論考

Thesis

ヨーロッパの挑戦

新たな世界ルールづくりを目指す欧州連合(EU)。その戦略は多くの競争者を域内市場に受け入れ、経済効果を生み出すことにある。新しい秩序創造とそのための多国間競争ルールづくりについて報告し、併せて日本への提言を行う。

EU(欧州連合)の成立

 20世紀に入り、ヨーロッパは二度の世界大戦、冷戦と壮絶な時代をくぐり抜けた。その間、ヨーロッパに新しい社会秩序を構築する努力も怠らなかった。その中心を担ってきたのが、EUである。
 EUの歴史は、1951年のECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)の設立にさかのぼる。ECSCは、「フランスとドイツの永年にわたる対立を解消するため、両国の石炭と鉄鋼の資源を共同の機関の下に管理する」という、フランスのロベール・シューマン外相の提案に基づいて、フランス、ドイツ、イタリアにオランダ、ベルギー、ルクセンブルクを加えた6カ国で始った。その後、1957年に調印されたローマ条約によってEEC(欧州経済共同体)とEAEC(欧州原子力共同体)が設立され、さらに1967年には、ECSCの最高機関、およびEECとEAECの委員会が統合され、EC(欧州共同体)が誕生した。この後、フランスのドゴール大統領によるEECボイコットや、サッチャー首相による英国の対EC予算収支赤字の還付請求等、必ずしもEU設立への道のりは平坦ではなかった。しかし、ヨーロッパ諸国は着実に実績を積み重ねてきた。
 1990年代に入り、90年ベルリンの壁崩壊、92年ヨーロッパ域内市場の完成、93年EU成立、99年通貨統合とその歩みは一気に加速された。この一連の動きの中で産業戦略の中心は、域内市場へより多くの競争者を受け入れ、切磋琢磨することによって高い経済効果を生み出す社会をつくることであった。つまり、EU域内に自由市場を出現させ、それを維持するため、EU域内の競争ルールを明確にすることだった。

EU域内の競争政策

 この一年をEUの中心、ブリュッセルで過ごした。ブリュッセルにはEUの中心機関である欧州理事会や欧州委員会などがあり、さらにこれらの諸機関が多くの民間企業を集めている。このブリュッセルで、昨年5月から約4カ月間をイギリス系法律事務所Allen&Overyにて、そして10月からは欧州委員会にて、EUについて内と外から学んできた。EUにおいて競争法の執行当局にあたる競争総局(Directorate-General of Competition)は、欧州委員会内でも一、二を争う権限を有している。自由な域内市場という秩序構築を目指すEUの中で、競争総局は域内市場の自由な競争の維持に関わっている。
 研修先Allen&Overyでは、欧州委員会競争当局への届出書類の作成や、個々の事例に対する競争当局の決定の分析などを行った。これらの判例分析からわかるのは、ほとんどの事例においてその判断基準が「域内市場の競争を阻害していない」となっていることである。

 例えばEUの統合規則4064/89では、域内市場の効果的な競争を明らかに阻害する共同体レベルの企業集中は、域内市場とは相容れないと規定している。一例として、スイスの食品メーカーネスレ(Nestle)がフランスの飲料水メーカーペリエ(Perrier)を買収したネスレ対ペリエ事件をあげることができる。1992年、競争総局はネスレが傘下の水源メーカーVichy、Thonon、St YorreおよびPiervalをフランスの飲料水メーカーthe Castel Groupに売却することを条件に、「域内市場の競争」を損なわないものと判断し、ネスレのペリエ買収にゴーサインを出した。「域内市場の競争を阻害しない」という基本原則は、EUの根幹をなすローマ条約に記されているものの、詳細な規定はない。むしろその内容は、この要件に照らして個々の事例に判定を下すという行為を積み重ねることによって、徐々に形成されていく。こうしてルールの内容が一つ一つ明らかになり具体化される。その結果、域内市場のアクターたちは安心して企業活動ができるようになり、新しいアクターの参入を促し、公正な競争が生み出されるようになる。
 EUは域内市場を誕生させ自由な競争を導入することによって、3億人を越える共通市場を確立した。「モンティ報告」(1996年)によれば、これによって貿易と生産全般の障壁が取り除かれ、手続きにかかる経費の大幅な削減が可能になったという。さらに、市場統合は、①少なくとも30万、多ければ90万人の雇用を創出し、②EU内での投資を2.5%増加させる刺激効果があり、さらに③EUへの外国直接投資の大幅な増加等をもたらしたとされる。こうした経済的な成功が、EU統合という壮大な試みに自信を与えている。この自信によりEUは、さらに大きな一歩を踏みだそうとしている。
 冷戦の終結はイデオロギーによる社会秩序の崩壊をもたらした。EUが成し遂げようとしているのは、こうした社会にWTOをとおして経済ルールという新秩序を構築することである。一方、EUのこのような動きに対し、「EU砦」論など、EUが排他的な経済ブロックとなるのではないかという警戒論があるのも事実である。確かにそうした側面がまったくないとは言い切れない。ただし、EU域内統合の根本理念がこのような主張とは正反対の市場主義に基づくものであることは、明記されなければならない。

多国間での競争ルールの確立

 Allen&Overyでの研修の後、10月からは欧州委員会貿易総局にて研修している。貿易総局は、組織の変更によってこの10月に対外関係総局から貿易担当部局のみを集めて作られた総局である。
 NGOによる大規模な反対運動に直面した、昨年12月にシアトルで開かれたWTO(世界貿易機関)閣僚会議は記憶に新しい。この会議では、次年度に交渉開始が予定されているWTOのミレニアム・ラウンドの交渉分野を決めることが目的とされていた。どの分野を交渉分野とするかによって、加盟各国の利害は大きく左右される。そのため会議は開始前から難航が予想された。会議では交渉分野として、①農業・サービス等前回のウルグアイラウンドにおいて2000年から検討されることが決まっている分野(いわゆるBuilt-in-Agenda)、②既に規定が存在する分野について次回のラウンドにおいて見直しをしようとするアンチ・ダンピング等の分野、③1996年のシンガポール閣僚理事会において、各国による意見交換を行うためのWorking Groupが設けられた「貿易と投資」および「貿易と競争」に関する新分野、そして④NGOなどの主張によって注目を集めた「貿易と労働」や「貿易と環境」といったいまだWorking Groupの設置すら合意されていない分野、の4つが検討されることになっていた。しかし周知のとおり、会議は市民団体の暴走でその開催さえもままならず、「時間切れ」による決裂で、WTOミレニアム・ラウンドの交渉分野が確定されずに終わった。
 私はこれら多岐にわたるWTOの交渉分野のうち、第3番目の交渉分野のひとつである「貿易と競争」に関わる業務に携わっている。具体的には、欧州委員会内での打ち合わせ、欧州委員会から欧州理事会への報告の会議などに携わる傍ら、アドバイザーから依頼されたレポートの作成などを行っている。

 話は少しそれるが、欧州理事会への報告会議では、15加盟国の言語それぞれの通訳がイヤホンを通して聞けるようになっており、各加盟国代表も自国の言語で発言する。ほとんどの代表たちは少なくとも英仏両国語には不自由しないのに、である。国家連合を円滑に運用するための知恵を垣間見たような気がする。閣僚理事会の会議ではフランス代表がよくしゃべり、ドイツ代表は押し黙っているとよく言われるが、「フランス人は噂どおりだが、ドイツ代表が口を開いたので驚いた」などとドイツ人の同僚がおどけてみせていた。またレポート作成などのためにWTOの報告書などをみているが、EUがWTOに提出している報告書をみるとその論理の正確さと内容の包括さとに驚かされる。これに対し、日本政府の報告書はアンチ・ダンピングなど分野を限定すれば非常に優れた報告書もあるが、包括性と他交渉分野をも視野に入れた全体性という点でみると、その差は歴然である。

 さて話を「貿易と競争」に戻す。この分野において目指されていることは、多国間競争ルールをWTOで取り決めることである。これにより、いまだ競争法を持たない3分の1近いWTO加盟国内での競争法の制定を促すと同時に、加盟国間の貿易を阻害するような国際的な反競争行為に対しては、WTO内の紛争解決機関によって積極的に解決を図ってゆこうというものである。このWTO内での多国間競争ルールづくりを一貫してリードしてきたのがEUである。
 統合に力を得たEUは、冷戦の終結や情報化社会の到来などによって大きな変革を迫られている世界に対して、多国間競争ルールづくりを試みている。環境や労働、そして日本ではアンチ・ダンピング問題などに隠れてあまり注目されていないが、この試みはかなり意欲的なものである。競争政策は、国家の経済をどのように形作ってゆくかに直結する。どのような産業政策に基づいて、どのようなカルテルを許容し、どのような企業結合を禁止するかによって、その国の経済の形が自ずから決まってくる。言い換えれば国家主権の根幹に関わる分野ともいうことができる。この分野において共通ルールを作ろうというEUの試みは革命的であるとさえいえる。冷戦の終結によって世界は平和な時代を迎えると期待されたが、むしろそれまで押さえつけられていた問題が冷戦の終結によって逆に噴出し民族紛争などの混乱を引き起こしている。EUの多国間競争ルールは、この混乱を乗り越え新たな秩序構築を目指すものと受け取れる。

日本に望む長期的・包括的視点

 「浅薄なアメリカニズムから日本に回帰し、かつ、グローバリゼーションの荒波の中で日本を普遍化するのは並大抵のことではない…」。(榊原英資)

 わずかな期間ではあるがブリュッセルに滞在し、グローバリゼーションの荒波を肌で実感できた。
 ヨーロッパは、「瀕死状態」(Economist誌)といわれた時期を乗り切り、統合という成功体験をもとに、新たなルールをづくり、それを元にした世界秩序を創り出そうとしている。この方向性が、ヨーロッパだけを益するものとなるのか、発展途上国も含めた世界全体に資するものとなるのかはまだわからない。しかし、その動きの震源地である欧州委員会内部に身をおき、彼らの新たな世界秩序形成を目指したシアトル会議への情熱を間近に見、そしてそのシアトル会議失敗の落胆をわずかでも共有できたことは、大きな財産である。
 欧州委員会は1994年には既に多国間競争ルールに関する研究会を立ち上げ、95年には競争総局と対外総局の共同提案という形で欧州理事会の承認を得たうえで、96年のシンガポールWTO閣僚会議に諮っている。5年越しの計画である。こうした欧州委員会のシアトル会議にかける長期的視野にたった活動を間近でみてきて、改めて日本政府の対応について考えさせられている。交渉分野別に見れば、アンチ・ダンピングなど非常にレベルが高く、かつ説得力のある論陣を張っている分野はあるものの、全体的にみると長期的かつ包括的な戦略が欠如しているように思えてならない。5年後10年後をみすえて具体的な通商戦略を描き交渉全体のバランスを組み立ててシアトル会議に臨んだヨーロッパから学ぶべきところは多い。グローバリゼーションの荒波の中で日本が生き残り、さらには世界の中でリーダーシップを担ってゆくためにはどうすればよいのか課題は大きい。

<参考文献>
・田中俊郎『EUの政治』岩波書店、1998年
・松下満雄『国際経済法―国際通商・投資の規制―(改版)』有斐閣、1996年
・山根祐子編著『ケースブックEC法 ―欧州連合の法知識―』東京大学出版会、1996年
・D.G.Goyder,EC Competition Law,Third Ed.,(Clarendon Press, 1998)
・Roger Zaech,Towards the WTO Competition Rules, Kluwer Law International,The Haugu-London-Boston,1999
・J.H. Jachson, W.J. Davey, A.O. Sykes, Jr., Legal Problems of International Economic Relations-Cases,Materials and Text-,Third Ed.(American Casebook Series, 1995)

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小林献一の論考

Thesis

Kenichi Kobayashi

小林献一

第19期

小林 献一

こばやし・けんいち

Philip Morris Japan 副社長

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産業政策(日本産業界の再生) 通商政策(WTO/EPA/TPP)

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