論考

Thesis

夕張問題を考える ~夕張市役所インターン研修で見えたこと~

昨年、財政破綻した北海道夕張市に係る問題について、夕張市役所地域再生課というまちづくり最前線でインターン研修した経験を基に、自分なりに見つめなおし、今、夕張に何が必要かを考察する。これまで夕張問題については、多数の論評等が出されているが、これらの論旨とは少し違った視点で、今後のまちづくりを考える。

はじめに

あれは確か、昨年の初冬のこと。テレビで連日のように、財政破綻した夕張の様子が報道され、松下政経塾内でも、色々と話題になっている頃です。普段、滅多に電話を掛けてこない、北海道札幌市に住む母から、一本の電話がかかってきました。それは、とても気持ちのこもった電話でした。

「夕張市が財政破綻して、まちの人がみんな困っているよ。あなたは北海道を良くするといって政経塾に入ったが、北海道振興を考えるなら、今、困っているまちをどうしたら良いのか、現場に行って困っているみんなと一緒に考えて、行動してみるべきでしょ。それがあなたの役割だと思うし、政経塾生の使命ではないのか。」

当初、母からこの話を聞いて、私は、財政破綻以来、連日行われている夕張に関する報道に、強く影響されたのかなと感じました。今でこそ大分落ち着きましたが、あの頃の夕張に関する報道は、連日連夜凄まじく、総力取材で特集を組むテレビ局もありました。特に北海道内では、地元テレビ局や新聞社が精力的に報道していたこともあり、私は単純に、母はこれらに感化されたのかなと思ったわけです。

確かに、元地方自治体職員として、夕張問題は大変気にかかりましたし、心配でした。しかし、あくまでも北海道というマクロ的視点を重視した研修をしたいと考えていた私は、政経塾での2年目の研修に、支庁(複数の市町村からなる北海道独自の行政区分)を最小単位とした、産業振興中心の研究をしたいと考えていたので、どこか他人事のように、この電話を聞き流していました。

ところが、母からの電話以来、「このままで良いのだろうか」という疑問が、自分の中に沸々と湧いてきたのです。

北海道振興を考える場合、構成している1つ1つの市町村が元気でなければ、意味がないのではないか。市町村が元気であるということは、住民1人1人が元気でなければならないのではないか。自分は地方自治を考える上で、最も根本的なことを忘れて、研修に取り組もうとしているのではないか。

私が、松下政経塾に入塾するに至った問題意識の1つに、「市町村の疲弊」があります。前職である北海道職員の仕事を通じて、道内の各自治体が大変困難な状況に直面していると痛感していました。住民に最も近い基礎自治体が疲弊している…これでは、北海道が良くなるはずがないと感じたのです。夕張問題に取り組むことは、まさに、自分自身の問題意識の原点に取り組むことになるのではないか。

このことに気づいた私は、研修計画を変更し、夕張市に行くことを決意しました。今、北海道で、いや、日本国内で、一番困難な状況にある夕張市に直接行って、抱えている問題を解決するために、市民の皆さんと一緒に現場で考えてみようと思ったのです。

思い立ったら直ぐ行動するというのが、松下政経塾生の特徴であり長所でもあります。しかし、行くと決めてみたものの、どこで研修すれば良いのか…実際に夕張まで下見に行ったりして色々と検討した結果、前職である北海道庁の元上司の仲介により、夕張市役所地域再生課で、5月の中旬から約2ヵ月間に渡り、行政実務研修生として研修させていただけることになりました。

このレポートは、その夕張市役所研修のまとめとして作成したものです。

内容を見ていただくと、これまで数多く出版・発表されている夕張問題に関する論文等と、趣の異なる点が多々あると思います。私は学術的な専門家でもありませんので、理論的に間違っている部分もあるかもしれません。

しかし、約2ヶ月という短期間ではありますが、私が研修で感じたことを、ありのままに書きました。夕張問題に関心を持つ皆様に、多少でも参考にしていただけるものがあればと願っております。

最後に、この研修を実施するに当たり、熱心にご指導いただきました、夕張市役所の皆様と夕張市民の皆様に、心からお礼を申し上げます。また、私のわがままを受け止め、研修受け入れにご尽力いただきました、北海道企画振興部市町村課関係者の皆様にも、合わせて、厚くお礼申し上げます。

1 今、夕張はどうなっているのか

読者の皆さんは、夕張と聞いてどのようなまちを想像するでしょうか。夕張問題について、特に熱心に報道していたテレビ番組を見ていると、とてつもなく古い長屋のような炭鉱住宅が並ぶ中、車一台走らない寂しい道を、腰の曲がったおばあさんがひとり、トボトボと歩いている…。市は財政破綻し、とにかくまちは真っ暗だと思っている方も多いのではないでしょうか。さらには、市が財政再建団体になったことで、市民の負担が増し、市民生活に重篤な影響が出ていると思っている方も多いはずです。

実は私も、実際に夕張市で仕事をするまで、同じようなことを考えていました。財政破綻という状況と、国内でも上位にある高齢化の進んだまちで、恐らく市民の皆さんは現状に困り果て、落胆していると思ったのです。さらには、このままではいけないと市民の皆さんが奮起し、自分たちのまちをどうにかして盛りたてようとしているのではないか、そんな市民のまちへの思いを上手く反映するため、官民一体となって、まちづくりへの積極的な市民参加が行われるための素地を作り始めているのではないか、とさえ考えていたのです。しかし、現実はこれらの予想とは違いました。

まず、テレビで報道されている程、夕張市民は暗くもないし、落ち込んだりもしていないと、私は率直に感じました。それは当然と言えば当然なのです。市が財政破綻しても、市民の生活がストップする訳ではありません。落ち込んでいる場合ではないのです。確かに、色々な面で市民の負担が増えました。病院も診療所に縮小され、財政破綻の大きな要因となった観光施設で働いていた従業員は解雇され、職を求めて、夕張から離れなければならない人もいました。テレビ報道では、このような夕張の負の部分が特に強調されていましたが、夕張市民は、財政破綻後もたくましく生活しています。

「がんばりますから2007 ゆうばり」というキャッチフレーズがあります。これは、夕張の市民団体が作成し、お土産として販売しているタオルに印字されている言葉です。この団体の方によると、あまりにも市外の人たちが夕張のことを心配しているので、頑張っている、大丈夫だということを伝えようと作成したそうです。

また、財政再建に伴う市民への負担増の部分から見ても、このことは一定の納得が得られます。国・北海道・夕張市によって作られた財政再建計画(別表参照1)は、借金を返しつつも、市民生活への影響をできるだけ抑えるように計画されたものであり、財政破綻したことで、いまいま市民生活が汲々として、日々の営みすらできなくなる程、負担を強いているものではありません。ですから、行政サービスの面においても、財政破綻前のようにはもちろんいきませんが、現時点では、一定の水準は保たれていると私は感じました。

但し、この点については、今後、18年間継続される計画の中で、今以上に苦しい局面が訪れる可能性も充分にあると思います。計画上、負担増に伴い、激変緩和されている部分があったり、人口減による税収の落ち込みが必至であるからです。

そして、住民自治が芽生える素地についても、予想していたよりは広がりを見せていませんでした。財政が破綻したからといって、お金の無くなった行政の都合に合わせ、市民が立ち上がり、自ら様々な行動を起こすという理想は、机上の空論であり、甘い考えであることがわかりました。長年の習慣から生まれる人間の意識というものは、そう簡単に変わるものではありません。そもそも市民活動とは、行政が担ってきた公共サービスの下請けとして行われるものではなく、住民が自主的に必要だと思うから行われるものです。昨今、NPO活動等を中心に、色々な地域で市民活動が盛んに行われていますが、これまでの夕張は、決して市民活動が盛んに行われてきた地域ではありませんでした。「市が財政破綻したから」ではなく、「市の財政破綻をきっかけに」、その機運は序々に高まりつつありますが、まちづくりに大きな影響を与える程、活動が盛んになるためには、それ相当の時間を要することを、今回の研修を通じて学びました。

2 財政破綻の実態 ~夕張市役所という会社の倒産~

では、今回の財政破綻で、一番困っているのは誰かと言いますと、それは、夕張市役所であると私は思います。財政破綻とは、まさに、「夕張市役所の倒産」であると感じました。

今回の財政再建計画は、確かに市民負担による再建部分もありますが、その大半を占めるのは、実は、市職員の人件費抑制と言っても過言ではありません(別表2参照)。

職員数の削減はもちろん、職員の給与は月額3割カット、諸手当等と合わせると、実質、給与の4割カットが実施されています。市役所の職員であっても、人の子です。公僕心や忠誠心だけで働くことはできません。住宅ローンや子供の教育費等の生活費が必要であり、今回の給与カットによる生活困窮から、転職する職員が相次ぎました。当初の計画を上回るスピードで、職員が退職しています。また、同僚の相次ぐ退職や、18年間という途方もなく長い再建計画に不安が募り、将来への希望が持てず、残った職員の仕事に対するモチベーションが上がらないという弊害が発生していると、実際に市役所で働いてみて、切実に感じました。

財政破綻前の管理職はほとんど退職し、事務の引継ぎもままならず、毎日毎日、残った職員に、これまでに経験したことのない事態が怒涛のように押し迫ってきます。職員数は予想以上に急激に減り、やらなければならないことがどんどん増える…。財政破綻の原因は、今残っている若手職員の責任であるとは到底いえません。彼らにはほとんど、何の権限もなかったのです。しかし、今、彼らは当事者として市民の矢面に立ち、財政破綻に対する責任すら感じているのです。読者の皆さんも、自分の職場で同じようなことが起こったとき、果たしてどこまで耐えられるでしょうか。このような状況から、私は、残った職員の皆さんの仕事へのモチベーションが下がってしまうことも、やむを得ないと思いました。むしろ、よく頑張っているなと同情しています。

私はこれまで、松下政経塾の研修で、地域振興や地域再生において、成功したと言われる自治体をいくつか回らせていただきましたが、どのまちも共通して、行政がある一定の役割を果たしていました。まちづくりにとって、住民の力や民間の力はもちろん大切ですが、車の両輪として、行政の力も同様に大切であると私は考えています。

ですから、現在の倒産状態の夕張市役所が、これからの夕張再生を担っていくことは、かなり厳しいと言わざるを得ません。4月の統一地方選挙で、地元出身で経営者である藤倉肇市長が誕生しました。藤倉市長は、財政再建に係る国や北海道との調整や、夕張を全国に知ってもらうための渉外活動等、大変お忙しい日々を送っておられます。そのような中で大変とは思いますが、これらの業務と同時に、夕張再生の第一歩として、市役所が一日でも早く元気を取り戻すよう、頑張っていただきたいと思います。

3 自治体は何のためにあるのか

さて、このような夕張市役所の問題は、市役所内の人たちだけの問題ではありません。夕張市民の皆さんが取り組まなくてはならない問題でもあるのです。読者の皆さんは、市役所等を含め、自治体という行政体が何故存在するのかを考えたことがあるでしょうか。日本全国の多くの地域が疲弊している今、アカデミックな学説等の研究ではなく、純粋な気持ちで、私たち住民一人一人が、この課題を考えてみる必要があると思います。

当然のことですが、自治体は、住民あっての存在です。住民は、自分たちが幸せに暮らすためにどうしたら良いかを考え、その実現のために自治体を作っているはずです。ですから、自治体が存在するためは、住民のまちづくりへの展望がなければならないと私は考えます。展望がなければ、自治体という行政体は機能しないのです。極端な話、そこに住む住民が自分達の幸せを考え、市役所はいらない、全て自分たちの自前でまちづくりをしていこうと決めれば、自治体という行政体は要らないのです。私たちには、そのくらい原点に返って、まちづくりを考えてみる必要があるのではないでしょうか。

この考え方を基に、夕張市の現状を見てみると、市役所の混乱は、市民のまちづくりに対する混乱の鏡であるように思えます。市民自身、恐らく、今後どのように夕張を再生させていけば良いのか、わからないのではないでしょうか。不安で一杯のはずです。

夕張市の歴史を振り返ると、日本近代化の雄である炭都として栄え、国のエネルギー政策転換に伴い、「炭鉱から観光へ」をスローガンに、故中田鉄治市長の強力なリーダーシップの下、観光業を中心としたまちづくりを進めてきたことがわかります。中田市長引退後、この方針は継承され、過剰な観光部門への投資が財政破綻を招く要因となりました。このまちづくりの歴史を振り返って、私が率直に思うことは、市民の生きた声が、まちづくりに反映されてこなかったということです。炭鉱にしろ観光にしろ、そこには「市民生活」という最もまちづくりにとって重要な基礎部分が抜け落ちており、産業政策を中心とした国策だけがひとり歩きしているように思えます。まちづくりまで、国が手取り足取り考えてくれるのですから、市民が関心をしめさなくなるのも当然で、このような状況が、市政全体への無関心を招き、財政破綻まで行き着くことになった理由の一つとも言えるでしょう。

しかし、炭鉱も無くなり、観光もとん挫した今、夕張市民は自分たちの力で、これからまちをどうしていくかを考えなくてはなりません。「そんなことは市役所が考えればよい。そもそも財政破綻したのは市役所のせいなのだから」と、考える市民もいるでしょう。しかし、市役所の現状は、先程来述べているように大混乱です。市民の皆さんが自分たちの生活を今以上に少しでも幸せにしたければ、もはや自分たちで取り組み始めるしかないのです。本来、まちづくりとは、行政の仕事ではなく、そこに暮らす住民の仕事であることを忘れてはいけません。市民がまちづくりの展望を示すことで、市役所は役割を与えられ、再生し機能し始めるのです。

4 地域再生における国の役割

これまでであれば、困ったときには、国が何でも考えてくれました。しかし、地方分権が叫ばれる今、「地方にできることは地方に」をスローガンに、国はほとんど当てにならない状況です。

今回、私は研修の仕事の1つとして、夕張市の認定地域再生計画を策定する作業を一部手伝わせていただきました。地域再生計画とは、地域再生法に基づく制度で、地域が行う地域再生のための自主的・自立的な取組を総合的かつ効果的に支援するため、地方公共団体が作成する計画です。この計画を国が認定(認定地域再生計画という)すれば、計画に基づく事業に対し特別な措置を講じてもらえます。具体的には、事業に対し、一部又は全額の補助金が支給される等です。

研修後日、この業務を通じてご縁のありました、同計画の担当である、内閣府地域再生事業推進室に、国の考える地域再生について、ヒアリングさせていただく機会を得ました。その際、私が一番驚いたことは、国の考える地域再生とは、一定程度の自立(精神的あるいは経済的)を遂げた地域を前提に考えられているということでした。

私がこれまで、前職での仕事や政経塾での研修で地域を回っていて、地域再生を考える上で最も重大な問題だと感じていることは、自立したいけれども、どんなに考えても妙案が浮かばない、どうしてよいのかわからないという状況がとても多く見受けられることです。「うちの地域は何をしても良くならない…」と、半ば諦めている地域すらありました。地域再生とは、まずは、このような地域の疲弊感を払拭することにあると私は考えています。どんな地域も、必ず魅力があり、良さがある。地域一体で頑張れば、必ず再生できるのだという自信を育むことが重要なのです。

現在、内閣府を中心に行われている国の地域再生事業は、このような段階を過ぎ、ある程度の自信がついた地域にとっては大変有効ですが、何をどうしてよいのかわからないような地域には、ほとんど効果はありません。むしろ、そのような地域が国の認定を受けてしまうと、地方交付税削減による財政難を埋め合わせるための単なる財源確保が目的になる恐れがあります。補助金を消化するために、無理矢理、地域再生事業を実施するような事態も起こるでしょう。それでは、本当の地域再生とはいえませんし、これまでのヒモ付き補助金制度の悪習慣と大して差は無いと思います。

「何をどうしてよいかわからないなんて、まだまだ地域は甘えている」と考える方もいらっしゃるでしょう。国もこのような考え方に近いと思います。本来、地方分権とは、地方にできることは地方が自助努力をして担っていくことであり、その分権を望んでいるのは、地方自治体の皆さんではないですか、という感じでしょうか。

しかし、夕張もそうですが、これまで国策によって、まちづくりの細部にまで国の考え方が浸透していたまちに、突然、自立して自分たちだけでまちづくりがうまくいく方法を考えろというのも、いかがなものかと思います。国政の誘導ミスの尻拭いを、地域に押し付けている感が否めません。ましてや、「地方にできること」とは一体何なのか。国と地方の役割分担すら明確でない今、どこまでの自助努力が求められているのかさえ、地方はわからないのです。

では、国は地域再生について、どのように取り組めば良いのか。私の考えは次のとおりです。たとえば、認定地域再生計画に基づく事業について、国が補助金等を出す場合、少なくとも、出しっぱなしは止めて欲しいのです。事業終了後、規定の書類を提出させる、これまでの型どおりの事業評価も意味はありません。その事業が本当に地域の再生に結びついているか、しっかりと見届けて欲しいのです。そして、途中、うまくいかない事態が発生したときには、何故うまくいかないのか、地域のみんなと一緒になって考え、地域が再生するまで共に汗を流して欲しいのです。国と地域が協働して地域再生に取り組むことがとても重要だと思います。

5 夕張再生のために、市民は何からはじめるべきか

さて、話は戻りますが、夕張市民自身がまちづくりを考え始めるためには何が必要でしょうか。私は今回の研修を通じて、まず市民の皆さんが、夕張という地域を知ることであると感じました。それは、何故、夕張という地域単位で生活しなければならないのか、生きていかなければならないのかを改めて考えることにつながります。

「地域を知る」とは、その地域の歴史や文化、地理を知ることもそうですし、人を知ることも含まれます。夕張市は、面積が763.20㎞2(平成17年10月1日現在、全国都道府県市区町村別面積調〔国土交通省国土地理院〕による)と広大で、南北に長い独特の地形をしています。さらには、炭鉱時代、ヤマ毎に集落が発展したこと、都会のように公共交通機関がいつも運行されているわけでなく、集落間の交流が少ないことから、他所の集落のことはあまり知らないという人も多いのです。特に、南北の集落間に、この状況が色濃く見受けられます。当初、夕張は、市役所のある北側に人口重心がありましたが、現在は、近隣の中堅都市に近い南側に移動しています。まちの中心地が一体どこなのか、初めて訪れた人にはよくわからない、分散した状態です。

「地域を知る」とは、この集落間の交流不足の状態を解消し、自然も人も文化も含めた、オール夕張を知るということなのです。

私が、夕張での研修を終え、松下政経塾に戻った際、首都圏の様々な方たちと夕張問題について意見交換させていただきました。そのとき、意外に多かった意見が、お金が無くなり、炭鉱というまちの存在意義もなくなってしまったのだから、夕張を近隣の自治体に分割合併してしまえば良いとか、市民を全員移住させて夕張を失くしてしまえば良いというものでした。自分の住むまちではないので、随分と他人事だなとも感じましたが、彼らの意見を聞いて、夕張という地域の存在意義を考え直す必要があると改めて感じたのです。

当初、夕張は、炭都という存在意義を確立していました。しかし、その役割は終わってしまった。新たに観光という存在意義を確立しようとしましたが、これも失敗してしまった。それならば、国策として与えられるのではなく、市民自身の手で、現状の夕張、さらには将来の夕張を踏まえた、新しい存在意義を見つけ出す必要があります。今の夕張を夕張として存続させていくためには、夕張たる所以が必要なのです。それを見つけることが、真の夕張再生の第一歩になると私は確信しています。

そのために、自分たちのまちを改めて振り返り、見つめ直し、知らなくてはなりません。これは、特別なことではありません。身近なところから始めれば良いと思います。たとえば、近所の人たちとお話することでも良いでしょう。地元の小学校でボランティアをしても良いですし、ちょっと足を延ばして、違う集落の人たちとも趣味の交流を深め、これまで関心の無かった他所の集落を訪れてみるということでも良いのです。とにかく、これまでの自分たちが知らない新しい夕張を再発見し、オール夕張を実感して欲しいのです。そして、再発見した夕張を基に、市民の皆さんがこれから幸せに暮らしていくために、今の夕張をどうしていったら良いのか、子どもたちが夢を持てるまちを将来にわたって作っていくために、今、何ができるのかを考えて欲しいのです。

まちの存在意義を確立するなどというと、何とも堅苦しく聞こえるかもしれません。しかし、私の考える存在意義とは、そんなに大袈裟なものではありません。また、炭鉱や観光というように、はっきりと掲げられるようなものでなくても良いと思います。抽象的なものであっても良いのです。たとえば、私が夕張にいて感じたのは、炭鉱町からは想像できない程、自然が本当に美しく素晴らしいということです。夕張岳の雄大な姿、そこから流れ出る川や渓谷の美しさは、必見に値します。これまでの夕張のまちづくりの理念に、自然という観点はあまり重要視されていなかったので、それであれば、これからはとにかく、自然を大切にするまちづくりを進めてみよう、ということでも良いと思うのです。また、高い高齢化率を逆手に取り、高齢者が日本一安心して暮らしていけるまちにしようということでも良いのです。どんな些細なことでも良いので、夕張の良いところを柱として、まちづくりのあらゆる分野を組み立てていけば、必ず夕張は再生します。自分たちのまちを良く知り、現状及び将来像を踏まえた上で、その身の丈に合ったまちづくりのための理念を市民自身の手で作り上げ動き始めたとき、夕張という地域は、市民にとってなくてはならない存在になるばかりでなく、北海道にとっても日本にとっても、なくてはならない存在になるでしょう。

6 市民活動に参加してみよう

夕張市では、藤倉市長の発案により「ゆうばり再生市民会議」が発足しました。この会議は、市民の皆さんが自分たちの身近にあるちょっとしたこと(課題だけではなく、趣味なども含む)に取り組む「場」を設ける目的で作られ、市民が中心となり運営されています。まだまだ始まったばかりですから、何か大きな成果があったわけではありませんが、少しずつ前進しています。同会議の運営委員の方によると、これまでにも何度か、市が音頭をとり、市民参加型の会議等が催されたそうですが、特定団体の役員等参加者が固定化されていたようです。その点、市民会議は、これまでこのような会議に参加したことのない人たちが中心メンバーとなっており、市民活動の幅が広がったのではないかとのことでした。

それ以外にも、財政破綻を機に、徐々にではありますが、自主的な市民活動が始まりつつあります。また、既存の団体も、これらの新しい動きに影響を受け、活動が活発化しているように思います。

市民の皆さんがまちを知るためのツールとして、これらの市民活動をうまく利用してみるのも良いと思います。

7 もうひとつの再生のための方策 ~情報の公開~

一方で、このように市民自身が夕張を知り、新しい夕張を考え始める上で欠かせないことがあります。それは、行政による「情報の公開」です。

「何をいまさら、基本的なことを言っているのだ。情報公開の重要性は、既に何年も前から言われており、教科書通りの指摘をしても何の役にも立たない」とのご意見が聞こえてくる気がします。しかし、今回の研修を通じて、私は改めて、「情報の公開」の必要性を強く感じ、夕張再生にとって、重要な取り組み事項の1つであるとの認識を持ちました。

現在の夕張市と市民の関係は、お世辞にもとても良い関係であるとは言えません。財政を破綻させてしまった行政、市役所に対する市民の不信感は、そう簡単には拭い去れるものではありません。しかし、まちづくりを進める上で大切なことは、先程も述べましたように、住民(民間も含む)と行政が、車の両輪のごとく、互いに協力し合い、助け合うことにあると、私は思います。そのためには、住民と行政の間に、強固な信頼が構築されていなければなりません。この点において、今の夕張の状況は、まさに危機的とも言えます。このような事態を招いた原因は、単に財政が破綻したからではないと、私は仕事を通じて感じていました。行政から市民に発信されるまちづくりに関する情報が、あまりにも少ないということも大きく影響していると思ったのです。

まちづくりに関することは、大体、市役所という箱の中で決定され、その経緯等は市民にはよくわからない。その市役所の箱を開けてみても、市役所の一部の人たちによって、ことが決定され、市民と直に接する末端職員の意見はなかなか取り上げられない。情報がほとんど提供されない市民は、そのうちどんどんまちづくりに無関心になってしまい、財政が破綻したうえに、行政への信頼も失ってしまった…何とも悪循環な道をたどってきたわけです。

このような事態が二度と起きないようにするため、さらには、改めて市民と行政の信頼関係を構築するため、より積極的な情報公開が不可欠であることは間違いありません。それは単に、市民から求められた情報を発信することを示しているのではなく、まちづくりに関する全ての情報を、市民が求めなくても、常に行政から積極的に発信し、透明性の高い行政運営を行うということです。市役所が大混乱している今、なかなかこのようなことに取り組むことは大変でしょうが、藤倉市長をはじめとして、残った職員の皆さんが、積極的に情報公開に取り組んでいかれることを心から期待しています。

また、市民の皆さんには、公開される情報を、どんどん有効に活用していただきたいと思います。情報は、公開されても使わなければ意味がありません。自分の身の回りで起きている小さな問題等に関係する情報があれば、いち早くキャッチし、どのように解決すれば良いか、市と一緒に考える材料にもなります。まちづくりの当事者として、市民の皆さんが情報と上手に付き合っていただければと思います。

8 私が考える夕張再生 ~新生夕張づくりに取り組もう~

さて次に、今回の研修全体を通じて、私自身が考えた夕張再生についてお話したいと思います。前述しましたとおり、私は夕張を再生するために、まずは市民の皆さんに、自分たちのまちのことを今一度知ってほしいと思っています。では、知ったうえで、どのように新しい存在意義を作り、まちづくりを進めていけば良いのか。

それは、市民の皆さんが知った今の夕張を基に、全く新しい地域・まちを造る意気込みで進めていただければ成功すると思います。夕張再生というよりも、「新生夕張を造る」という発想です。これまでのしがらみは全部一度棚に上げ、真っ白な地図に、新しいまちを造り上げるといった感じです。例えて言うのであれば、明治の開拓期に、屯田兵が入植して、北の大地を切り開いたときのように、全く新しい視点で、これからの理想の夕張像を考えてみて欲しいのです。

新しい地域として考えろと言われても、夕張には炭鉱文化や地域に根ざした固有の文化があるのだから、それは無理だとおっしゃる方もいるでしょう。文化を継承していくことは大切です。しかし、外部の人間として厳しいことを言うようですが、炭鉱はすでに無く、人口が今の10倍の12万人もいた夕張に戻ることは、難しい現状です。過去から学ぶこともたくさんありますが、これからは、市民の皆さんの目をしっかりと将来に向けていってほしいのです。子どもたちが希望を持って、夕張という地域に暮らしていけるようにするため、今一度、まちを見つめなおして欲しいのです。

そのような視点で夕張というまちを見ると、大きく変えた方が良い点がいくつか出てくると思います。例えば、私がこのような視点で夕張を見たとき、集落0の点在化が、市民の皆さんの生活を大変不便にしていると感じます。集落が点在していることで、まちの人口の半分を占める高齢者の皆さんは、通院や買い物など、ご苦労されているのではないでしょうか。市の財政再建計画は、これから18年間も続きます。この不便さを解消するため、市が交通手段を確保したり、除雪をはじめとした生活インフラを今よりも充実させることは、非常に困難です。市民のボランティアによる助け合いでカバーするにも、限界があります。それであれば、点在する集落をもう少し縮小して、市内の数箇所に集約するまちづくりを考えてみるのも効果的でしょう。

「そんなこと考えたって、市にお金が無いんだから、意味が無いよ」とおっしゃる方もいるでしょう。そんなことより、まちが経済的に潤うようなことを考えるべきだという人もいらっしゃると思います。しかし、住みよいまちにするために、いつか必ず取り組まなければならないことであれば、今できることから、少しずつでも取り組んでみることに意義があるのです。お金やしがらみは度外視にして、「本当にどんなまちにしたいのか」を考えてみてください。

市民の皆さんが考えた納得のいくまちづくりが進められれば、心の満足感が高まり、新しい幸せの価値観を構築できると思います。心の充実した市民が住むまちは、幸せにあふれ、他所から来る人たちにも幸せを与えることができるはずです。そのとき夕張は、ハコモノに頼らない、真の観光都市へと変化し、同時に、経済的な潤いも獲得できる可能性が高くなるのではないでしょうか。

おわりに

最後に、読者の皆様に伝えたいことがあります。夕張問題は、何も夕張という特殊な地域だけに起きている問題ではありません。日本中のどの地方自治体にも、多かれ少なかれ存在する問題であると私は思います。ですから、テレビなどのマスコミによる報道が無くなってしまっても、引き続き、夕張に注目していただきたいのです。そして、どのように夕張が生まれ変わっていくかを見届けて欲しいのです。そこには、皆さんの暮らすまちが元気になるためのヒントがあるかもしれません。

たくさんの市町村が集まってこその日本です。地域1つ1つが繁栄していくとき、日本という国も繁栄するのです。日本中の地域が元気になるよう、微力ではありますが、これからも、地域再生について色々と考え、取り組んでいきたいと思います。

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石井あゆ子の論考

Thesis

Ayuko Ishii

松下政経塾 本館

第27期

石井 あゆ子

いしい・あゆこ

衆議院議員政策担当秘書

Mission

真の住民自治の確立、北海道振興、地域再生

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