松下政経塾 The Matsushita Institute of
Government and Management

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1997年8月

塾生レポート

ブレアリズムとは何か ~レッドブック97~
平島廣志/卒塾生

 
不和のあるところに調和を 不正のあるところに真実を 疑いのあるところに信念を 絶望のあるところに希望を もたらし給え

マーガレット・サッチャーは1979年、ジム・キャラハン率いる労働党政府を打ち 破って政権の座についた。大勢の支持者に囲まれてダウニング街10番地(首相官 邸)入りをする時、引用したのがアッシジの聖者フランシスの祈りの言葉であ る。
労働組合の激しいストライキで社会全体が麻痺状態に陥った「不満の冬」の直後 だけに、国民の大多数は、イギリス社会にまさしく「不和のあるところに調和 を」求めていたのだった。
残念ながら以後18年間にわたる保守党政権は、このサッチャーの言葉通りに進ん だとは言えない。

イギリス二大政党制は自由放任主義と政府介入主義という二つの政策軸をめぐる 争いでもある。
それはある側面を見れば所得の再分配をめぐる争いでもあり、また他方では社会 の根底に根を張った階級秩序の破壊と再建の繰り返しでもある。
もともとイギリス社会は、ベンジャミン・ディズレーリィの言うところの「二つ の国民と三つの階級」から成り立っているといわれている。
「二つの国民」とは富める者と貧しき者、「三つの階級」とは上流、中流、下層 階級のことである。
二つの国民とは、単に所得格差の問題だけではなく、言葉、習慣、宗教、政治、 衣食住のどれをとってもこの時代、同じ国民と呼ぶには余りにも溝が深かった。
戦後に至ってでさえ、上流階級と比べて労働者階級の青年男子の平均身長は5セ ンチ程低いという統計が現存する。階級は体格まで及んでいる。
歴史上、商品経済の誕生とともに発生した人口の70%を占める「貧しき国民」に 対する政府の介入はたびたびあったことはあった。
例えば1601年のエリザベス救貧法がその走りといえるのではないだろうか。
この法律はイギリス国教会の教区を単位として、その教区民から徴収した救貧税 という目的税をもって救貧院(ワークハウス)を運営するものであった。
ただ労働能力ありと教会が認めた貧民は救済対象にならず、逆に教会にそれら貧 民に就労を強制する権限まで付与したところに特徴がある。

劣悪な生活環境と1840年代のコレラの大流行である。ついに政府は衛生改革とい うかたちでヴィクトリア朝の経済思想であった自由放任主義を部分的とはいえ修 正しなければならなかった。
ここに公衆保健法が1848年に成立する。蔓延する伝染病の猛威が、自由放任主義 を標榜するイギリス政治に変革を迫ったといえる。
現在でも社会福祉の基本理念にイギリスが保健政策を据えているのは、このよう な悲惨な過去の歴史に負うところが大きいからである。
ともあれここで所得再配分機能の軸は「自由放任主義」から「政府介入と弱者救 済」の側に移る。
このあとに続くロイド・ジョージと自由党の黄金時代はまさに政府介入に基づく 「リベラル・リフォーム」の時代でもあった。
1896年に労働者保障法が制定され、1900年にはイギリス労働党の前身である労働 代表委員会が結成された。同党は、この6年後の総選挙で29名の当選者を出すま でになった。(選挙そのものは自由党の圧勝に終わっている。)
1908年には福祉政策の根幹をなす老齢者年金法を世界で初めて成立させ、1911年 には健康保険と失業保険からなる国民保険法もドイツに続いて成立させることが できた。
「ナショナル・ミニマム(国民最低限の生活保証)」という言葉はフィビアン協 会の指導者だったウェッブ夫妻の造語であるが、このころから一般に汎用される ようになっていた。
1945年に成立したクレメント・アトリーを首班とする労働党政府は、「揺りかご から墓場まで」の有名なスローガンに象徴される福祉国家を建設することによっ てかつてディズレーリィが述べた「二つの国民」を一つに統合することを目指し ていた。
保守党も伝統的なノーブレス・オブリージュ(高貴なる地位にある者は、弱者救 済に道義的責任を負うという道徳観)から基本的に福祉国家路線を進めた。
しかし黄金の60年代が過ぎ、70年代に入ると、慢性的なインフレと失業者の増大 というケインズ主義経済学では説明のつかない現象がイギリス経済を虫食みはじ めた。英国病である。
国有化政策で経済全体に閉める公共部門の割合が急激に高まり、インフレの中実 質賃金の上昇を要求を掲げて労働組合はストを激発させた。
このストの嵐のため、再び国営企業は生産がストップして、政府借入需要を増大 させる、これが今度は民間企業の投資を圧迫するいわゆるクラウディングアウト を起こして経済成長をさらに鈍化させる。この悪循環を脱するためには、従来の 方法ではだめなことは誰もが気づいていた。が、それを実行したのはサッチャー 一人であった。
サッチャー政権の特徴を「権威的ポピュリズム」と政治学者が呼ぶように、慢性 的なインフレやストばかりしてまともに働かない国営企業の組合員たちに大多数 の国民、特に福祉政策の受益が最も少なく勤勉を美徳とする中産階級は、声こそ 出さなかったものの無言の怒りを感じていた。
この有権者の不信感のすさまじさは、その後18年間支持率ではつねに保守党をを 圧倒しつつも労働党が敗北した事実を見ても明らかであろう。
労働党=インフレの党という有権者の疑念を払拭するには、ブレア氏の登場と国 有化政策を定めた党規約第4条の削除を待たねばならなかった。
イギリスでは赤い革の豪華な装丁から予算案をレッド・ブックと呼んでいる。
「我々ニューレーバー(新しい労働党)は、不安定で脆弱な経済基盤、投資の低 下、失業の拡大という英国の21世紀的な課題にこの予算をもって挑戦する。」
「この予算案の主要な目的は、英国をして速やかに世界経済のダイナミックな変 化に適応させることにある。」
5月2日水曜日の朝、ゴードン・ブラウン蔵相はダウニング街11番地の前で、その 日発表することになるレッドブックを片手に予算案のポイントについて声明を発 表した。 同蔵相は前任で人の良さそうなクラーク氏(メージャー保守党内閣の蔵相)とは 好対照で謹厳実直にして沈毅な風貌から「鉄の蔵相」というニックネームを早く もつけられている。 現在、このブラウン蔵相に行革の急先鋒として内閣をまとめるジョン・プレスコ ット副首相、そしてトニー・ブレア首相の三人のチームワークで政権を動かして いる。
昔、アメリカ西部の開拓時代、カウボーイたちは自分の土地と他人の土地の境界 線上にステークと呼ばれる大きな杭を打って所有権を主張した。
転じてステークとは投資や掛け金、利害関係を指す言葉となり、「利害関係の調 整をする人物・組織」をステークホルダーと呼ぶようになった。
今回、ブレア首相等が発表する労働党予算案には「ステークホルダー・デモクラ シー(利害関係者の民主主義)」という基本哲学がその中心に据えられている。
今回のレッドブックの概要は以下の通りである。

Corprate Taxation:企業課税
1997年4月に溯って、法人税(大企業)2%カットの31%に減税、(中小企業)2 %カットの21%に減税を行う。
都市部の中小企業、特にプラント(設備)・機械産業の会社は1年間に限りその2 倍の減税を行う。

Dividends:配当
支払われた公的年金・企業年金に今までかかっていた税金を廃止する。

Housing:住宅政策
250,000ポンド以上の家は、0.5%から1.5%に増税、500,000ポンド以上は2.0%に増 税する。

Windfall Tax:自然税収増
自然増収の内が5,200,000,000ポンドは、主に失業者のための雇用訓練プログラ ム、特に学校関係に使う。
400,000,000ポンドはガスの未徴収分から埋め合わせを 2,100,000,000ポンドを電気料金から、1,650,000,000ポンド水道料金から、その 他から1,450,000,000ポンドを徴収しこれを埋め合わせる。
納税は2回の分割払い可能。

Consumers Tax and Saving:消費者、税と貯蓄
7月3日からリッターあたり4%の税率アップし、12月1日からたばこ税は一箱20本 あたり19%の増税する。
1998年1月からアルコール税はインフレーションの上昇にあわせて増税する。

NHS:国民保健制度
1998-99年の貯蓄金(予備費)から1,200,000,000ポンド割り当てる。
保健政策に関して2,250,000,000ポンドに上げて使う。
来年度1,200,000,000ポンドの増額(内1,000,000,000ポンドはイングランド地域 むけ)の 蔵相の声明を受けて、独立採算制度進めていた12の大病院、Norfolk、Nowich、 Dartford、Graveshamなどは、非公営部門(商業部門:NHSではなく民間個人保険 で診察する院内の部門)を縮小する準備を始めた。
来年度は実質経済成長率が2.25%に上昇するみこみがでてきたので、残っていた 350,000,000ポンドのNHSの赤字はこれによって解決の見込みがつきそうである。

School
財政演説の冒頭でゴードン・ブラウン蔵相は今回の予算案の中で教育政策が最優 先課題であると発表した。
予備費から1,000,000,000ポンド投入。主に公共事業・公共設備投資のWindfall TAX(自然増収)からお金を持ってくると言明し。
また、今後5年以上は1,300,000,000ポンド割り当てるとしている。
選挙前から教職員組合を中心に要求が高かった総額2,300,000,000ポンドの包括 的学校教育改革案を発表した。
その上、ロンドン地下鉄公社の民営化など行革によってういた、公共部門への投 資分1,300,000,000ポンドを教育のために歳出する。これは生徒一人当たり年間 150ポンドになる予定である。
また荒廃のひどい学校施設の修繕のため次の5年間で3,200,000,000ポンドの拠出 を計画している。
幼児教育(3才児と4才児の公教育)は国立の幼稚園、小学校の幼児クラスと5 才児を含む小学校受入準備クラスで供給されている。
4才児の90%はフルタイムもしくはパートタイムの上記ののいずれかに所属して いるが、質量ともに利用可能な教育施設は十分とは言えないことを教育雇用相も 認めており、今後重点投資の最重要課題となっている。
なぜなら4才児たちにとって小学校受入準備クラスは5才児以下の教育に振り分 けられる予算が別個に存在せず、見積もりではそれは600mポンドから800mポン ドに年間なる見通しである。
National Commission on Education(政府教育審議会)がまとめた報告書 「Learning to Succeed(成功のための学習)」によると社会人生活が幼稚園教 育によってどれだっけ影響を受けているか述べているが、幼児教育の達成率が高 ければ高いほど、未成年の早期妊娠や犯罪的行動など不当な社会的行為を減少さ せる可能性が高いと結論を出している。
今回の予算案では教育雇用省はイングランドとウェールズにおいて645,000名の 4才児の幼児教育のために新しい財政運営の方法を試験的に試みている。
それは、公立また私立の幼稚園の両方で使える1,100ポンドのバウチャーを両親 にパートタイム5学期分与えることにした。今後もこの教育バウチャー制度は拡 大する方向にある。
Primary & Secondaryは、現在24,000校の小学校と5,000校の中学校が公立であ り、都市部への特別歳出を含めないでそれぞれ生徒一人当たり1,800ポンドと 2,300ポンドを投資している。

Fuel: 燃料
燃料にかかるVAT(付加価値税)は、1997年9月1日から現在8%のものを5%に減 税。
メージャー政権のクラーク予算によってVATの燃料への導入が行われた。これは 年金で生活する高齢者の家計を激しく圧迫するということで、1994年の議会で保 守党議員の造反によって一度否決されるという憂き目に遭っている。

The Elderly:高齢者福祉
60歳以上の個人(民間加入の)健康保険に適用されていた、税控除は燃料費の VAT減税のため廃止。

Lone Parents片親保護
200,000,000ポンドを自然増収分から児童福祉・職業訓練に割り当てる。

Childcare児童福祉
片親のために児童福祉費の増額。今後5年間に5万人の若者を対象に児童福祉ア シスタント養成のため訓練を行う。国営宝くじの利潤から成人教育関係の地域ク ラブに援助する。

財政見通し
今後5年間の公共財政削減計画を予算案の付属として発表している。
97~98年の予算で13,250,000,000ポンドの赤字削減、98~99年予算で 5,500,000,000ポンドの赤字削減策。今年はGDPの3.25%以内、来年度はGDPの2.5% 以内に財政赤字を縮小させる予定である。
また、Consumer Spending(消費者物価指数)にして今年は4.5%上昇。来年度は 4.0%に下降の見通し、インフレーションは97年で2.5%、98年で2.75%、99年 で2.5%を予想している。今年の経済成長率2.25%の見通しである。

この財政再建計画において注目すべきは、今後景気対策として財政出動をしない ことを言明していることである。
首相自身、その著書「ニューブリテン」に景気対策には金融政策、すなわち中央 銀行によるマネタリーベースの管理を中心おこなうとはっきり主張している。
政権発足2日後に、イングランド銀行に金利の完全な調整権を付与したのも、労 働党政権はケインズ主義と完全に訣別するという意志表示に他ならない。

今回の予算案を見て感じることはこの政権が、単にサッチャー流の競争社会で も、競争を規制する社会でもなく、「競争力に投資する社会」を目指しているこ とである。

1997年8月 執筆
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