論考

Thesis

欧州委員会での研修を終えて

昨年10月より本年2月までの5ヶ月間、欧州委員会貿易総局において研修を行った。今回の月例報告では、この欧州委員会での研修を概括したい。

1)欧州委員会概要

 まず、研修を行った欧州委員会について説明したい。1999年1月1日の通貨統合で日本でも話題に取り上げられることの多くなったEU(欧州連合)。このEUは、大きく分けて、理事会、欧州議会、欧州裁判所、そして欧州委員会の四つの主要機関によって構成される。司法、行政、立法という通常の国家機関の分け方を用いると、欧州裁判所が司法、欧州委員会が行政、そして理事会が立法ということになる。欧州議会は、オブザーバーという性格が従来から強いが、昨年発効したアムステルダム条約等によってその権限は次第に強化されてきている。私は、このうちの行政に当たる部分を担当する欧州委員会において研修を行った。ただし立法機関といっても加盟各国政府の協議体である理事会においては、政策立案はおこなわず、欧州委員会が提案した立案を採択ないしは修正するという形でEUの政策は決定されてゆく。

 たとえばWTO交渉の分野では、私の所属した部署が次期ラウンドの交渉案を作り、それを理事会に諮る。そして理事会の承認のもとに交渉を進めるという形を取っていた。この欧州委員会の政策案を検討する委員会(特に通商分野における)を、その根拠条文であるアムステルダム条約133条に基づいて133条委員会と呼ぶ。ちなみに133条委員会で合意がなされると、議題Aに指定され、理事会で議論されることなしに決定される。合意できなかったものは、議題Bと分類され、理事会での政治的判断を仰ぐことになる。この133条委員会はマスコミにも非公開の秘密会議として位置づけられている。私が参加したいくつかの133条委員会では、WTOシアトル閣僚会議の直前であったということもあり、ジュネーブのWTO本部のグリーンルーム(WTO主要加盟国のみによる秘密会議)での交渉の進捗状況なども毎週報告がなされており、大変興味深かった。

2)貿易総局Multilateral Commercial Policies and WTO and OECD questions課について

 この欧州委員会の貿易総局において、私は研修を行った。貿易総局は昨年10月の欧州委員会の組織変更により旧対外関係総局から分離独立した総局である。貿易総局との名前のとおり、この総局では対外通商関係一般をその担当分野とする。WTOシアトル閣僚会議では、バーシェフスキー女史率いる米国USTRのカウンター・パートであったといえば、その位置づけはわかりやすいかもしれない。

 この貿易総局のMultilateral Commercial Policies and WTO and OECD questions(G-1)課という、WTOやOECD等における交渉をその主業務とする部署において研修を行った。このG-1課はセクレタリーと呼ばれるバックスタッフを含め20名ほどのファンクショネアー(官僚)からなる比較的大きなユニットであった。Karl Falkenberg課長を筆頭に、5名ほどのセクレタリーを除き、ファンクショネアー達が、サービス、知的所有権、環境など、それぞれの分野を担当している。私は、競争を担当するGarcia Bercero Iganacio課長代理のもとで、WTOにおける新交渉分野候補のひとつである競争ルールに関する交渉に携わる業務をおこなった。具体的には、WTOにおいて競争政策を扱うことについての是非を議論した諸論文の要約、そしてシアトル会議後には途上国の競争政策に関する調査などをおこなう傍ら、日本の競争法および競争政策についての報告書の作成にあたった。

3)多国間競争ルール形成へ向けて

 1980年代以降、途上国の産業政策に変化が見られる。従来の自国産業保護政策から、競争を重視した産業政策へとシフトしている。このことは、近年、韓国、タイ、インドなどをはじめとした多くの途上国が競争法を制定し、しかもかなり積極的に運用していることからも明らかである。これは、ロメ協定など従来の途上国優遇型の関税システムにより、予想とは反対に途上国から先進国への輸出が減ったこと、そして経済のグローバル化により外国直接投資が自国経済発展のために不可欠であるとの認識が途上国に浸透したことなどによる。このような状況下において、競争ルールに関する国際合意が必要であるとの意見が欧米をはじめとした世界各国から出されている。

 その理由としては、第一に企業合併が国際的になされるようになったことがあげられる。例えば、本年ファイナンシャル・タイムズ(FT)において採り上げられた事例であるが、米・欧・ブラジルにまたがる企業合併が為された際に、米欧の競争当局は合併にゴーサインを出したのにも関わらず、ブラジルの競争当局がストップをかけた。これにより、合併に遅れがでる結果となった。企業合併には、多くのコストがかかり、その合意にかかる時間が多ければ、それだけ当該企業の被るコストはかさみ、場合によっては合意が破棄されることもあり得る。このようななかで、各国の間である程度統一された企業結合に関するルールが求められている。企業合併に関するルールに続いて第二に、カルテル規制についてもある程度の国際ルールが求められている。世界各国は、GATTおよびWTOの枠組みをとおして、過去にかなりの割合で相互の関税障壁を削減してきた。これに対して、非関税障壁すなわち関税以外で輸入の障壁となっている商慣行をどうするかが関税に続く次世代の課題として検討されている。この非関税障壁の一例としてあげられるのが、カルテルなどの非競争的な取引慣行である。このように非関税障壁をなくすためにも、世界各国においてカルテルに関する法律が厳格に運用されるべきであるというのが、第二の理由である。第三に日本や韓国などからは、アンチ・ダンピング税に関する規制を競争法の枠組みで規制してゆこうという意図がある。昨年の鉄鋼の事例をあげるまでもなく、欧米ではかなり恣意的にアンチ・ダンピング規制がおこなわれている。WTOのなかにもアンチ・ダンピングに関する条約は存在するが、これのみでは不十分であること明らかである。このため、日本や韓国などはアンチ・ダンピングが国際レベルでの競争を不正に阻害している側面に注目し、これを競争ルールの一環として取り締まってゆこうという意図がある。

4)新たなる世界秩序を求めて

 このような理由に基づいて、WTOで競争ルールに関する条約を結ぼうという動きを積極的に進めているのがEUである。EUは、自地域内での共通競争政策運用の成功に基づいて、これを世界大でおこなおうとしている。これはWTOにおける競争ルール作りに積極的であった前ブリタン対外総局委員(大臣に該当)が、以前に競争総局委員であったことからも明らかである。EUのこの動きを間近で見ていて、ひとつとても不思議なことがあった。私は、米国などによく見られるように政策は、ロビイストらの必要にもとづいて、そして自国の利益を前提にして形成されていると考えていた。例えば、WTOにおけるサービス分野の交渉に関しては、EUにおいてはヨーロピアン・サービス・ネットワークという企業団体がつくられ、積極的なロビイングがおこなわれ、企業のニーズに合わせてEUの交渉スタンスは形成されている。これに対して、競争ルールに関しては、企業からの関心は極めて少ない。例えば、White & Caseという世界各国の企業合併に関するルールに関して最前線をゆく法律事務所のパートナーも、あまりこの問題には関心がないといっていた。WTOにおけるルール作りに関しては、企業からのニーズというよりも、冷戦後の世界経済秩序をこのようにしたら世界各国にとってプラスなのではないかというある意味では理想からはじめられている。このような動きは、第一世界大戦後のウィルソン大統領の「民族自決」という理念に基づく世界秩序づくりや、第二次世界大戦後のトルーマン大統領らによるブレトンウッズ体制の確立などの動きと軌を一にする性格が垣間見られる。

 イッケンベリ(G.J. Ikenberry)によれば、世界秩序(彼自身のタームによれば覇権)が確立されるのは、世界大戦などの大きな社会変動後であるとされる。冷戦が終了し、世界は確かに平和になったといえよう。けれども残念ながら、未だに世界各国の平和と繁栄を実現するような確たる世界秩序は確立されていない。この世界競争ルール作りという世界秩序構築を目指す運動の震源地であるEUにおいて、その政策担当者たちのもとで研修を行えたことは何にも代えがたい経験であった。イデオロギーという対立枠組みに基づいた冷戦が終わった今、世界秩序が確立されうるとしたならば、そこに世界各国の多様性を如何にして組み込んでゆくかが鍵になると思われる。WTOシアトル会議失敗の原因の一つに、バーシェフスキー女史がグリーン・ルームを開き、途上国を排除した形での合意形成を目指したことが挙げられている。恐らく、今後の世界秩序づくりには従来の欧米を中心として形成された理念に加えて、アジアやアフリカなどの現実を踏まえた提言が不可欠となるであろう。その際に、アジアに位置する先進国である日本が果たすべき可能性は限りなく大きい。世界秩序構築へ、日本人の視点と価値観に基づいて貢献してゆきたいと切に思わされたこの5ヶ月間であった。


(参考文献)
・ G. John Ikenberry and Charles A. Kupchan, Socialization and hegemonic power, “International Organization”, Vol. 44, Num. 3, Summer 1990.
・ Susan K. Sell, “International property protection and antitrust in the developing world”, international organization, vol.49, No.2, Spring 1995.
・ 田中俊郎著、『EUの政治』、岩波書店、1998年.

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小林献一の論考

Thesis

Kenichi Kobayashi

小林献一

第19期

小林 献一

こばやし・けんいち

Philip Morris Japan 副社長

Mission

産業政策(日本産業界の再生) 通商政策(WTO/EPA/TPP)

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