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地方自治
2019年7月

ドイツのコミュニティ・マネージメントからこれからの自治を考える
馬場雄基/松下政経塾第38期生

福島県福島市出身。慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、三井住友信託銀行に入社。地元を離れた生活の中で東日本大震災後に固定しつつある福島のイメージに危機感を抱く。2019年より福島市にあるコミュニティセンター・アオウゼの事業コーディネーターとして、福島の地活性化事業に取り組む。

 

 1、コミュニティ・マネージメントの意義

 東日本大震災から8年。福島は、世界各国、日本各地からの支援によって、復興の歩を着実に進めている。広大な土地を活かし、世界に先駆けた最先端技術の推進、県内物産の積極的PRなど官民を挙げて取り組んでいる。その一方で、新たな課題も浮き彫りとなってきた。真の復興とは、たとえ外からの支援がなくなったとしても、自らの力で価値を創造し、地域自体が自立して経営できる状態にまで盛んになることを指すのではないだろうか。

 今後、外からの支援がなくなっていくからこそ、何をしなければいけないのか、皆で考え実践していくことが求められる。それでこそ、真の復興が実現されると私は考える。

 そのカギとなるのが、一人ひとりがまちで起こることを「わたしたち事」として捉え、自ら行動することである。「わたしたち事」とは、自分事とは異なり、必ず自分と相手という人と人との間の空間を指している。あらゆる人々が垣根を越えて集い、誰もが気軽に・楽しく・真剣に、話し合い、考え決断して実践できる。そのような誰もが主役となれる究極の自治を目指していく必要があるだろう。

 その際に参考となるのが、コミュニティ・マネージメントである。ここでいうコミュニティとは、住民同士のつながりだけではなく、生活圏内においてまちに関わるすべての人々を含む。そのようなコミュニティを管理・運営することが、コミュニティ・マネージメントである。即ち、まちの関係者の意見や知恵を活かし、生活の向上が期待できるまちのモデルを考え、ハード面もソフト面も統合的に捉え、まちの関係者と共に築き上げていくことが求められるのである。

2、コミュニティ施設での実践と海外比較

 「わたしたち事」の世界を実現するために、私は故郷の福島市にあるコミュニティ施設アオウゼにて事業コーディネーターを務めている。アオウゼとは、年間の利用者数が60万人、企画講座数が530件ある、全国でも珍しい大型のコミュニティ施設である。多くの人との出逢いが生まれるアオウゼだからこそ、コミュニティ・マネージメントを検討する際に中核となり得る存在だが、現状は生涯学習の場としての機能に留まっている。

 どのようにすれば実現できるだろうか。各国の事例を調査した際に、日本と世界ではコミュニティ施設の築かれ方に違いがあることに気づいた。日本では、生涯学習の位置づけとして運営されているのに対し、世界でははじめからコミュニティ・マネージメントを行う中核として位置付けていた。

 コミュニティ・マネージメントという概念はイギリスで生まれたものと言われている。1980年代のサッチャー、1990年代前半のメージャーと続いたイギリスの保守党政権は、いわゆるサッチャリズムにより民営化が行われ「小さな政府」を目指した。その結果、経済の活性化という効果をもたらした。一方で貧富の格差が拡大し、若年層の失業が増加するなどの社会的荒廃という弊害を生まれていた。1997年に労働党が圧勝し、ブレア政権が誕生すると、機会の平等を実質的に確保する「社会的包摂」を政治政策の柱とした。その大きな期待を背負って生まれたのが、SEU(Social Exclusion Unit)という政策である。これによって「建物ではなく人に投資」、「地域に押し付けるのではなく、地域を巻き込む」などの方向性のもと、地域ベースのプログラムを行うNeighborhood managementが確立された。しかし、2010年の政権交代と同時に、その姿は設立当時の勢いは失われてしまった。

 一方、イギリスの取り組みを参考にして、さらにこの政策を発展させていったのがドイツである。ここからは、ドイツで行われている政策について整理をしていく。(注1)

3、ドイツのコミュニティ・マネージメントの背景

 ドイツのコミュニティ・マネージメントはQuartiersmanagement(地区のマネージメント)と呼ばれ、イギリスの取り組みを参考にして1999年に連邦交通建設都市省にて都市再生策の一環として取り組まれている。

 連邦建設地域計画局によると、2018年までにこの政策は、ドイツ連邦政府全体で533市町村の934地区で実施されてきた。連邦政府によると、年間の予算も年々増加傾向にあり、2013年時で4000万ユーロ(約50億円)だったのに対し、翌年の2014年時は1億5000万ユーロ(約188億円)、2017年時には1億9000万ユーロ(約240億円)となっている。 

 マネージメントを行う中心的存在こそ、コミュニティ・マネージャーである。行政と住民をつなぐ架け橋の存在であり、その体制は都市毎に異なるが、一般的に常勤のマネージャー1~4名と、非常勤やアシスタントスタッフで構成されている。(注2)(注3)

4、ドイツのコミュニティ・マネージメントの現地調査報告

 私は、2019年2月に1か月間ドイツに赴き、現地のマネージャーや役所、シンクタンクなどに伺い、コミュニティ・マネージメントの調査を行った。各自治体により、体制は異なっていたが、その概要は基礎自治体からコミュニティ・マネージャーを任命し、その者たちが住民たちの声と市政をつなぎ合わせ、各部局と調整し合いながら施策を実現していくものであった。その意思決定の過程は、コミュニティ・マネージャーがフォーラムを企画したり、住民自らが非公式の選挙を行って議会をつくったりするなど様々である。その中で気づいた特徴を、マネージャー、資金、ボランティア、文化の4つに分けて述べていくことにする。

 1点目が行政と住民の仲介者としてのマネージャーの存在である。マネージャーには、単に住民間の仲介だけではなく、住民の想いをまとめて行政と調整し、ハードとソフトの両面から政策展開していくことが求められていた。しかし、現場ではマネージャーの自由度は非常に高く、業務のやり方を一任されている場合が多かった。

 2点目は補助金の体制である。ドイツのコミュニティ・マネージメントの予算は、各都市で異なっていたが、様々な財団や行政から用意されていた。その中でも、国や県、市に関してはどのセクターも用意する補助金額は同じ割合であった。それは一つの機関に権力が集中することを防ぎ、お互いをけん制することを目的としている。コミュニティ・マネージメントの現場は地区になるが、地区の自主性や決断を尊重する仕組みと言えるだろう。

 3点目が、ボランティアである。ドイツではボランティアの概念は非常に一般的であり、コミュニティの運営はマネージャーだけが行うのではなく、住民代表としての議会やサークルの活動、さらにイベント毎のボランティアの存在が非常に大きい。自分たちが利用する施設は、自分たちで運営できるように協力し合おうとする関係性が自然と根付いていた。

 最後の4点目が、文化「Stammtisch」「Mitspracherecht」である。「Stammtisch」はドイツ語で「常連の会合」を意味するが、気軽に仲間で集まって交流を深める会(飲み会)のことで、ドイツでは地区によって異なるが、2週間、もしくは1か月に一度開かれている。気軽に誰でも参加が可能で入退席は自由、会計も帰る際に飲んだ分だけを払うというものである。こうした人々の交流からまちの情報交換が行われている。また、「Mitspracherecht」は直訳すれば「言う権利」となるが、「当事者が決定に参加する権利」を意味している。これは基本法を参考にして州憲法にも記載され、全ての人が言論の自由および表現の自由を有するため、誰でも決定に関与できる権利であり、そのためデモや集会、ストライキなどが日常的に行われる。ドイツでは、規模の大小は様々あるが、自らの想いをかたちにする成功体験を積める機会が非常に多く、誰かが挑戦することをまちとして皆が許容し合い、自分の生活圏内にて起こることに対して積極的に関わることができる仕組みと空気がある。

 マネージャーたちが共通して述べていたことは、「私たちに権力はない。しかし、ネットワークを築き、まちの土台をつくることはできる」ということである。こうしたコミュニティ・マネージメントがあるからこそ、ドイツでは「わたしたち事」という考えが住民に浸透し、暮らしの向上が実現しているのではないだろうか。

5、ドイツと日本の比較

 日本とドイツの間では国家の仕組みに違いがある。日本では、ドイツのコミュニティ・マネージメントに代わって、商工会や自治会があり、非営利団体も多くある。しかし、日本では地区の担い手が多く存在する一方で、それを一つの方向性にまとめられていない。地区の有力な人や政治家など特定の人がまとめ役になることが多く、ドイツのように外から専門職として務めるケース、若者やよそ者も力を一つにしてまちづくりを行っているケースは稀である。また、まちづくりへの参加という概念も、ドイツでは、自ら考え、共に動くことが大前提であるのに対し、日本では会費を納めることが前提になる傾向がある。さらに、予算の組み方にも大きな違いがある。

 ドイツでは、プロジェクトとして行われるため、中長期的に予算を組むことが可能である一方、日本は単年度予算となり一年間で使い切らなくてはならない。その予算の内訳も、日本では国なら国、県なら県、市なら市と別々に組まれているが、ドイツでは連邦・州・基礎自治体と等分で組まれている。これにより、ドイツでは住民がマネージメントを行う際の裁量が増し、プロジェクトを達成するための戦略と計画にオリジナリティが生まれていた。

 さらに、ドイツでは、このプロジェクトが終了する前に、あらかじめ告知され、2年という猶予期間が与えられている。マネージャーがいなくなっても住民たちが自ら運営できるようにすることを最初から目的とし、目指しているのである。

 ドイツではマネージャーが存在することで、行政は基本的に住民の様子を一歩引いて見守ることに徹し、住民の話し合う姿や意見を参考にしながら、行政計画を練っていた。さらに、行政の各部署の横串を指す場合も、行政自らが行うよりマネージャーが行うことで、どこか一つの部署に力が偏らないよう抑制していた。

 また、ドイツは連邦政府であり、日本は中央集権体制である。ドイツの連邦全体の政策は、連邦が政策の枠組みこそ整えはするが、主体はマネージャーと住民であり、行政はその運営を見守る立場にある。しかし、日本では全ては内閣府の方針の決定の後、勘案して都道府県に、そしてそれらをまた勘案して市町村に伝えられている。このことから、ドイツでは、住民の中に行政がいる構図が見て取れるが、日本ではどちらかというと行政の中に住民がいるように思われる。

6、日本の歩むべき道

 ドイツのコミュニティ・マネージメントの実情と、日本との比較を行ってきたが、これらを基にこれからの日本の歩むべきについて考えていく。コミュニティ・マネージメントの根本の目的は「自分たちで決断し実行する機会を持つ」ことである。すなわち、住民たちが、まちのことを考え、その意見を表示する機会を設け、自ら責任を持ちながら実践していく環境を育むことである。日本では、衰退する多くの地域で国や広域団体から補助金など援助を得ているが、長期的に見ればその補助金などの外からの支援に頼ることで、地域の人々の手で問題を解決していく力を衰えさせ、持続性を失う恐れがある。ドイツでは、住民の想いをかたちにするために、住民も民間も行政も、それぞれの枠を超えて団結をし、なにより住民たちがいきいきとしていた。

 どんなことでも、自分の想いが叶えば、喜び、次は何ができるだろうとさらに一歩踏み出すようになる。ドイツではまさにこの好循環が働いていた。人と人との連携は、まちの土台である。その連携がまちを「わたしたち事」となる力となり、実践に移っていく。そして、一つひとつの実践をまちで積み重ねていくのである。表現し、対話し、連携し、実践していく。この循環を繰り返すことで、小さな成功体験を積み重ね、次第に自立した、自分たちで経営することのできるコミュニティとなる。そのような体制こそ今の日本に必要なのではないだろうか。日本には多くのコミュニティを担う団体があり、それらが協力し合い、ネットワークの中心となる有志の集いを築くことが重要になる。また、それは強制によるものではなく、あくまでも有志によるものであり、やがて文化の一つとなるように自然と育むことが肝要である。そして住民にも参加する人にも楽しく、生活が向上する実感が必要である。

 私はその実践を故郷の福島から行っていきたい。東日本大震災からの真の復興を遂げるために、住民が煌めく世界一の「わたしたち事」のまちを福島で築き、世界に伝えていきたい。

 また、研修を進める上で、多くのドイツ各都市の自治体担当者やコミュニティ・マネージャーの方々、地域団体の方々に、お忙しい中丁寧に対応いただいた。そのことに感謝を申し上げ、本レポートを終了する。


1.室田昌子『ドイツの地域再生戦略 コミュニティ・マネージメント』学芸出版2010年p32
2.同上p75
3.https://www.staedtebaufoerderung.info/StBauF/DE/Programm/SozialeStadt/soziale_stadt_node.html(最終閲覧日2019/7/25)

2019年7月 執筆
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