松下政経塾 The Matsushita Institute of
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2016年2月

塾生レポート

「自然処(じねんしょ)」で拓く未来
塩根嗣理/卒塾生

「当たり前に」「自然と」――当たり前のことを当たり前に続けていく生き方「自然(じねん)」。じねんに生きることは、持続可能な社会の軸。じねんと生きるためには、何が必要で、どう取り組むのか。身近なものを身近に結ぶ活動から、その道を歩みたい。

 

1.快適で壊的な生活

 「24時間、いつでもどこでも温かい食べ物が買える」「どこに居ても連絡をとれる、話ができる」 本当に、便利な世の中、快適な世の中である。「効率性」「利便性」を求め続け、カネという万能の紙と経済システムを生みだし、快適で不自由のない生活を手に入れた我々。しかし、その一方で、取り返しのつかないこと、失ったものが生じ、知らないうち、気付かないうちに壊的な生活をしていることに対して、警鐘がならされ続けてきた。「沈黙の春」「ミナマタ」「フクシマ」……そんな大きな問題をみなくとも、足元には壊適な生活がたくさんある。
 何気なく食べているその魚、どこから来たのだろうか?どういう場所でどうやって育ったのか、育てられたのか?快適な生活に飼いならされた我々は、そんな壊的な生活など気にも留めることができない。何故ならば、その現場を窺い知ることができないくらいに、遠いところの魚だったりもするのだから。インターネットやニュースの情報も、効率化、利便性、快適さが求められる。実態も真実もどこか遠いところにないだろうか。 「私」の快適さ、利益などを最優先させてしまうことは、ごく当たり前のことだろう。また、目の前で起こっていない、何も感じられない生活の中では、その背景に思いを馳せることも難しいだろう。そして、我々は日々、快適で壊的な生活を送る。 「安いウナギをいつでも食べたい」と願えば、効率化をはかることで可能である。養殖、流通、保存技術の開発で、これまでにその欲求を見事なまでに満たしてきた。日本のウナギがいなくなれば、ヨーロッパ、ヨーロッパのウナギがいなくなれば、アメリカ。アメリカのウナギがいなくなれば……。次々と各地のウナギを消費し、元々、その土地、その土地にあったウナギとうまく一緒に生きる生活、ウナギに頼らない持続可能な漁業を捨てて、皆、一時的にカネを得た。以前より快適な生活を送った。しかし、食い尽くされた後には、元々の自然とともに生きる生活や、多様な仕事、文化など、皆、破壊された生活しか残っていない。自らの将来、次世代、これからの地域、これまで長い年月を経て築いてきたことなど、気付かないうちに皆無となってしまうのである。「いつでも安いうなぎを食べたい」――そう願った私は、略奪者であり、破壊者であり、侵略者である。日々、世界各地の知らない人を、地域を破壊しているのである。今の快適な生活、日々の自らの活動は、このような前提があって成り立っているのである。

2.身近なものを身近に

 何故、このような生活になってしまっている、その先に持続性などないのに、このような生活をまだまだ邁進するのか。一つは、本来、身近なもの・ことが、身近でなくなってしまった「身近さの欠如」があるのではないだろうか。 我々は毎日の生活に欠かせない身近な食べ物ですら、その存在は遠い。
 日々の生活の中で、一番身近な家族の助けを受けるより、カネを通じてそのことを解決することもできる。そうやって、本来は身近なもの・ことなのに、遠い存在においやられたもの・ことに対しては、何か問題を感じることは難しいだろう。たとえ、その生活がどこかで破綻していたとしても、次々と代替可能なものが、グローバリゼーションという名のもとに、カネという共通価値の獲得のために、目の前に届けられる。このような状況では、誰もアクションしようとは思わない、むしろできないだろう。
 では、この負の連鎖を断ち切るにはどうするか。身近なものを身近に結び合っていく活動が必要ではないだろうか。自らの生きている前提を正しく認識し、ミズカラの影響の多くを把握する。そうすればオノズカラ、自分の行動や生活も省み、改めることも可能になるのではないか。現代の当たり前の生活から、「じねん」の当たり前の生活への転換を、この身近なものを身近に感じ、身近に接し続けていく生活を取り戻す、あるいは進化させていくことで実現させていきたい。

3.「自然処」をひらく~身近なものを身近に結ぶ場

1) 学び合う場づくり

 まずは、日々の生活の身近なものを身近に感じられる学びの場をつくりたい。その中でも、特に生きる根幹の「食」を通じて、身近なもの・こととの様々な繋がりを頭で理解するのではなく、体で感じられる学びの場づくりを行うのである。 おいしいものを食べると、多くの人が「幸せ」を感じるだろう。その「幸せ」の食が、いつ、どこで、どうやってつくられ、我々の下にどうやって届いたのか、またどう処理、調理されて我々の口に入るのか。味はどうか。香りはどうか。見た目はどうか。次に、何故、そのような味、香、見た目なのか。オノズカラ(勝手に、自然と)そうなっている当たり前の「じねん」でか。そうでない「人の手」による「じねん」ならざる部分であるのか。それとも、自然をうまく生かした「折り合い」「あわい」によるものか。そういったことを少しでも感じ、当たり前に食べるということはどういうことかを学びながら、「じねん」の生き方についても、食を通じて体感できると考えている。
  また、単に身近に感じるだけでなく、食べることから、現地で触れること、そしてその食とそれを取り巻く社会で生き「食→触→職」の流れを育みたい。 そうして、現地でこのような流れで訪れる人、全く別の流れで訪れる人、地域の人が地域で生きるためのもの・ことを学び、多くの人が交流できる、「じねん」の「総合学び舎」兼「情報基地」兼「デパート」兼「人と産業の紹介場」兼「職業修練場」兼「研究所」としての「じねん処」を設けたい。
 地方を行脚していて、言われたのが、「移住者募集と書いてはあるけど、本気で募集していないですよね」「観光って言っても、パンフレットに書いてあることの押し売りは……」「普通のこの地の食や生活を感じてみたいけど……」等々の「本気で取り組んでいますか?」「受け入れる気はありますか?」「折角いい所なのに」である。知り合いもなく、慣れない土地に住むのはもちろん、家、仕事探し、単なる観光とっても容易ではない。それに対して、個別に様々な支援策がとられてはいるが、よそ者も、いる者も、まして老若男女が集まって地域や個人の困りごとを共有し、解決したり、その魅力を真剣に発信したりする場は少ないと感じる。「自然処」は、「じねん」に生きるための総合窓口であるが、同時に、地域の内外の人と人、人と自然、自然と自然を結び合う場にもしたい。 まずは、卒塾フォーラムの、原材料から自分たちの手で地域をまわって集め、「ちくわ」ならぬ「きびわ」をつくる体感学習のような既にある場を生かした初期投資のかからない「一日自然処」を積み重ねて、自然処の学びの場を広げていきたい。

2) 自然の力、恵みを生かした「じねん産業」づくり

 そして、もう一つ、やはり「じねん」の生き方を社会に浸透させていくには、「じねん」の生き方をしていれば、よりよい社会づくりにも役立ち、また個人も生きやすくなるということの証明だと考える。どうしても、お金が無ければ、生きていけない面もある現代社会において、皆が幸せになれる方法でお金を稼ぎ、生活を成り立たせ、さらには社会的によりよい方向に進めることが、「じねん」に生きることだと考える。ソーシャルビジネスのような起業を「じねん産業」として立ち上げ、各地域にそのような起業家を増やしていくということである。
 まずは、自分自身が、そのような生き方として、自然をよりよい状態にしながら、稼げる額も、稼げる人も増やしていくような自然産業の担い手となりたい。一つは、昔の百姓の生き方を工夫しながら、地域で様々な仕事を組み合わせて、結果的に農林水産業の垣根を取っ払い、森里川海の繋がりを深める新しい一次産業=じねん産業を起こしたい。軸となる産業はどれか置きながらも、季節や自然の状況によっていくつかの生業をまわしながら、また一か所だけでなく、いくつかの土地でも仕事を行う古くて新しい自然産業をつくり、育てていきたい。そうすることで、結果、地域の全体の自然や人を興していくことにも繋がるはずである。
 私自身は、通し回遊性の魚介類を軸に、魚を育てながら、あるいは隠れ家を提供しながら行うような各地域に伝わる漁法を活用しながら、その生息環境を取り戻し、生き物のにぎわいとともに、私の生活の自立もはかっていきたい。共に栄える生活ができるものと信じている。

4.自然処(じねんじょ)によって拓く未来

 これから、高齢化、人口減少社会は確実に進む。地方の過疎化も多くの地域で止まらない。辺境と言われる地方ほど確実に増えるものがある。一つは、廃校や廃業する観光・商業施設、病院等。もう一つは耕作放棄地である。今後は、この「廃○○×耕作放棄地」を活用して、「じねん処」を拡げいきたい。
 廃○○の学びの場、様々なサービスの場としての提供は、既に色々と行われているが、地域の生活を紡ぐことに特化したり、地域社会づくりの研究機関としての機能を持つものは少ない。持続可能な地域づくりの場としての「じねん処」づくりを急ぎたい。 また、耕作放棄地は、農業に条件の悪い場所ほど増える。そもそも、このような地はより自然に近い地、自然に戻りたい特性を持つ地だったはずである。そこで、その各自然条件に応じて、林、湿地、池、川、干潟、砂浜などの自然に還していく運動を展開したい。生き物を決めて、その生き物に、土地を与え住民にすることも、その地域を特徴づけることができ、様々な活用が可能と考えられる。相続未登記農地の課題などはあるが、本来の生産性の高い自然に戻すことで、農地よりも収入を多く得られる場とすることも可能だと考える。
 また、「じねん」に生きる人が根付いていくならば、一定の生活収入を得ることが出来る社会保障的な共有地としても活用していけるのではないだろうか。  人口減少も、少子高齢化も、自然や死者を社会の一員として迎え、彼らとともに社会をつくっていくならば、明るい未来も、持続可能な社会も待っている。自然と起こっていることは、問題ばかりではない。オノズカラの世界を感じ、その中で折り合いをつけながら、ミズカラの世界を展開していきたい。まずは、我が家の耕作放棄地を自然の力を借りながら、生き物と人が共に賑わう場に変えていきたい。

参考文献:
松下幸之助 『PHPのことば』PHP研究所 1975年
松下幸之助 『人間を考える 第一巻』PHP研究所 1975年
松下幸之助 『人間を考える 第二巻』PHP研究所 1982年
松下幸之助 『遺論 繁栄の哲学』PHP研究所 1999年
三澤勝衛   『三澤勝衛著作集1 郷土地理研究』みすず書房 1979年
三澤勝衛   『三澤勝衛著作集2 風土論I』みすず書房 1979年
三澤勝衛   『三澤勝衛著作集3 風土論II』みすず書房 1979年
福岡正信  『無(Ⅱ)無の哲学』春秋社 1985年
梅棹忠夫  『日本とは何か 近代日本文明の形成と発展』日本放送出版協会 1986年
宇沢弘文  『社会的共通資本』岩波書店 2000年
宮本常一  『日本人を考える 歴史・民族・文化』河出書房新社 1993年
内山 節  『自由論――自然と人間のゆらぎの中で』岩波書店 1998年
結城登美雄 『地元学からの出発 この土地に生きた人びとの声に耳を傾ける』農村漁村文化協会 2009年
岩崎正弥・高野孝子 『場の教育「土地に根差す学び」の水脈』農村漁村文化協会 2010年
内山 節  『共同体の基礎理論 自然と人間の基層から』農山漁村文化協会 2010年
内山 節  『内山節のローカリズム原論 新しい共同体をデザインする』農山漁村文化協会 2011年
山本七平  『なぜ日本は変われないのか――日本型民主主義の構造』さくら舎 2011年
中山智晴  『競争から共生の社会へ――自然のメカニズムから学ぶ』北樹出版 2012年
森 政弘  『仏教新論』佼成出版社 2013年
宇根 豊  『農本主義が未来を耕す 自然に生きる人間の原理』現代書館 2014年
梅原 猛  『森の思想が人類を救う』PHP研究所 2015年

2016年2月 執筆
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