を研究しているという韓国人大学院生が二人、私を訪ねてきてくれた。彼らは2002年に行われるサッカーワールドカップの日韓共同開催に注目している。2カ国以上が協力してイベントを行うことで、都市の活性化をはかると同時に、互いの発展や交流の象徴を形づくっていきたいと語っていた。
 会議や多くの国際的なイベントを開催し、多くの人を集めようと考えている地域は日本国内のみならず世界中に存在する。そのような都市との違いをどう出していくのか、沖縄で会議を開くメリットは何か、を明確にしなくてはならないだろう。

②観光客にも同じ対応を
 サミット参加国の首脳に対しては、非常に丁寧なもてなしが行われた。しかしこれはサミットがあったから特別に、ではなく、こういう対応を沖縄を訪れた全ての人に対して行っていかなくてはならない。サミットのときだけは張り切って、というだけではとても観光都市にはなれまい。外務省の臨時職員として参加したボランティアスタッフは、一人一人の「サミット経験」として完結するのではなく、それを観光や会議開催の際の"応対マニュアル"的なものをつくって、多くの人と共有できる形にする必要がある。

2000年7月 執筆
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