松下政経塾 The Matsushita Institute of
Government and Management

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2000年1月

塾生レポート

あびこ、将来の北海道の姿をどう描くか…の巻(前編)
我孫子洋昌/卒塾生

 
1.はじめに

 「北海道を“よいところ”にしたい」というテーマを掲げて入塾し、早いもので3年が経とうとしている。いよいよこの3月で卒塾となるが、卒塾前にいま一度「何のためにこの塾に来て、将来どうしたいのか」ということを確認したい。次号では、「入塾してこれまでに達成できたことと、卒塾後の活動へ向けた課題」について書くことにしたい。

2.なぜ、「北海道を"よいところ"にしたい」と考え始めたのか

 あびこ自身、北海道で生まれ育った「道産子」(どさんこ)の一人である。大学への進学を機に、東京へ移り住み、道産子以外の多くの人々に出会うことになった。また、首都圏で生活することで、外から見た北海道はどういうものなのだろうかという視点で眺めることができた(と思う)。
 そうすると、今ほどインターネット等が普及していなかったため、北海道に関する情報は、東京で日常的に得るというのは難しかったし、また強く意識しないと北海道の存在を考えることなく日常生活ができるということが実感できた。北海道から出てきた友人たちも、就職で地元に戻るということは殆どなく、大多数が東京に残り、社会人生活を送っている。

 卒業論文では、「北海道の自治体における地域振興」と題して、“ゆたかなまち”をどう作り出すのかということについての考えをまとめてみた。今読み返してみると、「まとめた」というシロモノではないが、自分なりの問題意識やなぜ「北海道へ自分は帰るんだ」という意識を持ったのかが伝わってくる。拙いながらも、官依存体質について言及し、農林水産業や石炭、鉄鋼の他、観光産業など北海道経済の抱える問題についても考察している。これらの問題点をどうにかして解決してみたいという考えはあったものの、どこから手をつけていいのかは漠然としていた。論文の中では、自治体の職員が地域住民を巻き込んだ形で何かを生み出すというケーススタディをいくつか行い、こういう動きが道内各地で起これば将来何かになるだろうという結論(もどき)に達している。

 東京の高温多湿の夏と混雑が苦手なあびこは、「北海道に帰って“ゆたかなまち”を作り出す仕事がしたい。」と考えながら大学院での日々を過ごしていたのだが、偶然にも松下政経塾の存在を知ることになり、入塾選考を受けることになった。このプロセスを通して、「“ゆたかなまち”の集合体としての北海道=“よいところ”」のイメージを考えはじめていった。

3.入塾前のあびこ

 入塾選考を受けるにあたり提出した書類のコピーを見ながら、当時どういった思いでいたのかを振り返ってみたい。

志望動機などを記述した論文を見てみると、

 『松下政経塾に応募したのも、現状に満足しない自分が、この社会の仕組みや、流れに妥協するのを自分のどこかで許さないということが根底にあったからだと思う。ただ何となくこの世の中とうまくやっていくというのは、自分自身に嘘をつくことで、与えられている役割を果たしていないのではないか、突き詰めると正義ではないのではという考えにいたる。』

 『不満がくすぶり続けたまま生活していくのは、可能性を否定し続けることなのではないだろうか。将来の自分自身のイメージ、北海道の姿、みんなが楽しく安全に暮らせる社会の実現に向けて、どのように歩みを続けていくことができるのだろうか。自らの可能性や、意志がどう試されるのか、またどれだけ維持することができるのか、政経塾に身を置く時間を通して考えたいと思っている。』

 …社会に対する不満といったもの、現状を変えていきたいと考えているあびこの姿がそこにある。塾での3年間を『自らの可能性や意志がどう試されるのか、またどれだけ維持することができるのか』と考え、あくまでも在塾期間の研修次第で自分の将来が拓けるのかどうかといった考えで選考を受けていたことがわかる。

 また、<入塾後、研究・実践しようと考えるテーマ、およびその計画>についての記述を見ると、

 『北海道が自立した地域となるためには、どうすればよいのだろうか』
 …このテーマのもと、漠然と考えた計画のなかには、『北海道とめぐる様々な問題についての分析をしたい。その上で国際比較をしたい。世界には北海道と似た部分を持つ国々、また州レベルの自治体があるので、それらの地域を調べて北海道の自立のためのアイデアを練りあげたい。』

とある。

 『(具体的な計画としては、)上述の地域へ直接、自らを置いたり、また外側から研究を進めたいといった程度で、入塾後により、具体的なものにしていきたい。』とも書いてある。
 …実際には(次章でも書くが)、"北海道を巡る様々な問題"のうち、「産業/経済構造の改革」を手がかりに、北海道の自立へ向けた産業クラスター創造活動という運動に出会い、そこでの研修で出会った人々や経験を通して、"自立のためのアイデア"を練ることになった。

 また、<将来の志望分野>は、『自らの仕事が北海道を「よいところ」にすることに関わる人間になりたい』と、かなり漠然としているものの、北海道という活動地域を定めていることは違いない。

 <最終的に実現させたいこと>として、

『東京を向こうにまわしても、堂々とやっていけるような北海道』
『道内においては、札幌圏への一極集中を改善し、道内のどこにすんでいても、生命の安全が保障され、楽しく暮らすことのできるように環境を整えたい。』
『「ここに生まれ育ってよかった」とみんなが思えるような、世界へアピールできるHOKKAIDOにしたい。』
『北海道の産業、福祉、医療、外交などをより活発に、高いレベルのものにしながらも、豊かな自然環境との共存を可能とする社会の実現』

 なるほど、これらを実現できれば、"北海道の自立"は達成できるだろうが、案の定、どこからどのように手をつけるということが思い浮かんでいない。(未だにそうかもしれないが)、『まだまだアオイな』というのが実感だ。

4.塾に入ってからのあびこ

 1年目(アソシエイト)の研修は、盛りだくさんのメニューが用意され、かなり多忙を極めたが、なかでも沖縄の共同研究(今になって、当時の自分たちの提案と大差ない政策がいくつか実現されていて、密かに充実感がある)を通して、地域の産業構造を改善させるのがいかに難しく、同時にやりがいがあるのだということを実感した。また、その手法として紹介されたのが『北海道産業クラスター創造活動』であった。ただ沖縄のことで手いっぱいだった当時、自分がクラスター事業部で研修することは想像もつかなかった。

 とはいうものの、大学から東京で生活していたため、北海道での活動拠点は全く無いといってよかったあびこは、フェロー活動の拠点を模索しながらも「新しい北海道を作り出す活動」としての『産業クラスター創造活動』には興味を持っていた。沖縄共同研究が終わり、次年度の活動に向けて動き出していた頃、北海道産業クラスター研究会(当時)を紹介された。

…次章以降では、2年目以降の研修を通して、得ることのできたひとつの結論と自分自身の活動の方向性について次号で書くことにしたい。

<次号へ続く>

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