論考

Thesis

美しい日本への決意~メダカから考えるこの国のかたち

塾主が提案した国家ビジョンの根底には、人類の繁栄、平和、幸福への願いと、日本の将来への危機感があった。日本の美しい自然と文化が失われていくことにも警鐘を鳴らし、自然と調和した人の営み、自然を活用した国策を提言していた。美しい日本とは――その国づくりを、最も馴染みの深い生物の一つであるメダカから考える。

1.はじめに

 松下幸之助塾主の国家ビジョンは、「無税国家(収益分配国家)」「新国土創成」「道徳大国」「観光立国」など、日本の問題点を単に解決する方針だけでなく、人々に希望を与え、やる気を起こさせるものであった。また、同時に複数の問題点を解決する方針や、ボトルネックへの対策が日本の成長産業となるといった常にプラスαを含む物事の生産性を向上させる提言でもあった。これは、国の政治を「統治(ガバナンス)」としてではなく、「経営(マネジメント)」と捉え、いかにして国を繁栄させ、国民を幸せにするかを考えていたからこそである。塾主の経営哲学の基盤には、人間は偉大なる存在であり、万人、万物それぞれに与えられている天与の使命、特質を正しく生かさなければならないという責任感がある。また、その成果として、調和ある社会、万物との共存共栄、さらには人類の繁栄という姿がある。
 今の社会はどうか。万物の特質というものを正しく理解し、その天分を生かしているだろうか。
 まず、人間の生存基盤として重要な自然環境との調和の姿は如何だろうか。高度経済成長期の環境破壊や公害の発生を省みて、大気汚染や河川の水質などは良化傾向といえるかもしれない。しかし、未だ環境問題は進行中である。特に、人間と他の生物との共存、共生関係においては、危機的な警鐘が鳴らされ続けている。例えば、学名がNipponia nippon(ニッポニア・ニッポン)のコウノトリ目トキ科のトキは、19世紀までは東アジアに広く分布し、珍しくない鳥であったが、乱獲や生息環境の悪化で、20世紀前半には激減した。日本では、2003年に最後の日本産の「キン」が死亡したことにより野生種は絶滅した。また、最近では、ニュースでも話題になっているが、日本食文化を代表する食材で、我々の食卓にも馴染みの深いニホンウナギAnguilla japonicusが、環境省のレッドリストで、近い将来における野生での絶滅の危険性が高い種として掲載された。それから、同じ魚類では、童謡「めだかの学校」でもお馴染みで、学校の教材としても親しみのあるメダカOryzias latipes も絶滅危惧種に指定されている。メダカのように我々の身近な生き物でも絶滅の危機にある動物は意外に多く、近年でも生息環境の悪化や外来種の増加などにより、さらに増えつつある。美しい自然が守られている日本のようであるが、このような現状からは、決して自然環境と調和した姿を現しているとはいえないのである。
 なお、レッドリストというのは、野生生物の保全のためには、絶滅のおそれのある種を的確に把握し、一般への理解を広める必要があることから、環境省等で作成・公表している日本の絶滅のおそれのある野生生物の種のリストのことである。これを基にしたレッドデータブック(日本の絶滅のおそれのある野生生物の種についてそれらの生息状況等を取りまとめたもの)も刊行されている。

2.メダカと日本人~最も親しみある小さな魚

 メダカは、ダツ目メダカ科に属する魚で、体長2~4cm 程の淡水魚であるが、北海道を除く琉球列島まで日本各地に生息する。今は北海道の一部にも移入したメダカが温泉の排水の流れ込む小川などで生息している。メダカの学名Oryzias latipes は「稲の周りにいる鰭の広い魚」を意味する。英名では、rice fish(ライスフィッシュ)とも呼ばれる。実際にメダカの仲間は、東南アジア~日本にかけて生息しており、稲作地帯に分布している。日本のメダカはその中でも最も北に生息している。日本のメダカは、遺伝的な違いにより、いくつかの集団にわけられていたが、その中で京都府の由良川水系を境に大別されていた北日本集団と南日本集団が形態的にも別種であることが最近判明した(北日本集団Oryzias sakaizumii、南日本集団Oryzias latipes)、身近ながらもまだ謎のある魚である。
 メダカというと前述の通り、童謡にも歌われ、小学校では理科の教科書に登場し、ペットショップにも必ずといっていいほど売られており、また向井千秋さんと供に宇宙を旅して話題にあがるなど、日本人ならば誰もが知っているような魚である。また、実際にメダカと日本人の繋がりは昔から色濃いものがある。日本語には方言があり、各地域によって異なる古くから使われてきた生き物などの呼び名“方言名(地方名)”が存在する。「メダカ」というのは標準和名で、その方言名は、例えば、アソビジャコ・アメフリジャッコ(青森県)、ハリミズコ(福島県)、ウギョコ(新潟県)、スーヨ(富山県)、コメジャコ・メジョツコ(神奈川県)、アメンボー(静岡県)、ウキ・ドンバイコ(京都府)、アミンゴ・ウキチョー(岡山県)、カンカンビイコ(鳥取県)、ウキヨメンタカメ・タバヤ(愛媛県)、カワクジラ(福岡県)、ゾーナメ(熊本県)、ターミングゥ・タカガミ(沖縄県)など、実に多様である。この方言名は、その形態的な特徴や行動様式、生息場所などと関係した呼び名であり、日本人が昔からメダカをよく観察していたことが窺われる。なお、標準和名“メダカ”という呼び名は、目が大きく、頭部の上端から飛び出していることが、由来とされている。メダカの方言名であるが、1935年から1972年までの間に、日本、朝鮮半島、台湾の日本語地域24,574 地点において実施された調査では、4,680 語が記録されており、現在まで確認されている生物に関する方言名の数としては国内最多である。方言名数がナンバーワンということは、それだけ各地で親しみを持たれ、愛されてきた生物といえる。また、人間の生活する場に近いところで、当たり前に棲んでいたということである。

3.めだかの学校~失われた心のふるさと

1).身近な存在から遠い存在へ

 身近で昔から日本人に親しまれてきたメダカであるが、日本各地で姿を消しつつある。かつて日本では、童謡「めだかの学校」の歌詞通り、小川あるいは水田や湿地帯において、ごく普通にその群れが見られた。しかし、高度経済成長期以降から野生のメダカが各地で減少し始め、その姿を見ることが難しくなった。減少の主な原因は、農薬の使用や生活排水などによる環境の悪化、護岸工事や水路の整備などによる流れの緩やかな小川の減少、繁殖力の強い外来種による影響が挙げられている。また、メダカは水田のような一時的水域に進入して繁殖する性質が強く、近年の農地改良に伴う用排分離により、用排水路から繁殖時に水田内に進入することが困難になっていることが特に致命的となっており、メダカの繁殖力を著しく削いでいる。
 一方で、近年は、メダカを復活させるべくその生息場であるビオトープづくりやメダカの放流も行われている。しかし、ビオトープなどは、かえって外来種の生息の場、温床となってメダカを駆逐させる原因になっている例もある。メダカの放流に関しても、在来のメダカと違う遺伝子のものやヒメダカなど人工の種を放流してしまっている。これは、その土地独自の遺伝型の在来メダカを駆逐したり、病気を発生させたりすることに繋がる。本来、メダカのいない自然水系にメダカを放すことは、他の元々棲んでいる生物にも影響を及ぼす。これらは、一見、素晴らしい取り組みに見えるが、人間勝手主義の、自然に配慮のない行為といえるだろう。
 これらのメダカを減少させている原因は、いずれも人為的行為の影響である。最近では、大人であってもメダカの正確な姿は知らないことも多く、メダカとして指差す先の魚は、メダカに類似した外来種のカダヤシやグッピーであったり、他の魚の稚魚である場合が多い。また、メダカの生息場として、大河川や水質汚濁の激しいドブ川が挙げられ、メダカが本来はどのような場所を好むのかも知られていないようである。現代の日本人とって、ペットショップの品種改良されたメダカや人工の池でのメダカは知っていても、自然に生きるメダカは遠い存在になりつつあるようである。

2).人と共に繁栄してきたメダカ

 メダカは学名や英名の通り、日本の原風景ともいえる水田とは切っても切り離せない関係にあり、水田が一面に広がっていた時代の我が豊葦原瑞穂の国には、どこにでもメダカが泳ぎ人々に親しまれていた。方言名の中にはこのことを裏付ける「コメコ(米子)」や「コメンジャコ(米雑魚)」といった呼び名も多く記録されている。つまり、日本の稲作文化と共に人里近くの里川とでも言うべき場所で、人間と共に息づいてきたのである。
 日本では、稲作の歴史は三千年ともいわれ、この間、水田面積は拡大され、それに伴う農業用水路やため池も整備され続けてきた。我が国の水田面積については、平安時代に107万ha(田畑合わせて)だったものが、明治時代の1873年に264万ha、1970年頃に340万haと拡大しピークを迎えた。その後は、現在に至るまで減少傾向にあるが、実に千年で3倍以上に拡大していたのである。また、農業用水路は現在その総延長が約40万kmに達し、我が国の河川総延長12万kmの3倍もの長さとなっている。この稲作文化の拡大、日本人の繁栄と共に生きてきたのが、人為的に造られ管理されてきた水田及びその周辺水域に適応してきたメダカである。これらの水域には、メダカ以外にも同じく童謡に歌われているフナ、ドジョウ、ナマズ等が生息する。これらの魚は農作業の営みと合わせた漁も可能とし、人間に食料として利用され、人間の繁栄を支えてきた側面も併せ持つ。まさに人と生物との共生、いや共存共栄の代表例ともいえるのが、稲作の発達を通じたこれらの魚との関係ではないか。
 草柳大蔵氏が塾主との1971年の対談で、柳田国男氏の言葉として述べている「美しい村をつくろうなどという計画はありようはずがなくて、よい生活をしている村がひとりでに美しくなってゆくのではないかと思われる」という一文を具現化した姿であろう。このような生き物との共存共栄がはかられてきた水田の広がる風景こそ、我々日本人の心のふるさとの原風景ではないだろうか。

4.自然と共に生きるために~新しいかたちでの小さな魚との共生を考える

 高度経済成長期以降、ふるさとの原風景ともいえる水田は、その面積だけでなく、メダカをはじめとする生物を育む機能も失ってきた。現実の風景と共に、童謡に歌われているメダカの兄弟がスイスイと泳ぎ、小鮒を釣りし小川のような、心のふるさとまでも消えつつある。このような現状は、この国の人の心、伝統精神、国のかたちさえも変えていないだろうか。美しい日本のふるさとの風景の保全を図りながら、これらの問題にも取り組むべきではないか。柳田国男氏は、風景について次のようにも述べている。

「風景は果たして人間の力を以て、之を美しくすることが出来るものであろうかどうか。 もしも可能とすればどの程度に、之を永遠のものとすることが許されるか」

 現状からは、人の無意識な営みの中で、メダカとの共存共栄の姿が恙なく維持されてきた水田の風景は、永遠のものとすることは許されなかったといえよう。もはやこの国には、そのような風景はほとんど残ってはいないように思われる。しかし、水田を切り拓きながらも、自然の呼吸する音も聞こえる美しい風景へと発展させてきた人の姿には、人間の力を以て行えることの限界は感じない。塾主の言う“生成発展”の道が未だ残されているはずである。
 ただし、かつてから行われてきた場当たり的な対策では、生物、自然との共存共栄は人間の持てる力に限界を与えるのではないか。塾主は、国土創成において次のような発言をしている(*1)。

「国土のあり方を総合的、長期的に考えた上でやらなくてはいけないということですね。これまではその点どうも姑息といいますか、その場その場をつくろうような面が多かった。それでいろいろ自然破壊的なことが起こったり、反対運動があったりして問題になったのですね。やはりこういうことは国家百年の計といいますか、百年後さらには千年後というような先のことまで考えた上でやらなくてはいけません」

 これは「新国土創成」の提唱に関しての発言であるが、まさに今こそ、新しいかたちでの国土創成を長期的なビジョンの上に図っていくべき時ではないだろうか。日本の古き良き水田の風景を取り戻すにも、担い手が減少し、科学の発達によってより人間が管理し易くなった現実、時代性からは安易に「昔に戻せ」とはいえまい。とはいえ、現状の姿での場当たり的な対策のみでは、根本的な問題の解決は図れない。まず、どのような姿を目指すのか、環境保全と地域産業、人の生活を総合的に考えなければならない。ある一視点からの問題解決は、単に対立しか生まず、塾主のいう「幸福を得んとしてしばしば不幸におそわれてきている」姿になるのではないか。メダカという小さな魚の保全から、再び自然と共存共栄した日本の美しい風景を造り育てていくには、“衆知”が必要である。塾主は、「新しい人間観の提唱」の中で、次のように述べている(*2)。

「人間の偉大さは、個々の知恵、個々の力ではこれを十分に発揮することはできない。古今東西の先哲諸聖をはじめ幾多の人びとの知恵が、自由に、何のさまたげも受けずして高められつつ融合されていくとき、その時々の総和の知恵は衆知となって天命を生かすのである。まさに衆知こそ、自然の理法をひろく共同生活の上に具現せしめ、人間の天命を発揮させる最大の力である。」

 古き良き伝統を生かし、新しい科学技術も取り入れながら、産業分野を越えて新しいかたちでの「日本の美しい風景」を創出していかなければならないのではないか。まさに産官学民、土木と生物、経済と環境、全ての知恵を集結しなければならない。国民的アイドルともいえる“メダカ”という魚のために、皆がひと肌脱いでくれる国民運動を起こせないだろうか。各地で行われている「めだかの学校」プロジェクトが点であるならば、それを線で繋げ、新しいかたちのメダカの生きる風景を創り出せないだろうか。“メダカ”という昔から我が国で愛され、人と共に生きてきたこの小さな魚から今一度、この国のあり方を考え、この国の未来を築いていこうではないか。塾主と草柳大蔵氏の対談の「瀬戸内海を魚に返そう」ではないが、“ふるさとの小川をメダカに返そう”。返したふるさとの小川はそれと連なる一帯が、きっと私たちやその子孫の美しいふるさとの風景として返ってくるに違いない。

5.私の美しい日本への決意

 私は、子どもの頃から、メダカの群れが泳ぐような小川を含め、豊かな自然の中で生きてきた。その一方で、水俣病のような公害を身近に感じ、埋立や河川改修、林道の開発による環境破壊とともに、その環境破壊が地域社会の崩壊を招く姿も垣間見てきた。豊かな自然の恵みと便利な人間の営みは常に対立し、争うものというイメージを持ち、まさに「幸福を得んとしてしばしば不幸におそわれてきている」姿を見続けてきた。「この愚かというか、か弱き人間の姿をなんとかしたい」その一心がずっと心の奥に存在し続けてきた。私の志は、これからの地域再生と世界に誇れる日本のエコ社会の発展に貢献することである。そのためには、自然を前にして謙虚な姿に立ち返りつつも、大きな人為的影響を及ぼしているという責任に立ちながら、人と自然環境との調和をはかり、自然と共存共栄する社会を築いていきたい。

「自然は人間生活を成り立たせる上の非常に重要な要因である。早い話が、もし空気や水がなければ、われわれはいっときたりとも生命を維持することはできないであろう。また、この日本の国の文化、政治、経済その他すべてのものが、日本の豊かな自然風土の中で培われ、その好ましい影響を大なり小なり受けてきているのである。そうしたことを考えるとき、われわれは自然を大切にし、それを守ることに決してやぶさかであってはなるまい。自然を破壊するようなことがあれば、それは人間生活の、そして人間そのものの破壊にさえも結びつくと考えられるからである」――塾主の言葉である(*3)。

 急速な産業開発による自然の破壊、そこから生まれる公害というものが、一つの深刻な問題となってきていた高度経済成長期に、このように発言していた。この当時からすると、環境の改善という部分では、水質や大気汚染など、一部の項目は改善してきたかもしれない。しかし、メダカのような生物そのものや、人と生物との共存の姿、それに基づく文化、精神なども含めた美しい風景は、未ださらに失われている現状がある。また、環境問題でも、地球温暖化の一因とされている二酸化炭素の排出量、原発事故で拡散されている放射性物質、近隣国から飛来する汚染物質、もはや地域や国という単位だけでなく、地球規模で解決を図らなければならない状況である。美しい日本を創造していくためには、もはや我が国だけ考えればよい時代でもない。
 日本が国際社会に果たす役割の一つとして、より良い環境づくりが大きな使命として課せられていると感じる。日本は世界に誇れる美しい自然を有し、古来、自然や生物と共存共栄してきた。一方で、急速な科学技術の発達の裏で数々の公害や環境問題を発生させ、未だなお、多くの環境問題を抱えている。しかし、その中でも“このままではいけない”という意識が国民の中で共有化され、諸問題に対処してきたし、その技術やシステムも育んできた。これらの我が国の歴史や国民性に立ち、我が国を取り巻く地理的な情勢も踏まえながら、しっかりと世界をリードしていく“eco大国ニッポン”になる――この目標に向けて、まずはメダカと共存共栄できる美しい日本の風景を取り戻すことからはじめていきたい。

注:

*1 松下幸之助 「21世紀をめざして3 新国土創成で景気の調節を」『Voice』昭和五十三年(一九七八)三月号
*2 松下幸之助 『人間を考える 第一巻』PHP研究所 1975年
*3 松下幸之助 「あたらしい日本・日本の繁栄譜72 美しい日本への決意を」『PHP』昭和四十六年(一九七一)二月号

参考文献:

松下幸之助 『PHPのことば』PHP研究所 1975年
松下幸之助 『人間を考える 第一巻』PHP研究所 1975年
松下幸之助 『人間を考える 第二巻』PHP研究所 1982年
松下幸之助 『松下幸之助発言集44』PHP研究所 1993年
松下幸之助 『遺論 繁栄の哲学』PHP研究所 1999年
辛川十歩・柴田武 『メダカ乃方言』 未央社 1980年
川那部浩哉 『生物界における共生と多様性』 1996年
柳田國男  『柳田國男全集12』筑摩書房 1998年
中村滝男  『空飛ぶメダカ 絶滅危惧種メダカのふしぎ』ポプラ社 1999年
加藤憲司  『よみがえれふるさとの川と魚たち』リベルタ出版 2001年
岩松鷹司  『メダカと日本人』青弓社 2002年
本谷 勲  『歴史としての環境問題』山川出版社 2004年
環境省   『改訂 日本の絶滅のおそれのある野生生物—レッドデータブック—』 自然環境保護センター 2003年
鷲谷いずみ・武内和彦・西田睦 『生態系へのまなざし』東京大学出版会 2005年
岩松鷹司  『メダカ学全書』大学教育出版 2006年
林 公義  『メダカ』日本の希少な野生生物に関するデータブック 日本水産資源保護協会 1998年
佐原雄二  『メダカ』日本の淡水魚 改訂版 山と渓谷社 2001年
立原一憲  『メダカ』 改訂・沖縄県の絶滅のおそれのある野生生物(動物編)レッドデータおきなわ 沖縄県文化環境部自然保護課 2005年
村岡敬子  『田んぼ 人間が創り維持している雑魚の生息環境』 魚類環境生態学入門東海大学出版会 2006年
竹花佑介  『メダカ:人為的な放流による遺伝的攪乱』 魚類学雑誌第57巻第1号 日本魚類学会自然保護委員会 2010年
Toshinobu Asai・Hiroshi Senou・Kazumi Hosoya 『Oryzias sakaizumii, a new ricefish from northern Japan (Teleostei: Adrianichthyidae)』 Icthyol.Explor.Freshwaters,vol.22,No.4  2011年

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塩根嗣理の論考

Thesis

Hidemasa Shione

塩根嗣理

第33期

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