松下政経塾 The Matsushita Institute of
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1998年6月

塾生レポート

あびこ、エミューとゆりねに遭遇するの巻
我孫子洋昌/卒塾生

 
§はじめに

 6月の札幌といえば、かつては北海道神宮例大祭(札幌祭り)が風物詩だったのが、今ではすっかり「YOSAKOIソーラン祭り」の季節となっている。スタートしてから、まだ7回目なのに、全国的な知名度を誇る2月の「さっぽろ雪まつり」に肩を並べる勢いで、規模が拡大している。詳細については、16期生の豊島、栗田両塾生の昨年度の月例報告に書かれているので割愛するが、「7年経つとこうも変わるのか」と実感した体験のひとつとなった。

 さて、4月からのあびこはこれまでの月例報告でも触れたように、研修先の業務の関係で道内各地に行ったり、また、各界の人々と意見交換したりする機会に恵まれている。そのような中で刺激を受けている日々が続いている。「あびこ版21世紀北海道プラン」を描くためには、もっと農業に関する生産の場面を知りたいと思っていた。幸いにも、先月の「十勝正直村」の方々、そして今月は「エミュー」と「ゆりね」に遭遇することになった。ネットワークの広がりを感じつつ、またそのような機会に感謝しながら、今月の報告を書き進めていくことにする。

●その1 エミューと出会って

 「エミューとは一体何?」という疑問に一言で答えるとすると、走鳥類の一種…といってもわからないのでしょうが、ダチョウに似た鳥をイメージすると想像しやすいのではないだろうか。以前から、食産業クラスターに発展する可能性を秘めつつある新しい食材だと聞いていたので、道北の町への出張時に(この町には何回となく出かけているのだが、現地での取り組み等については、来月以降に改めて書くことにしたい)、見てみたいと思っていた。
 実際にエミューを飼育している「牧場」に出かけると、さほど広くないところ(テニスコートの半面程度の広さ)に20羽ほどが、歩き回っていた。まだまだ、繁殖しながら飼育数を増やしていく段階なので、実際にその牧場から肉が出荷され、成分が抽出され、様々な用途にまで、裾野が広がっていくのがいつになるのかかどうかは未知数のところがある。
 飼育するスタッフから話を聞くと、新しい食材として、どう認知させて販売するのかということに苦心しているのだそうだ。しかし、飼育に携わっている人々は、地道に販路を広げ、近隣の市町村の食肉店や、飲食店へ現段階では、他の地域で生産されたエミュー肉を出荷している。食べごこちは、実にあっさりとしていて、焼肉店での評判もいいそうだ。
 今後、エミューがメジャーな存在(食肉として、他の用途として)になるのかどうかは、彼らが生産をどのように軌道に乗せるのかと同時に、川下に近い立場の人間が生産者の思いをどういう形で消費者に運んでいくかにかかっているのだろう。動向を見守っていきたい。

●その2 ゆりね(ユリの根)畑で感じたこと

 ちょうど夏至の頃、札幌近郊の村へ出かけることになった。目的は、そこで農業実習生として研修中の友人の畑仕事に加えてもらいながら、消費する立場として育ってきたあびこの中に欠けている生産者の立場を実体験するということだった。その村には国道もなく、もちろんJR線もなく、札幌へのアクセスも、国道の走っている村までバスに乗り、そこで別なバスに乗り換えなければならないといったところなのだ。

 彼がその村で農業実習を行うまで、あびこ自身、「ユリ根」という農作物が存在することすら知らなかったが、本州、とくに関西方面での消費が多く、自分自身もこれまで食べた経験もほとんどなかった。そこで、週末を利用して、彼のいる村へと出かけることにした。実際の農作業を体験することによって、生産する人間がどのように考え、行動するのかを、現場で学ぶことにした。
とはいうものの、日頃体を動かしていないため、実際に畑に出たのは、朝6時過ぎから昼までだった。山の麓の広大な畑の中でユリ根の周りの雑草を黙々と除去したのだが、半日かかっても、畑の何分の1がきれいになったかどうかという程度だった。それでも日焼けして、翌日は体のあちこちが痛くなり、小さい頃から親にも言われていたように「農家の方に感謝して」食事を頂くということを今更ながら、改めて実感した。
 作業しながら、研修先の農家の方から、農協に対する考えを聞いたところ、「何を作れとかいろいろ口出すくせに、売れないと、まるでその責任を取らない体質は何とかならんか」という声が返ってきた。あびこの友人は、研修期間の終了後、農家として独り立ちすることになっていて、不安として感じているのは、独身で農業をすることの不安もさることながら、どのように売るのかとのことだった。彼も「俺つくるから、おまえブローカーやってくれないかい?」というあたり、販路について模索している様子が感じ取れた。

§おわりに

 これらの2つの生産については、技術的な面もあって、あびこがどうこう言い出しできるものではないだろう。実際、彼らの生活は、生産活動(飼育や畑作業)に取り掛かりきりで一日の大半が過ぎてしまい、どう売るのかということに費やす時間と労力はあまり残されていないのが現状だ。そういった中で、販路の開拓や、どのようにしたらより良い条件で流通させることができるのかという問題に苦心しているのでは、「良いものを作る」ということに重点を置いて活動している彼らに負担を強いることになるのではないだろうか。
 しかし、「川下」つまり、消費者からの要求…よりよく、安全なものを食べたい(この場合、価格は度外視…とまではいかないにしても)という要望に対して、「川上」側、生産者はどのように応えていくのだろうか。現在の生産する側の置かれている状況を見ると、どこまで応えていくことができるのだろうか?手間をかけると、もちろんコストがかかるが品質の良いものを市場に送ることはできるが、ある程度の量を出荷しないことには採算が取れないし、流通経路が狭められてしまい、消費者に広く行き渡ることが難しくなる。
 だからといって、競争力がないにもかかわらず、必要以上に保護してしまうと、甘えが生じてしまい、衰退してしまった産業と同様の結果を招くことになるため、そのようなことはできないだろう。現場を見ることで、彼らの苦しみ、悩みに触れることで、それまでは都市に生きるものとしての考え方に偏っていたのが、自分の中で、それほど問題は単純ではないのではないかという疑問が湧いてきた。
 道内の様々な地域で、苦しみながら活動している実態を目の当たりにすればするほど、「あびこ版21世紀北海道プラン」づくりは、本当に難しいものだと感じているが、同時にやりがいのある仕事だと思う。北海道が本当に「よいところ」になるためには、やり遂げなければならないんだという使命感みたいなものも育ちつつある、98年の初夏のあびこであった。

1998年6月 執筆
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