Thesis
1)序
「UNCTADは、もう既に死んだ機関だから。」今回の研修中、何度となく耳にした言葉である。1970年代の南北問題解決へ向けた途上国の牙城であったUNCTADは、いまやその使命を終えつつあると言われる。その理由は、米国を始めとした先進国が途上国を中心にして運営されるUNCTADに嫌気を示しているからとか、UNCTAD自体がLegal Bindingなものではないからなど、様々な理由が挙げられる。けれども、一番の理由としては、途上国間での経済発展に大きな格差が現れたことにより、それぞれのニーズが一致しなくなったことが挙げられよう。21世紀の世界経済においては、世界貿易機構(WTO)が中心的な役割を果たしてゆくということには、ほぼ異論はない。けれども、WTOのシアトル閣僚会議後、その役割を終えたとも言われるUNCTADに再び注目が集まっている。シアトル会議決裂の原因は、NGOの反対、日米のAD問題、欧米の農業問題など、複雑な要因が絡み合っているが、そのなかでも重要なものの一つに、途上国問題がある。
経済協力開発機構(OECD)とWTOを比較した際に、WTOの優れている点として、そのAgreementがLegal Bindingなこと、またDispute Settlement Bodyが紛争解決能力を有していることなどに加えて、その加盟国の多さがある。OECDが主として、先進国によるフォーラムであるのに対して、WTOには既に多くの途上国を含む140に及ぶ国が加盟している。Legal Bindingであることに加えて、その加盟国数が多いことから、WTOは世界経済のルールをつくるには、現時点では最適な国際機関であるといえる。このため、先進国は、サービスや知的所有権など、従来はWTOの交渉外であった事柄にまで、そのAgreementの範囲を広げてきた。このため、ウルグアイラウンドにおいて合意された文書は、数千頁にも及ぶものとなっている。
さて、話しをシアトル会議で顕在化した途上国問題に戻そう。途上国問題には、二つの側面がある。まず、140ヶ国の加盟国で数千頁に及ぶ合意に関する交渉をどのように進めるかと言うことである。従来、GATTの時代には、Green Roomといわれる通商四局(日米欧加)にインドなどの一部の途上国を加えた国々で構成される非公開会議があり、そこで交渉の大枠が決められていた。けれども、これには当然、Green Roomに参加できない加盟国から批判が上がり、シアトル会議においては、クリントン大統領はGreen Roomの撤廃を唱い、各国に閣僚を送り込むことを要請した。けれども、ウルグアイ・ラウンドで合意された分野だけでも数千頁、それに加えて環境、労働、投資、競争など新しい分野が検討されたシアトルでは、Green Roomなしでは合意を見いだすことができなかった。その結果、交渉終了の前日、バーシェフスキーUSTR代表は、当初の方針を変え、Green Roomを召集し、なんとか合意を見いだそうとした。けれども、先進国間の対立は激しく、結局、合意は見いだせず、さらには、多くの途上国の閣僚たちは、Green Roomが開かれている間、会議場のロビーで待ちぼうけとなった。この除外された閣僚たちが、交渉に関して態度を硬化させたことは言うまでもない。このように、どのように途上国の意見を加味して交渉を合意させていくかが、第一の途上国問題である。
第二に、合意文書が数千頁にも渡るものとなり、多くの途上国はこれらの合意の一つ一つに対応しきれなくなっているという、問題がある。日米欧など、多くの専門スタッフを抱える先進国はともかく、モノのみにとどまらず、知的所有権、サービス、ADなどに加えて、環境、労働、投資など複雑・多岐に渡る膨大な交渉を、一途上国が自国の利益を勘案しつつ行うことは、不可能に近い。この第二の途上国問題により、UNCTADが注目を集めることになっている。つまり、すべての交渉分野をカバーしきれない途上国への、UNCTADの技術支援が見直されているのである。UNCTADの技術支援の一例を挙げると、途上国がWTOに加盟する際の支援が挙げられる。現在、WTOに加盟するためには、140の加盟国すべてと交渉し、合意を得なければならない。また、加盟条件も一律に設定されているわけではなく、加盟候補国の交渉の力量により加盟条件も、上下する。一般に、途上国は一旦WTOに加盟してしまうと、自国の貿易自由化に激しく抵抗するといわれる。そのため、加盟を承認する前に、欧米諸国はなるべく多くの自由化を、候補国から引き出そうとする。この加盟交渉に必要な準備を、UNCTADが支援している。(ちなみに、UNCTADで加盟支援に携わっている方から、加盟承認の際の自由化要求リストを、米国は、他の候補国用に使ったものをそのまま流用し、EUはインターンに作らせているといううわさがあると伺った。欧州委員会で研修を行っていた際、隣に座っていた同僚のインターン生が自由化要求リストを作っていたことを思い出し、要求する側とされる側の両方をみているのだなあと、不思議な気がしつつ、話を伺った。)
このように、「死んだ機関」とも言われるUNCTADが、WTO交渉に関する途上国支援という分野で注目を集めている。途上国支援という分野は、WTO自体はその性格上、自らが援助するには様々な制限があるし、先進国としても多くの途上国が交渉に積極的に参加し、さらに自由化をすすめ、世界経済のルールを確立して行くためにも、重要なことがらとなっている。このUNCTADによる技術支援は、次期ラウンドにおける新交渉候補分野である、環境、労働、投資、そして競争などの分野でも注目を集めている。例えば、競争に関しては、WTOの上級職員であるConstantine Michalopoulosが “Developing Country Strategies for the Millennium Round”(World Trade, vol. 33, Num. 5, October 1999)という論文のなかで、「競争分野におけるルール化は、途上国にとってはメリットとディメリットがまだ不確定なので、今回は交渉分野から外した方がよい」旨を主張していたが、まずは各途上国毎に、そのメリット・ディメリットを判断することが必要であると思われる。このような意味においても、UNCTADに期待されている事柄は大きいといえよう。
2)UNCTADにおける競争政策
UNCTADにおいては、途上国の経済発展に関する様々なプロジェクトが実行されているが、そのなかのひとつに競争政策に関する途上国への支援プロジェクトがある。このプロジェクトは1980年に国連総会において採択された、”The Set of Multilaterally Agreed Equitable Principles and Rules for the Control of Restrictive Business Practices”に基づいて行われている。このSetは、Legal Bindingなものではないが、このSetを基にして加盟各国により採択された競争法のModel Law やそのコンメンタリー、さらには年に数回行われている政府間専門家会議などが、UNCTADの競争法プロジェクトの中心となっている。Susan K. Sellは、”Intellectual Property Protection and Antitrust in the Developing World: Crisis, Coercion, and Choice” (International Organization, vol.49,Num.2, Spring 1995.)のなかで、韓国など多くの国々の競争当局スタッフが、UNCTADのプロジェクが自国の競争法を制定・運用する際に、非常に役立ったというインタビュー記録を紹介している。
本月例報告では、筆者がUNCTADにおいて執筆した”Intergovernmental Co-operation regarding Merger Review”の内容の一部を紹介しつつ、将来のUNCTADの役割について検討したい。Sellも指摘していることであるが、1990年以降のこの十年は、従来の自国経済保護主義的な産業政策から、競争政策を中心とした産業政策へと、世界各国がその産業政策をシフトさせてきた十年として位置づけることができる。この結果、1990年にはわずか10ヶ国が競争法を有していただけであったのに対して、現在は、競争法を有する国の数は60ヶ国以上となっている。また、世界のグローバル化により経済規模および企業の活動範囲が国境を越えるもの(Transboader)となったこともあり、一つの企業活動に対して、複数の国の競争規制が抵触するような事例が増えつつある。例えば、有名なBoeing/McDonnellケースでは、共に米国企業であるBoeing社とMcDonnell社の企業合併であったのにも関わらず、EU統一市場に重大な影響を及ぼすとして、欧州委員会がその合併に大きな疑義を表明し、ストップをかけた。このような競争当局間の衝突を回避するべく、1990年以降、競争法の運用に関する多くの二国間協定(Bilateral Agreement)が締結されている。ちなみに、1990年にはわずか二つであったBilateral Agreementが、現在10以上となっている。
このような世界的な潮流の中で、WTOでも競争に関するルールをつくろうという動きがある。詳しくは、すでに塾報等ですでに報告してあるので再述は避けるが、1996年のシンガポール閣僚会議においてWorking Groupが設置され、次期ラウンドの新交渉分野の一つに挙げられている。先日、インタビューを行ったWTO職員の方によれば、競争が(次期ラウンドかどうかは別として)将来の交渉議題となることはほぼ間違いないという。(このような認識は、EUの政策担当者やUNCTADの競争政策担当者たちに概ね共通する認識であるが、公正取引委員会の方々をはじめ日本においては「本当に競争が将来の議題になるのかわからない」といった懐疑的な見方が多く、国際社会との状況認識の齟齬を感じることがあることを報告しておく。)これに対して、まだまだ途上国の側からは、前述したMichalopoulosの意見に代表されるように、WTOにおいて競争法の国際ルールをつくることに対するメリット・ディメリットが確定しきれずに、とりあえず反対という姿勢がシアトル会議では目立っていた。しかし、上述のように経済がグローバル化し、各国の競争当局の間で衝突が起こっている現状を放っておくのは、明らかに途上国にとってはメリットよりもディメリットの方が遙かに大きい。そのディメリットの一例として、Gencorケースを紹介しよう。
Gencorケースにおいては、南アフリカ企業であるGencor社と英国企業であるLonhor社が1996年に発表した、両社のプラチナ採掘部門の合併が問題となった。当初、企業活動(すなわちプラチナの採掘)が南アフリカでなされていたため、両社は南アフリカ政府に合併の申請をし内諾を得ていたが、その後、欧州委員会にも合併を届け出た。欧州委員会では審査の後、当該合併がEU統一市場に重大な影響を及ぼすと判断し、合併を認めない旨の決定を下した。その決定が出される直前、南アフリカ政府から、当該合併は南アフリカ経済にとって有益なものであるため、さらに両国政府間での話し合いを進めたい旨の通知が欧州委員会側になされたが、結局、聞き入れられなかった。Gencor社は、the European Court of First Instanceに当該決定の破棄を訴えたが、1999年に同訴えは棄却された。当時(そして現在も)、EUと南アフリカの競争当局間には、BilateralのAgreementは存在していなかった。
Gencorケースが示しているように、transboaderな企業合併が増加しており、その影響もグローバルなものとなっている現在、途上国が、欧米などの競争法を積極的に運用している先進国と二国間協定を結ばす、さらには競争法ないしは合併審査規則(Merger Review Regime)すらも有さないということは、途上国の経済にとって大きな損失を招きかねない。実際に、現在ある10前後のBilateral Ageementには、ほとんど途上国は含まれていない。各途上国が、自国経済発展レベルに合致したMerger Review Regimeを確立し、さらには自国不利にならないようなBilateral Agreementを主要先進国と締結して行くことが求められている。その際に、途上国各国の法律制定能力が問題となる。先進国とは異なり、少ない人的資源、また専門家の不足などの問題を抱える途上国に対する国際社会の支援が不可欠である。残念ながら、現在のUNCTADのSet やModel Lawには、Mergerに関する規定が存在しない。一方、Mergerの分野では、OECDが1960年代から取り組んでおり、Recommendationという形で、その成果を発表してきている。OECDの業績については、先進各国の競争当局が、Bilateral Agreementを結ぶのに非常に役立っているとのコメントを様々なレポートの中で報告している。ただし、OECDのRecommendationの問題点としては、確かに各国の競争法のConvergenceを図ったり、Bilateral Agreementを締結するたたき台として有効ではあるが、上述の通り、加盟国が先進国を中心とした28ヶ国しかないことが問題であろう。また、元OECD職員の方へのインタビューによれば、先進国サロンとしての性格上、またLegal Bindingでないことから、先進的なことができる反面、出されるペーパーが理論的・理想的に過ぎるきらいがあり、実現性に乏しい場合があることが指摘されている。また、途上国問題という観点からは、加盟国の構成上、途上国側の視点は、当然加味されず、技術支援といったこともできないことが指摘されよう。
そこで、何度も指摘しているように、途上国問題という観点から重要性を増しているのがUNCTADである。上述の通り、途上国がMerger Review Regimeを制定し、さらには主要先進国とBilateral Agreement を締結して行くことは、急を要する課題である。このためにも、OECDのRecommendationなど既存の業績を踏まえながら、途上国の経済発展的要素を加味したMerger Review RegimeのモデルをSetやModel Lawのなかで提示してゆくことが肝要であろう。また、Bilateral Agreementに関しても、締結国となる途上国が不合理に不利なAgreementを結ばされることがないように、何らかのたたき台としての雛形をUNCTADが提示してゆくことが必要である。もちろん、UNCTADのSetにしろ、Model Lawにしろ、Legal Bindingなものではない。UNCTADで私が所属するCompetition Law and Policy, and Consumer Protection課のPhillip Brusick課長も、「本来は、WTOのようなLegal BindingなAgreementが、競争の分野でもふさわしい」とコメントしているが、理想としては、確かにWTOが競争を扱うには最適の国際機関といえよう。けれども、残念ながら、競争政策は当然、産業政策に直結し、ひいては国家主権すらも脅かしかねず、おそらくWTOでAgreementがなされるまでは、かなりの時間がかかることが予想される。また、WTO自体は、その条約の性質上、途上国のみを支援することはできない。以上のようなWTOやOECDの限界を踏まえると、競争の分野においてUNCTADが果たすべき役割は、まだまだ大きいと言えよう。
3)おわりに
最後に、短期間ではあるが、UNCTADで研修を行っている感想を述べたい。UNCTADの今後の役割についての筆者の考えは、上述の通りであるが、今回、国際機関の外部からではなく、内部からその課題と可能性を考察し、レポートをまとめたことは刺激に富むことであった。今回作成したレポートがどのように活用されるかは、まだ未知数であるが、「役割を終えた」といわれる国際機関の将来像(もちろんその一部ではあるが)を、内部から提言してゆくということは、物事を主体的に捉えるという点で、一般の学術論文を書くのとはひと味違った知的興奮があった。また、UNCTADという機関が、クライアントとなる途上国の必要をもとに、Professionalの職員がプロジェク案を立て、資金提供をしてくれるドナーを探し、予算が付いたらプロジェクトが開始されるという形をとっており、業務がかなり、Professionalの裁量に頼むところが大きいというのも、知的な刺激を大きくしている一因でもあると思われる。話しを聞くUNCTAD職員の人々がかならず、「一部のスタッフのひどさは目に余るが、仕事自体は楽しい」と口を揃えているのも、この辺に理由があると思う。Professionalの企画力と提案・説得力によっては、ある意味でどんなプロジェクトでも可能とも言えるからである。
「一部スタッフのひどさ」については、先月の月例報告で報告したので、再述は避けるが、働くスタッフと働かないスタッフの違いがあまりにもおおきいことは否めない。また、本来、途上国支援を目的として設立されている機関であるにもかかわらず、自らの昇進のためだけに、仕事もせずに政府高官や上司とコーヒーを飲んでばかりいるProfessionalたちのはなしもしばしば耳にする。特に、途上国出身のスタッフにそのような人々が多いのには、悲しい思いをさせられる。けれども、ふと立ち止まって考えると以下のようなことを思わされる。日本人で国際機関で働こうというものは、多かれ少なかれ、なんらかの世界と日本に貢献しようという理想を持っている。なぜならば、苦労して国際機関などで働かなくとも、国際機関で働けるくらいの能力があれば、日本ではもっと経済的にはペイのよい職があり、また、生活環境としても、安全性や利便性などを考えると日本ほど日本人にとって暮らしやすい国はない。けれども、国際機関で働く途上国のスタッフたちは、自国に戻れば、貧困と汚職がはびこっている。なんとかして、ヨーロッパやアメリカに残ろうとする。そもそも、私たち日本人とはバックグラウンドが違いすぎるのかもしれない。けれども、「途上国のエリートたちが、必ずしも途上国のことを考えているとは限らない」という外務省の方の言葉は、とても悲しく響く。
最後に、UNCTADのCompetition Law and Policy, and Consumer Policy課のことについて言及したい。同課は、Professional 三人プラスGeneralスタッフ二人、そしてConsultant一人と、私が予想していたよりも遙かに少ない人数で運営されていた。もちろん、これまでの業績は高く評価されるべきではあるが、どうしてもOECDのペーパーなどと較べると若干、質が落ちることは否めない。予算制約上、仕方のない面もあろうが、今後の重要性を鑑み、さらなる人員、特に競争法の専門家、それもできれば各国競争当局出身者や競争法の弁護士などのロイヤーの人員が増やされることが必要であると思われる。
以上。
Thesis
Kenichi Kobayashi
第19期
こばやし・けんいち
Philip Morris Japan 副社長
Mission
産業政策(日本産業界の再生) 通商政策(WTO/EPA/TPP)