松下政経塾 The Matsushita Institute of
Government and Management

日本語英語


塾生レポート 一覧へ戻る
1999年11月

塾生レポート

あびこ、センエツながら下川の将来を考える…の巻(しもかわ通信④)
我孫子洋昌/卒塾生

 
1.はじめに

 9月から始めた下川での生活も3ヶ月となった。ひとまず下川での生活を終えることになったが、この3ヶ月の間は、様々なことを考えたり感じたり…という毎日だった。今回は下川での研修をまとめるという意味で、あびこがあれこれと考えを巡らせたことを書き綴ることにしたい。

 これまでの月例報告でも書いてきたように、下川町を取り巻く環境は決して良いものばかりではない。とはいえ、自分たちで地域のことを考え、行動する姿勢には光明が見出せたというのも事実である。下川の将来像についての議論にあびこも加わることができたのは、大変貴重な経験になった。彼らの議論にあびこの考えを付け加えて、「下川の将来」について述べることにしたい。

2.移住希望者をどうするのか/フォレコミのこと

 「フォレストコミュニケーション・イン・しもかわ」(森林・林業体験ツアー)は、今年は結局9名の参加者を数えたが、イベントが終わってしばらくすると、実行委員会にあてて夫婦で参加した方から「ぜひ下川で働きたい」という手紙が届いた。その対応を議論していたところ、さらにもう1人から同様の手紙が届き、受け入れ先をどうしようかと検討しているところだ。
 それ以前に、ツアーの存在をたまたま道内旅行中に知ったという関東からの若者はツアー代金を捻出するために、森林組合の工場で働き始め、結局ツアーの後も下川に残って働いている。「さーくる森人類」にも参加して、森と関わりながら初めての豪雪の冬を体験しているところだ。
 これらのツアー参加者のうち、毎年のように実際に下川への移住を希望する人々がいるということは、うれしいことなのだが、ある意味では「受け皿」を用意していないと、移住を実現させるのは難しいといえる。住むところがたまたま下川に変わるだけで、基本的に移住する前の職業が継続できる場合はさほど問題も生じないのだが、ツアーの参加者は基本的に「下川の森林に関わる仕事」に魅力を感じて移住希望ということになる場合が多い。ハッキリとは言っていないものの、彼らの手紙からも「森林組合の造林作業員になりたい」という意思が行間から見て取れた。
 森林組合としても、彼らの受け皿としてこれまでも移住者を受け入れてきた。とはいうものの、森林組合で実際に山に入って作業をする人数も限られている。さらに、ツアー参加者以外にも山で働きたいという全国からの希望者との調整をどうするのかという課題は残っている。とはいえ、現実に(Iターン者など)いろいろな人を受け入れてきたのは森林組合だ。『下川で何かやろう!』という人々の"受け皿"になっている。

3.地域での開業を支援するには/エミュー牧場のことなど

 エミュー牧場を支援する人々に対して、下川町一の橋(エミュー牧場の所在地)と、札幌のホテルでそれぞれエミュー料理を食べながら、エミュー牧場の将来について議論する機会を持った。一の橋ではコミュニティーセンターに約50人、札幌では約120人という方々が集まり、今井さん達の取り組みに対して多くの意見が交わされた。集まった面々も、地域住民や下川の商工会メンバー(一の橋)、さらに実際にエミュー肉をメニューにとり入れている飲食店経営者や、消費者協会、大学関係者など実に多彩な面々となった。
 実際に彼らもこれだけ大勢を前にして緊張気味だった感はあるものの、これだけ大勢のサポーターを味方に付けているという実感を持ったのではないだろうか。前項にも関係するかもしれないが、下川に移り住んでくる人間が最も心配する(と思われる)のが、どうやって生計を立てようかという点である。

 エミュー牧場の場合は、初期の段階で道庁の起業奨励事業に通ったので、一概に判断するのは難しいが、それでも軌道に乗るまではまだまだ時間がかかるという状況だ。さらに商品を生産するまでに至っていないとなると、様々な苦労も伴うのだが、今井さんや小峰さん、南さんのキャラクターから受ける印象なのか、それとも地域の人々が支えているからなのか、実に明るい。彼らは、一の橋地区の中でのエミュー牧場の将来的な位置付けまで考えている。本業がまだまだ軌道に乗っていない状態では、実現はまだまだ先の話なのだが、将来のビジョンを持ちながらの活動ということで、長期的に捉えてじっくりとその歩みを進めている。

 これは、エミュー牧場ばかりに限った話ではない。下川という地域を考えて、あびこも加わった議論の場では以下の話が出た。


 これからのキーワードは、自律(自立)だ。なぜ、下川に人々が住み続けたのかを考えてみると…。
 例えば、農業で食べていけるようになったのは、減反補助金(70年代後半)の交付が始まってからだという。林業や鉱業で食べてこれたが、これも「取ってしまえばオシマイ」という収奪型の産業だ。そのために必要な公共事業による整備事業でつながってきた事業者も多い。そうすると、このままでは行き詰まっていく。
 今は、地域の産業の構築をしなければならないという時代になっている。かつてのように、企業を誘致してその企業のいうことを聞いているだけではいけない。
 それなら、地域に産業をどのように起していくのかということを考えなければならない。そこで下川の優位性を考えてみる。誰か他の人がやってくれるわけではなく、もちろん自分達でやるしかない。これがクラスターの考え方だ。

 簡単に言うと、「どのように金を儲けるのか」という動きだろう。(つまりは外からお金を持ってくるのではなく、自ら作り出す仕組みに変えるということだ。)
 地元の人間(子供達の世代)が何か新しいことをやって、「下川で何かしたい」という時にこれをサポートできる・支えることができる組織があれば、まだまだ展開できる。とはいっても、まだまだ一般に受け入れられるのは難しいと思う。

 その展開を具体的に進めていくことができるとなお良い。問題は、誰がやるのかということになる。起業家の存在が考えられるが、この動きをあらゆる人につないでいくこと(例えば、町の人がサポートしたり、経営のノウハウを持った専門家につないだり…といったこと)がないと、先には進まない。
 では、こういうことをする組織(資金や組織も含めて)があるのかというと、田舎には無いというのが現実だ。しかし、このような、地域の事情を良く知っていて、何が必要なのかをやり、親身になって相談に乗ってくれる組織こそが求められている。


 これらは、下川ばかりでなく、過疎化に直面した地域の中に新しく雇用を生み出すかを考えたときに、つねに考えなければならない問題を含んだ議論だろう。いかに地元で利益を生み出す産業を作り出し、支援するのか、また、自分たちの子供の世代が地域に残る(あるいは戻ってくる)ような地域なのかどうか…。

4.下川の将来は明るいのか?/まとめ

 過疎に悩む自治体は、何とかして新しい住民を迎え入れようと様々な施策を用意している。道内の自治体が用意した各種支援策(住宅用地の無償提供や各種手当てといった類のもの)をまとめるとかなり厚い本になるくらいだ。しかし、その新しい住民がどう生計を立てていくのかということを考えているのかというと疑問が残る。

 実際にどういう仕事がその地域内にあるのか、無ければどうすればその地域で新しく開業できるのか(これは新住民、もともとの住民にも当てはまる)という支援策がないと、せっかく移り住んできた住民も、やがてその地域を離れてしまうことになってしまう。
 かといって、下川で生まれ育った人間を無理に下川に引き止めるというわけではない。彼らの何代か前の世代が移り住んできたように、若い世代の人間も移動することは一向に構わない。そのうえで、一度下川から離れても、下川に戻ってくることができるような環境があれば、地元出身者が町外で暮らすことによって養った感覚を下川へ持ち帰るということになる。
 「住みたい人が住み続け、出ていきたい人は出ていく」これはごく自然な姿ではないか。そういった意味においては、下川は「出ていく人」と「入ってくる人」が多くなり、活気のあふれる町になるような予感がする。

 下川には、先述のエミュー牧場の面々の他に、森林組合や町役場に新しく下川に移り住んできた人が多くいる。「さーくる森人類」といった活動や、フォレコミなどで町外の人間が多く地域にやって来ることもあり、外部に向けてのチャンネルは多いほうだろう。それでも、今までのしがらみとか付き合い、慣行の中に身を置く人間から見れば新しいことをすることに対する不安・不信は無いとは言えないだろう。しかし、彼らに対しては、産業クラスターやその他の活動による成功事例をいくつか示すことで、理解してもらう前に納得してもらうという形を取りながら進めていくしかないのではないか。そうしないと、いつまでたっても進むものも進まないというジレンマに陥ることになる。
 北海道にありがちな地域の姿としては、明治時代に開拓が始まって以来、本州(中央)の指示を受け、その資金で天然資源を①明治の近代化、②戦後の復興、③高度経済成長のために供出してきた。しかし、これらが終わりを迎えた途端、どのようにしてカネを得ようと模索した各地域が、こぞって企業(工場)誘致を行ってきた。
 工場がダメならリゾート。それがダメなら大学…。と、この路線の延長線上には、誰もが欲しがる施設を受けるといっても限りがあるので、大きな金が地元に落ちるような施設を受けようということが待ちうけている。いわゆる"NIMBY"(not in my back-yard:社会として必要なのはわかるが、自分の近所にやってくるのは困るというようなもの。例えばゴミ処理場のようなもの)を受けることになり、ますます地元の住民(もしくはその子供の世代)がその地域から離れていくことになる。

 次から次へと中央からカネ(企業誘致は望めないので政府支出、補助金という形で)獲得すべく奔走してきたのでは、いつまでたっても地域の自立が図れない。とにかく外部のカネに頼ってきたのだが、頼ろうと考えてきた中央のカネにも限界が見えてきた。また、これまで北海道は特に外部のカネと意向に翻弄されてきた(もちろん、その恩恵も受けてきたのだが)ために、中央の変化の影響をモロに受けることになる。

 さて、下川町。

 最終的には地域をどうするかは地域住民の意識にかかっているというのは、いまさら目新しくない考え方だが、下川には意識の高い地域住民がいるといってよい。彼らの動きを潰したり、制限を加えるようなことがあると、せっかくの萌芽も台無しになってしまいかねない。

 今後も、あびこにできることはどれくらいあるのかわからないが、下川の取り組み、動きからは目が離せない。「下川の将来」を考えるとタイトルに書いたが、下川の将来は、あびこがあれこれ考えるよりも、実際の動きを追っていったほうが面白い。ただ、「下川の将来」を担う人材と出会え、彼らと腹を割って話すことができる関係になったというのは何にも代え難い収穫だ。

 下川は早くも、厳しい冬を迎えた。町はすっかり冬景色だ。

1999年11月 執筆
  1. HOME >
  2. 卒塾生一覧 >
  3. 我孫子洋昌 >
  4. あびこ、センエツながら下川の将来を考える…の巻(しもかわ通信④)
ページの先頭へ