Thesis
不和のあるところに調和を不正のあるところに真実を疑いのあるところに信念を絶望のあるところに希望をもたらし給え
マーガレット・サッチャーは1979年、ジム・キャラハン率いる労働党政府を打ち破って政権の座についた。大勢の支持者に囲まれてダウニング街10番地(首相官邸)入りをする時、引用したのがアッシジの聖者フランシスの祈りの言葉である。
労働組合の激しいストライキで社会全体が麻痺状態に陥った「不満の冬」の直後だけに、国民の大多数は、イギリス社会にまさしく「不和のあるところに調和を」求めていたのだった。
残念ながら以後18年間にわたる保守党政権は、このサッチャーの言葉通りに進んだとは言えない。
イギリス二大政党制は自由放任主義と政府介入主義という二つの政策軸をめぐる争いでもある。
それはある側面を見れば所得の再分配をめぐる争いでもあり、また他方では社会の根底に根を張った階級秩序の破壊と再建の繰り返しでもある。
もともとイギリス社会は、ベンジャミン・ディズレーリィの言うところの「二つの国民と三つの階級」から成り立っているといわれている。
「二つの国民」とは富める者と貧しき者、「三つの階級」とは上流、中流、下層階級のことである。
二つの国民とは、単に所得格差の問題だけではなく、言葉、習慣、宗教、政治、衣食住のどれをとってもこの時代、同じ国民と呼ぶには余りにも溝が深かった。
戦後に至ってでさえ、上流階級と比べて労働者階級の青年男子の平均身長は5センチ程低いという統計が現存する。階級は体格まで及んでいる。
歴史上、商品経済の誕生とともに発生した人口の70%を占める「貧しき国民」に対する政府の介入はたびたびあったことはあった。
例えば1601年のエリザベス救貧法がその走りといえるのではないだろうか。
この法律はイギリス国教会の教区を単位として、その教区民から徴収した救貧税という目的税をもって救貧院(ワークハウス)を運営するものであった。
ただ労働能力ありと教会が認めた貧民は救済対象にならず、逆に教会にそれら貧民に就労を強制する権限まで付与したところに特徴がある。
劣悪な生活環境と1840年代のコレラの大流行である。ついに政府は衛生改革というかたちでヴィクトリア朝の経済思想であった自由放任主義を部分的とはいえ修正しなければならなかった。
ここに公衆保健法が1848年に成立する。蔓延する伝染病の猛威が、自由放任主義を標榜するイギリス政治に変革を迫ったといえる。
現在でも社会福祉の基本理念にイギリスが保健政策を据えているのは、このような悲惨な過去の歴史に負うところが大きいからである。
ともあれここで所得再配分機能の軸は「自由放任主義」から「政府介入と弱者救済」の側に移る。
このあとに続くロイド・ジョージと自由党の黄金時代はまさに政府介入に基づく「リベラル・リフォーム」の時代でもあった。
1896年に労働者保障法が制定され、1900年にはイギリス労働党の前身である労働代表委員会が結成された。同党は、この6年後の総選挙で29名の当選者を出すまでになった。(選挙そのものは自由党の圧勝に終わっている。)
1908年には福祉政策の根幹をなす老齢者年金法を世界で初めて成立させ、1911年には健康保険と失業保険からなる国民保険法もドイツに続いて成立させることができた。
「ナショナル・ミニマム(国民最低限の生活保証)」という言葉はフィビアン協会の指導者だったウェッブ夫妻の造語であるが、このころから一般に汎用されるようになっていた。
1945年に成立したクレメント・アトリーを首班とする労働党政府は、「揺りかごから墓場まで」の有名なスローガンに象徴される福祉国家を建設することによってかつてディズレーリィが述べた「二つの国民」を一つに統合することを目指していた。
保守党も伝統的なノーブレス・オブリージュ(高貴なる地位にある者は、弱者救済に道義的責任を負うという道徳観)から基本的に福祉国家路線を進めた。
しかし黄金の60年代が過ぎ、70年代に入ると、慢性的なインフレと失業者の増大というケインズ主義経済学では説明のつかない現象がイギリス経済を虫食みはじめた。英国病である。
国有化政策で経済全体に閉める公共部門の割合が急激に高まり、インフレの中実質賃金の上昇を要求を掲げて労働組合はストを激発させた。
このストの嵐のため、再び国営企業は生産がストップして、政府借入需要を増大させる、これが今度は民間企業の投資を圧迫するいわゆるクラウディングアウトを起こして経済成長をさらに鈍化させる。この悪循環を脱するためには、従来の方法ではだめなことは誰もが気づいていた。が、それを実行したのはサッチャー一人であった。
サッチャー政権の特徴を「権威的ポピュリズム」と政治学者が呼ぶように、慢性的なインフレやストばかりしてまともに働かない国営企業の組合員たちに大多数の国民、特に福祉政策の受益が最も少なく勤勉を美徳とする中産階級は、声こそ出さなかったものの無言の怒りを感じていた。
この有権者の不信感のすさまじさは、その後18年間支持率ではつねに保守党をを圧倒しつつも労働党が敗北した事実を見ても明らかであろう。
労働党=インフレの党という有権者の疑念を払拭するには、ブレア氏の登場と国有化政策を定めた党規約第4条の削除を待たねばならなかった。
イギリスでは赤い革の豪華な装丁から予算案をレッド・ブックと呼んでいる。
「我々ニューレーバー(新しい労働党)は、不安定で脆弱な経済基盤、投資の低下、失業の拡大という英国の21世紀的な課題にこの予算をもって挑戦する。」
「この予算案の主要な目的は、英国をして速やかに世界経済のダイナミックな変化に適応させることにある。」
5月2日水曜日の朝、ゴードン・ブラウン蔵相はダウニング街11番地の前で、その日発表することになるレッドブックを片手に予算案のポイントについて声明を発表した。同蔵相は前任で人の良さそうなクラーク氏(メージャー保守党内閣の蔵相)とは好対照で謹厳実直にして沈毅な風貌から「鉄の蔵相」というニックネームを早くもつけられている。現在、このブラウン蔵相に行革の急先鋒として内閣をまとめるジョン・プレスコット副首相、そしてトニー・ブレア首相の三人のチームワークで政権を動かしている。
昔、アメリカ西部の開拓時代、カウボーイたちは自分の土地と他人の土地の境界線上にステークと呼ばれる大きな杭を打って所有権を主張した。
転じてステークとは投資や掛け金、利害関係を指す言葉となり、「利害関係の調整をする人物・組織」をステークホルダーと呼ぶようになった。
今回、ブレア首相等が発表する労働党予算案には「ステークホルダー・デモクラシー(利害関係者の民主主義)」という基本哲学がその中心に据えられている。
今回のレッドブックの概要は以下の通りである。
この財政再建計画において注目すべきは、今後景気対策として財政出動をしないことを言明していることである。
首相自身、その著書「ニューブリテン」に景気対策には金融政策、すなわち中央銀行によるマネタリーベースの管理を中心おこなうとはっきり主張している。
政権発足2日後に、イングランド銀行に金利の完全な調整権を付与したのも、労働党政権はケインズ主義と完全に訣別するという意志表示に他ならない。
今回の予算案を見て感じることはこの政権が、単にサッチャー流の競争社会でも、競争を規制する社会でもなく、「競争力に投資する社会」を目指していることである。
Thesis
Koji Hirashima
第15期
ひらしま・こうじ