論考

Thesis

英国政治スキャンダル考

1)イギリスの新聞業界
ベストセラー作家のジェフリー・アーチャーが、英国の政治家だったことは有名である。
アーチャーは1969年に29歳で初当選して以来、80年代はじめに詐欺に引っかかって破産しやむなく辞職するまでの歳月、保守党の下院議員として活躍していた。
自らの体験をもとにした『百万ドルを取り返せ!』や『めざせダウニング街10番地』などは世界中で訳されてミリンオンセラーのヒットを飛ばしている。
そのアーチャーの新作に世界のメディアを牛耳る二人のライバル、ルパート・マードックとハロルド・マクスウェル(1995年死去)の凄まじい覇権争奪戦を小説化した『メディア買収の野望』(新潮文庫 上、下)がある。
アーチャーの作風は常に相対する二人のライバルを主人公として登場させ、その出生から半生をテンポのよい軽妙な文章と下院仕込みの独特のユーモアで読者を惹きつけて飽きさせない。
現実の世界も小説に描かれているように、世界のメディア王の座をめぐるマードックとマクスウェルの世紀の買収合戦はぎりぎりのところでマクスウェルが破産し敗れることで決着している。
その後マクスウェルは謎の事故死(自殺説も有力)を遂げ、事実上マードックが勝利を手中にしたかにみえたが、多年にわたる無理な買収劇はそのマードックにも深手を負わせ資産整理と戦略の後退を強いられている。
しかしより重要なことは二人のメディア戦争の主舞台となったイギリス(主にその争覇は英語圏だった。)の新聞業界がこの十数年間に劇的な変化を強いられたことであろう。
イギリスは読む新聞によってその人が属する「階級」がわかるとまで言われてきた。
イギリスは良くも悪くも「階級」の国である。
上流、中流、労働者階級の3つに大別されているといわれその階級間の利害の激突、階級内・階級間の変化が近代議会政党の根底をなしてきたともいわれている。
上流階級や中流階級は決して「サン」や「ミラー」、「エクスプレス」といった大衆紙は読まないし、また読むことを恥じとしてきた。
逆に労働者階級で「タイムズ」など読むのは希である。読んでも大衆紙と高級紙の中間のような「デイリー・テレグラフ」やどう見ても労働党の御用新聞である「ガーディアン」ぐらいであり、薄いピンクの紙が目印の「フィナンシャル・タイムズ」など読もうものなら「あいつはスノッブだ!」と仲間から悪口をいわれかねない。
かつて、私がMRAロンドン本部にそこの副会長氏を訪問したとき、私がたまたま「ガーディアン」を持っていたことに目を留めて、実に厳かにかつ諭すように「政治を学ぶ学生がそんな新聞を読んではいけない。君、『タイムズ』を読みなさい。」と言われて閉口したのを覚えている。その人に言わせれば「タイムズは『紳士の新聞』」だそうである。

2)大衆紙「サン」の持つ権力
イギリスの新聞は日本のように配達制度が完備されていない(配達してくれる場合もある)。
新聞の部数競争は主に新聞スタンドなどが舞台であるが、それだけに各社とも特ダネを求めて報道合戦が激しく、その中でも大衆紙がダイアナ妃に代表されるような王室モノ、政治家や芸能人のスキャンダル、いかがわしい官能記事を売り物にして部数を伸ばしてきた。
特にマードック氏の所有する大衆紙「サン紙」の勢いは凄まじく、その影響力も部数とともに巨大になってきたのである。
ダイアナ妃の悲劇がその大衆紙の過熱報道合戦に原因があるのは誰の目にも当初明らかであったが、妃が死んだら即座にそれまでの「ダイアナたたき」を忘れたかのように手のひらを返し、「民衆のプリンセス」と書き立て始めた。
デイリーテレグラフなどはほんの2週間ほど前には、ダイアナ妃が二人の息子(王子)を伴って見に行った映画が、北アイルランドのカソリック派を賛美するような筋書きだったというだけで騒ぎ立て、未来の国王たる王子たちの教育上、ダイアナ妃が彼らに面会できる日を制限すべきだと論じた。妃が最愛の息子たちに会う権利を王室側が剥奪するのではないかと常に脅えていることを知った上での論陣である。
そこにはダイアナ妃に対する「善人ぶった中学卒の馬鹿な女」という凝り固まった偏見が露骨に出ていて、そんな女に未来の国王の養育はさせられないという理屈なのである。
それが死んだその日から「英国のバラ」である。私のような外国人でも怒りを感じる程、恥知らずなのがこの国の大衆紙である。
しかも巧妙なのは、これら新聞各紙が王室範典に則って対処しようとするエリザベス女王ら王族を「冷淡だ。」として攻撃しだし、ダイアナ妃の死は王室の妃に対する冷たい仕打ちが原因だといわんばかりのキャンペーンを張って世論を誘導しだしたのである。
たしかに英国のマスコミは世論操作の術に長けているが、これほど鮮やかに悪役を他になすりつけた例はないであろう。

この大衆紙の世論形成力に目をつけたのが、当時まだ野党の党首だったブレア氏であり、彼の側近ピーター・マンデルソン氏である。
1992年の総選挙で労働党は世論調査では常に保守党に圧倒的差をつけつつも敗北するという状態に追い込まれた。
選挙前の高支持率があっただけにこの敗北が労働党に与えたショックは大きかった。
ブレア氏らは敗因分析の一つとして大衆紙の力に注目したのである。
キノック(労働党党首で1992年の総選挙敗北で辞任)嫌いで、明らかにサッチャー女史に肩入れしているとしか思えない新聞王マードック氏は労働党の高い支持率を覆すべく、配下の新聞各紙を総動員して同党を選挙期中、叩きに叩いていたからである。
93年以降保守党内で「メージャーおろし」の動きが加速すると、マードック氏は今度はこれに乗じてメージャー叩きを始めるのであるが、何故かと言えばメージャー首相(当時)が明確にサッチャー路線と距離を置きはじめたからと言われている。
「オーストラリア生まれの外国人(マードック氏のこと)にこの国の政治を左右されるわけにはいかない。」
メージャー首相はこの新聞王を毛嫌いしたが、これがすでに階級を越えて読者層が拡大していたサン紙をしてブレア党首率いるニュー労働党に肩入れさせる結果となり、転じてブレアブームの遠因をつくることになるのである。
そういう因縁もあって一面に半裸の女性ヌードを載せるようなお世辞にも品が良いとは言えない大衆紙「サン」とブレア政権は今でも実に仲が良い。
今年(1998年)の年頭にはインディペンデントやタイムズ、ガーディアンなど並み居る高級紙を押しのけて「サン」にだけブレア首相は国民へのメッセージを書いているぐらいである。

問題は外国の首相がだからと言って「サン」のような極めて俗っぽい大衆紙に公式のコメントを寄せてもいいのか、ということであろう。橋本首相のことである。
1月8日、「日本の首相『サン』に謝罪」という大見出しで一面を飾った。
英国では第二次大戦時の日本による英軍捕虜虐待問題が確かに元軍人らを中心に燻っているのは事実である。しかも彼らの多くが「サン」をよく読んでいるというのも言われてみれば確かにそうかもしれない。
が、橋本首相が文中、ブレア首相を「トニー」とファーストネームで呼ぶような実に胡散臭い、一国の首相としては余りにも軽すぎるこの謝罪文はサンの読者層以外の多くの英国国民の失笑を買っており、事実政治的には中立であるインディペンデントをはじめ一斉にこの謝罪文をこきおろしている。
せめてもの救いは橋本首相の顔写真の横にいつものように半裸のヌード嬢が大きなお尻を見せていなかったことぐらいだろう。
このような国辱級の不始末をしでかすような無知な官邸をどうして外交当局は制御できなかったのであろうか?
サンがどういう新聞か知っていたであろう日本大使以下、駐英大使館員の罪は極めて深いと言わざるを得ない。
世界の指導者クラスの政治家で「サン」に戦後処理に関する様な重大な公式のコメントを載せたのは橋本首相が最初であろうし、また最後であろう。
ヘルムート・コールやジャック・シラクらがどんなに英国の通貨統合参加を渇望しようとも、英国民の関心を買うためにサンのような新聞に公式声明を出すことは決っしてありえないのだ。

3)サッチャー時代のスキャンダルとモラル
クリントン大統領の不倫・偽証強要疑惑を「インターン(実習生)ゲート・スキャンダル」と新聞によると言うそうだ。
なんでもかんでもホワイトハウスにまつわるスキャンダルは○○ゲートと名づけたがるのも面白いセンスだが、いくらなんでも不倫の偽証で大統領弾劾というのはなかなか穏やかならざる話ではないだろうか。
金銭関係のスキャンダルは疑問の余地なく政治家としての進退に及ぶのは当たり前の話ではあるが、男女関係(特に既婚者の不倫)を通して政治家の資質に言及するのはなかなか難しい問題が有るように思える。
イギリスはプロヒューモ事件の昔から政治家の事件といえば「セックススキャンダル」と相場が決まっている。
(最近ではエイトキン事件のようにやや金銭スキャンダルも増えている)
家族の価値を謳い、プロテスタンティズム的な禁欲的男女像を崇め奉るマーガレット・サッチャー元首相の時代など閣僚たちにとって不倫の発覚は即政治生命の終わりを意味していた。
有名なのがサッチャー女史の最もお気に入りの側近だったセシル・パーキンソン卿の不倫事件である。パーキンソン卿は党の幹事長として総選挙で不人気を極めていたサッチャーの保守党を勝利に導いてきた実力者だったが、夫婦そろってテレビに出演しサッチャーライト(サッチャー主義者)よろしく家族愛の大切さを説き、長年連れ添った夫人との仲の良さをアピールした。
番組そのものは何の問題もなく、無事終了したが、問題はその番組を卿の愛人が見ていたことだった。
これでもか、という程「夫婦愛の至高の尊さ」なるものを見せ付けられた愛人の怒りは凄まじく、そのまま新聞社に電話して洗いざらいパーキンソン卿との関係をぶちまけてしまったのである。

サッチャー首相(当時)はこれを許さなかった。
外相内定が固まっていたパーキンソン卿は、その座を取り逃がしただけでなく批判の進行に耐え切れずやがて貿易産業相の職も辞任せざるをえなくなり、彼は一時期サッチャーの後継者と目されていた程有望な政治家だったが、この挫折はついに取り返すことのできない大きな失点となった。
以来昨年春の保守党政権崩壊でウィリアム・ヘイグ氏が党首になり、その後見役として幹事長にカムバックするまでのあいだ完全に表舞台から遠ざかることになったのである。

4)ドラッグ疑惑と家族の責任
麻薬問題は英国を蝕む病である。
大衆紙サン紙のライバルであるミラー紙はある有力政治家の息子がパブ(飲み屋)で大麻の売買をしているというタレ込み情報を受け、女性記者を変装させて目的のパブに送り込みまんまと売買中の写真を収めた。
ただ相手が未成年の17歳だったことで写真と名前は公表できなかったが、その報道はブレア政権を震撼させるのに充分であった。父親は労働党政権の閣僚だったからだ。
一説にはライバル「サン」と蜜月状態の労働党内閣の閣僚ということでわざとミラー紙がしかけたとも言われている。(実否は定かではない。)

以前ホームステイした家庭はロンドン郊外のテムズ河畔にあり、町全体が一つの庭園かと思われる程美しい場所だった。
ホストファミリーは私と同年代の息子が一人とその母親の片親家庭で、けして裕福ではないが二人ともは働いていてそこそこに収入があり日本で言えば中流程度のまずごく普通の家庭である。
息子のマーカス(仮名)とは歳が同じということもあって、家でTVゲームをやったり、その友人たちと近くのパブ(飲み屋)に行ったりしたが、ひとつだけどうしても馴染めなかったのが、彼らがごく普通にまるで煙草でも吸うように気軽に大麻をやることだった。
母親は顔をしかめるものの軽度の大麻は違法でないらしく特に強いて止めさせようとはしなかった。
誤解を恐れず言うならば麻薬(種類は千差万別であるが)は既にイギリスのサブカルチャーの一部になっている観がある。
軽度の大麻を常習しているのは、けして一部の不良や犯罪者グループもしくは昔のヒッピーの生き残りの様な人たちというわけでもなく、ごく普通の家庭の子女なのである。
ブレア首相は就任以来、麻薬撲滅運動を強力に推進してきた。
特にこれまではサブカルチャーか不良の「象徴」程度に見られてきた大麻の汎用を重要視し、この対策に全力を挙げてきた。
その右腕となって敏腕を振るっていたのがブレアの党首就任以来の同志であるジャック・ストロー内相である。
若者の麻薬常習は家庭の問題であり、親の責任であるとし、麻薬撲滅には家族の絆が大切だと内相は就任以来訴え続けてきた。
話は変わるがスコットランドはイングランドとちがい未成年の年齢は16歳以下と法律でさだめられている。
まるで飢えたオオカミのようにスキャンダルを求めてやまない英国の大衆紙はこの差をついた。文頭に出てきた大麻を取り引きした閣僚の息子の氏名(つまり父親である閣僚の氏名)をスコットランドの系列新聞社の新聞にスッパ抜いたのである。
イングランドの各新聞社はもはやスコットランドで少年の実名が報道された以上、イングランドだけ匿名報道を続けるのは意味が無いと高等法院に訴え、世論を盛り上げて報道規制の解除を勝ち取った。少年の名前が出れば、当然親である閣僚の名前もでる。
これが何とあれだけ麻薬の罪業と親の責任を説いてきたジャック・ストロー内相の一人息子だった。議会は当然紛糾した。
「今こそ内相は、親の責任を取れ!」と野党は激しく責め立て辞任をせまった。
こういう時しか見せ場がないのでしかたはないが、野党保守党はにわかに活気づいた。
結局首相が最後の最後まで内相を庇い切り、辞任にはいたらなかったもの今後麻薬問題への取り組みが極端に難しくなったように思える。
「謝罪する機会を得ることができてホッとしている。息子は充分悔恨しており。家族の力で立ち直らせたい。」
公式な記者会見で短いコメントを読み上げた後内相は、側近に語ったそうである。
「法を曲げ、世論を煽り高等法院の決定を覆すことが、果たして報道機関の為すべきことなのだろうか。」

5)大物閣僚の不倫
ギョロっとした大きく威圧的な目に不適な含み笑い、顔いっぱいの髭。
外相ロビン・クックがただ者ではないということを理解するのに、その異相(悪相?)を見ればさほど時間はかからないであろう。
トニー・ブレア首相もこの筋金入り党活動家あがりの大先輩が実は煙たくてしょうがない、ということはイギリス国民なら皆知っている「周知」の事実である。
一言でいえば、何かとうるさいのである。組閣早々、ブレア首相の肝いりで政権に実業界から欧州担当閣外大臣を迎えることになったが、これが「親欧州」派財界人でジャガー社役員のジョフレー・ロビンソン氏に内定した。
クック外相はこのことが二重の意味で気に入らなかった。
1)ロビンソン氏が有名な欧州委員会のシンパで、クック外相のとる「欧州との適切な距離(つまり反・欧州)」的態度と真っ向から衝突すること。特に実業界が期待する早期の欧州通貨統合加盟に関してロビンソン氏が政権入りすれば、氏がこれを強力に推進することは火を見るより明らかであった。
2)この人事に関してブレア首相は事前に何の相談も同外相にしなかったのである。
首相としては閣僚の任免権は当然自分にあるのだから、いちいち外相に諮る必要はないというのが理由であろうが、問題の欧州担当閣外相のポストは外相の指揮下にある。
これはあきらかに欧州問題における「クックはずし」だと直感したのであろう、その悪相に凄みを利かして反対しだした。
クック外相はブレア執行部の中で主流を占める、いわゆる「モダナイザー(労働党の近代化を目指す若手改革派グループ)」に属さない「外様」である。
と、いってもただの外様ではない。
1979年から1992年まで超長期間、党首の座にあったニール・キノック氏の「影の内閣」で影の環境相をはじめ党の要職を歴任している超大物「外様」なのだ。
彼がキノック党首のもとで「影の閣僚」を勤め、吠えるように演説するサッチャー女史の閣僚たちと議場で舌戦を展開していた頃、今のブレア首相など新人議員に毛が生えた程度の存在でしかなく、後ろの方のバックベンチに座り(英国議会は日本と違い有力議員が最前列に座る)、黙然とだまって討論を眺めるか、時折野次を飛ばすかするだけだったのである。
ブレア首相がクック外相を苦手に感じるのも無理のない話であろう。
政治家としての「格」というか、存在感だけでいうならば、若いだけにブレア氏もブラウン氏も比較にならない。
この存在感に閣内でなんとか匹敵しうるのは、副首相として政府の半分の権を握るとまで言われる重鎮ジョン・プレスコット氏だけである。

ブレア首相もクック外相がつむじを曲げたことには苦慮したようだ。
彼らは政策面でももともと相容れない。
特に経済政策を中心にサッチャーの手法を受け継ごうとするモダナイザーたちに対して、「ニューケインズ主義」掲げ、いまだに財政出動の有用性を主張して憚らない。
クック外相はクレア・ショート海外開発相(女性)などとともに政策グループを形成し、これを同氏の名をとって「クッカイト(クック主義者)」と呼ぶむきもある。
経済政策ではモダナイザーの急先鋒ゴードン・ブラウン蔵相との激突もしばしばであり、98年度予算をめぐっても大胆な福祉改革を推し進める蔵相に反旗を翻している。
結局、ロビンソン氏の欧州閣外相就任は潰れた。クック外相が無理矢理ねじ込んだのである。
トニー・ブレア首相も政権発足早々でもあり、この党の大先輩に気をつかわざるをえなかったのだろう。
もっとも後にちがうポストを新設し、改めてロビンソン氏は政権入りを果たしている。

このクック外相に不倫が発覚した。
スッパ抜いたのは夕刊紙イブニングスタンダードである。クック夫人の談話として一面ぶち抜きで報じており。不倫相手は外務省の大臣官房に勤める秘書とのこと。
翌日は当然各紙一面で報じており、カメラマンたちに健気な笑顔を向ける乗馬スタイルのクック夫人の写真と、本人はごく自然に振る舞っているのに何故か「悪辣かつ不敵」に見えてしまう外相の写真をならべて載せ、ついでに相手の美人秘書ガイナー嬢の写真まで載せている。
記事はどの新聞も夫人の長年にわたる内助の功などつつましやかな「美談」を書き立て、返す刀で外相批判の大合唱である。
クック外相はこの秘書が愛人であることを認め、かつ現在の夫人と離婚して美人秘書と結婚するつもりだとスコットランドの自分の選挙区でコメントをだした。
この時期、訪米を控えていたことをとらえ、マスコミや野党は「愛人・離婚騒動をかかえた外相を派遣するのは米国に非礼である。」などとどうでもいいような理屈をねじつけてクック氏の追い落としを始めたが、そうこうする内に何とはからずも訪問先の米国大統領が前代未聞のセックススキャンダルをおこしたのである。
クリントン大統領のスキャンダルの凄まじさにイギリス国民はクック外相の不倫騒動がいかに程度として可愛いらしいものか理解した。しかも外相はその娘ほど歳の差の秘書嬢を心から愛していて、責任を取って結婚するとまで言っているじゃないか…。
そしていつのまにか外相追及劇はうやむやになってしまった。
命拾いした、と外相は感じていることであろう。ひそかに米大統領に感謝したかもしれない。
イラク制裁への英国の突出した対米共同歩調はこれが理由であるかどうかは、もちろん、わからない。

トニー・ブレア首相は訪日直後であったが、東京からわざわざ「クック外相を支持する。辞任はこれを望まない。」というメッセージを送っている。
首相の気持ちの内ははかり難いが、どうであれ日増しに大きくなる閣内の亀裂を思えばメッセージの文言通りではけしてあるまい。
金銭スキャンダルに関しては、例えばモハメド・サーワー議員の選挙違反事件のように俊敏にして厳格な処置をとるブレア首相だが、先のストロー内相の問題やクック外相のスキャンダルなど相次ぐ重要閣僚の事件にはサッチャー元首相と違い寛容な態度を維持しているようである。

6)イギリス政治は政治腐敗とは無縁か?
もう何年も前になるがNHKスペシャルで「かくして政治はよみがえった」という番組が放送された。
ちょうどリクルート事件やその後の佐川急便事件など日本で政治腐敗がその腐臭を極めた時期で、イギリスの「政治腐敗防止法」制定の経緯を時の法相ヘンリー・ジェームス卿の活躍を中心に描いたこの番組に、学生だった私は強く感銘を受けた記憶がある。
その時からイギリスといえば「金銭スキャンダル、政治腐敗とは無縁の国」というイメージがあった。
丁々発止のディベートで政策を争う議会政治への憧憬もあり、やはりはじめてこの国の下院を見学したときは正直、感動をおぼえた。

が、残念ながらイギリスでも日本のように構造的なものではないが政治腐敗はある。
「花ニ十日ノ紅ナシ、権ハ十年久シカラズ」
と、この場合言うべきか。
サッチャーとメージャーの保守党両政権18年は多くの実績をあげたが実に長すぎた。
絶対的な権力は絶対的に腐敗する、の格言通りこの長期政権のもとで保守党議員の中にも汚職に手をだす者がでてきたのである。
代表例がジョナサン・エイトキン元大蔵省主計担当閣外相である。
メージャー政権のラモント、クラークの両蔵相につかえた切れ者の政治家で、激しいリセッションと同時に政権をスタートさせねばならなかった不人気のメージャー内閣をよく支え続けた人物である。
有能であるが惜しいことに、その能力の中でも「利殖」の才が最もたけていた。
また主計担当閣外相は国家予算を取り仕切る文字どおり政権の中枢部にあたる。
この人物の汚職が発覚し、しかも裁判では偽証したため総選挙を目前にしていた保守党は計り知れない打撃を当時受けたのである。

政治腐敗事件はこのエイトキン議員にとどまらず、メージャー政権末期には業者から献金をもらってその業者に有利な質問を議会でしたりする者も現れ、総選挙における保守党政権瓦解の一因は有権者が保守党議員たちの金銭スキャンダルに嫌気がさしたことにもあるといえよう。
歴史的題敗北から36歳のウィリアム・ヘイグ党首による全党的出直しを目指すこととなった保守党であるが、そのヘイグ党首以上の人気を誇るといわれ「次」の党首を窺う最後の香港総督クリス・パッテン氏にも香港時代の暗い噂が流れ保守党員を暗澹とさせている。
インディペンデント紙はその「噂」を解明すべく一面に大きく麻薬の注射器の写真を掲載した。
現在、それでなくても落ち目の野党保守党をさらに痛打する「イースタン・エクスプレス社献金疑惑」が初めて公になったこれが最初の日である。
ことの発端は香港返還をひかえて香港の有力紙「サウス・チャイナ・モーニングポスト紙」が経営者交代で親北京寄り路線に転換したことにはじまる。
このことに危機感をいだいた時の香港総督パッテン氏は、在港の実業家マ・チンクワン氏に親英路線の新聞を発行するよう要請した。マ氏はこのため「イースタン・エクスプレス紙」という親英的な新聞社をつくり積極的に事業にのりだした。
問題はここからはじまる。やがてマ氏はパッテン総督を通して時の保守党政権に食い込むようになり、多額の政治献金を保守党に対して行うようになったが、マ氏の目的はただ一つ、麻薬の密輸に手を染め指名手配となったいる父親のマ・シックチュン氏を逃亡先の台湾から香港に戻れるよう取り計らってもらうことであった。
総選挙で政権交代がおこりマ氏の父親の件は当然うやむやになってしまったが、今度はマ氏の側がおさまらず、献金した金の全額返還を訴えるという珍事になったのである。
マ氏は保守党からの献金領収書もご丁寧にインディペンデント紙に提供しており、麻薬に関係したブラックマネーが保守党の政治献金の一部に流れ込んでいたことをはしなくも証明したのである。
パッテン元総督はマ氏との親密な関係を全面否定しているが、「保守党最後の期待の星」のイメージ失墜は避けられそうにない。

7)それは果たしてスキャンダルなのか。
今まで述べてきたようにイギリスにも金銭スキャンダルがあるし、不倫やその他スキャンダルなら日々これに事欠くことはない。
また議会政治の範とされたイギリスが誇る「政治腐敗防止法」にも限界があることは上記の例でもよくわかる。
やはり真の腐敗防止は適切な政権交代なのであろう。
ある議員が言った「政権交代こそ最大の政治改革なのだ。」という言葉は印象的だった。
またスキャンダルに対しては一切の遠慮をしない英国のマスコミも腐敗の防止に(個々の行き過ぎがあっても)一役買っていることは厳然たる事実である。
ただ金銭問題とは別に政治家がどこまでモラルの面で完全でならなければならないのか、不倫は政治家として辞任すべき事柄なのか、それとも個人の問題なのかなかなか判別は難しい。
サッチャーはパーキンソンを断罪したが、それはイギリス政界における明確な規範に則ったわけではなく、単に彼女一人の宗教的モラルに従ったまでである。
また「背信者」を果断に断罪するリーダーを大衆は好感を寄せる。サッチャーをして「権威的ポピュリスト」と呼ぶのはこのためだろう。
我々がヒステリックに怒ってることは、果たして本当に許されざることなのか。それは我々自身の不寛容がなせるわざなのではないか。
この自問自答がなければ、この国ではスキャンダルを食って巨大化する大衆紙とその背後にあって、報道とは金もうけの手段にすぎないと言い切る新聞経営者たちに躍らされるだけであろう。
すでにマードックとマクスウェルという二大巨人が新聞界に登場して以来、かつての「読む新聞によって階級がわかる」といった牧歌的な時代は永遠に過去のものとなったのである。かの名門タイムズでさえアスター一族の手を離れ、マードック系列の配下に降っている。
サッチャーと違い、ブレア首相がストロー、クックの両閣僚を辞任させなかったのも一つにこの問題は個人に帰属するべきものとの認識があり、もう一つは世論形成に隠然たる力を持つ大衆紙「サン」を押さえることで世論の過熱化を回避できる力を持っていたことである。
それはそれでまた新たなマスコミと政治の関係を考えなければならない課題を指し示しているようだ。
ユーモアの衣に包れた旺盛な批判精神のあるマスコミはイギリスの神髄と呼ぶべきものである。
国営放送BBCといえども王室、時の政権関係なく徹底的に笑い飛ばしこき下ろす様は日本と英国の国情が違うとは言え、一種の敬意すら覚える。
例えばNHKが同じ事をすれば会長の首はいくつあっても足りないであろう。
しかしそこには確実に「ある種の危険」があることも明記すべきであろう。
それがいったん何かを追いかけはじめたら、法律さえもねじ伏せ、一人の王妃の命さえも奪う力を持ちはじめているのだから。

Back

平島廣志の論考

Thesis

Koji Hirashima

松下政経塾 本館

第15期

平島 廣志

ひらしま・こうじ

プロフィールを見る
松下政経塾とは
About
松下政経塾とは、松下幸之助が設立した、
未来のリーダーを育成する公益財団法人です。
View More
塾生募集
Application
松下政経塾は、志を持つ未来のリーダーに
広く門戸を開いています。
View More
門