松下政経塾 The Matsushita Institute of
Government and Management

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医療
2009年7月

塾生レポート

高齢者が生き甲斐と役割をもって生きる社会の実現に向けて
冨岡慎一/卒塾生

私が入塾の際に掲げたテーマも入塾から1年を経て少しずつ深まってきた。 ここで改めて志の背景から現在までをまとめた。

 

1.命を命として扱えない医療

 私が医師として病院で働いた2003年から2008年までの5年間の勤務医時代は、近代史上かつてないほど医療崩壊が進んだ期間であったといえよう。医学部入学当時は「近い将来、医師過剰時代が到来する」と言われながら日々の講義を受けていたことをよく覚えている。しかし2003年に医師免許を取得し、すぐに現実は仮説と全く正反対であることを肌身で知るようになった。2004年度から新臨床研修医制度が必修化されると、地方を中心に現場の医師は徐々に不足するようになる。当然医師の成り手の少ない(診療リスクの高い)産婦人科や小児科などの診療科から次々と閉鎖。程なくして救急車のたらい回しによる搬送患者の死亡事故も全国で多発し、そのようなニュースが流れる度に地域住民の間にも不安が広がった。

 現場にいた私にもその波はすぐに訪れた。例えば夜間明らかに重症で入院が必要な患者の救急要請があっても、その救急要請を受けることができない。それはその患者を診たくないという訳ではなく、満床で入院させるベッドがない為である。とりあえず救急要請だけを受け、救急の対応だけをしたとしても、重症であるほど転院先を探すための時間と労力を要し、救急者を受けずともごった返している救急外来の医療効率が大きく損なわれる。もちろん歩いて来る患者にも重症患者が潜んでいる。また夜間に重症の患者の対応を続けると、翌日も通常通りの勤務が待っている医師を中心に職員の疲労が蓄積されることも懸念される。満床を解消するために患者を半ば無理矢理退院させることもある。医療費抑制政策により診療報酬に縛りが生じ退院までの日数に制限が設けられたことや、診療報酬のマイナス改定が続いたため病院の経営改善のためにベッドの回転数を上げることが要求されたためである。

 極度の疲労と不足した時間の中で働いていると、当然患者にゆっくりと接して十分な説明をすることはできない。何かがおかしいと問題意識ばかりは感じるが、どこに問題があるのかを突き詰める時間もなく、仮にその時間があっても目の前に山積した業務を片付ける方に充てるのが精一杯である。

 この「命を命として扱えない医療」を変えるには、一度臨床を離れる必要があるかも知れないと思うようになったその頃、私は何かに導かれるように松下政経塾と出会うようになった。

2.超高齢化社会に臨み

 私が入塾に際して掲げたテーマは「超高齢化社会を鳥瞰した医療理念と制度の構築」である。

 私の目の前で起こった新臨床研修医制度が引き金を引いた医療崩壊の背景には、急速に広がってきた超高齢化社会という下地がある。そのため医療ニーズが大きく増加し、医療費の増大を懸念した医療費抑制政策や医師不足、施設不足という種々の問題を連鎖的に生み出した。だが、最大の問題は超高齢化社会そのものではなく、そのような社会に対応した制度を構築できていなかったという点である。社会が変わっても制度が昔のままであれば、当然はみ出し者は犠牲となる。超高齢化社会において非高齢化社会の制度が運用され続けるならば、社会的に弱い高齢者は増加するほど行き場を失う。今まさにこれから更に進んでいく超高齢化社会を見据えた医療制度の整備が急務である。

 また、長期的な理念のない政策は場当たり的なその場凌ぎの制度を次々と生み出し、それらは結局人々の理解を得られないまま反故にされかねない。人々の賛同を得られるようなまさに「根深い」医療理念が必要で、そのためには根本的に多面的に長期的に日本と日本人を捉え直し、国家観や歴史観、人間観に基づいた理念の樹立が必要である。

 そのようなことを踏まえ、私は天から拝受した松下政経塾の貴重な期間に「超高齢化社会を鳥瞰した医療理念と制度の構築」をテーマとして据えることとした。

3.医療問題の全体像

 医療全体を見渡して問題の所在を突き止めることを切望していた私も、現場から離れて約1年が経過する中で、様々な書籍に触れ、また幾つかの医療現場を訪れながら、今の医療全体を取り巻く問題が少しずつだが見えてきた。(もちろん私のテーマは前述のように「超高齢化社会を鳥瞰した医療」であるが、包括的に医療を捉え直すことで私のテーマのおかれている位置付けが明確化し、問題解決の糸口になると考えている。)

 私の推測によると、今の医療全体の問題は元を辿れば大きく四つのカテゴリーから生まれていると思う。その四つとは「超高齢化社会」「医療界の体質」「医療受給側の変化」「政治的責任」である。まずはそのカテゴリーに含まれる要素を簡単なキーワードで説明する。

  • 超高齢化社会…患者数の急増、認知症の増加、施設の未整備
  • 医療界の体質…医療の高度先進化、医師会の体質、女医の増加、医療の縦割り
  • 医療受給側の変化…医療不信、訴訟リスク増加、精神疾患の増加
  • 政治的責任…医療費抑制政策、新臨床研修医制度

 四つのカテゴリーは上記のような種々の要素を包含し、そこから様々な医療問題が生まれていると推測する。例えば医師不足、勤務医の過重労働、救急医療の破綻、医療費の肥大、病院施設の不足、尊厳死の問題、医局制度の崩壊、医療の国際競争力の低下などである。

4.「病院医療」から「地域医療」へ

 では、その中で私が描いた超高齢化社会を鳥瞰した医療の青写真とはどのようであろうか。それは一言でいえば「病院医療から地域医療への転換」である。

 基本的に「地域医療」という言葉は幾つかの意味において使用されるが、私はここで「地域医療」という言葉を「病院を離れた医療」という意味で使用する。つまり地域全体を病棟として捉え、自宅を病室のように、道路を廊下のように使う医療。医師や看護師が地域を巡回し、自宅からアクセスすることを可能とする医療である。そもそも患者は多くの場合、本質的には病院よりも自宅での療養を望んでいるため、患者のQOL(Quality of Life)を重視した患者本位の医療であるともいうことができよう。「地域医療」とは具体的には在宅医療の推進や家庭医等の公的かかりつけ医制度の整備を通して、予防から看取りまで地域で行えるような医療をいう。

 私はまた地域医療を推進することで例えば次のような産物が得られるという仮説を立てている。

・病院/医師不足の解消

 厚生労働省の統計では現在、年間約80万人の患者が病院で看取られているが、2038年には年間170万人の看取りが必要と推測されている。施設は既に飽和状態であり、在宅医療を推進しなければ増え続ける高齢者の最期を看取る場所すらも確保できない。

 また、現在の病床(特に療養型病床)を埋め尽くしている寝たきりの患者を自宅に戻してあげることで病床不足を解消し、本当に必要な入院すべき患者の病床を確保することができる。加えて現在問題となっている勤務医の負担を軽減し、勤務医が入院患者一人一人ときちんと向き合う時間と労力を確保することで、予防医療の流れを作って好循環を生み出す。

・医療費の抑制

 都道府県の中で在宅での死亡率が最も高い長野県は、全国で最も老人医療費が安いという厚生労働省の統計がある。確かに病院を離れると、少なくとも病院医療における不必要な投薬や検査は最小限に抑えられる可能性はある。もちろん介護保険制度の利用者増加による介護費の増加で、国としての負担は増す可能性もあるが、それを補うだけの医療費の抑制も期待できる。また医療費増加の一因として「不安だから病院を受診する」という患者心理も見逃せず、かかりつけ医制度を通して医療従事者と自宅からアクセスすることで患者不安の解消にも繋げられる。

・高齢者と共に暮らすメリット

 生老病死を家庭に戻すことで、家庭の中で死生観を醸成する素地が生まれると思われる。核家族化の影響もあるが、今の社会は病院死亡率が約80%と高いため、死が家庭からとても遠い。しかし尊い死を目の当たりにすることで、有限な生を振り返り、人生の活力に変えることの方がより自然であると思われる。

 また子育て世代であれば、高齢者が元気なうちは豊かな人生経験から子供の教育にも一役買ってくれると思われる。逆に高齢者に介護が必要な時にはその子供の手が支えとなってくれることもあろう。

おわりに

 「病院医療から地域医療へ」というと非現実的な印象を受ける人もいるかも知れない。しかし病院が日本に登場したのは実は明治時代以降であり、特に第二次世界大戦以降に急増したという過去がある。江戸時代までは、むしろ医師が往診する地域医療が主体で、人々は家庭で養生、往生し、それが日本独自の精神構造や伝統文化を発展させる一因となったのかも知れない。そう考えると「地域医療」を推進することは実は日本と日本人には欠かせないことである可能性も出てくる。

 私は医療とは「人の命の尊厳を守り、個人の望む生き方をサポートするもの」であると考えている。医療は決して長生きするためだけのものではない。高齢者が生き甲斐と役割をもって生きる社会の実現に半生を費やしたい。

2009年7月 執筆
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