論考

Thesis

新世界経済秩序構築へ向けて

今月は、卒塾式、入塾式等の行事への参加のため、日本に帰国していたことを生かし、私がEUにおいて研修をしてきましたWTOにおける交渉に関して、日本政府の交渉担当者の方々にインタビューをし、日本政府のミレニアム・ラウンドへ向けてのアプローチを調べました。本月例報告におきましては、これらのインタビューなどに基づいた分析に加えて、米国における競争政策の変遷やWTOにおける交渉過程なども含めて検討することにより、世界各国、特に欧米諸国が、WTOをとおして、どのような新世界経済秩序構築を目指しているのか、そしてそのためにどのようなアプローチを取っているのかを探ってみたいと思います。

1) グローバル社会における国家主権の制限

 「唯一。絶対。不可分。」
 1648年のウェストファリア条約締結以降、確立されてきた国際法上の国家主権の定義である。この国家主権に基づいて、主権国家は国際法上、何をしてもよいとされてきた。そもそも、この国家主権の概念は、個人の権利、すなわち民事法上の自然人の「唯一、絶対、不可分」の権利から、類推して創出されたとされる。けれども、民法第一条の信義・誠実の原則を紐解くまでもなく、個人の権利は一定の制限を受ける。フランス革命において確立された「契約の自由」に基づいて、個人は自らの責任においてどのような契約でも締結することができるが、あまりにも信義や誠実、そして公共の福祉に反するような事柄を行うことは禁じられている。個人の権利は絶対だからといって、何をしてもよいというのでは、ホッブスのいうところの「万人の万人に対する闘争」のような無秩序に陥ることは明らかである。このように、個人の権利を一定の枠内で制限することは、一つの共同体としての社会を保つためには、当然のことといえる。同様に、国際社会においても、その秩序を維持するために、本来絶対的なものであるはずの国家主権に一定の制限が加えられている。

 世界秩序を維持することを目的とした各国主権の制限は、世界列強の軍事力を制限しようとした前世紀のロンドン軍縮会議から、ボスニア・ヘルツェゴビナにおける戦争犯罪に関する国際裁判に至るまで、様々な分野において試みられている。そして、輸送・通信などの飛躍的な発達に基づいて急速に一体化が進んでいる今日、このような国家主権を制限する必要性は、加速度的に高まっている。いうまでもないことであるが、自国の経済をどのようにデザインし、どのように育ててゆくかを決定する経済政策は、軍事政策などと並び、その国の国家主権の根幹ともいえる。世界の経済秩序を確立、維持するために、各国の経済政策に一定のルールを設けようとかなり意欲的な試みが、WTO等の国際機関において現在、試みられている。競争政策に関する国際的なルール作りである。

 本報告においては、この新たな世界経済秩序構築の試みとしてなされている、国際的な競争ルール形成への動きを検討する。続く第二節においては、百年以上にわたって国家産業政策の柱として積極的に競争政策を運用してきた、競争政策発祥の地、米国の歴史を概観する。冷戦後、途上国を含む多くの国々が競争政策を自国の産業政策として受け入れ、競争法を制定及び運用しはじめたといわれている。このような変化を踏まえ1996年よりなされてきたWTOにおける「競争政策」に関する議論を、第三節において説明する。そして、第四節において日本政府のこの問題に対するアプローチを検討したい。

2)米国における反トラスト政策(ハーバード学派からシカゴ学派へ)

 世界ではじめて競争政策を大規模に採用し、運用してきたのは米国である。本節においては、どのようにして米国が競争政策を運用してきたのかを概観する。

 南北戦争が終わった1870年代以降、米国は急速な経済発展を遂げたが、その反面、企業家の好き勝手な経済活動を放任するという市場原理主義の行き過ぎで大きな被害を出した。この反省に基づき、19世紀末頃から、シャーマン法(1890年制定)、クレイトン法(1914年制定)、連邦取引委員会法(1914年制定)などの反トラスト法を核として、独占禁止制度を確立し、巨大企業連合の解体などの競争政策を開始している。米国では1950年代、60年代には、独占規制、寡占規制において構造規制・企業分割を志向するハーバード学派が主流を占めた。ハーバード学派は、寡占(上位4?8社が50?80%の市場占有率を有する状態)では、協調行動と高い参入障壁によって、必然的に超過利潤という悪しき市場成果がもたらされるとされた。そして、このような超過利潤を防ぐために、企業分割による構造規制を提案していた。このような理論に基づき、寡占産業に対して一律に企業分割を実施することを目指した1971年法案が提出されたが、市場占有率に過度に依存し他の市場構造要因を考慮しないこの法案は、社会的支持を得ることはできなかった。

 このような素朴かつ単純なハーバード学派の寡占的相互依存理論に対抗して、綿密に諸々の市場構造要因を検討する協調行動理論を提唱にしたのが、シカゴ学派である。寡占イコール悪(超過利潤)という単純なハーバード学派に対して、シカゴ学派は、協調(カルテル)を実施するか否かは、そこから得られる利益とその費用を比較衡量することによって決定されると考える。そして、利益と費用の両面にわたる詳細な分析に基づいて、どのような市場構造のもとで協調行動が形成・実施されがちであるかを研究した。そして、このような研究成果に基づいて、(1)カルテルが行われやすい市場構造を突き止め、競争当局の限られた調査能力(資源)を優先的に投入し、(2)その業界で現実に協調行動が行われているかどうかを認定するべきであると主張する。1980年代、1990年代には、米国のみならず、日本やEUにおいても、このシカゴ学派の理論に基づいた競争政策が運用されている。つまり、産業の寡占に対してはカルテル規制で、独占に対しては行為規制で対処し、企業結合・垂直的制限規制を緩和する流れである。

 このように主として米国において発展してきた産業政策としての競争政策であるが、世界が急速にグローバル化する中で、日欧をはじめとして多くの国々において、競争法が制定され積極的に運用されてきている。また、スーザン・セル(Susan K. Sell) によれば、経済活動の自由競争が確保されることによって、イノベーションが促進され、経済が発展するとの米国型のパラダイムに基づいて、日米欧などの先進国のみではなしに、途上国も競争法を次々に制定しているとされる。言い方をかえれば、従来の自国産業の育成を目指した保護主義的な産業政策から、自由競争を重視した産業政策への世界的な規模での転換がなされているといえよう。

3)国際競争ルール確立へ向けて

 世界経済が急速にグローバル化し、いくつもの国境を跨る経済活動が行われている中で、様々な困難が引き起こされている。一例として、国際的なカルテルを挙げることができる。日本製紙事件において問題となったように、日本国内で日本企業が談合を行い、不当に安い価格で米国へ輸出した場合、その犯罪行為(カルテル)は日本国内で、しかも日本企業によって行われているのであるから、本来、管轄権は日本の裁判所に属するとするのが素直な考え方である。けれども、米国裁判所は、その犯罪行為の効果が米国に及んでいることから、管轄権が米国に属するとし、判決を下した。この事例からも明らかなように、日本の独占禁止法上は合法である日本で行われた活動が、米国のアンチ・トラスト法に基づいて違法とされる可能性がある。また、日米のような先進国間のみではなしに、米国多国籍企業がカルテルを行い、途上国の市場は、不正に席巻・支配する可能性も今後無視できない。また、ルノーと日産、ダイムラーとクライスラーなどのように国境を越えた企業合併も、数多く行われている。このようななかで、企業合併に関する各国の競争ルールが異なるために、問題も起きている。単に合併企業からそれぞれの各国競争当局への提出する資料が異なるといった事務手続き上の問題から(膨大なコスト増がこのために引き起こされている)、実際に米国、EU、ブラジルに跨る企業合併が行われた際に、米国とEUの競争総局が承認をしたのにも関わらず、ブラジル当局が反対したために、企業合併が大幅に遅れたなどの実際的な問題まで引き起こされている。このようななかで、先進国競争当局間の二国間のルールのみではなしに、WTOなどの国際機関においてマルチな競争政策運用に関するルールをつくろうという動きが最近見られることは、これまでの月例報告等において、指摘をしてきたとおりである。

 このような競争重視のパラダイムに基づく世界経済秩序構築には、米国とともにEUが積極的な働きかけをしている。EUの政策立案かつ実行機関である欧州委員会は、1994年、専門家に多国間競争ルールについて調査を依頼した。この報告をもとにして1995年、政策決定機関である欧州理事会が、WTOにおいて多国間競争ルールづくりを目指すことが承認した。この承認に基づき、EUは1996年のWTOシンガポール閣僚会議において、「貿易と競争」に関する分科会の設置を提案し、「貿易と競争」の分科会が設立された。こうして多国間競争ルール作りは、投資ルールとともに、昨年のシアトル会議において、新交渉分野の一候補として取り上げられるまでに至った。このEUの試みは、競争重視のパラダイムに基づく。

 1992年のEU域内統合の実現は、我々の記憶にも新しい。EUは、この域内統一市場を実現、維持するために、強力な権限を欧州委員会に与えた。欧州委員会は、企業間のカルテルや独占を禁止するのみではなしに、加盟国政府の反競争的な、つまり自国産業保護主義的な産業政策をも禁止することができる。例えば、ベルギー政府が、自国のサベナ航空に過度に有利になるような空港発着枠の割り振りを行っている場合に、欧州委員会はそのベルギー政府の規制を改めるように命じることができる。また、テレコム分野出遅れを取っていたスペインやイタリアが、自国のテレコム会社優先の制度を保持している際にも、欧州委員会はその制度の見直しを命じることができる。このようにEUにおいては、欧州委員会という超国家機関が、加盟各国の競争政策、そして産業政策にも、干渉することにより、欧州域内市場の統一を図っている。このような成功体験に基づいて、EUは更に、この仕組みを全世界に広げようとしている。もちろん、欧州委員会のような超国家機関を設けるというのではないが、競争政策運用に関する基本ルールをつくり、そのルールによって世界市場のさらなる自由化を図っている。つまり、前述した国際カルテルなどの国境を越えた不正行為や多国籍企業の合併などに対して、その基本ルールに基づいて各国競争当局間で協力を起こったり、また、貿易を阻害するような商慣行が見られる場合には、そのルールに基づいて、WTOにおいてその商慣行の可否を判断していこうというのである。

 ガットが成立し半世紀が過ぎる今日、モノに関する関税はほとんどといっていいほど取り除かれた。そして次のWTOのターゲットは、サービスに関する関税と貿易を阻害する制限的商慣行などの関税以外の障壁である。貿易立国である日本にとり、自由貿易制度の維持と拡大は、その国益に直結する。より一層の貿易の自由化を促進するこのようなEUのアプローチは、基本的にはこの日本の国益と合致するように思われる。最後に、この争点に関する日本政府のスタンスを、政府政策担当者らへのインタビュー等に基づいてまとめたい。

4)WTOにおける「競争ルール」策定への日本政府のスタンス

 1996年に「貿易と競争」に関するWTOの作業部会が設置された。この設置は、前述のEUの他に、米国が強く主張したとされている。この米国の関与は、日本の閉鎖的な国内市場対策、つまりWTOをとおして日本の不公正な制限的商慣行(と少なくとも米国は考えている)を改めさせていこうという意図があったとされる。それでは、なぜ日本政府は、この作業部会設置に、肯定的であったのであろうか。この奇妙な問いへの答えは、日本政府が作業部会に提出しているペーパーを読んでいるとわかってくる。これらのペーパーの中で、日本政府は、欧米などで行われているアンチ・ダンピング措置(AD)が、競争を阻害していることは明らかであるとの主張を首尾一貫して行っている。昨年の鉄鋼ダンピングの事例を見ても明らかなように、日本政府の次期WTO交渉において、ADに対するプライオリティーは、かなり高い。つまり、日本政府はWTOの「競争」ルールの枠組みの中でADを規制してゆこうとしているのである。もともと、ADに関してはWTO内に、独立したルールが存在するが、その実効性のなさは、欧米による恣意的なAD規制の頻発から明らかであり、日本政府は新たな道を模索している。

 けれどもシアトル会議を直前に控えるなか、1999年、日本政府の「貿易と競争」に関する作業部会におけるADに関する主張がトーン・ダウンする。これは、「貿易と競争」に対する米国の姿勢と関係すると思われる。米国は1996年に作業部会の設置を要求したのものの、この作業部会に対して次第に消極的な態度を示すようになってゆく。これは、日本や韓国などが途上国なども巻き込みつつ、「競争」の分野においてADを扱うことを強く主張したこと、そしてADに関する従来以上の譲歩は、議会からの承認を得られないこと、さらには司法省など管轄官庁が、「競争」に関してWTOで扱うことに対して否定的なことなどがその理由として考えられる。そして、米国は「競争」を次期交渉の対象分野とすることにすら、反対の立場を固めてゆく。このような状況下で、「競争」に対して高いプライオリティーを置いているEUが、米国政府を交渉のテーブルにつかせるために、日本政府などに対してADは従来のADルールにおいて見直すことを約束する代わりに、「競争」の分野でのADの主張を取り下げるように働きかけた節がある。日本は、農業などの個別分野に置ける立場が類似しているほか、次期交渉を包括的かつ一括受諾方式にすることなど、EUと主張が近いといわれている。このようななかEUとの連携を深め、さらには「競争」において恩を売っておき、ADにおいて実を取るという戦略を採ったものと予想される。このことは、シアトル会議二日目にEUや日本などによるフレンド案といわれる、交渉分野確定への提案にも現れている。このなかでは、「競争」の分野からADが除かれると同時に、従来のADルール見直しも盛り込まれていた。

 周知のとおり、NGOの大規模な反対による混乱の中で始まったシアトル会議は、各国の同意を見ることなく決裂した。決裂の理由としては、あまりにも強引なバーシェフスキー女史の運営などによるとの指摘も見られるが、主要な原因としては(1)準備不足―シアトル会議開催時までに、閣僚たちの交渉のたたき台となる原案すら合意できていなかったといわれるー、(2)途上国の反乱―従来の先進国と一部途上国のみによる秘密会議的な合意形成に対して多くの途上国が大きな反発をしたー、(3)農業―米国やケアンズ・グループらによる農業分野におけるより一段の主張に対して、EUが域内の意見調整のこともあり、同意できなかったー、そして(4)AD―米国は、従来のADルールの枠組み内での実施を改善するということを主張したのに対して、日本はADルール自体の改正を主張したとされる。米国政府は議会や選挙対策上、そして日本政府も財界やまた既に同意を取り付けていた途上国との関係上、それぞれ自らの立場をゆずることができなかったーという四点が、主だった理由として挙げられよう。

 シアトル決裂後、すでにWTO加盟諸国は、次なる交渉へ向けて活動を開始している。WTOの本部があるジュネーブにおいてすでに各国政府代表同士の交渉がはじめられているほか、EUは従来からつながりの強いアフリカ諸国やAEAMをとおしてアジア諸国などへの働きかけを強めている。またUNCTAD第十回総会への小渕首相の参加などにみられる日本政府の動きも、次期交渉へ向けた途上国対策と見ることも可能である。米国大統領選が終わるまでは、次期ラウンドの立ち上げはむずかしいのではとの意見が相変わらず根強いことは確かであるが、クリントン大統領が最後の華として、巻き返しを諮るのではとの見方もでてきている。

 このような状況下で、日本政府がどのような戦略に基づき、どのような交渉を行いかは、日本の国益に直結する。日本政府としては、競争政策に関するルール作りがWTOにおいてなされた場合に、それが日本企業にとって、どのような結果をもたらすかを再検討しておく必要があると思われる。そもそも、日本の国内市場の制限的商慣行を念頭にしてはじめられた交渉であり、このことからも国内市場への影響やそれを受けた国内企業の反応等をシュミレーションしておくことは、無駄ではないであろう。また、従来日本政府が求めてきた、ADに関する案件を「競争」の枠組みでは扱えなくなりそうなことからも、この分野についての戦略をもう一度立て直すことが不可欠だと思われる。

5)最後に

 「…「世界経済」が急速に生まれつつある中で名目化しつつある経済の「国家主権」と、経済政策に対してこれまで以上に管理・監督を強めたい政府の意思との間のジレンマ…」(船橋洋一『通貨烈々』p217)

 名目化しつつある「国家主権」と政府のジレンマを体現している場が、WTOであるといっても過言ではないであろう。世界各国は、特に欧米諸国は、次の世界経済秩序を自らにとって有利なものにしようとしのぎを削っている。このようななかで、アジアに位置する先進国である日本の責務は大きい。既に述べたように、シアトル会議失敗の原因の一つは、途上国の意見を交渉に繁栄できるシステムが、既存のWTOシステムに欠如していたことであった。日本は21世紀もエコノミック・アニマルと呼ばれるままになるのか、それとも真の意味でのリーダーシップを世界において発揮してゆくのか。その帰結は、単に日本ばかりではなく、世界全体にも大きな影響を及ぼす。強大な経済力を有する日本は、その分、世界に対する責務を負うことはいうまでもない。シアトル会議の決裂によりミレニアム・ラウンドがいつ開始されるかは不明だが、この遅れを反対にチャンスと捉え、日本政府は、途上国の利益をも包含した世界経済秩序構築へ向けた、包括的な戦略を再検討することが不可欠であると思われる。


(参考文献)
・船橋洋一 「通貨烈々」 1988年 朝日新聞社
・村上政博 「独占禁止法」 1996年 弘文堂
・福島清彦 「暴走する市場原理主義」 2000年 ダイヤモンド社

・Susan K. Sell, “International property protection and antitrust in the developing world”, international organization, vol.49, No.2, Spring 1995. ほか。

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小林献一の論考

Thesis

Kenichi Kobayashi

小林献一

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小林 献一

こばやし・けんいち

Philip Morris Japan 副社長

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産業政策(日本産業界の再生) 通商政策(WTO/EPA/TPP)

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