松下政経塾 The Matsushita Institute of
Government and Management

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地方自治
2006年7月

塾生レポート

奄美の永久なる繁栄を目指して
安田壮平/卒塾生

今回のレポートは、政経塾3年間の研修・研究を締め括り、もって将来につなげるものであることを誓い申し上げます。「奄美の永久なる繁栄」、それを通しての日本と世界への貢献の道のりはまだまだ遠いのですが、諦めることなく、日々コツコツと活動して参ろうと決意致します。

 

はじめに

 今回のレポートでは、政経塾での3年間にわたる研修・研究の締め括りとして、自らの志や問題意識を確認し、これまでの活動の軌跡を辿り、そして、今後の展望などを述べようと想う。自らの志と個々の具体的な活動とが、どのように結び付いていたのか、確かめながら書き進めようと想う。

私の志

 私の志は、「奄美の永久なる繁栄」である。

 繁栄とは何か。私は、多くの人々が、精神的にも物質的にも充足感を感じて生きていること、「生まれて良かった」「生きていて良かった」と感じながら生きていることだと定義する。もちろん、その背景には、政治が正義を踏み行い、何かに困り苦しむ人が十分に助けられ救われるような状態が遍く実現されている必要もあるが、繁栄の核心は、「人々の精神的・物質的な充足」だと考える。

 それでは、永久とは何か。私は、人類が地球上に生きている限り、人類の寿命が続く限りだと考える。こう考えると、人類の寿命を伸ばす努力も必要であるが、私は、ゆくゆくは奄美が人類終焉の地の一つとなるぐらいに、永い時間にわたって繁栄してほしいと考えている。

 そして私は、「奄美の永久なる繁栄」を通して、奄美において暮らす人々や奄美を訪れる人々、また広く奄美に関わる人々の、幸福感の醸成に貢献したい。さらには、そのことによって、広く日本や世界の人々にも貢献できると考えている。

 私がこう考えるのは、郷土愛を超えて、奄美には、日本と世界の多くの人々の幸福感の醸成に貢献できるだけの秘められた力が宿っていると感じるためである。その秘められた力とは、人間として、あるいは、日本人としての生活の原風景がかろうじて残っていることによる、蘇生の力、原点回帰の力であると感じている。

 ここで人類の歴史を振り返れば、西洋に始まる近代化以後、合理主義・個人主義が重視され、それに基づく科学観や政治体制が構築されてきた。それらの影響力は強く、現代でもそれらの流れを汲んだ自由主義・科学万能主義や経済至上主義が世界の多くの部分を規定している感がある。

 わが国においても、明治維新や大東亜戦争敗戦を機に、西洋化・アメリカ化が進み、経済成長を至上命題として国家運営がなされる中で、物質面では格段の向上があったといえる。しかしながら、その過程において、人々の生活基盤であった村落共同体が崩壊・衰退へと向かい、各地域特有の信仰・宗教が薄められ、伝統的なしきたりや風習などを含めた生活文化が忘れ去られてきた。これらのものは、とりもなおさず、人間が生きていくための基盤であり、精神的な基盤であったと考えられるため、これらが弱まったことが一因となって、先に挙げた「人々の精神的・物質的な充足」がバランス良く達成されにくい世の中になってしまったのではないだろうか。

 奄美にかろうじて残っている、人間の、日本人の生活の原風景とは、まさに共同体の存在・共同体意識の健在であるととともに、一人の人間が周りの人々との、あるいは、自然環境を含めた万物との「つながり」を密接に感じられることであると考える。西洋のフィクションとしての合理的人間のように、人は一人だけで生きていくのでは決してない。自然の力を頂きながら、周りの人々と支え合って生きていくのが、人間本来の姿である、と私は考える。万人万物との密接な「つながり」を深く感じることのできる奄美に触れる中で、多くの人々は人間本来の姿に回帰して、人間本来の繁栄や幸福のあり方を見つめ直し、そして、力強く生きていく再出発ができるのではないだろうか。

 このような想いから、私は奄美を、人間の、日本人の「蘇生の地」として発信したいと考える。奄美の歴史を顧みても、西郷南洲翁や日本画家の田中一村を蘇生させた経験がある。奄美にはものやお金が豊富にある訳ではない。それでも、彼らの心を、精神を復活させたのである。それこそが、奄美に秘められた力であり、広く日本と世界に貢献できる力であると考えている。

奄美の抱える問題点

 繰返すが、私は今後、奄美を「蘇生の地」として、日本や世界に向けて発信していきたい。

 しかし、残念ながら、現在奄美が抱える多くの問題点によって、かろうじて残っている生活の原風景も崩れつつある。その問題点とは、わが国の多くの過疎地に共通するように、人口の減少と高齢化の進展、自然環境の破壊・悪化、経済・産業の停滞・低迷、自治体財政の悪化などである。

 これらの問題点の根本にある原因は何か。私は、政治・行政を中心に根強く見られる「本土並み」志向であり、東京中心・中央集権的発想であると考える。そして、その裏返しとして、自らの地域の良さ・魅力・価値に気付いていない、あるいは、軽視している態度・姿勢・風潮であると考える。

 たとえば、昨年の夏、奄美の宇検村で核燃料廃棄物の最終処分場建設誘致を村が検討していたとして騒然となり、村長が撤回した事件が起こったが、この事件の根底にあるのも、やはり地元の価値を低く見ている姿勢だと感じる。地元の価値を正しく認識しようとすれば、世界自然遺産登録候補地に選ばれるほどの貴重な自然環境を有する奄美に、そのような危険なハコモノを造ろうとする発想など微塵も生じないはずである。村の財政難打開のためとはいえ、政治・行政に携わる人間は、将来への責任を市井の人々以上に持つべきだから、地元の価値を潰し、子々孫々に禍根を残す所業は絶対にすべきでないと肝に銘じるべきである。

 また、地元でもよく議論に上る奄振事業(奄美振興開発事業)についても、功罪両面があることは承知しているが、これまでの事業のあり方として、はたして自らの地域の魅力に気付き、価値を伸ばそうとしたものであったか否かは疑問である。たとえば、公共工事そのものが自己目的化してしまい、「大型台風への備え」という理由のもとに、いまや消波ブロックのない、アダンの樹の生い茂る砂浜はほとんど見られなくなった。人々にとって、海岸は海の神々に祈りを捧げる場所であり、また集落と海の彼方にある異界とを結ぶ大事な場所でもあったので、その一帯の人工化が人々の信仰心や故郷を想う気持ちに与えた負の影響は決して小さくない。今後、奄振事業がまだ暫く続くのであれば、後述するように、私は奄美の魅力・価値を着実に高めるような事業のあり方を提案したいと考える。

 さて、奄美が抱える問題点の根本原因が「本土並み」志向であり、東京中心・中央集権的発想であるとすれば、その延長上にあるのは、政府頼み・県頼みの「依存」という体質である。地元の自治体がこのような姿勢であるので、そこに暮らす人々が自治体に依存してしまうのも、無理のないことであろう。たとえば、奄美市における生活保護受給者の割合は、全国平均の4倍、鹿児島県平均の3倍と極めて高く、実は、奄美市の財政の足枷となっているのは、公共事業などの土木費よりも、生活保護や老人医療などの民生費であることが指摘されている。ここには、経済・産業の停滞や高齢化の進展だけでなく、常に被支配者の立場にあったという歴史的な背景が深く根を下ろしていると感じられるが、奄美において強く見られる行政などへの依存体質は、先程述べた万人万物との密接な「つながり」の影の部分であろうし、今後克服していかなければならない最大の課題である、と私は考えている。

解決の方向性

 奄美を「蘇生の地」として発信するためにも、解決しなければならない最大の課題は、奄美に横たわる「本土並み」志向や東京中心・中央集権的発想であり、その延長上にある行政などへの依存体質であると考える。つまり、奄美の人々の精神や意識に関わる部分であるので、克服するには長期的に取組む必要があることを覚悟しなければならない。それでも私は、取組んで参りたいと想う。

 そのために、たとえ何十年、何百年かかろうとも、自らできることは自ら行うという「自立」の気概を、私自ら、奄美の人々とともに高めて参りたい。奄美の人々も、産業界も、自治体も、自立の度合を高めることによって、自らの地域づくりに責任と熱意を持って取組むことができるのではないだろうか。この自立の度合は、先述の生活保護受給者の割合や、自治体の財政力指数・公債費の比率などでも計測できる。数字でも、また人々の実感としても、自立の度合を高めて参りたいと考える。

 私がどうしても自立にこだわらなければなければならない理由は、「人間とは何か」を追究するために、研修で社会福祉施設を訪ねた際、障害者の方々から見せられた生き様にある。彼らは、身体的にどれ程不自由であっても、自らができることは自らの力で行っていた。自らの能力や技術を衰えさせないためにも、どれだけ時間がかかっても、自らの懸命の努力で食事・排泄・姿勢保持などを行っていた。そして、彼らが最大限の努力をしているからこそ、自らできない部分については、職員が納得して快く補助しているのだと感じた。これこそが、より継続的な、人間同士の支え合いの姿であろう、と私は感じたのである。

 福祉の現場で見た、自らできることは自ら行う、という自立の姿こそが、地位・名誉・性別・年齢・出自などの「皮」をむいていった人間本来の姿なのだろうと感じ取った。そして、それが出発点にあってこそ、お互いにより心地良く継続的に支え合うことができるのだと感じた。また、自らが一生懸命にできることをなさなければ、充足感も幸福感も得られないということは、多くの人々に共感頂けることだと想う。

 だからこそ私は、自立にこだわらなければならない。単に財政的な動機だけではない。奄美の人々一人ひとりの自立する姿があってこそ、一人ひとりの人生の充実感や幸福感があり、また共同体全体としての継続性や快適性がたしかなものとなるのである。そうしてこそ、「奄美の永久なる繁栄」も可能となり、奄美が日本と世界の人々に対して、永きにわたって貢献する道が拓けてくるのである。

 さて、その自立において大切なことは、まずは地元の人々が、自らの地域を識り、自らの地域を愛することだろう。そのために私は、これまでは十分に活用されてこなかった地元にある資源、地域資源を見つめ直し、発掘・活用する活動を進めている。他所から持ってきたものではなく、もともと地元にあるものを活用してこそ、継続的な取組みも可能になり、また地元を識り地元を愛することにもつながると考えるためである。東京ではなく、隣の家の芝でもなく、地元奄美を見つめ直す視点こそ、永久なる繁栄への第一歩だと考えている。

 私は、奄美の有する地域資源を「自然環境・歴史・生活文化・地場産業・人」の5つに分類している。以下に、それぞれの発掘・活用の取組み状況を報告したい。とりわけ、自然環境と歴史を中心に進めているが、その他についても、今後の展望などを合わせて述べようと想う。

地域資源1.自然環境

 地域資源としての自然環境を発掘・活用する活動は、これまで最優先に取組んできた。自然環境こそが、他の地域資源である「歴史・生活文化・地場産業・人」の基盤となっていると考えるためである。それはまた、平成15年に奄美が環境省から世界自然遺産登録の候補地に選ばれたときにわが身を走った衝撃と問題意識にも基づいている。

 一般的にいって、経済や産業との両立を考えつつ、地域の自然環境を保全していかなければならないことは、地域の人々が永く定住するためにも、明白のことである。まして奄美は、その地理的位置に起因する気候や地質学的要素などから、世界的にも貴重な生物種が多く存在し、世界中を探しても奄美にしか存在しない、という動物や植物がたくさんある。これはもう、世界の宝だと認識しなければならないものであろう。

 しかし、残念ながら、それらの価値が、「人々の生活のため」という理由で軽視されてきたのが、これまでの奄美の自然環境の大まかな状況であった。ここ十年ほどは、環境省などの行政機関や地元の研究者・有識者などの尽力のおかげで、少しずつ保全の度合が高まりつつあるものの、全体的な実効性としてはまだまだという印象を禁じ得ない。現在でも、奄美では保全・再生よりも、破壊の方が先行しているといえる。

 ここでいう破壊の形態としては、自然環境の汚染(排気ガス・排水・土砂流出・ごみの不法投棄などによる)、森林の減少(公共工事・伐採・酸性雨などによる)、貴重な生物の減少(生息地減少・外来種増加・気候変動・捕獲・盗掘・輪禍などによる)などが挙げられる。

 奄美において、自然環境の破壊が先行する最大の原因は、やはり地元の人々の自然環境に対する観方や価値観にある、と私は考える。それはおそらく、「身近すぎて、価値が分からない」というものや、「人間が自然を収奪して、何が悪い」というもの、さらには、「自然を保全して飯が食えるか」というものであろう。この発想や価値観を揺さぶらない限り、保全・再生を先行させることは困難だと考えている。

 そのような状況の一方で、環境省による世界自然遺産登録の候補指定を理由に、鹿児島県庁が中心となって、遺産登録への動きを進めている。同じ県庁が発注した公共工事が数多く存在する中で、土木部門と環境部門との縦割り行政による整合性の乏しさに疑問を感じることもしばしばあるが、県庁の環境保護課が主体となって、貴重な生物種が多く存在する地域のゾーニングを行ったり、地元の人々への普及啓発活動を進めたりしているようだ。しかしながら、地元への浸透度はいまいちであると感じられる。

 私も、奄美の世界自然遺産登録について、情報量が少ないために、地元の理解や認識が弱いと考え、奄美ははたして世界自然遺産に登録されるべきか否かについて、多面的な角度から調査を進めてきた。

 具体的には、世界自然遺産制度をはじめ、その他の自然環境保全の制度や運動の概要を調査したり、地元の自然環境の専門家・有識者に遺産登録についての意見を伺ったり、国内において既に遺産登録された3ヵ所の地域を現地調査したりしてきた。調査の詳細は、前回のレポートに書いてあるので繰返さないが、調査を終えた段階での結論として、「奄美は長期的な取組みによって、世界自然遺産登録を目指すべきである」と考えた。

 さらに、国内の既登録地の事例を参考に、遺産登録を成功へ導くための課題を整理したところ、重要なことは遺産登録までのプロセスであり、行政主導ではなく、いかに民間(地元の住民・企業・NPOなど)に理解・浸透を図り、民間が主役になるか否かにかかっていると結論付けた。なぜならば、自然環境を主体的に保全・活用したり、遺産登録により急激に増加する観光客に対応したりするのは、結局のところ、地元の民間部門に依らざるを得ないためである。

 この考えに基づいて奄美の現状を見ると、県行政が主導しているものの、地元の自治体や民間部門の動きはまだまだ鈍い。よって、このまま遺産登録されれば、多くの弊害が生じる可能性が高く、現状のまま遺産登録を進めてはならない、と考えるに至った。

 私は、このような問題意識を持って、昨年12月に奄美において、「奄美は世界自然遺産を目指すべきか!?」と題してフォーラムを開催した。このフォーラムのねらいは、これまでの奄美の自然環境に関する議論が専門家や有識者など、一部の人々のみに限られていたことを憂慮し、地元の人々に一人でも多く自然環境に興味を持って頂き、自然環境の保全や遺産登録について理解や認識を深めて頂くことにあった。そのために、地元の学校関係や商工関係など幅広い分野の方々に来場をお願いしたり、発表やパネルディスカッションの内容も、そもそも世界自然遺産とは何か、という根本的な問いから始めたり、専門的な知見などを身近な例に表現するなど分かりやすさを心掛けたりした。

 そして、このフォーラムを通して最も伝えたかったこととして、地元の人々の「自立」の大切さを何度も訴えた。自立へのきっかけとしての自然環境の保全と活用であり、さらにそのきっかけとしての遺産登録である、と位置付けたのである。(この考えは、地元の民間部門が行政だけに任せずに、遺産登録を主導しなければ失敗する、という先程の問題意識と整合する結論であると想う。)その上で、奄美の遺産登録の是非について、最終的な決定権は環境省や鹿児島県が持つのではなく、地元が持たなければならない、ということを訴えたのである。

 その後、来場者の方々からの反応を、直接伺ったり、アンケート用紙で見たりする中で、半数以上の方々からは共感を頂けたのではないかと感じている。そして、頂いたご意見には、環境産業や学校教育へのご提案、さらには政治・行政の環境政策へのご提案などがあったが、最も多かったのは、地元の人々の自然環境への意識や関心など、「心・精神」について論じたものであった。特に、「地元の人々の自然環境への意識が高まったときに、世界遺産になればよい」というご意見には全く同感であり、少しでもその理想に近付かなければならないと感じた。これらの反応を見て、今後は具体的な取組みによって、奄美の人々の精神に働き掛けつづけなければならない、という決意を新たにした。

 今後の展開としては、自然環境保全を旨とするNPOや任意団体とともに、実際に自然環境を調査したり、環境教育や後述する「エコツーリズム」によって保全・活用したりする活動を、民間の立場から進めようと考えている。地元の自治体など行政と上手く連携する必要もあるが、一人でも多く、地元の人々に自然環境保全への理解・浸透を図ることを最大のねらいとして進めていきたい。

 また、身の回りの生活環境を向上させることをきっかけとして、自然環境にも興味を持って頂くために、清掃活動を進めていこうと考える。公園や河川、街中などでの清掃活動を、有志によって定期的に行うことで、一人ひとりの生活環境への意識を高め、もって自然環境への意識を高めていこうと想う。この活動は、観光産業にも大きなメリットがあるので、商工関係などを筆頭に、多くの組織・団体と連携して進めようと考えている。

 さらには、「世界自然遺産」という、他者から与えられた称号ではなく、「奄美遺産」という、自らが価値付けして認定するという制度を、民間が起点となって創設できないか、調査しているところである。これによって、地元の人々が地元の価値や魅力を見つめ直し、大切に保全するようになれば、世界自然遺産に登録される必要はないのではないか、とさえ想う。今後、地元の人々とより深く議論しながら進めていこうと考えている。

地域資源2.歴史

 この地域資源について、これまで奄美の歴史は十分に研究されてきたとはいいがたい。しかしながら、近年、中央の考古学会をはじめ、歴史研究家の強い関心が集まっており、急速に発掘や研究が進められている状況である。

 奄美の歴史の特徴は、平安末期に敗走してきた平氏一族が到着して以来、常に他者に支配されてきたということである。1400年代中頃には琉球王朝が、1600年代はじめには薩摩藩が侵攻し、その支配を受けた。そして、大東亜戦争後、日本本土から切り離され、8年間は米国軍政下にあった。

 奄美での郷土史研究がこれまで十分になされなかった理由は、このように、常に他者から支配されてきた史実にもあるように想う。たとえば、薩摩藩政下において、琉球王朝時代以前の文献が大量に処分されたため、奄美には歴史的文献が非常に少ないといわれている。(ちなみに、文献を宇検村の湾付近で焼き捨てられたため、「焼内湾」と名付けられたという由来がある。)また現代においても、奄美の郷土史研究が進まなかったのは、県教育委員会の責任だとする指摘を聞くが、その背景には、かつての支配者側に近い立場として、蓋をしておきたい思惑などもあるのだろうと想われる。

 しかしながら、奄美の歴史研究がほとんどなされてこなかったために、中央の考古学会などをはじめ、多くの歴史研究家が、日本人の源流としての南方の島々に熱い視線を集めはじめている。かつて作家の島尾敏雄が、わが国の歴史に大きな変化があるとき、必ず南の島々がざわめいている、といういわゆる「ヤポネシア論」を打ち出したのであるが、それが歴史学的に検証されはじめている。

 私が奄美の歴史を考える場合、ぜひとも参考にしたいのが、1100年代以前の、どこからも支配を受けなかった「奄美世(あまんゆ)」と呼ばれる時代である。その時代、人々は自由に活動し、のどかな生活を送っていただろう。彼らは自由に海に乗り出し、様々な地域と交流・交易をしていたと想われる。たとえば、南方の代表的な物産である夜光貝が螺鈿の原料として重宝され、中央政権に多く献上されたことは既に明らかになっている。

 奄美の人々が他者からの支配を受けたことによって、まず制限されたことは、海上の交通であった。薩摩藩政下には、渡航が禁じられ、造船することもできなかった。奄美の人々は、島に縛り付けられ、海からの、異界からの恵みを自由に享受することができなかったのである。

 この歴史を考えると、これからの奄美の自立に資するものとして、「海」を活用しなければならない。魚介類の捕獲・養殖などの水産業、海のレジャーなどの観光産業、さらには、海洋深層水や海底資源の発掘などはもちろんのこと、他所との交流・交易をより自由にして、盛んにする余地が十分にあると想われる。

 具体的には、奄美より南方の島々、台湾・中国、さらには東南アジアやポリネシアなどと、歴史・文化を含めた草の根的な交流・交易ができないだろうか。現在は、海上関係の法律のために、船舶や航行ルートなどに多くの規制・制限があるが、それらを解決し、挑戦してみたい。幸いにも、奄美には大型客船が入港できるほどの優れた港湾がある。この奄振事業の正の遺産を有効に活用するためにも、ぜひ挑戦しようと考えている。

 さらに、奄美の歴史において活用したいのが、西郷南洲翁の精神や生き方である。私は、西郷が僧月照との錦江湾への入水自殺に失敗し、挫折した状態で流されてきた奄美の地において、奄美の人々と心と心で触れ合い、そして、島妻の愛加那を娶り、生涯はじめての子供である菊次郎・菊草をもうけたことが、後々の中央政界での活躍、さらには偉大な人格形成の土台となったのではないか、と考えている。

 つまり、西郷が子供を持ち、家庭・家族というものを味わうに至ってはじめて、守るべきもの、背負うべきものを抱いたのではないだろうか。このときの一家団欒の生活や、奄美の人々との心と心の触れ合いがあったからこそ、それが心の支えとなって、その後幾度となく降り掛かる艱難辛苦、たとえば、沖永良部島での1年半にわたる厳しい入牢生活などをも耐え忍ぶことができたのではないか、と考えるのである。

 ここにおいて、奄美の「蘇生の地」としての力が見えてくるようであるが、その力の根本には、奄美が常に支配されてきたという悲惨な歴史、弱者としての歴史があると想われる。弱い立場に立ってきたからこそ、相手を思いやる気持ちが芽生え、お互いに支え合うことができるのではないか。そして、絶望の淵にある人を救うことができるのではないだろうか。奄美の人々のこのような特性も大切に活用しなければならないと考えている。

 以上のように、現在でも多くの人々が敬慕してやまない西郷南洲翁が奄美で復活を遂げたのであるから、その優れた精神に則り、現代に活用し、そして、奄美の繁栄にもつなげたいと考える。

 そこで昨年9月、龍郷町において、町教育委員会の協力のもと、「西郷塾」なる郷土史研究・勉強会が発足し、私も共同研究に取組んでいる。龍郷町とは、かつて西郷が謫居していた土地である。この塾において、奄美時代の西郷をあるがままに等身大に描き、地域の学校教育・人材育成などに活用するとともに、ゆくゆくは奄美発の新しい西郷像を全国に発信することによって、西郷の多面的な把握に貢献したいと考えている。

 そして、西郷にゆかりのある全国の各地域と連携・交流し、さらに地元の人々の元気を高め、精神を活性化していきたいと想う。現時点において、熊本県菊池市との人・情報・物産を伴った交流が進められているが、今後は他の地域にも広げることができるように、私も努力して取組んで参りたい。その上で、全国の多くの地域と連携しながら、西郷精神に基づいて、思いやりや正義を重んじ、道義を踏み行う国家の実現へ向けても進んで参ろうと考えている。

地域資源3.生活文化

 奄美の生活文化といえば、自然や祖先を崇拝する土着の信仰や、鹿児島・沖縄の言葉とも異なる独特の方言(島口)、また薩摩藩政下の辛い心情や哀愁漂う音色を伝えてきた民謡(島唄)や農事に合わせた祭り・踊り、さらには健康・長寿の源である郷土料理などが挙げられる。奄美独自のものが多く、現在も多くの観光客を魅了しているが、今後も大切に保全しなければならない宝である。

 この地域資源に関する活動として、私はまだ古い文献を調べるぐらいに止まっているが、ゆくゆくは現在よりももっと保全と活用の度合を高めて参りたいと想う。

 具体的には、時間をかけて地域資源を堪能するいわゆる「エコツーリズム」において、自然環境と並ぶ重要な柱として、生活文化を活用していきたい。というのも、奄美の観光産業にとって、雨期や冬期、台風襲来の時期などの楽しみ方・味わい方を見出す必要がいわれているが、まさに生活文化の多くは、時期や天候に左右されずに屋内でも味わえるものであるからだ。

 よって、生活文化の担い手を見出し、観光客のニーズに応じて結び付ける仕組みづくりが必要となるが、そのような課題に取組み、奄美の観光のあり方を、お金ではなく時間を消費するものに変えていきたい。そうしてこそ、生活文化の保全と活用のバランスが取れるであろうし、担い手と観光客との精神的な充足、さらには、人間の本来の姿への原点回帰などにもつながるものと考えるためである。

地域資源4.地場産業

 奄美の地場産業としては、大島紬・黒糖焼酎などがあるが、現在最も注目しているものは、農業の代表的産物である砂糖きびである。わが国でも漸く、砂糖きびを原料にしたバイオエタノールの研究・開発が進められてきており、石油業界などの圧力も厳しい中、実用化に向けて動き出しつつある。私も、このエネルギー産業を奄美に導入し、二酸化炭素の排出が少ないクリーンエネルギーを自給自足することによって、奄美の自立を促すとともに、自然環境にも好影響を及ぼしながら、いわゆる循環型の世の中の構築に取組んで参りたい。

 これを進める中で、砂糖きびの生産量も増え、農業従事者の所得上昇にも寄与し、後継者確保に貢献できるのではないだろうか。検証を深めなければならないが、可能性がある分野として、大事に考えたい。

 さらに、将来の世界的な食糧不足に対応するため、不要な畑地を水田に変え、稲作を復興させることも検討したい。そして、これを自立へ向けての奄振事業のあり方として提案したい。農業基盤整備は奄振事業の重要な柱であるから、可能性が決してない訳ではないはずだ。政府・農水省の米作に関する政策なども考慮する必要があるが、将来への備えとしても、地域主導で進めて参りたい。

 また、奄美の魅力・価値を高めるような奄振事業のあり方として、今後提案したいのは、自然環境の再生・復元である。たとえば、よくよく吟味した上で、コンクリートで固めてしまった川岸や海岸を元の自然の状態に戻したり、不要な消波ブロックを除去したりすることなどである。自然環境の専門家によれば、コンクリートの堤防や消波ブロックが台風などの災害を軽減するとは必ずしもいえないようだ。コンクリートの堤防によって、却って多くの海水が民家の方に打ち寄せられたり、消波ブロックの存在によって、海流が変化してさらに大きな損害を引起こす可能性も生じたりしているためである。家屋の造りも、かつてと比べて格段に丈夫になったことを考えても、自然環境を以前の状態に復元する理由や意義は十分にあると考えられる。今後、わが国でも環境保全の機運が高まり、国交省と環境省の政策が歩み寄りを見せるようになれば、十分に実現可能な課題だと考えられる。自らも、そのような流れが生じるように取組んで参りたい。

地域資源5.人

 ここでは、まず地域資源の一つとして人を挙げることについて考えてみたい。これまで、奄美の抱える問題点の根本原因は、奄美の多くの人々が「本土並み」志向に陥り、地元の良さや価値を低く見る態度や姿勢にあると述べた。また、その延長上として、行政などへの依存体質も大きな問題であると述べた。

 そうでありながら、人を地域資源の一つに挙げるのは、それも、私は5つのうちで最も重要な地域資源であると考えている理由は、先に述べた短所を補って余りあるほど、奄美の人々一人ひとりに魅力があり、その集合体である共同体に魅力があるためである。たとえば、地元のあるNPOが観光客に奄美の魅力を尋ねたところ、海などの自然環境よりも多かったのが、「人」という答えだったというデータもある。アンケートの方法など考慮する必要はあるが、第一印象としても、強く共感できる。

 私は、奄美の人々の自立のために、地域資源を発掘・活用しようと考えているのであるから、地域資源としての人の発掘・活用は、その人そのものの自立につながると考えられる。つまり、自立することに伴って得られる精神的な充足の供給者と受益者が同一である、ということである。さらに、それだけでなく、周囲の多くの人々を巻き込んで、一人でも多くの奄美の人々の自立に貢献することになるだろう。まさに、人は人によって磨かれる、という姿である。そうあってこそ、奄美の永久なる繁栄もより良く実現されていくだろう。

 さて、私が奄美の人々に見る最大の長所は、心の優しさ、あたたかさである。これは先述の通り、辛苦の歴史によって培われたものであろう。相手の弱さや痛みが分かるからこそ、優しくなり、相手を受け容れることができる。この寛容さ、懐の深さこそが、奄美の人々の魅力だろう。

 ある地元の自治体の方によれば、奄美は沖縄に比べてIターン者の数はかなり少ないが、Iターン者が定着する割合は相当高いということである。これも、地域資源としての奄美の人々の長所の表れではないだろうか。

 この長所を生かし、私は今後、本土の退職したシニア世代の方々や、精神的・肉体的に病を持つ方々などが定住・半定住するような活動を進めたい。また一般の観光客についても、できる限り長期滞在をして頂けるように活動したい。そのためには、特に住居面での支援が必要になるだろうが、空き家の活用や、土地制度に関する障壁の克服などによって、解決していきたい。

 日本や世界の人々が、奄美に触れて、人間本来の姿を想い返して頂くためにも、最上なのはやはり、奄美に住んで頂くことである。住んで、少しずつ奄美の共同体の中に入って、周りとの「つながり」を感じ、人間本来の生きる姿を取り戻して頂きたい。そして、人間にとってあるべき繁栄や幸福というものを追い求めて頂きたいと考える。もちろん、共同体には馴れ合いのような負の面もあることは事実だが、それを超えて、共同体の良さや魅力を感じてもらえるような活動を進めて参りたいと想う。

締め括りとして

 以上述べてきたことは、私の志である「奄美の永久なる繁栄」を達成するために、そして、奄美を人間の「蘇生の地」として発信していくために、奄美の人々の自立に向けた提言であり、そのために地域資源を発掘・活用する活動の経過報告と今後の展望である。

 当面は民間の立場で活動する予定だが、いずれは政治の道に挑戦することになるだろうと考えている。奄美の繁栄と自立のために、政治にしかできない役割があるためである。

 ここに述べた地域資源の発掘・活用について、その際の政策の種となるものがいくつかあると考えている。もちろん、まだまだ精査し、練磨しなければならないが、今後活動を進める中で、高めていこうと考えている。

 最後に、今から150年ほど前のことに想いを馳せたい。米国のペリーが、黒船に乗って奄美近海を通って浦賀に到着し、そこから幕末・維新の激動が幕を開けた。雄藩の一つの薩摩藩は、奄美の黒糖などによって潤沢な財政を堅持していたおかげで、表舞台へ多くの優秀な人材を送り出し、そして、かつて奄美で人物を鍛え上げた西郷の再登場によって、維新を主導していったのである。その背景で果した奄美の力は、決して小さくないと考えられる。

 現代のわが国に起こすべき維新についても、奄美の果す役割はたくさんある。自然環境・歴史・生活文化・地場産業という地域資源を活用しながら、やはり最大の地域資源である人の力を活用することによって、日本の、そして、人間としての原点を取り戻し、価値観を問い直し、わが国が本来目指すべき繁栄や幸福というものに目を向けさせたい。そのきっかけとなるのが、2009(平成21)年に奄美で皆既日食が観測され、注目を浴びる時期だろう。奇しくもその年は、薩摩藩の侵攻から400年目に当たる。奄美が依存から自立へと向かう、天与の転機である。

 これらのことを着実に実現するために、小さなことからコツコツと取組んで参る決意である。

参考文献

郷田實・郷田美紀子『結いの心』評言社、平成17年
『世界遺産学のすすめ』シンクタンクせとうち総合研究機構、平成17年
『奄美群島の概況』鹿児島県大島支庁、平成17年
『興南』第66号、興南会、平成16年
西郷塾テキスト、南海日日新聞、大島新聞 など
2006年7月 執筆
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