Thesis
今回のレポートでは、奄美が世界自然遺産に登録されるべきか否かを論じたい。大切なのは結論だけでなく、その理由や目的であると考える。そこにこそ、遺産登録を成功に導き、地域の繁栄につなげる鍵があると考えるためである。
私の志は、故郷である奄美を発展・繁栄させることである。前回のレポートでは、そのために解決すべき課題として、(1)経済・産業・雇用の活性化、(2)一定の人口の確保、(3)自然環境保全のしくみの確立、の3つを挙げた。そして、奄美固有の資源である貴重な自然環境を繁栄の基軸として位置付け、戦略的に活用する必要性を述べた上で、課題(3)を最優先に取り組みつつ、課題(1)をも並行して進めるのが良いのではないか、と述べた。さらに、課題(3)について重要なことは、法制度と共に、地元の人々の意識や行動であると考え、それらを大きく高揚させるしかけとして、奄美も登録候補地に挙げられている世界自然遺産について概観した。
今回のレポートでは、課題(3)の中でも、改めて世界自然遺産について考察を深めようと想う。その概要やそれに関する奄美の現状については繰り返し述べないが、ここで先行登録地の事例に基づいて、奄美が世界自然遺産に登録されるべきか否かを論じたい。この命題について、私の考えを理由と共に表明し、次の行動に移さんがためである。
奄美の遺産登録の是非について、私の考えを結論から述べる。私は、国内の3ヵ所の先行登録地を調査した結果を踏まえて、奄美は遺産登録を目指すべきであると考える。
それでは、以下に先行登録地の概況、登録までの経過、現在抱えている課題などについて調査結果を概説し、続いて遺産登録を是とする理由を述べようと想う。
事例1.屋久島【登録は平成5年12月、帰属は鹿児島県屋久町・上屋久町】
屋久島の自然環境の特異性は、「洋上アルプス」と評されるように、九州最高峰の宮之浦岳(標高1936m)をはじめとする急峻な山々の存在と、花崗岩を中心とする痩せた地質を端緒とする。これにより、年間4千mmから1万mmもの非常に多い雨量がもたらされる。また、土壌に栄養分が少ないため、杉は生長が遅くなり、年輪の幅が緻密に、幹は硬質になり、防腐・防菌・防虫効果の高い樹脂が多く蓄積されることになる。そうして、世界的にも希少な樹齢数千年の屋久杉が生育されるのである。さらに、ヤクジカ・ヤクザルなど多くの固有種や絶滅の恐れのある動植物などを含む生物相を有するとともに、海岸部のソテツ・ガジュマルから山岳部の高山植物までの見事な植生の垂直分布を有し、優れた自然景観を保っている。私の感想を一言でいえば、「わが国の自然を凝縮した、箱庭のような島」である。
遺産登録までの経過について、屋久島においては時間の面で急ピッチに進んだ。わが国は平成4年6月に世界遺産条約を批准したが、それからわずか1年半で登録に至った。このとき、環境庁(当時)・鹿児島県との折衝に当たったのは、屋久島環境文化財団という、県と屋久町・上屋久町とが出資する財団だった。この財団は設立当初、遺産登録を取り扱うのが目的ではなく、県の「環境文化村構想」を策定するのが目的だったという。それがいつの間にか、地元の自治体などよりも、遺産登録に中心的に関わるようになったというのだ。その結果、地元の住民や自治体には世界自然遺産そのものの内容や影響が十分に認知・浸透されないまま、登録に至ってしまった。(ちなみに、平成5年の屋久島・白神山地の遺産登録は、条約批准の「ご祝儀的登録」だったという指摘もある。)
それから12年以上経ち、たしかに観光客を含む入込客は増えた。平成5年度の20万9千人から16年度の31万5千人と50%も増加し、いまなお増加傾向にある。宿泊・交通・ガイドに関連する企業数や就業者数も軒並み増加している。経済的には大きな効果を挙げているといえるだろう。
一方で、現在多くの課題を抱えている。心ない観光客による島のシンボル・縄文杉の損傷、マナーの悪い登山客によるゴミやし尿の放置、高料金・低サービスといった悪質なガイドの出現などである。残念ながら、自然環境を十分に保全できているとはいいがたい。
現在は、地元の観光協会や様々な協議会が課題の解決に向けて、登山道・トイレの整備、ガイドの登録制や入島税の導入などに取り組んでいる。登録から12年が経過し、島の貴重な自然環境の持続という点について、ようやく島民たちの危機意識が高まってきたのではないかと想う。今後の継続的な取り組みを注視していきたい。
事例2.白神山地
【登録は平成5年12月、帰属は青森県鯵ヶ沢町・深浦町・西目屋村・秋田県藤里町】
白神山地の自然環境の特徴は、かつて本州のどの地域でも見られたブナの原生林が、約1万7千haという世界最大級の規模で残存していることと、それに伴い、クマゲラやイヌワシなど希少な生物が数多く生息していることである。このブナという樹種とこの規模こそ、遺産登録された最大の要因である。というのも、ブナは特定の環境状況を示す有効な尺度としての「指標生物」に指定されている貴重な植物だからである。これによって、白神山地の生態学的発展段階における現在の位置を測定できるのだという。
ブナという木は、「橅(木に無し)」と書くように、林業の観点からは価値の低い樹木だった。水分を多く含み、木材に加工しても曲がりやすく、用途は薪や什器やりんご箱などに限られていた。よって、本州など多くの地域では、伐採されて杉や檜に植え替えられてしまった。だからこそ、白神山地に広大なブナの原生林が残ったことは奇跡といえるのである。これには、付近の主要都市である弘前からの交通の便の悪さも幸いしたといえるだろう。
白神山地の遺産登録の過程は、ほとんど屋久島と同じである。地元の意見の反映など余りなかったのではないかと想われる。議論は環境庁と青森県・秋田県とが中心となって進められ、地元自治体の職員が会議の場に出ても、オブザーバーとしてただ聞いているだけだったという。おそらく、世界自然遺産そのものの理解も不十分だったのではないか。
結果として、屋久島と同様に観光客は増えた。西目屋村の統計では、平成7年の25万人から11年の60万人にまで増加し、その後は50万人台で推移しているという。かつて村に観光という産業は存在せず、林業・山菜取り・出稼ぎによる仕送りなどが収入源だったのだが、今では道路・宿泊施設・観光施設などが整備され、村営の地場産品特売所ではりんごジュース・地酒・そばなどのオリジナル商品が並んでいる。登録前と比べて、それなりの経済効果があったことはたしかだろう。
一方で、課題も絶えない。最も深刻なのは、入山の届出制を無視して山に入り、河川で釣りをしたり、貴重な植物などを盗掘したりする者による自然環境の破壊・悪化である。ここでも登山客によるゴミやし尿の問題が発生している。森のシンボルであるクマゲラも個体数を減らしているといわれている。
この地域でも、国・県・地元自治体からなる連絡会議によって、課題の対応に取り組んでいる。しかし、民間の環境団体やガイド団体との連携が弱く、解決への取り組みが屋久島や知床に比べて力不足であると、私は感じている。今後の発展に注目したい。
事例3.知床【登録は平成17年7月、帰属は北海道斜里町・羅臼町】
知床の自然環境の特徴を一言で表現すれば、「流氷が育む豊かな海洋生態系と陸上生態系との密接な相互関係」といえるだろう。つまり、流氷で運ばれてくる植物プランクトンが海洋生物を育むとともに、シマフクロウなどの鳥類が魚を捕食したり、ヒグマなどの哺乳類が河川を遡上するサケ・マスを捕食したりして、海域と陸域との密接な関係が世界的に特異とされているのである。また、オオワシやオジロワシなどの希少な鳥類、エゾシカやキタキツネなどの陸上哺乳類、クジラやトドなどの海棲哺乳類などが生息し、生物の多様性も評価されている。そして、知床半島の背骨を成す知床山脈も、沿岸部から山頂にかけて見事な植生の垂直分布を示している。
この地の遺産登録への過程は、前二者と比べて地元主導であり、地方自治の観点からは理想的であったように想う。今ある知床の歴史を遡れば、その大元は元斜里町長の藤谷豊氏に行き着く。昭和39年の国立公園指定、46年の加藤登紀子さんの歌謡曲『知床旅情』の大ヒットにより、知床は観光地として定着しつつあった。その当時、日本列島改造論の影響を受けて土地投機が盛んになり、知床にも開発の波が押し寄せた。そこで、早くから知床の自然環境の貴重性に目を付け、それを戦略的に活用した地域振興を考えていた藤谷氏は、知床の住民をはじめ、日本国中から出資者を募り、土地を買収して保全しようというナショナルトラスト運動をわが国の先駆けとして実行した(事業名は「しれとこ100平方メートル運動」)。これなくして、今日の知床の豊かな自然環境はあり得まい。その後、行政トップによる自然環境保全の思想・取り組みは、後継者の午来昌現町長や町職員に脈々と受け継がれているようである。斜里町の行政サイドには、日本の中でも常に環境のトップランナーである、という自負心が強く保たれていると、私は感じた。
だからこそ、屋久島と白神山地が先に遺産登録されたことに発奮したようである。両地域の登録後、斜里町環境保全課は独自で世界自然遺産の調査・研究を進め、隣の羅臼町にも呼びかけて地域連絡会議などを設立し、自然環境の保全を進め、地元への普及・啓発を図りながら、環境省や北海道に熱烈に働きかけ続けたのである。その推進力たるや、まさに強烈であった。
遺産登録後、まだ1年に満たないが、その効果は想像以上のものだったようだ。元々知床は、年間150万人以上が訪ねる堂々たる観光地であったため、観光客の急激な変化はないだろうと読んでいたという。しかし、平成16年度の155万人から、17年度は173万人と急増した。それに伴い、夏期の宿泊施設は連日フル稼働で、キャンセル待ちが続出したらしい。経済面での効果は確実に上がっている。
一方、その反面の課題も当然にある。上と一部重なるが、宿泊・休憩施設やトイレ・駐車場の不足、交通渋滞による混雑などである。また、豊かな自然環境を楽しむ公園や遊歩道において、観光客のラッシュによって自然環境へ過度な負荷がかかり続けているという。
これらについて、地域連絡会議や両町が積極的に解決を目指して取り組んでいるようだが、観光客の多すぎる流入について、管理する手法の模索に苦心しているようである。
以上、3ヵ所の先行登録地の事例を見てきた。ここで注目すべき点は、いずれの地域においても、プラス面とマイナス面とが見出されており、プラス面を伸張させつつ、マイナス面を解消するために苦難の取り組みを継続している、ということである。
プラス面としては、上記に紹介したもの以外も含めると、観光客の増加に伴う観光収入の増加・雇用の増加・地域の活気の向上、地元住民の環境保全意識の向上・地元への愛着や誇りの向上、商品や産品への付加価値の上昇、自然環境の調査・研究の進歩による科学的情報の蓄積、地域の人口の増加などが挙げられる。
同様にマイナス面としては、ゴミ・し尿・車の排気ガスなどによる自然環境への負荷の増大、地元住民や企業の活動への規制の可能性の存在、地元自治体の財政負担の増加、観光客受け入れ態勢の未整備による混雑などが挙げられる。地元住民の環境保全意識が向上する一方で、心ない観光客などによって自然環境が悪化してしまうことは皮肉である。ここには、自然環境を保全することよりも、悪化させることの方が早く容易であることが現れていよう。それを回復させることは、なお時間がかかり困難であることは論を俟たない。
大括りにまとめると、いずれの地域も、現時点において、いわゆる「環境と経済のバランス」を保ち得ているとはいいがたく、今後の課題となっている。いずれの地域も、予想を超える観光客の多さに対応しきれずに、環境への負荷が大きい状態が続いている。さらに、白神山地や知床では、周辺の観光地である八幡平・十和田湖や網走・川湯温泉に宿泊客を奪われるなどして、地元が経済的に十分に潤っていないとの指摘もある。12年の年月が経っても、また、有名な観光地としてノウハウが蓄積されていても、これが世界遺産というインパクトがもたらした現状である。「環境と経済のバランス」を保つことの難しさを物語っていよう。
それを保つためには、自然環境を保全するしくみをつくり、それを実効性のあるものとして運用するとともに、観光客にもそれを理解してもらい、それに則って観光してもらう必要がある。そうしなければ、どうしても保全より破壊の方が先行してしまう。その上で、地域経済に潤いをもたらすためには、宿泊・交通・ガイドなどの面での受け入れ態勢の整備が必要になる。そのためにも、民間の分野、つまり、地元の住民や企業の理解・納得に基づく協力が欠かせない。それなくして、たとえば、屋久島や白神山地のように、行政だけで議論を進めても、成功するはずがない。だからこそ私は、ここで地元における議論の必要性を訴えたい。これこそが、「環境と経済のバランス」を保つことの出発点であることを強く訴えるのである。
国内3ヵ所の先行登録地の教訓として、いずれの地域においても、プラス面を伸張させつつ、マイナス面を解消するための苦難の取り組みが継続していること、また、より大きくは、いずれの地域においても、いまだ「環境と経済のバランス」を保つための苦心の努力が続いていることを抽出した。そして、そのバランスを保つための出発点として、地元における議論の必要性を確認した。環境トップランナーの知床でさえ苦労しているのである。奄美がここから始めるのは当然である。
続いて私は、以下の4つの理由をもって、奄美は遺産登録を目指すべきであるということを主張したい。
(1)世界自然遺産は、現時点において、最高の自然環境保全のしくみであるため。
世界自然遺産に登録されるためには、国内における最高度の法制度の施行が必要であることは、前回のレポートで述べた通りである。それに加え、より重要な地元の人々の自然環境保全への意識・関心を高め、行動を促すのに大きな作用を及ぼすだろう。それこそが、世界最高級の評価がもたらす最大の正の効果であると考える。
このくらいのショックがなければ、身の回りの自然環境の価値に気付かないというのは情けないことではあるが、これも「灯台下暗し」という人間の特性の現れだろう。もちろん、これで全ての人々を動かせるとは想わないが、この効果は測り知れなく大きいと考える。
(2)観光活性化など、自立型産業構造への転換や地域活性化に資するため。
奄美において、観光業を軸とした自立型産業構造への転換の重要性については、前回述べた。遺産登録のプラス面として、観光業を中心とした経済効果が挙げられているが、たとえば、第一次産業や製造業などとの連関性を強化することによって、確実に多くの産業に波及させ得ると考える。肝は、そのしくみ・しかけであろう。これを案出することこそ難しいが、多くの人々を巻き込み、議論を深め、連携を深めることによって、達成できるのではないかと考える。このように、地元企業の業種を超えた経済活動の一体化も、地域活性化につながるものと考える。
(3)公共事業のあり方を変えることができるため。
奄美における公共事業の問題については、前々回のレポートで述べた。ここでは、自然環境の破壊が直接に関わる問題であるが、遺産登録によって、そのあり方も変わらざるを得なくなると考える。工事自体も減少するだろうが、工事する場合でも、環境への最高度の配慮が必要となるだろう。また、景観にも配慮した工法が定着するだろう。環境面で先進的な公共事業のあり方を推進できると考える。
(4)地元への愛着や誇りが高まることにより、教育面や人口維持の面での効果が期待できるため。
遺産登録のプラス面として、地元の価値を見つめ直すことにより、地元への愛着や誇りが高まることが指摘されている。そうしてこそ、地元の人々の地域づくりへの気運が高まり、地域は活気付き、力強く発展していくことができると想う。
遺産登録により、大人から子供まで、足元の価値を見つめ直すことになるだろうが、子供たちには情緒面で大きなプラスの影響をもたらすのではないか。というのも、自らが拠って立つ地域や組織を愛してこそ、愛情や想いやりあふれる人間性が涵養されると想うからである。このような風土があれば、子供たちは進学や就職で一度島の外に出たとしても、将来は故郷に帰ってくるだろう。また、それだけでなく、旅行者など外部の人々をも惹き付けてやまないだろう。そうなってこそ、一定程度の人口を確保することができるものと考える。
以上、主に4つの点を理由として、私は遺産登録を目指すべきだと考える。いずれも、先行登録地に見られるプラス面の延長にあるものだが、これを達成できれば、マイナス面を補って余りあると考える。また、奄美には後発の優位性がある。先行登録地のマイナス面が見えているのだから、問題発生の予測可能性が十分にある。登録するにはまだ時間がかかるので、観光客受け入れ態勢の整備など、事前の準備もできるはずだ。先行登録地を絶えずチェックすることにより、マイナス面を極力減らすことは可能であると考える。
ここで、上記が単なる楽観論ではないという根拠を示すために、奄美の自然環境の特徴を述べておくと、奄美には、先行登録地3ヵ所のように、標高1千mを超える高い山が存在しない。これは、自然環境の保全を考える上で、非常に重要なことであるといえる。というのも、遺産登録される非常に貴重な自然環境が残っている地域は、人が容易に立ち入れないような、高い山や深い谷であることが多い。一般に登山や山歩きに慣れていない観光客は、あえてそこまで立ち入ろうとしないが、登山客はたやすくその地域に入っていくことが見受けられている。そして、しばしば、山に登ることが最大の目的で、自然環境保全の意識に乏しい登山者もいるようである。そのようなマナーの悪い登山客が、自然環境の破壊・悪化を引き起こす一因であると考えられるのだ。
その点、奄美には登山客を惹き付けるような高い山は存在しない(最高峰は湯湾岳694m)。また、低い山地でも、猛毒をもつハブが生息しているため、地元の人々でさえ迂闊に立ち入ることをしない。奄美には、「ハブは山の守り神である」という考え方もある。これらのことを観光客に確実に伝えることによって、奄美では自然環境をより良く保全できる可能性があると考える。しかも、その保全の発想の起点が、自然環境の特徴や地元の自然信仰に基づく独自のものであるので、地元の人々にも、また、興味を喚起することで観光客にも受け入れられる可能性があると考える。先行登録地が抱えるような課題は、全く歯が立たない問題ではないと考えるのである。
これらのことをも踏まえて、やはり、奄美は遺産登録を目指すべきであると考えるものである。
私が、上の4つの理由と共に、奄美は遺産登録を目指すべきであると表明した根底にある想いは、3つの先行登録地を回って得た正直な感想なのだが、奄美の自然環境は3つの先行登録地のそれに決して劣ることがない、誇るべきものである、という感動であり、感慨である。現に生物の特別天然記念物の数では、奄美はわが国最多の地域なのである。また、植物の緑の濃さや単位面積あたりの生物の数も、奄美の方が多いと想われる。奄美の自然環境は、一言で「生命力が強く、密度が濃い」といえよう。
私は、このような奄美は、世界自然遺産に相応しい、よって、それに登録すべきであると考える。むしろ、何らかの問題で登録できなかったら恥であるとさえ感じる。この想いも、遺産登録を目指そうと考える大きなきっかけの一つであり、それを突き動かす原動力の一つなのである。
ここで改めて、奄美が遺産登録を目指す上での課題を整理したい。奄美が遺産登録を目指す理由であり、目的は、これまで述べてきたように、世界的にも貴重な自然環境を着実に保全することと、その上で、観光活性化を通じて経済・産業を活性化すること、さらに、ゆくゆくは、それらによって地元の人々の地域への誇りや愛着を強化し、人口の確保・維持を成し遂げ、奄美を長期的に繁栄させることである。
それらを達成するためにも、確実に「環境と経済のバランス」を保たなければならない。難しい課題ではあるが、これを保たなければ、奄美の長期的な繁栄はあり得ない。なぜならば、それを保ち得てこそ、奄美の長期的な存続が可能となるからだ。この存続、長続きするという概念こそ、人間社会の大きな目的の一つではあるまいか。奄美の最大の資源である貴重な自然環境は、一度失うと二度と取り戻せないものである。それらを破壊し、経済発展一辺倒になることは、奄美を滅ぼすことになりかねない。何としてもそれだけは食い止めなければならない。
そのバランスを保つためにも、地元での議論が重要であるということは、強調してもしすぎることはない。地元での議論に、多くの人々を巻き込む必要がある。多くの人々の理解と納得に基づく協力を得ることができてこそ、自然環境を着実に保全しつつ、観光活性化を通じた経済・産業の活性化がより良く実現できるからだ。また、多くの人々からの衆知を集めることで、それらについてより有効な手立てが生まれてくるだろう。
よって、多くの人々を巻き込むためのプロセスが重要であり、このプロセスが結果を決するといっても過言ではあるまい。だから、このプロセスを大切にするためにも、先に挙げた4つの理由などを中心に、遺産登録に多くの意味合いを持たせようと考える。
遺産登録にさらに多くの意味合いを付加し、それらを説明し、粘り強く地元の人々を説得していくことが、私の、そして、奄美という地域全体の、今後の課題である。
以上、奄美の遺産登録の是非について、私の結論とその理由、そして、今後の課題などを述べてきた。このようなことを改めて整理して論ずる必要性を感じた背景として、実はこの平成18年3月下旬、奄美の遺産登録へ向けて鹿児島県が進める「奄美群島重要生態系地域調査」の第7回学術検討会において、県環境保護課から、早ければ平成23年の遺産登録を目指す旨の発表があったことが挙げられる。
私はこの事実を知り、予想以上に早い期限目標に驚いたが、それよりも衝撃を感じたのは、現在地元の住民・企業・自治体では、遺産登録についてほとんど議論が進んでいないにも拘らず、県の方から期限目標が設定されたことである。(ちなみに、地元で議論が進んでいないことは、それに取り組むNPOなど住民主体の組織・団体が存在しないこと、それに関する自治体の事業が存在しないこと、地元紙の論調などから判別できる。)
これまで見てきた屋久島や白神山地の事例のように、このような仕方で遺産登録されても、おそらく成功しないだろう。結局のところ、自然環境を保全するのも、急激に増加する観光客に対応するのも、地元の人々でしかないのだから。
環境省や鹿児島県の考えとしては、自然環境の専門的知識を要する案件であり、地元だけでは判断できないのではないか、また、市町村という枠組みを超えて取り組む案件であり、地元だけでは議論を収拾できないのではないか、あるいは、予算も確保できないのではないか、という懸念があるだろう。しかし、このような考えは、地方分権の本旨に反し、余計なお節介以外の何物でもない。やはりここで必要なのは、地元における議論である。このことこそ、地方自治、あるいは地域活性化の原点ではあるまいか。本稿では、今まさにそのときだと感じたからこそ、このことを訴えたかったのである。
最後になるが、私が国内の3ヵ所の世界自然遺産先行登録地を調査して、最も印象的だったことは、インタビューに応じて頂いた、住民・企業・行政各々の立場の方々全てが、「世界遺産に登録されて良かった」と答えていたことである。彼らは決して、それがもたらす負の側面を認識していない訳でも、また、目をつむっている訳でもない。むしろ、それを解決しようと、日夜努力しているのである。
遺産登録されたからといって、それに満足することなく、課題を解決し、地元の価値を高めようと努力しつづけることこそ、本来あるべき姿勢であると想う。地元の価値を決めるのは、ユネスコの世界遺産委員会でも、国内外からの観光客でもなく、結局は地元の人々でしかないのだから。ある識者の言葉を引用すれば、地域振興の本質は、「地元の人々がどれだけ誇りをもってその地域に生きるか」に尽きるということである。
私も、この言葉を良く噛みしめた上で、遺産登録はきっかけ、あるいは、手段であり、最も大事なことは、地元の人々の誇り・愛着・意識といった「精神の部分」に訴えつづけ、少しずつ高めていくことである、という想いを腹に据えて、これから遺産登録の活動を進めていこうと想う。
参考文献
『白神山地 森は蘇るか』佐藤昌明、緑風出版、1998年
『観光読本』(財)日本交通公社、東洋経済新報社、2004年
『世界遺産学のすすめ』シンクタンクせとうち総合研究機構、2005年
『結いの心』郷田實・郷田美紀子、評言社、2005年
『地域政策No.18』三重県政策開発研修センター、2005年
『奄美群島の概況』鹿児島県大島支庁、2005年
『季刊ecoツーリズム30号』日本エコツーリズム協会、2006年など
Thesis
Sohei Yasuda
第25期
やすだ・そうへい
鹿児島県奄美市長/無所属
Mission
地方における自主独立の振興・発展策の推進