論考

Thesis

ICBLの内紛を嘆ず

1995年の4月から7月にかけてアフリカのケニアで難民問題の研究をしていたが、その時国際赤十字委員会(ICRC)が設営した「野戦病院」を訪れたことを思い出した。
英国の高級日曜紙オブザーバーの1月8日「地雷禁止国際NGOキャンペーン(ICBL)の危機」という記事を読んだときのことである。
見渡す限り灼熱の砂漠であるケニア・ツルカナ地方は内戦なりやまぬスーダンと国境を接している。
スーダン本国は緑に覆われた美しい国であるが、アフリカ諸国の多くがそうであるように人工的に引かれた国境線の故に今なお部族紛争が激しい。
北部のイスラム原理主義を信奉するアラブ人と南部の古キリスト教の一派をなす土着宗教系の黒人諸部族は大英帝国から独立を勝ち取っていらいの仲の悪さである。
が、内戦は終始圧倒的にアラブ系の北部が優勢である。
最大の理由は、同じく原理主義(ファンダメンタリズム)を奉じるリビアやイラクが大量に資金と武器を供給していることに有る。
特に武器の中でも最も安価といわれる地雷の供給が多い。
地雷が最悪なのは殺傷する人を選ばないことである。戦闘員であれ一般人であれ、大人であれ子どもであれ踏めば吹っ飛ぶ。
第二に、これがもっともやり切れないのであるが、地雷は基本的にとどめをささないように「配慮」されている。
殺してしまえばそれ以上の効果は敵に与えることができない。一番良いのは手足のみを吹っ飛ばしてから身体障害者にし、その治療と負担を敵に押し付けることができるという殺す以上の効果を与えることである。中には子どもが喜んでかけよりそうな表面的に玩具が置いてあるように見える地雷も大量に出回っているそうで、不具になった子供を見て親を苦しめることに目的があるそうだ。もはやここまでくると人間の業とは言い難いものがある。
ICRCの野戦病院は水の一滴も流れていない枯れきった川を渡った所にあった。
サーカスのような巨大な白いテントが3つと粗末な小屋がその周りに連なり、殺風景なことこの上もない。
この病院にすぐ近くの国境に設けられている国連のPKO組織「ライフライン・スーダン」の基地から次々と重傷患者が運び込まれてくるのである。
世界中からナイロビ経由の空輸で運び込まれる医薬品が豊富にあり、まともな外科手術が望めるのはこの地域ではこの野戦病院だけであった。
忙しいにもかかわらず赤十字の医師たちは悪戦苦闘ぶりがよくわかる血痕の斑点をつけた白衣でにこやかに応対してくれ、テントの中に収容されて動けない患者と話をさせてくれたり、手術室と称する小屋を見せてくれたりした。
(もっともここでドイツから来た同行者の大学院生の女性が失神したため、「見学」は打ち切られてしまった)
外では「まだ動ける」患者たちがすこしでも涼をとろうとしてか、あちらこちらの木陰に寄り添っている。
人目で外国からの訪問者とわかるのか、皆穏やかな笑顔で笑いかけてくれるが、例外なく酷い障害を負っており、原因はことごとく地雷であった。
その光景は詳述する気が現在でも起きないのだが、特に子供の数が多く手足や腰から下を失っていたり、頭部の後ろ半分を失っていたり様々である。
子供はどの子も好奇心おう盛で不自由な体をよじりながらよってきて恥ずかしそうに話しかける。東洋人を見るのが珍しいのか白人の一種だと思っているようだった。
「写真は撮らないように。」とテロの配慮(患者の中には故国で指名手配を受けているテロリストが多いため)から国連職員に最初に注意を受けたが、言われなくてもこんな光景にシャッターをきれるのは人間ではないだろうと思った。
かつて旧ユーゴ・クロアチアのセルビア人占領区域(東スラボニア)の破壊し尽くされた町を訪れて衝撃を受けた時と並んでこの野戦病院は私の中でも生涯忘れがたい最も悲惨な光景の一つである。今でも夢の中でぼんやりとあの白い大きなテントを見ることがある。
1997年にノルウェーのノーベル平和賞委員会は「地雷禁止国際キャンペーン」と同組織の事務局長ウィリアムズ女史にノーベル平和賞を授与した。
世界人口と同じ数の地雷が地球上に埋められている現状とその地雷を世界中の紛争地域に製造し売りさばいてきたのが、他でもないフランス、スウェーデンをはじめとする欧州諸国であることを思い合わせればこの受賞は歴史的な意味を持っている。
(もちろんノーベル賞がダイナマイトで築いた富を基金にしているのはどうにも皮肉な話であるが。)
欧米、日本など世界中の1000にものぼるNGO組織を結集し、地雷の禁止にむけた統一行動に訴えた。
特にこのキャンペーンが国際世論の支持を集めるために、ICBLが昨年パリで事故死したダイアナ妃の助力を得たことは大きかった。
ダイアナ妃も助力を求められるままその最後の数ヶ月間はこのキャンペーンに全力をつくした。自らアフリカの地雷源地帯を視察し、病院を訪れては患者たちの手を取って励まし、その中の腰から下すべてを地雷のために失った少女を胸に抱きしめたりした。
もちろんマスコミが群がって報道するであろうことは承知済みであり、むしろ地雷の恐ろしさを世論に訴えるために積極的に「自分」を活用して欲しいとICBL側に言ったほどであった。
このマスコミを利用するという妃の思惑はやがてに裏目にでて、地雷の恐怖への世論の認知度は上がったものの妃本人には「偽善者」「売名行為」というレッテルがその悲劇的な死まで張り続けられることになる。
余談だが、英国の上流階級というのはごく自然に教育の中で弱者に対する「慈愛の精神」を学ぶ。特に国民統合のシンボルである王室にはその種の慈善活動に熱心であると「見られる」ことを求められるし、実際熱心な王族も多い。
現エリザベス女王の夫君、エジンバラ公フィリップ殿下など動物愛護団体の名誉総裁を勤めつつ片方ではフォックスハンティング(キツネ狩り)協会の代表もこなすという忙しさである。
その王族にあってもダイアナ妃の慈善活動の熱心さは類を抜いていた。
何度女王が激怒しても、求められればエイズ患者の救済キャンペーンにゲイと入り交じって参加することを止めなかったし、余り知られていない事実であるが自分の誕生日ですら祝うことなくチャリティーのために奔走していた。
「弱者を抱きしめる才能」というものが存在するのかどうかわからないが、ダイアナ妃の場合両親の愛情を余り受けることなく成長し、また結婚後も孤独であり続けたためかどうにもならない不条理な生に苦しむ人々を自分のように理解し、しただけでなく母親が子をそうするように無私の愛情で抱きしめた。
言わばこれは天賦の才能だろう。もしくは他の誰かを助けることで自分の孤独をも助けていたのかもしれない。
しかしそれは自らの階級に対する誇りと教養を源とする伝統的なイギリス上流階級の「慈善」の範囲を著しく逸脱していた。
彼らの多くが妃が死ぬまで彼女を嫌い、馬鹿にし続けたひとつの理由はここにあるように思える。一言で言えば「はしたない。」ということなのだろう。
エリザベス女王をはじめ王室、上流階級はどんな時でも感情を露骨に現さないことをもって洗練された「品格」とみなしている。
かつてチャールズ皇太子が少年の頃人前で涙ぐんだのを見たフィリップ殿下は、後で皇太子を激しく叱責したことがある。この海兵隊将校だった謹厳実直な大公にとって公衆の面前で涙を見せるなどあってはならない恥知らずな行為なのである。
ダイアナ妃はイギリス王室が「プリンセス・オブ・ウェールズ」の尊称と二人の王子に時折会う権利以外の全てを妃から剥奪したあとも大衆紙の「ダイアナたたき」に屈せず黙々とそれまで以上に慈善活動にのめり込んでいった。
昨秋その死の知らせにイギリスが揺れた。
葬列の沿道にはいかなる歴代国王、チャーチルなど国民的英雄を凌ぐ何十万という人々が集まった。もちろんその死を偲ぶ彼らの多くは妃の生前には彼女のゴシップを舐めるように読んでいた人たちである。
大衆紙もその読者も短からぬ年月、その女性の素朴な善意を嘲笑してきた。
確かに浮気を自分からマスコミにばらすなど、どこか突飛でアッパークラスに相応しい知性と思慮深さを兼ね備えているとは言いがたかった。
脇が甘く、無防備で善良だった。それだけで侮蔑されるのはマスコミが煽ったとはいえどこか社会の方が病んでいるのだろう。残念ながらその衝撃的死がドーバー海峡を越えて伝わるまでこのことを悔いるイギリス人は絶無だった。
沿道の群集は王室など今まで見向きもしなかった移民(不法滞在者も含む)や黒人層、アジア人層、ゲイ、スラムの生活者、ホームレス、麻薬中毒者、生活保護を受けるシングルマザー(100万人もいて社会問題になっている)などもっとも「英国的」なるものから遠い人々の姿がめだち、その死を全身で悼み泣いていた。
同時に生前の活動も見直され再評価され始めた。英国議会は高まる世論の圧力に地雷使用制限の決議おこない、クレア・ショート国際開発相をアフリカ紛争地域に派遣し、地雷問題の実状を鋭意把握するようにとブレア首相の指示を受けた。労働党「人道主義派」の雄、クック外相も「目撃したものには責任がある。」と議会で演説し地雷問題の悲惨な実状を知った以上、これを放置すべきでないと問題解決を国連はじめあらゆる外交ルートす使って求めていく考えを示唆した。ともかくICBLである。
この組織は今、ノーベル賞受賞後急速に分裂の危機にある。
問題は今後の活動路線をめぐる対立だそうだが、実状は金と嫉妬にあると言われている。
突然平和賞の賞金が日本円で1億2000万円も転がり込んできて、しかも組織で取り組んできたにも関わらず、その中心人物であるとはいえICBLに雇われているにすぎないウィリアムズ女史個人にも賞が授与されたことに他の加盟NGOが反発した。
さらに問題を複雑にしているのは女史が賞金の使途を明確にせず、それが疑心暗鬼を生んでしまっている。
今、NGOの世界的連合体としては未曾有の規模であったICBLは分裂確実の情勢にある。
国連の遡上に地雷問題が載ったとは言え、まだまだ地中に埋められた地雷は数え切れないほど残っており、これらの対応は国際社会の連帯なくしては決して解決しない。
今日この瞬間にもどこかの野で手足を吹き飛ばされている子供がいるかもしれない。
吹き飛ばされても死ねずに地面の上でもがき苦しんでいるかもしれない。
ICBLはそういう凄惨な現実に対する怒りと慈悲の心から出発したのではなかったのだろうか。
今、分裂すればこの地雷問題への国際社会の関心がまたもや後退しかねない。
それはこれからも地雷を踏むであろうすべての人々を見捨てる行為であり、これまでダイアナ妃をはじめとして惜しみない協力をICBLに捧げてきた人々への背信に等しい行為である。
またフランスやスウェーデンなど欧州諸国は70年代以降地雷を中心とする兵器を世界中に売りまくってきた責任をとる道義的義務がある
。国家の謝罪までは極端であり望むべきではないが、中には世界平和を外交の全面に掲げてきた国もあるのだから地雷で障害を負ったすべての人々に対する保障と、不具になった児童に対する教育援助、自国内への留学援助程度の措置は講じるべきであろう。
財政状況が許さないとすれば製造してきた各国で原資を出し合い、地雷被害のための国際基金を設け他の国々にも基金への協力を呼びかける程度の労をとるべきである。
またその軍需技術を転用し精度の高い地雷探索・除去の機械を開発しこれを国際社会に提供する必要がある。
単純労働が多く、雇用面における福祉が充実していない発展途上国において障害を負う事の厳しさを思えば、一層地雷製造国の責任は重い。
また障害は肉体的な不都合にとどまらない。むしろ精神面での打撃が大きい。
地雷障害児(注、私の造語でこういう言葉があるわけではありません。)にはより一層未来に絶望感を抱かないような配慮が必要だ。
それにはやはり教育を与え、その知識を通して生産手段に携われるよう援助すべきである。
彼らにとっては教育こそ社会へのチケットなのだ。
やるべき事は大いにある。やっと先進国が重い腰をあげたばかりの今、内紛と分裂のすえに得るものなどなにもないことをICBLは知るべきである。

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平島廣志の論考

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Koji Hirashima

松下政経塾 本館

第15期

平島 廣志

ひらしま・こうじ

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