Thesis
個別実践活動についてのレポートの第一回目として、私の志や問題意識、奄美の現状や問題点などを書かせて頂く。私は、奄美発展の一番のカギは、産業の活性化にあると考えている。
My purpose in life is to improve my hometown, Amami-oshima Island, because I love the island, and I have the responsibility to preserve and develop our history and traditional customs.
The island has many problems. The decline of the local economy and industries is the most important problem, I think, and cause other problems, such as the decrease of population and the destruction of the environment.
I hope to solve these problems totally by means of politics, because I think if the local politics changes, the local economy and industries will change.
It’s very hard task, but I’ll try it, firstly I will research on my hometown.
私の志は、故郷である奄美を発展させることである。「奄美とはどのような地域か」、「発展とはどのようなことか」という問いには後から答えるとして、この志の淵源は、多くの人々が持つように、やはり愛郷心である。また、故郷の歴史や伝統を継承し、発展させなければならないという責任感でもある。
これは、私の松下政経塾への入塾動機にも、直接につながっている。詳しいことは後述するが、奄美が現在抱える問題を解決するために、政治という手段を用いることが、非常に効果的ではないか、という仮説に至ったので、私は政経塾という道を志望し、そして、ゆくゆくは政治の道を志望しているのである。
今回のレポートでは、個別実践活動の第一歩目として、私の志や問題意識、奄美の現状や問題点、その原因や解決策の方向性について、総論的ではあるが、述べさせていただこうと思う。
私の持つ問題意識は、志の裏返し、つまり、奄美が順調に発展しているとはいえないのではないか、という現状認識にある。そのように感じてしまうのは、後で説明する数々の事象から見れば理解して頂けると思うが、そのような現状に対して、「何とかしなければならない」と思うようになった原点は、先ほどの愛郷心に追加して、家業であった本場大島紬の衰退という体験にあると思う。これにより、家業がつぶれ、生活も一変した。ここで「お涙ちょうだい」の話をするつもりはないが、この頃から、故郷を憂う気持ちが芽生えてきたように思う。奄美の現状に対して、少なからず当事者意識を持ちながら、一切を見聞きしてきたように思う。
ここで、奄美という地域について、概略を説明しようと思う。
奄美とは、九州と沖縄本島の間に位置しており、大小8つの有人島によって形成されている奄美諸島のことである。行政区分上は鹿児島県に属し、人口は諸島全体で12.8万人、私の故郷でもあり、諸島最大の奄美大島で7.2万人である。亜熱帯気候のため、日本本土とは異なった植生を呈し、世界的に貴重な動植物種も多い。
主要な産業は、砂糖きび・野菜・畜産などを中心とした農業、伝統工芸品の本場大島紬や黒糖焼酎などを中心とした製造業、独特の自然を活かした観光業などのほか、公共事業を中心とした建設業なども域内総生産の多くを占めている。
文化面でも日本古代からのものが残っており、一部の集落では、「ユタ神様・ノロ」といった自然神信仰の名残がいまだに存在する。最近では、温暖な気候やごく自然に近い食生活などが要因とされる長寿者の多さや、地縁血縁の濃さなどが要因とされる出生率の高さなどが注目されている反面、生活保護受給率が全国平均の約4倍などの好ましくない面も見られる。
私が考える、現在奄美が抱える問題は、大きく3つある。
1.経済・産業の衰退・停滞
2.人口の長期継続的な減少
3.自然環境の破壊
である。2と3は、主に1から派生していると考えられる。以下、詳細に見ていこうと思う。
はじめに、経済・産業の衰退・停滞の様子を検証していこうと思う。
まず、総論的な説明ではあるが、経済・産業の衰退・停滞を招いた要因の一つは、基幹産業である砂糖きび・本場大島紬の衰退にあると考えられる。また、それに代替する産業が十分に発展してこなかったことなどにも拠る。
もともと、外海離島には産業競争力に劣るハンディがあることは事実だろう。たとえば、市場の狭小さ・資源の過少さ・輸送コストの割高さなどである。よって、外海離島はモノカルチュアな産業構造になりやすい。特有の資源や商品に特化し、強みを発揮しようとするのである。
比較優位性が保たれているときは、それで上手くいっていた。奄美でも、砂糖きび・本場大島紬が盛んに生産されていた。ところが、経済社会情勢の変化が徐々に奄美にも波及してきた。具体的には、経済のグローバル化による海外の安価な産品の流入や、国民の生活様式・嗜好の変化、そして、モノからサービスへの経済の変化などである。
ここに至って、海外からの安価な砂糖の流入などにより、砂糖きび生産は大ダメージを食らい、また、本場大島紬も、国民の和服離れなどにより、衰退に向かった。一方、それに代わる産業はまだ十分に発展していない。民間レベルでは様々な業種で試行錯誤がなされただろうが、基幹産業となるに至っていない。そして、行政レベルで取組んできたことは、主に公共事業の「奄振」に依存することであった…。
以下、詳細なデータを基に、経済・産業の衰退・停滞の様子を見ていく。
同一計算方式による域内総生産の過去13年間分(平成2~14年度)を見てみると、総額こそ2,890億円から3,386億円に増えているものの、内訳を見れば、順調に産業発展しているとはいいがたいことがうかがえる。
まず、砂糖きびなどの基幹作物を含む農林水産業は、この期間に額にして87億円の減少、域内総生産に占める割合(以下、構成割合)も9.7%から5.5%に低下している。最大の要因は、砂糖きび生産額の低下にあると考えられる。それは、この期間に砂糖きびの作付面積が2,100ha、生産量が20万tも大きく減少したことからも、確からしい。
これは、先の海外からの安価な砂糖の流入に加えて、砂糖きびの買上げ価格が低下傾向にあること(砂糖きびは法律に基づいて、国が全てを買上げる仕組みになっている)や、機械化になじみにくい作物であるため、耕作を止める高齢者の農家の増加や、若年の新規就農者も耕作を避ける傾向にあることなどに起因する。
奄美の農業が、現在危機に瀕していることは間違いない。ばれいしょなどの野菜、キク・ユリなどの花卉、パッションフルーツ・マンゴーなどの果樹、肉用牛・豚などの畜産などを増産し、砂糖きびからの代替を図っているとはいえ、現時点において、全作付面積の60%、全農業生産額の30%を占める砂糖きびの方向性を定めない限り、安定的な第一次産業の発展は覚束ないだろう。元々、台風の常襲地という不利な条件はあるが、今後発展する可能性のある重要な産業であると考えるので、私も一生懸命に考えて、知恵を出していこうと思っている。
ちなみに、砂糖きびについては、近年の「新砂糖きび・糖業再活性化対策」により、平成15年度以降の作付面積がわずかではあるが増加に転じたようである。平成18年度から、市場価格を取り入れた新しい買上げ価格決定制度に移行するようであり、市場の環境は厳しさを増すと思われるが、これからが正念場として、努力し続けなければならない。
次に、本場大島紬・製糖・黒糖焼酎などを含む製造業は、生産額が45億円の減少、構成割合も6.9%から4.3%に低下している。この原因も、主に本場大島紬の生産額の低下に求められる。この期間で、生産反数が12.6万反から3.3万反へ、生産額が98億円から26億円にまで減少してしまった。ピーク時は300億円近くの生産額を上げ、奄美の労働者人口の1~2割の受け皿となった基幹産業も、見るに耐えない現状である。この原因は、先に挙げた日本人のライフスタイルの変化による和服離れという根本的に致命的な要因もさることながら、和服業界特有の旧い流通体制による高価格、韓国産の安価な大島紬の流入などにも求められる。
この紬業界の不況の突破口は見出しにくく、最近ではトレイサビリティに対応した「生産者履歴システム」をWEB上に設置してブランド強化を図ったり、京都の西陣織と協力してPRに力を入れたりしているが、そう簡単に解決するようなものではない。私も、実家がこの業界に携わった者として、何とかして本場大島紬を次世代に継承したいと考えている。発祥が1300年前にまで遡り、日本の染色織物の最古の伝統を持つといわれ、奄美の人間の叡智を集めた一品であるからだ。この素晴らしい技術や製品を、日本だけでなく世界の人々、さらには子々孫々にまで伝えていくことは、現代を生きる奄美の人間の責任であると、私は考える。
ちなみに、平成14年度までの製造業の生産額には、全国的な黒糖焼酎ブームが明白には反映されていない。平成15年度の出荷額は、前年度比47%増の約100億円にのぼり、奄美の製造業の一番の牽引役に成長してきている。各酒造メーカーでは増産に次ぐ増産を行っているが、一時的なブームという見方もあるため、新規の設備投資にはそれほど積極的ではないように思われる。とはいえ、日本政策投資銀行南九州支店の報告では、今後も関東以北を中心に顧客開拓の余地が十分にあり、将来は300億円市場になるとの予測もなされている。酒類の需要にはブームの波があることは間違いないようであるが、今回の第3次焼酎ブームをきっかけに根強い顧客をつかんだとの手応えもあるので、今後も牽引役としての成長を期待する産業である。
黒糖焼酎に関する課題としては、主原料である黒糖のほとんどを、沖縄産や外国産のものに頼っていることである。これは、旧大蔵省の通達にも違反し、また、トレイサビリティという面からも不安を抱えることになっている。折しも、沖縄ブーム・健康ブームに伴い、黒糖の価格が上昇していることから、原料の確保にも困難を来しはじめている。このことは、奄美産の砂糖きびからはほとんど黒糖が作られないという、国の糖業政策における矛盾からもたらされている影響が少なくないように思うが、今後、奄美の黒糖焼酎のブランド化を図るためにも、解決しなければならない課題の一つである。
他にも、生産工程がほとんど機械化されているため、雇用の受け皿になりにくいという問題も指摘されている。また、黒糖焼酎は首都圏のコンビニエンスストアでも見られるほど有名になったが、「奄美」という名前はそれほど聞かれないという声もある。たしかに、気になる声であり、セールスの仕方に問題があるのか、調査しなければならないと考えている。
次に、公共事業を中心とする建設業であるが、生産額にして71億円の減少、構成割合も16.7%から11.7%に低下している。しかし、これは農林水産業や製造業に見られる継続的な右肩下がりの減少とは異なって、平成11年度に行われた、第3次奄美振興開発事業の前期から後期への切替えに伴って、大幅に事業費が減額したことに起因する減少だと考えられる。その証しに、事業費が過去最高だった平成6年度から10年度にかけては、建設業の生産額が550億円というピークに達している。
ここで、「奄振」こと、奄美振興開発事業について概略を説明する。これは、奄美が昭和28年に米軍の統治下から日本に復帰して以来、50年以上にわたって続く特別地域振興事業である。5年毎の特別措置法によって事業が行われ、名称も『奄美「復興・振興・振興開発」事業』と変わってきた。所轄官庁は旧国土庁・現国土交通省であり、昭和40年代頃から、建設国債による社会資本整備が事業のメインになった。
この「奄振」と呼ばれる事業が奄美にもたらした影響は、とてつもなく大きかったように思う。プラスの面としては、道路・港湾・空港などの社会インフラが整備され、交通・交易などの面で便利になったことである。たとえば、奄美大島には南北を縦断する国道58号線が通っているが、そこを走れば、およそ2時間で島を縦断できる。数十年前には考えられない、格段の向上がある。
その他のプラス面としては、基幹産業が衰退していく中での雇用の受け皿としての効果や、港湾整備による台風被害の防止・軽減などの効果があるだろう。
一方のマイナス面としては、建設業界を中心とする不公平な所得分配、公共事業に依存する産業構造への変容、政官業の癒着などが挙げられる。
私が問題だと感じるのは、奄振事業によってハード面が整備され、産業が発展していく基盤が整備されたのに、それが産業発展にほとんど活かされていないということである。そうであるのに、またも基盤整備を続けるという、安易な事業を繰返しているのである。これでは、家の土台だけを造って、肝心の上物を造っていないことに等しい。奄美には、土台ばかりが転がっているのである。全く、費用に対する効果を見ていない事業といわざるをえない。
そしてまた、問題だと感じるのは、建設業界を中心とする企業や住民の行政への依存体質だろう。これを、地元のある市議会議員は「おねだり症候群」と呼んでいるが、まさにこのような状態が散見されている。たとえば、奄美選出の国会議員の一番大切な働きは、この奄振事業に関する予算の獲得だとされてきた。そして、選挙になると、建設業界を中心に、地元議員への巨額の献金が行われ、そのふんだんな資金を使ったバラマキ選挙が続いてきたことは、あまりにも有名な話である。この癒着体質・依存体質こそ、奄振事業がもたらした最たる負の側面であろう。このような状況から来る社会モラルの低下は、はじめの方でも紹介した、住民の生活保護受給率の高さと無関係ではないだろう。
そのような建設業も、近年の公共事業費削減を背景に、各社とも事業の見直しを迫られている。資金面での余裕があるうちに、焼酎やホテルなど他業種への多角化を図る企業、差別化できる特殊技術に磨きをかける企業など、対応は様々である。今後、奄振事業が永久に続くとは考えられない。あと数年で廃止されるというのが、大方の見方のようである。奄振事業が廃止されても、この先数十年の間は、建設業が一定のインパクトを持つ産業であり続けるだろう。そこで、これまでのような効果の低いあり方を改め、より効率的に活用するためにも、近年登場してきた自然環境や景観に配慮した工法の導入が欠かせないだろう。そこにこそ、奄美の建設業の一つの将来性が見出せると、私は考えている。
建設業にちなんで、不動産業の伸びも指摘しておく。この期間で、生産額で147億円、構成割合で7.8%から10.8%に伸びている。これは、公共事業に伴う土地収用が主な理由であろうが、それ以外の理由も考えられ、引続き調査しようと考えている。
この期間中、一番伸びた業種が、このサービス業である。生産額にして290億円、構成割合も15.2%から21.2%へ、6%も上昇している。
サービス業といっても多岐にわたるため、細かいところまで把握することは困難だが、大まかに見れば、人口の高齢化に伴い、介護・医療・保健衛生といった福祉分野が伸びているようである。一方、この期間の観光客がそれほど増加していないことからも、観光関連の収入は目立つほど伸びていないと考えられる。観光産業も、今後軸になると考えられる産業の一つであるので、発展を目指し、より一層の努力が必要である。
商品がモノからサービスへと移行するにしたがい、この分野の生産額が多くなるのは当然であるが、だからこそより詳細な分析ができるよう、今後の課題にしようと思う。
サービス業に続いて伸びたのが、この分野である。生産額にして229億円、構成割合も20.0%から23.4%へ伸び、最大の生産額を生み出している。この分野は、地方公務員の人件費など、主に行政のコストに関わるものなので、官の肥大化につながり、必ずしもいい傾向であるとはいえないだろう。各自治体ともコスト削減の努力をしているようであるが、たとえば、正職員は減っても非常勤職員が増えるなどの「抜け道」が指摘されており、小さな役所を目指す改革もまだまだ道半ばのようである。
たしかに、地方においては、役所が重要な雇用の場を果たしている側面はあるが、社会公正の面からも、また、国と地方の財政の面からも、自治体のスリム化への改革は進めていかなければならないと考える。そこにおいて、奄美におけるこの分野の肥大化は、決して好ましい成長のあり方ではないと考えざるをえないのである。
以上、過去十数年にわたる奄美の経済・産業の推移を見てきた。まとめると、農林水産業・製造業という、自給自足あるいは外貨獲得に資する「生産」に関わる分野の産業構造に占める割合は約10%、建設業・不動産業という、主に「公共事業」に関わる分野は約20%、「民間におけるサービス」に関わる分野も約20%、そして、「官におけるサービス」に関わる分野も約20%と集計できるだろう。
これを見る限り、奄美の産業構造がいかにいびつな構造か、ご理解頂けるのではないだろうか。公共事業を含め、官に頼る分野が半分近くを占め、行政依存型の構造を示している。このような産業構造は、決して奄美だけに存在するのではなく、日本国中の様々な地方に見られることだろう。しかし、このような状態が続いては、国も地方も持ちこたえることができないのは分かりきっている。このままでは、その土地土地において、永続的に繁栄することはできない。
だからこそ、私は奄美の産業構造を自立型に変えたい。そのためにも、製造業やサービス業を中心に、産業を活性化させたい。これを実現できてこそ、奄美が永久なる発展に与ることができると確信するのである。
残り2つの問題、つまり、人口の長期継続的な減少と自然環境の破壊は、主に問題1に派生して起因すると考えられる。問題1こそが最大の原因だと考えるので、問題2・3については、確認する程度に止める。
まず、人口の長期継続的な減少の状況を見ると、昭和25年の22.2万人から、平成16年の12.8万人になるまで、人口はほぼ右肩下がりで減少してきた。ただし、本場大島紬が比較的好調だった昭和40年代半ばから50年代半ばにかけては、人口がほぼ横ばいで推移した。これは、雇用があれば、人口が定着することの証しであると考えられる。
もちろん、人口の減少は、経済的な理由だけではないだろう。濃い地縁血縁などの社会的理由、あるいは政治的理由などあるだろう。しかし、現代の若者のほとんどが、高校卒業後に本土へ渡る現状を省みれば、産業・雇用の場が足りないことがその重要な原因の一つであることは間違いない。
人口の減少は、消費者であり納税者でもある労働者の減少を意味する。そうなれば、様々な面において、社会の活力は低下せざるをえない。人口の高齢化が進む中で、主に若中年層に主眼を置いた一定の人口確保は重要な課題であると考える。
この問題についても、主に経済・産業の衰退・停滞による、公共事業依存の産業構造に起因すると考えられる。公共事業をしなければ、雇用を提供することができず、公共事業をすることにより、必然的に自然環境を破壊することになる。
もちろん、それだけでなく、住民の自然環境に対する関心・意識が低いことも考えられる。一歩山に入れば、家電製品や自動車などの不法投棄が目に付く。漁業従事者なども、当然のように海に針や糸を投げ捨てているようである。公共事業のインパクトに比べたら、そのような個人レベルの環境破壊は微々たるものだろうが、積もっていけば決して無視できない破壊につながる恐れがある。
私は、奄美の自然環境が、日本だけでなく、世界に誇れるものであるからこそ、奄美の人々に自然環境を保全することの重要性を再認識してほしいと思う。この自然環境は、天与のものであり、奄美の悠久なる歴史や独特な風土をつくってきたものである。決して、奄美の人間のためだけのものではなく、世界の宝であると考えているのである。それは、平成15年に環境省によって、世界自然遺産の登録候補地に選定されたことからも明らかである。
この自然環境は、奄美に蔵する重要な資源の一つであり、奄美発展の可能性を握る、そして、他地域との差別化を図ることができる大切なものであると考える。だからこそ、この自然環境を保全することを訴えていこうと考えているのである。
以上をまとめると、私の志である奄美の発展の方向性が、まだぼんやりとではあるが整理される。それは、
1.経済・産業の活性化
2.一定の人口の確保
3.自然環境保全のしくみの確立
である。これらを上手く組み合わせて、自立型の産業構造への転換を達成し、奄美を永久に繁栄させたいと考えている。
そして私は、これらを統合的に実現していくために、政治という手段を用いることが効果的ではないか、という仮説に至った。個々の企業・業種・業界を発展させるだけでなく、それぞれを有機的に結び付けて、産業、そして経済を全体として発展させる。また、自然環境を保全するしくみを構築しながら、それを活用する方向で産業を振興させる。そして、人口政策は古くからの政治の課題である。やはり、奄美のような、市場の働きが弱く、政治や行政の影響力が強い地域では、政治という手段を用いることの効果は大きそうである。これは、奄美の政治のあり方自体をも変革しようとする試みでもある。
次回以降は、以上のような志・問題意識を踏まえて、より具体的な着手していく分野について論じていこうと考える。その際、決して奄美の個別最適ばかりを考えるのではなく、日本全体、世界全体という大局観に立った奄美の位置付け、という視点も忘れずに考察しようと考える次第である。
『戦後奄美経済社会論』(皆村武一)
『奄美群島の近現代史』(西村富明)
『奄美群島の概況』(鹿児島県大島支庁)
鹿児島県庁HP など
Thesis
Sohei Yasuda
第25期
やすだ・そうへい
鹿児島県奄美市長/無所属
Mission
地方における自主独立の振興・発展策の推進