論考

Thesis

豊かに生きる~“新しい人間観の提唱”から思うこと

人間観を問われても、即座に返答できるほど、何か自分の中に確固たるものが形成されているわけではない。まだこのような未熟な現状ではあるが、松下幸之助塾主の“新しい人間観の提唱”および“新しい人間道の提唱”から人の生き方、特に豊かに生きることについて改めて考え、思うことを述べる。

1.人間って?

 生物学をかじっていた私はすぐに、脊索動物門、哺乳綱、霊長目、ヒト科、ヒト属Homo sapiensとしての“ヒト”を連想してしまう。動物としての特徴を聞かれれば、直立二足歩行と、言語というコミュニケーションツールを持っていること、火、その他道具を使い、さらには自ら道具を作ることができることが挙げられる。「我思う、ゆえに我あり」ではないが、自我の発達や他者の認識を持ち、自らあるいはその集団、社会を律することができるのも人間の特徴と私はみる。少なくとも既知の生物では、知能が最も発達しているであろう。
 そのヒトであるが、最近の世の中をみていると、自分で自分の首をより絞めつけている気がしてならない。松下幸之助塾主が“新しい人間観の提唱”の中で述べている「人間はつねに繁栄を求めつつも往々にして貧困に陥り、平和を願いつつもいつしか争いに明け暮れ、幸福を得んとしてしばしば不幸におそわれてきている」状態である。
 最も知能高き生物がなぜこのような状況に陥っているのか、これから先、ヒトの営みはどのように行われるべきなのか――塾主の“新しい人間観の提唱”をもとに私なりの考えを述べる。

2.“新しい人間観の提唱”中における人間とその在り様

1)人間の本質と使命

 塾主は人間のみに与えられた特質として、「宇宙の動きに順応しつつ万物を支配する力が、その本性として与えられている」と述べている。またこの本性により、「人間は万物の王者となり、その支配者となる。すなわち人間は、この天命に基づいて善悪を判断し、是非を定め、いっさいのものの存在理由を明らかにする。そしてなにものもかかる人間の判定を否定することはできない。まことに人間は崇高にして偉大な存在である」と。ややもすれば弱い人間の立場を“崇高なる偉大な存在”“万物の王者”として責任感を持たせるとともに、万物に順応することで人間本位の一方的な支配、君臨を窘めている。
 また、「人間は、たえず生成発展する宇宙に君臨し、宇宙にひそむ偉大なる力を開発し、万物に与えられたるそれぞれの本質を見出しながら、これを生かし活用することによって、物心一如の真の繁栄を生み出すことができるのである」とし、万物の王者として、万物を生かし、広く共同生活の向上を図ることを人間の天命としている。
 そして、「長久なる人間の使命は、この天命を自覚実践することにある。この使命の意義を明らかにし、その達成を期せんがため、ここに新しい人間観を提唱するものである」と述べて提唱分文をしめくくっている。

2)崇高にして偉大な存在となるために

 塾主は人間を万物の王者として崇高にして偉大な存在としつつも、「このすぐれた特性を与えられた人間も、個々の現実の姿を見れば、必ずしも公正にして力強い存在とはいえない。人間はつねに繁栄を求めつつも往々にして貧困に陥り、平和を願いつつもいつしか争いに明け暮れ、幸福を得んとしてしばしば不幸におそわれてきている。かかる人間の現実の姿こそ、みずからに与えられた天命を悟らず、個々の利害得失や知恵才覚にとらわれて歩まんとする結果にほかならない」とその弱さを述べている。
 それを解決させる方策としては、以下のように述べ、衆知の大切さを説いている。
 「人間の偉大さは、個々の知恵、個々の力ではこれを十分に発揮することはできない。古今東西の先哲諸聖をはじめ幾多の人びとの知恵が、自由に、何のさまたげも受けずして高められつつ融合されていくとき、その時々の総和の知恵は衆知となって天命を生かすのである。まさに衆知こそ、自然の理法をひろく共同生活の上に具現せしめ、人間の天命を発揮させる最大の力である」

3.今の時代に必要なもの~謙虚さこそ生命線

 大きな力や影響力を持ちながらもその認識ができていない、あるいはそれら自らの力の行使に責任を取れない人間に対し、万物の王者としての自覚と責任、さらに衆知による共同生活の運営を促している。しかし、権能と義務を自覚し、使命感を持ち、衆知を集めた運営がなされていれば間違いはないのだろうか。そもそも宇宙の動き、自然の理法である生態系のしくみさえもまともに解明できていない科学の現状があり、その努力は継続するにしても、現世を人として営んでいくには、何かもう一つ重要な視点があるように感じる。解明されていない宇宙の動き、自然の理法に順応するには、見えないものを見えないままに感じとる力“勘”とともに、見えないものに対してきちんと畏れ敬い、備え、対処する“謙虚さ”が必要ではないだろうか。特に、できないことを認知する心構えと、それに弱きものとして対処する力が足りないのではないか。科学の発展と金銭的豊かさ、生活の利便性に囚われている人間の集団は、いくらそれらが向上したところで「兵強ければ則ち勝たず」になってしまうのではないか。
 人間というものがそもそも矛盾を抱えて、この地球上に存在していることを認識しなければならない。一見、人間がこの地球上を支配しているかのように思えるが、その一構成要素の生物や物質、例えば植物や水がなくなれば生きていけない。植物がなければ、酸素が今の濃度では存在しないし、水がなければ体の6割以上が水である人間の体は維持できない。万物の王者であるとともに、人間は宇宙船地球号の一乗組員である一面もしっかりと認識しなければならない。
 人間は文明の発達によって万物の多くを活用できるようになったし、これからもさらに活用できるものが増えていくだろう。一方で、未だ活用できないもの、災害や日々生成発展するウィルス、長期的な地球環境、太陽の変化など、人間にとっての脅威が存在することも受け止めなくてはならない。また、人間自身、人間を容易に殺す道具、滅亡させる力を日々開発していることも性善説に立とうと性悪説に立とうと認識しなければならない。人が過ちを犯し続けている現状も踏まえ、今一度、責務と使命感に加えて、改めて己の弱さを認め、それに備え、対処していく――つまり、謙虚に生きる工夫が必要と考える。

4.謙虚に生きるとは

1)“新しい人間道の提唱”における教え

 塾主は、人間の使命を生かす道として“新しい人間道の提唱”を行っている。その中で以下のように“礼の精神”と“衆知を生かす”ことの重要性を説いている。
 「かかる人間道は、豊かな礼の精神と衆知にもとづくことによってはじめて、円滑により正しく実現される。すなわち、つねに礼の精神に根ざし衆知を生かしつつ、いっさいを容認し適切な処遇を行なっていくところから、万人万物の共存共栄の姿が共同生活の各面におのずと生み出されてくるのである」
 この礼の精神と衆知を生かすことこそ、驕らず、謙虚でなければ成り立たないことと考える。また、いっさいを容認し、適切な処遇を行っていく上でも、謙虚な心というのは必要不可欠であろう。人と人との間を繋ぐ人間の営み、他者である万物との共存共栄において、責任感とともに謙虚さこそやはり重要である。

2)老子の教え~上善は水の如し

 「上善は水の如し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に居る。故に道に幾し」――この老子の有名な教えにみる生き方こそ、今の社会に必要ではないだろうか。水は万物に恩恵を与えながら相手に逆らわず、人のいやがる低い所へと流れていく。まさに柔軟さと謙虚さの必要性、さらにエネルギーの上手な使い方を説いていると感じる。今を生きる人間は、利便であること、自分の主義主張が認められることが当たり前になり過ぎ、利己的になり過ぎてはいないだろうか。社会そのものも、今を生きる人間本位に立ち過ぎているように感じる。「今さえ、自分さえ良ければ・・・」の考えというのは、「みずからに与えられた天命を悟らず、個々の利害得失や知恵才覚にとらわれて歩まんとする」姿に他ならない。このような現状は、利己的遺伝子に支配されている人間の横柄かつか弱い姿ではないだろうか。「他者に恩恵を与えながら相手と調和し、人の嫌がる立場も進んで引き受けその役割を果たす」――この謙虚な姿こそ、天地自然の理に従い、人間の天命を発揮することに繋がるのではないか。

5.謙虚に生きる先に~人間が人間として生きるには

1)豊かに生きるとは

 昨今、人間の豊かさというものが非常に叫ばれている。塾主は“物心一如の繁栄”というものをPHP(Peace and Happiness through Prosperity)運動を通じて説いてきた。後年、日本は、物の面、経済の面での戦後復興はなったが、精神の復興はまだできていないと感じていた。その結果として物を中心とした犯罪が起こることを懸念していた。つまり、物が豊富になればなるほど、犯罪も大きくなると。例えば、戦争は刀で切り合う時代より、鉄砲、大砲、爆弾を使うとなれば非常に悲惨な姿になる。「だから、物が豊かになればなるほど、人間の心も成長しなくてはならない。さもないと物資が豊富になっただけ不幸が増大してきますね」と述べていた。
 今の日本はどうか? 2011年の経済力に教育や健康を総合して「人間の豊かさ」を示す人間開発指数では、国際連合に加盟する193カ国の内187カ国で12位である。1位はノルウェーで、以下、オーストラリア、オランダ、アメリカ、ニュージーランドと続く。なお、2010年からGDPが日本を抜き世界2位となった中国は101位、国民総幸福量(Gross National Happiness, GNH)の高い国として有名なブータンは140位である。この指数に疑問を呈したいのではなく、人の豊かさというのは、経済力や教育充実度、医療の技術の高さだけでは測れないことを示したい。未だ続く経済や科学技術の発展を第一に追い求める社会を軌道修正しなければならない時期は疾うに過ぎているのではないだろうか。

2)豊かさの転換~量から質へ、多様性を大事に

 経済も科学も基本的に質でなく、量を扱う。量だけで価値判断する世の中に未だあるということである。“量から質へ”価値基準、豊かさのとらえ方をもっと移行する必要を感じている。人間の生き方として価値があるのは、経済や利便性の向上だけが豊かさではないはずである。各人が充実感を感じながら己の役割を果たし、“やりがい”や幸せを感じられる社会、その結果、自然に人や物の価値も高まっていく社会こそ、質が高く、豊かさを感じるのではないだろうか。
 また、政治や科学において、普遍性は大切にされるし、重要性もあると考えられるが、もっと“個”に向き合うことも大切である。生物は、個別主義であり、ご当地主義である。人間もそれぞれの価値観は異なるし、異なる背景の文化を持つ。生物は、異なる環境ごとに適応した異なる生物がおり、人間はそれぞれ違う人間であるが故にそれぞれ果たす役割を持っているはずである。それが正しく発揮される世の中の環境づくりというものが重要である。そのような多様な人間の存在を認め、その価値を高めるため、違いを認識しながらも争うのでなく、互いに補い、共存共栄の関係を築いていく。このような営みこそ、人間がこの星の生態系を構成する一個の生物としても果たすべき役割ではないだろうか。
 現代社会において、人として豊かに生きるためには、価値観の多様性を認め、個々が力を正しく発揮しやすい環境づくりが大切であると考える。多様な環境が存在し、そこに様々な生物が生息し、競争し合いながらも相互作用が複雑に絡み合うことで、かえって安定し生成発展をもたらす――つまりそれぞれ日々の営みを続け、天分を全うすることで、全体をまとめる役割を果たす。このような健全な生態系と同じような構造の社会こそ、豊かな社会であると私は考える。

参考文献:

松下幸之助『PHPのことば』PHP研究所 1975年
松下幸之助『人間を考える 第一巻』PHP研究所 1975年
松下幸之助『人間を考える 第二巻』PHP研究所 1982年
アドルフ・ポルトマン『人間はどこまで動物か』岩波書店 1961年
本川達雄『生物学的文明論』新潮社 2011年

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塩根嗣理の論考

Thesis

Hidemasa Shione

塩根嗣理

第33期

塩根 嗣理

しおね・ひでまさ

百姓/地域&自然おこし団体 自然処 代表

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