松下政経塾 The Matsushita Institute of
Government and Management

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1998年2月

塾生レポート

政治家に読んでほしいこの一冊(1)
平島廣志/卒塾生

 

「漆の実のみのる国」藤沢周平著 文芸春秋社

この小説は、去年亡くなった藤沢周平の絶筆である。
小説の舞台もまた藤沢の郷里米沢であることを思い合わせれば、ここに藤沢文学の集大成を読みとることができるかもしれない。
透明感のある筆致、静かなそして抑制の効いた文調はこの本の主人公・上杉鷹山の苦難の生涯について逆に藤沢自身がどれほど強い思い入れを持っているか、また彼自身が最も適した語り手であるかの証左であろう。
またこの小説の背景にある江戸時代、幕藩体制下の弱小藩の苦悩は、現代的な文脈で読み直してなお余りある示唆を与えてくれている。

政治家に読んでほしい所以である。
上杉謙信を藩祖とする奥州米沢藩は、関ヶ原の戦役以降石高を減額され続け、かつて120万石以上の富強を誇ったこの雄藩も鷹山が藩主の座を引き受けたときにはわずか15万石にまで減らされてしまっていた。
時代は元禄時代のバブル経済が崩壊し、米を主体とする徳川吉宗の重農主義政策が失敗に帰した直後のことである。
すでに江戸や大阪を中心に流通業の発達とともに貨幣経済が主力となりつつあったこの時代、東北の小藩米沢上杉家は幕府に対して封土返上を願いでようとするほど困窮し、追い込まれていた。
この藩は人間でいえば五体に毒が回っているようなもので、藩の年間予算が3万両程度とするとストックの借金だけで20万両以上もあり、さらに藩士に対しては「借り上げ米」と称して石高の半分を長年支給停止し続けるという状態で文字通り瀬戸際まで追い込まれていた。
にもかかわらず歴代藩主は享楽と豪奢にふけり、藩士は徒党を組んで閥争にあけくれ政務を省みず、苦しい生活に農民は田畑を捨てて逃亡し、改革の志ある家臣たちも厚い門閥にはばれ藩全体を無気力が覆っていた。
この八方ふさがりの中、養子である鷹山は藩内の改革派官僚に推戴されるようにして前藩主上杉重定を間接的に隠退に追い込み藩主の座についた。 ここから鷹山の藩政改革がスタートするのであるが、この執念の大改革もことごとく挫折の憂き目にあう。
ひとつは米沢藩は小藩ながら上杉謙信を祖とするということで他藩に対しても必要以上にプライドが高く、とかく対面に執着するという気風があったことに問題がある。
対面や格式に固執することは、無用な支出がさけられない。
特に大名同士や幕府に対する虚礼は、幕藩体制が堅固になるにつれ煩雑さをましていたから、「対面」や「格式」のための出費はそれだけ大きかった。
さらに米沢藩は藩の石高が120万石から15万石に減らされても「対面」もあり、抱える藩士を減らそうとはしなかった。15万石で実質30万石規模の藩士を養おうとすることが、無理な藩政を行うもとになっていたのである。
鷹山はその体面をかなぐり捨てた。
「一汁一菜」の食と「木綿」の衣服で一生涯を押し通し、大名の交際も可能なかぎり避け、公式の場にも木綿の粗衣で通したので、他藩の士は鷹山の姿を見て目引き袖引いて笑いを漏らしたとの言い伝えがのこっている。
鷹山のやったことは、一つに財政構造改革であり、もう一つが藩を主体とする産業振興政策であった。
米だけつくっていては藩経済の建て直しは不可能であることを悟っていた鷹山は、改革派の意見を採り入れ100万本の漆を植林する大計画をたてる。 この漆から蝋を作りそれを大阪などの市場で取引する、それによって農民や藩に現金収入を得る道を開こうとしたのである。 しかしながらこの100万本計画は様々な障害があって遅々として進まない、その上3度にわたる飢饉が東北諸藩を襲い、それでなくとも衰弱しきった米沢藩にさらなる追い打ちをかけることになった。
「天よ、いつまで我々をお苦しめになるのですか。」 鷹山が天を仰いで慨嘆するシーンは、世に「改革」と言われるものがいかに苦しみ多く困難がつきまとうものかを読む者にさとし教えているようである。
鷹山の20年にわたる不撓不屈の精神をもってしても米沢藩の経済は小康を得たのみで、結局は成功したとは言い難い結果に終わる。
途中、彼を支えた改革派の官僚たちは、ある者は自決し、ある者は罪を得て蟄居し、またある者は遅々として進まぬ藩政改革に絶望してその地位を去った。 最も大きな挫折は漆の100万本計画の挫折であろう。
まさにこの計画が実を結ばんとしていたその矢先、蝋の市場は九州諸藩が生産する良質で安価なハゼ鑞が主流をしめはじめるのである。
断固たる信念なくしては国家の再建は成しがたい。しかしその信念と不屈の実行力を持ってしても為政者は失敗にまみれることもあるのだ。 振り返ってみるに現在の日本はどうであろうか。
一時期騒がしった財政改革論議も景気の後退で一瞬にしてなりを潜めてしまった。 財政均衡派はどこに行ったのか、と聞きたい。 与党自民党が何十兆と再び財政出動を喧伝する昨今、財政均衡派にはきわめて不利な状況ではあるものの、今こそその信念を披瀝するときではなかろうか。 改革は言葉の華やかさと裏腹に、実に苦しみ多くしかもそれは長い。
財政均衡派の政治家のみなさんには特に読んでいただきたい一冊である。

1998年2月 執筆
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