松下政経塾 The Matsushita Institute of
Government and Management

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1998年4月

塾生レポート

あびこ7年ぶりに札幌に戻るの巻
我孫子洋昌/卒塾生

 

「札幌駅北口を出てすぐのところにある北ビルの7階に来て下さい。迷わないから大丈夫だよ。」と言われたのがつい2,3日前。そう言われて、札幌駅の北口を出たところ、駅前の予備校に通っていた当時の面影はまるでなく、駅前広場がいきなり格段にきれいになっていたのにびっくりしながらも、そんな思いにふける間もなく、北ビルの玄関が近づいてきた。目指す建物は、札幌駅と通りを隔てた真向いにあった。

エレベーターに乗り、7階で降り 細長い廊下を進んでいくと、「財団法人北海道地域技術振興センター クラスター事業&FC担当部」のドアが開いていた。1998年4月13日午前9時少し前、「北海道で、北海道の現状を憂いながら、将来の北海道を考える」あびこの新たな日々が始まった。
3月ま では、「北海道産業クラスター創造研究会」という名称で、札幌駅南口のビルの一角にあった産業クラスター構想についての実動部隊は、この4月から組織替えをしていた。HOKTAC(HOKKAIDO TECHNOLOGY ADVANCEMENT CENTER/財団法人北海道地域技術振興センター)の会議室だったスペースに、様々な人々が机を並べて待ち構えていた。それぞれ実社会の中で何年も の経験を積んできた人達だ。そんな中に、自分の机が用意されていた。

やや緊張気味に挨拶をすると、温かく迎えられた。ざっと見 渡すと(といっても、あまり広くない部屋なのだが)ところ狭しと資料や、コンピューターが並んでいた。
到着早々、定例会議に参加した。それぞれが仕事を進めるために、組織として情報の共有を図るためにこれからは当面、週に一度のペースで会議を持つとのこと だ。というのも、全員でわずか10人そこそこなのに、それぞれ仕事を抱えていて、仕事自体もオフィスの外で現場の人たちに会うということが多いので、全員が揃うことはあまりないために会議の必要性があるのだそうだ。とはいえ、世間でいう「会議」にいきなり顔を 出すことになった。気付いたことといえば、会議中にたばこを吸う人が何人かいるくらいで、なぜ、世間では「会議」というと、ネガティ ブなイメージを持つ人が多いのかよく分からないと思えるほど、抵抗なく2時間弱の会議を終えた。

明るい話題が少ない道内でも、 「産業クラスター構想」は、Jリーグ新加盟のコンサドーレ札幌、今秋就航予定のAIR・DO(北海道国際航空)と並んで、これからの北海道に向けた新たな動きの一つで、道内でのマスコミの注目度も高い。職場で、新聞記事の回覧が来て、読んでみると、産業クラス ター構想についての紹介記事あった。読んでみると、

『経済界、道庁などさまざまな立場から意欲あふれる人材が集められ、将来、北海道の核となり得る産業の芽を探り、育てる役割を与えられている。松下政経塾からの研修生も近く仲間入りする。』(読売新聞北 海道版4月7日付)…「政経塾からの研修生?自分のことかぁ。あえて特筆するくらいなんだから、頑張んなきゃなぁ」と思いながらさらに読み進むと、

『130年前、開拓のために北海道に渡ってきた人たちは、それぞれに進取の気性を持ってこの地を踏んだ。それぞ れが理想郷を思い描いて、荒れ地にくわを振り下ろしたに違いない。しかし、「北海道開発のために」という名目で中央から流れ込ん でくるカネが、いつしかその気性を道民から奪い去ってしまった。産業クラスター構想は、言い換えれば、道民に開拓時代のハングリ ー精神を思い起こさせるためのものだ。』(同)…「まったくそのとおりだなぁ。しっかりとやらないと北海道の先行きを誤ったものになっ てしまうなぁ」という自覚が芽生えてきた。また、新しい産業振興の姿として、本州の人達からの問い合わせもある。最近では、「週刊ダイヤモンド4月18日号」(98年版 役に立つ大学)にも掲載されている。

4月25日には、NHKの道内向けの討論番組(後日、一 部を全国中継)で、堀達也道知事、鈴木宗男北海道開発庁長官、武井正直北洋銀行頭取、経済学者(田中直穀、宮脇淳氏)と、道 経連会長(戸田一夫氏)が議論している中でも産業クラスター構想が紹介され、「地域の人々が自分で考えて、決めて、行う」という 姿勢を強調する戸田氏と、鈴木氏の「いかに公共事業が北海道にとって、本州と追い付くために大事なのか」という論調との違いが際立っていた。もちろん、放送後は、「テレビで見たんだけど」という問い合わせもあり、道内での知名度は、日に日に高まっている。

さて、4月の活動報告では、個別具体的な各地域での動きについてはあえて記述しなかった。というのも、新しい技術とアイデアをも とに本州企業と渡り合っていこうという企業の情報に接しているために、それらの情報もいわゆる「インサイダー情報」になりやしない かということを心配したため(それほどものすごい情報かどうかは、あびこは理系でないし、まだ流通関係の価値判断能力も備わって いないから、実際はそれらの新商品は大したものではないかもしれないが)であった。とはいえ、北海道各地での様々な企業の動き に接すると、確かに拓銀の破綻以降、経済的に厳しい状況ではあるが、なんとかそのようなクラスターの芽を育てたいものだという気持ちでいっぱいになる。

幸い、研修先の皆さんからは、かわいがられている。1週間もしないうちに、「あびちゃん」という風に呼ばれ るようになっていて、仕事にも少しずつ慣れていっている。7年ぶりの北海道での生活、いろいろと変化しているが、自分なりに、今後 の北海道がどのように進むべきかについて考えながら、「社会人」生活の中で、常識ある27歳としての振る舞いができるように頑張 っていきたい。

1998年4月 執筆
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