Thesis
1. はじめに
来年の卒塾を目前に、「自分がなぜ、政経塾に来たのか」ということを考えることが多くなった。将来の目的、構想、現在の立場、などなど…。ということで、6月末から7月の上旬にかけて、あびこはカナダ西部を訪問した。いわば迷ったときは、『ふりだしに戻れ』とばかりに、カナダへと出かけた。ただ、漠然と「命の洗濯」のために、カナダへと出かけたのでは成果が出ないし、今後への課題も生まれない。
なぜ、カナダが「ふりだし」なのかは、あびこが高校生の時まで遡る。ごく普通に高校生活を送っていたあびこが、たまたま目にした『交換留学生募集』のポスターに「これは面白そうだ」という考えで応募したところ、選考に受かってしまった。1年間のカナダの田舎での生活(一般家庭にホームステイして、現地の高校に通学した)の結果、それまでは考えてもみなかった世界があることを知った。その後のあびこのいきかた(チャレンジする生き方・行き方)を振り返ると、どうしてもその1年を抜きには語れない。
2. 実際に何をしてきたのか
とはいえ、ただ広大な大地のなかに身を置いても心は休まるものの、ただ「ふりだしに戻る」だけになってしまう。そこで、もう一度サイコロを振らないことには前に進まない。
そこで、現在のあびこの活動を踏まえて、現地調査を行うことにした。調査項目は主に、①「産業界と大学との距離」、②「地方都市での産業振興」の2点だ。地方の経済人や大学のスタッフとの議論の中で、現在あびこが北海道で関わっているクラスター活動について話すと、関心を持って受け止められた。
<カナダ西部訪問>
カルガリー市では、石油、天然ガス開発会社の副社長と意見交換を行った。スウィフト・カレント市では、コンピューター販売・修理会社の社長および、家電修理・販売の社長からヒアリングを行った。ヴィクトリア市では、ヴィクトリア大学を訪問して、学生を企業へ派遣研修させるプログラムの担当者から話を伺った。
(カルガリー)
カルガリー市では、石油資源開発会社のメリット社を訪れた。ちょうど夏休み期間ということもあり、多くの大学生が働いていた。単なるアルバイトかと思いきや、長期間(カナダの大学は夏休みが長いため、多くの学生は、この期間にアルバイトをして学費を賄うとのことだ)、きちんとした仕事を自分の責任で行っていた。もちろん、オフィスには彼らのための個室も与えられ、専用の電話とパソコンが用意されていた。
メリット社のNiel Thiessen副社長と話す機会を頂いたので、日本やカナダにおける産学関係の状況について意見交換を行った。やはり自前の研究機関を持つ企業は少なく、そういった場合には大学との共同研究を行うとのことだった。その際も、あらゆる手段(直接、研究資金を支払うとか、企業の研究を大学院生にアルバイトの形態で行わせたりだとか)があるとのことだ。
そのため、夏の学生バイトも、日本のような仕事のサポートという側面だけではなく、ある程度の責任を持った仕事(プロジェクト単位)を任されるため、学生にしてみれば自らの適性を大いに実感することもできるし、能力を伸ばす期間にもなる。企業にしてみれば、あらゆる学生を長期間雇うことで、「この学生を将来採用できるのか」ということを見るための期間にしているとのことだった。
(サスカチェワン州にて)
スウィフトカレント市を訪問した。人口は約1万6千人程度なのだが、州都リジャイナ市までは200Km以上あるため、州の南西部の中心都市と位置付けされている。近郊町村を加えると約7万人の商圏になる。近郊といっても、南北約300km、東西約200kmという範囲になるが…。州自体は日本と同じ面積のなかに人口が100万人といった農業が主体の、カナダの中でももっとも目立たない州のひとつである。
スウィフト・カレント市では、コンピュテック(マイクロエッジグループ)社(コンピューター販売・修理)Wayne Roberts 社長および、アンバサダーエレクトロニクス社(家電修理・販売)のHenry Thiessen 社長からヒアリングを行った。
商圏は小さく、えてして公共投資に頼りがちな地域だが、あえてそれに頼らない経営を目指しているとのことだ。それは、市場で生き残るためには何が必要かということを見極めて、着実に行うということなのだそうだ。それぞれの会社はなるべく出費を押さえる努力をしているし、必要となればフランチャイズチェーンの仲間入りもするとのことだった。
話が飛ぶが、帰国後訪問した道内のある町では、中心市街地の街並整備を以前実施したということで、一時有名になった。同じスタイルの建物が並ぶ商店街。凝ったデザインの舗装、街灯。しかしながら、地元の人から話を聞くと、「町並み整備だけでは、何も生まれない。日曜日に閉まっている商店街。競争がないために『殿様商売』(昔からの顧客だけを相手にしている)に終始している。これでも商売が成り立っているのだから、どうしようもないが、最近は大規模なショッピングセンターに客を奪われている様子だ」とのことだった。
「いくら小さい商圏でも、競争がないと発展しない」という言葉は、そのときになってはじめて実感を持って受け止めた。スウィフトカレントでは、1992年に、どのように企業経営を行うのかというテーマのもと、地元の経営者向けに、時にはアメリカからも第一線の実務家を呼んでの勉強会を定期的に実施して、マーケティングや雇用・意思決定の仕組みについて、長い冬の間じっくりと学んだという。その勉強会の参加者のほとんどが現在も、一部は業種を変えたものの、生き残っているとのことだ。当然商売がたきも参加していたが、それでもお互いに顔を合わせて話し合うと何かが生まれてくるとのことだった。
(ヴィクトリア)
ヴィクトリア大学工学部Co-opプログラムコーディネーター Roel Hurkens 氏
ヴィクトリア大学本部Co-opプログラムアシスタントディレクター Joanne R. Thomas氏の2人から話を伺った。
産業界と大学との関係を学ぶ上で、「人」という側面に興味を持っていた。そこで、カナダでは、どのように大学から出たばかりの人間が産業に入っていくのかということに興味を持ち、大学のコーププログラム(インターン研修)担当者と話をする機会を持った。この大学では、主に工学部が1976年から実際に行われていたプログラムなのだが、学部・専攻も工学系から生物、化学、情報系といった理系分野だけでなく、経営、経済、法律、行政学といった文系分野にもまたがっている。現在では、他の大学にも広がっている制度だ。州政府からも補助があり、社会全体で支えている制度だという。
この、co-op programは、学生が通常4年間かけて卒業するところを、企業研修(有給)を間に挟むことで、卒業までの時間は通常のカリキュラムよりも多くかかるが、日本のように、大学3年次から4年次の夏までを就職活動に充てて、大学にまるで通わない状態を引き起こすこともないだろう。また、この企業研修機関に得た給料を学費に当てることが可能になり、学費を自分たちで賄うのほとんどのカナダの大学生にしてみれば、、在学期間に職務経験を積むことができ、しかも同時に長い時間をかけて、自分というものをその企業へアピールすることができるのである。卒業時には、「大学を5年かけて卒業しましたが、そのうち2年は働いた経験があります。」というふうに履歴書に書けるのである。
もちろん、企業にしてみれば、若い労働力を確保できるといったメリットや、じっくりとその学生の適性を判断できるという面もある。だからといって特別扱いするのではなく、企業は身銭を切るのだから、普通の社員を短期間雇っているというのが実態だ。先述したように州からの補助も出るので、実際にひとりを雇うよりも安上がりだということもある。
例えば、こういう具合になる。大学に4ヶ月間通うか、それとも4ヶ月間企業でインターンを行うか。あらかじめ大学と学生、研修先の企業の間で綿密な打ち合わせを行うのだが(その間に立つのが、各コーディネーターなのだ)、学生の専門分野や企業のニーズを突き合わせて、もっとも相応しい学生を大学が派遣することになる。もちろん、全てがすばらしいというわけではない。企業側はなるべく同じ人材に続けてきてほしいとかいう問題点もあし、学生の側もある程度の成績を満たさないと派遣されないし(一定の基準を満たさないと退学にさえなってしまう)、学生によっては希望していた業種からの求人が無く、大学に残って単位を修得することになるというケースもある。
1年を4ヶ月ごとに区切る。秋は9‐12月、春は1‐4月、夏は5‐8月という4ヶ月ごとの周期である学生の履修計画を見てみると、
このインターン先も市内にとどまらず、国内外へと派遣される。州外で働くというのも条件になっているプログラムもある。さらには、通常なら夏休みということになる5月から8月の間も、このプログラムの学生の単位習得のために教員が出勤して授業や実験を行うという事態が生ずるため、教授陣の協力無しには不可能なプログラムだという。もちろん、大学の中では様々な議論があった(今でもある)という。単純に言えば、「大学は学問をするところなのに、なぜ、企業研修のようなものをカリキュラムに組み込むのか」という点だ。これは、『何のための大学か』という大学の存在意義を問うという意味では大きな議論があったという。
3.感じたこといろいろ
(大学と産業の関係について)
このco-op programmでは、コーディネーターが積極的にあらゆる企業を訪問し、研修先を開拓していると聞いた。企業と学生の双方にメリットのあるこのプログラムが他の大学でも取り入れられているということならば、研修先の確保が彼らに課せられた大きな仕事といってよい。
北海道で展開されている、産業クラスター創造活動では、研究者と企業の人間の協働によって、事業化を目指している。特に、北海道の場合は、研究者を意図的に中小地元企業へと引っ張り出して、そのつながりを強めていこうとする点に特徴がある。
一方、カナダでは、確かにそういうことはあるが、あくまでもコーププログラムでは、企業研修に関わる教授や職員が、派遣する学生を媒体に、結びつきを深めている。「いやぁ、おたくの学生よくやってくれてますよ」という話をコーディネーターとしたり、研修で受け入れる学生の面接のために企業の人間がキャンパスを訪問したときに、『そういえば、こういう分野の研究をしている先生はいないのですか』という話題になり、共同研究が始まることがあるという。
産業界と大学の距離の近さや、どんどん社会へと飛び出していくスタッフ。大学の目的意識の違い。企業の受入れ体制。州政府からの支援。社会的な認知度…とまぁ、違うといえばそれまでなのだが、例えば、大学の職員自らが、キャンパスから離れて企業へと飛び込んでいく様子は、日本の場合、「就職相談室」以外は、殆ど無いケースではないだろうかと思われる。
また、職員の資質ひとつにしても、ただ事務能力があったとしても、専門知識が無ければ、工学部なら工学系の教員のニーズを汲むことも難しい。逆に言うと、教員が言うがまま、法外な値段の機械を購入することになったりしたりする。
これは、昨年ドイツの大学を訪問した際にも思ったことなのだが、なぜ、大学のような専門家(研究者)の多いところに事務方と現場を結びつける人を置かないのだろうか?工学部のコーディネーターも工学系の学位(修士、博士号)を持っている人間が勤めているという。
これから、大学が淘汰される時代(それ以前に予備校や学習塾が厳しい競争にさらされていると聞くが)になる。既になっているといってもよいだろう。そのような中、ふんぞり返っているような職員ばかりを抱えていては、それまでの知名度のおかげで何とかお客さん(学生)が集まっていたのは過去のことということになってしまう。
「学問の自治」という言葉を耳にしたことが数回あった。はたして、国立大学で学問の自治などありえるのだろうか?自治という言葉には、外部向けと内部向けの2通りの自治があるということは知っている。これは、例えばクラブ活動などでは、このクラブに対する圧力や権力の行使を防ぐために団結して経営にあたることではないだろうか。内部向けには、その中で誰が何の係をして、どのように運営していくか、自ら治めるということだろう。
大学の職員がよく口にする「学問の自治」は、片方だけではないだろうか?国立大学であったとしても、総長がいて、事務局長がいるのなら、それぞれ独自のあり方・やり方があってしかるべきなのに、そういう場合は文部省の指示を仰ぐ。そんなものは自治ではない。そのくせ、外部に対しては、内部に口を出すなという。
どちらが良い悪いとは一概に言いたくないが、メンツばかりを大事にしている大学と、実際にユーザーである学生や地域社会のために活動する大学とでは、どちらが社会にとって有益なのだろうか。
(あたりまえのこと)
滞在期間中、カナダの友人と話をした。コソボ問題やら様々な話題のなかで、奨学金のことが話題になった。聞くと、「大学に行くために借金をしたが、卒業してから借りたものを一生懸命返した。苦しかったけど、これは当たり前のこと。借りたものを返さないでいられるのなら、あとの世代が苦しむ。結果として、彼らの将来を縛ってしまいかねない。」その通りだ。どうしてそういう話題になったのかはわからないが、どうやら踏み倒す人が増えているという状況があるようだ。あびこも苦しいながら返済している最中だけに身にしみた話だ。単純な議論かもしれないが、これを日本の政治について考えてみた。
「返すあてのない借金(国債、公債)で、いろんな物を建てる。もしくは現役世代の不況対策だったり、既に引退した人向けの年金など、後世につけを回すような形で、様々な事業を行ってきた。これは、たしかに現在の世代に向けた対策としてはやむをえない面もあったかと思われるが、結局、後世がどんどんつけを後回しにしていくだけの話にはならないか。そういう話をすると、後の世代も享受するのだから文句を言われる筋合いはないとか言うことになる。かといって、自分たちが使えるお金の相当な割合を前世代が残した借金の返済に充てられるのは、なんとも納得が行かない。
かといって、民間がそのようなことをしていないとは言い切れない。建物自体の保証期間がせいぜい数十年なのに、三世代にまたがった住宅ローンなどいい例だ。じいさんと父さんには使い勝手のいい家でも、実際に孫が世帯主になったときには、いろいろと修繕しなければならず、またどこに住もうかという選択の自由を奪われてしまう。(もっとも、建物が耐えられればの話だが)。
そういう意味では、今回調査しなかった項目だが、カナダはかなり公共支出を削減することで財政赤字を削減したということも、あの国はやってのけているんだということを思い出した。アメリカという強力な国を隣に、冷戦時には北極の向こうにソビエトがありながらも独自の外交政策を進めたという歴史もある。まだまだ奥が深い国だと感じた。人口は日本の3分の1にも満たないが、アメリカとの付き合い方などは、もっと学んでも良いのではないだろうか。
(なぜカナダはカナダなのか?)
さて、アメリカとの付き合い方というわりには、この命題はなかなか難しい。カナダの雑誌を見ても、「米ドルとの通貨統合の可能性」が見出しに出ていたり、ハイウェイを走る長距離バスも、バンクーバーからニューヨーク行き(いったい、誰が乗るんだろう?)というのが普通に見られたり、テレビドラマや映画もアメリカ製のものが圧倒的に多い。
「カナダのアイデンティティは、アメリカでないところにある」という皮肉めいた言い方もある。アメリカには大統領がいるが、カナダには女王がいる。アメリカと違って、メートル法を使っている。などなど。コソボの話など国際紛争では、常に『アメリカが爆撃して、カナダはその後片付けに出かける』などと実に上手な表現を耳にした。
考えてみたら、ことさらあびこが「北海道、北海道」と言うのも、北海道を一度離れてみて、その土地と北海道との違いを意識しはじめてからではないだろうか?
東京に進学したことで、なおさら興味を持った「小規模のコミュニティ」について、また考えた。帰国した後、いくつかの町を訪問した。クラスター事業部の出張で下川町を訪問した際、森林組合や、町役場の方々と話をしているうちに、「あびこ君、もっと現場を見たほうがいいよ。」ということになった。ぜひ行ってみようと思う。そこで感じることがあるはずだから。
4.「ココロザシの原点」
久しぶりにカナダを訪れることで、現在に至るまで、なぜカナダに憧れを抱いているのかを把握した気がする。言葉にすると陳腐になってしまうが、要はそれぞれが自立した考え方を持っているという所にあるような気がする。たとえ、アジア(主に中国)から大勢の移民が入ってこようと、政府が先住民族への手厚い保護政策を取っても、国民はシビアな目をしている。とはいってもそれぞれが自分の地域に根ざした活動をして、いかに隣国アメリカに飲みこまれないようにするのかということを無意識のうちに実践しているということが実感できた。
常に競争のある社会、しかし、限られた資源、ネットワークを最大限生かして自らの可能性を追い求めていく姿勢。やるべき事をする、しかもあたりまえのようにする姿勢。
こういうところに北海道がなればなぁ…。これがあびこの考える「よいところ」なのだろう。もちろん、具体策はいろいろと考えなければならない。しかし、根本にあるのは、厳しい競争にさらされながらもしたたかに、そしてのびのびといきることができる社会だ。
自分が、将来何をしたいのか、もう一度考えてみた。
自分に向いていることは、人の中でいろいろと働くことだと思う。人の名前を覚えることが得意でないあびこだが、顔を覚えるのはわりと得意なようだ。人と話すのは好きだし、出かけていくのも厭わない。たまには読書もするけど、友達と話しているほうが好きだ。
逆に言うと、自然と向き合う仕事に自分は向いていないかもしれない。大自然の中で、厳しい自然と対峙する。あびこには、そのような強さもなければ、そのための術も備えていない。孤独は苦手だし、冗談を言い合える仲間と仕事をしてみたいというのが内心のどこかにある。
かといって、都会の雑踏は苦手だ。いい意味で、人の中で生きてみたい。厳しい自然の中で生存することは難しい。都市の中に埋没するのではなく、自分という存在がはっきりと他の人々の中で認知され、その上で、いかに自分を発揮するのか、自分のできることは何かということを考えたときに、やはり人の中に入っていくことを選びたい。そして、北海道が少しでも「よいところ」に近づいていくことができるように仕事をしていきたいと考えている。
今月は、改めて、自分がなぜ政経塾生なのか、なぜクラスター事業部で研修しているのかということを振り返るときになった。残された日々を有意義に過ごしたいと思っている。
一度離れてみて、見えること。わかること。ふっと我に返ること。そういうことで、また新たにネジを巻きなおすことができた。 前をしっかり見据えて活動したいと考えている。
今年の北海道は、いつになく暑い。
Thesis
Hiromasa Abiko
第18期
あびこ・ひろまさ
北海道下川町議/無所属
Mission
地域振興