論考

Thesis

改憲論議における「わが国独自の実現すべき価値」を考える

将来のわが国を方向付ける改憲論議において、既存の常識や価値観のみを見直すだけで、真にわが国を力強く長期的に繁栄させ得る憲法が導き出せるとは考えられない。わが国独自の実現すべき価値とは何か、考察を試みる。

はじめに

 これまでの国家観レポートでは、憲法考察の一つの切り口として、現行憲法の三大原理といわれる「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」について考えてきた。現行憲法の改正論議が加速するのを踏まえて、今後それらがどのような方向性に改善されるべきかを考えるためだ。

 しかしながら、ここへ来て、はたしてそれだけで良いのか、もっと深い処にある根本的な問いかけをすべきではないか、という想いが筆者の中で日増しに強くなってきた。というのも、既存の議論の流れに沿った考察で、あるいは既存の常識や価値観のみを見つめ直す考察で、激動が予測される将来のわが国に最も適した方向付けをなしうる憲法の議論を深め得るのか、疑問に感じたためである。

 この疑問の根底には、現在の自民党・民主党の改憲論議を見ていても、わが国が目指すべき姿、つまり将来の国家像が今一つ明確に見えないことへの不安がある。この不安については、後に詳述するとして、やはり問題なのは、見えない国家像である。国民の価値観が多様化し、理想とする国家像を一つにまとめるのが困難なのは判る。しかし、その核たるもの、基軸たるもの、わが国が守り堅持すべき、あるいは今後実現すべき価値は何であるのか、それを問い直す必要があると考える。それこそが、国家像の基礎になると考えるためである。

 冒頭に紹介した三大原理も重要な価値である。しかし、それだけで良いのか。他にはないのか。このような議論を明示することなく、小手先だけのテクニカルな制度変更になってはならないと想う。

 わが国にはわが国ならではの価値や理念がある。それを発揮し、わが国独自の歩み方をしてこそ、真にわが国を力強く長期的に繁栄させ得る道となるのではないか。本稿では、その価値や理念の仮説を探ってみようと想う。

不安の淵源

 先に述べた、国家像が今一つ明確に見えない不安の淵源を辿れば、わが国の近現代における「二度の敗戦」、つまり大東亜戦争敗戦とバブル崩壊の記憶に行き着く。

 歴史を振り返れば、わが国は明治期以降、欧米のスタンダードに振り回されてきた感がある。ここでいうスタンダードとは、国家活動における原理・原則・主義や価値を意味する。それはある時は帝国主義であり、ある時は合理主義・経済至上主義であった。

 わが国は、明治維新による近代化以後、わが国の独立を守り、不平等条約を改正するために、欧米列強の帝国主義というスタンダードの中で伍し、世界でも屈指の軍事力を有するようになった。しかし、次の瞬間に米国に大きな敗北を喫してしまった。

 その後、わが国は米国の主導する西側資本主義経済圏において、軍事面を米国に委ねることで国力を経済復興に傾注することができ、戦後数十年で世界屈指の経済大国として台頭した。しかし、自らの力を過信したためか、巨大な経済力をもって投機に走り、バブルと呼ばれる一過性の過熱状態をつくり出し、破裂させてしまった。

 いずれの場合も、わが国は大成功を収めてまもなく、自他共の原因によって、破綻へと転落してしまったのである。ここで反省すべきは、あまりにも欧米のスタンダードに則ってしまった、わが国の姿ではなかろうか。もちろん、それを上手くわが国の血肉としてきた面はある。しかし、欧米がたとえどんなに優れたスタンダードを用意しようと、わが国がそれだけではやっていけないことは歴史の教訓である。その理由の一つは、欧米が用意した「リング」の上でいかに首尾良く競争し得ても、その「リング」をひっくり返す権限を主に欧米によって握られているためである。

 しかし、より根本に遡って考えてみたい。そもそも、欧米のスタンダードは、人類の歴史に照らして良いものなのか。もっと良いものがあるのではないか。このことを考えると、議論は人類における「近代化」の過程に行き着く。それこそが、現代世界を規定する大きな根源の一つだと考えるためである。

西洋近代化の概観

 ここで、人類の歴史における近代化について概観しよう。一般に近代化とは、合理主義・個人主義の発見と、それに基づく科学観や政治体制の出現であると目されている。

 この近代化は、西洋を中心に起こった。ルネッサンスに端を発し、宗教改革、科学革命、産業革命と続くのが一連の流れである。哲学的には、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という近代的自我の発見が重要だといわれる。

 しかし、私がさらに重要だと想うのは、16世紀の宗教改革に始まったプロテスタンティズム、その中でもカルヴァン主義が唱えた予定説である。「救済されるかどうかは、神の意志により予め決められている」という予定説が、アダム・スミスの「神の見えざる手」など経済学に多大な影響を与えたと考えられ、またマックス・ウェーバーが指摘するとおり、資本主義を大きく推進する理念的支柱になったのだと考えられる。

 また、政治哲学的には、予定説の影響を受けて、ホッブズの社会契約論を発展させたロックの思想は、今日の世界を大きく規定する力をもつほど重要である。彼は「各人が自己生存のために何でもする自由」という自然権を大筋で認め、「他人の自由と権利を侵害しない限り自由」と唱え、また国家とは国民の自由で平等な契約によってつくられる、とする国民主権をも唱えた。それによって、絶対王政を否定し、名誉革命を擁護したのである。

 さらに、マキャベリの思想も見逃せない。彼は現実社会を見極め、プラトンが唱えた哲人政治を諦めて、社会の目標を実現可能なものへと転化した。それこそが 「自由」だったのである。

 このような合理性の追求、個人の自由の追求が、後のアメリカ独立宣言やフランス革命、産業革命に繋がっていったことは論を俟たない。そして、帝国主義や経済至上主義に繋がっていったことも。

 このような西洋の近代化に対して、わが国はどのように向き合ったのか、次に確認してみよう。

わが国における近代化の過程

 わが国では、黒船来航に象徴されるように、幕末・維新の頃から近代化、または文明化(わが国では近代化と同等の意味を持つ言葉として使われてきた)が本格的に始まった。しかし、そもそも江戸時代までのわが国における「文明」とは、中国における文物、とりわけ歴代の中国の王朝が統治の理論として採用した儒教文化が普及している状態を示す言葉であった。

 この文明観を大転換させたのは、福沢諭吉であるといわれる。彼は自ら渡米し、祖国とは比較にならないほど繁栄している(ように見える)米国の政治・経済・社会状況をその目で観た。その際、ネイティブアメリカンや黒人への差別の状況も観たはずである。しかし、西洋に及ばないことを悔い、西洋諸国を文明国と認めるに至ったのである。

 彼は、文明という観念を儒教的文脈から切り離し、専ら西洋のcivilizationとして理解した。その根底には、「徳」よりも「知」を重視した姿勢が指摘されている。

 福沢の影響も小さくなかっただろう。わが国は、政府を中心に「文明開化」を大合唱して、国家を挙げて近代化に取り組んだ。ここでの近代化の中身を詳細にいえば、主権国家体系による国際法体制と、それに基づく帝国主義的植民地政策だといえよう。

 当時、自国が帝国主義を採らなければ、他国によって帝国主義者として振る舞われてしまう状況にあったため、この路線を採ることもある程度やむを得ない面があっただろう。そして、わが国は富国強兵を達成するため、不平等条約改正を国家目標としてそれに邁進し、その過程で憲法をはじめとする法体系も整えるなど、近代的な法治国家としての諸条件も整備していったのである。

 こうして、わが国は当時の東洋において唯一、近代化に成功したといっても過言ではあるまい。しかし、その後の栄光の果ての破綻は、先に述べたとおりである。

わが国における近代化の考察

 ここで私は、わが国の政治哲学・法哲学やそれに基づく諸制度の近代化において、二つの観点から考察を深めたい。一つは、そのプロセスに関わるものであり、もう一つは、受容した「近代化」の中身についてである。

 まずは、政治哲学・法哲学やそれに基づく諸制度の近代化のプロセスである。ここで特に注目すべきは、国家権力の抑止による国民の保護を旨とする制限規範である憲法やそれを中心とする法体系が、主に外交上の要請によって制定されたことである。要は、先に述べた不平等条約改正を達成せんがために、取り急ぎ欧米と同等の政治制度・法制度を備える「外観」を必要としたためであった。これについて、たとえば、わが国の民法の主要な編纂者であるフランスのボアソナードは、招聘されて早々、「貴国の民法典を日本語に翻訳してくれさえすれば良い」といわれて驚いたというエピソードもあるほどだ。

 これは明らかに、欧米諸国における近代化とは異なる過程であったといえよう。欧米諸国では、絶対王政という強大な権力を克服する必要があった。そこで用いられたのが、ロックの唱える自然権の思想であり、自由や平等という概念であった。フランス革命を例に採れば、市民は王権を打倒し、公権力の行使者を改めるに際して、自らの生命や財産などを国家から守るために、制限規範たる憲法を定めたのである。

 わが国における政治・法制度の近代化のプロセスは、下からの権力の制限によるものではなく、上からの「外観」を重視したものであった。そこで語られた理念や観念、たとえば、自由や平等や民主主義といったものは、どれほど深い内容をもって認識され、またどれほど多くの人々に理解されたのだろう。

 もちろん私は、その理念や観念がわが国の言葉にうまく翻訳されたことは信じて疑わない。たとえば、「自由」とはfreedomの訳語であり、「自らを由(よし)とする」という、元々の言葉よりもさらに深い意味付けをもつものであった。しかし、「自らを由とする」ことの裏側にあるより深い意味合い、つまり単なる身勝手とは異なること、大きな責任をも伴っていること、それゆえに、本来は自制することのできる人物のみが実践しうるものであるということを、どれほど多くの人々が理解し、納得できたのだろうか。(これについては持論であり、欧米のfreedomよりもさらに厳格なものだとは認識しているが、本来はかくあるべし、と考えるのである。)

 また、多くの識者からも指摘があるように、上述のようなプロセスが一因となって、わが国民の公の意識の希薄さや、国家意識の希薄さにもつながっていったのだろう。このことを私たちは、よくよく考え直さなければならないと想うのである。

 もう一つは、受容した近代的な政治哲学・法哲学そのものの中身についてである。

 これについて、藤原正彦氏は、昨年来大ベストセラーとなった著書『国家の品格』の中で、欧米の近代的合理主義の根底にある理性や論理に内在する限界を示している。つまり近代的合理主義が抱える問題は、本来は科学技術のみで有効な論理を、複雑多岐な人間社会にまで適用してしまったことに起因するという。そして、人間社会で最も重要なことは論理だけでは説明できないことや、論理的に正しいことと善悪とは別次元であることなど、論理に内在する限界を明らかにしている。さらに、自由や平等や民主主義なども、そもそもは教会の権威や絶対王政を倒すための自己正当化の道具に過ぎなかったと論破しているのである。論理の学問である数学の専門家の藤原氏の言葉には、論理を超えて納得できる部分が大きかった。

 ここで私は、藤原氏と同様に、自由や平等や民主主義を貶めようと考えているのではない。そうではなくて、それらを今一度見つめ直し、精査する必要があるのではないかと考えるのである。現代には普遍的な所与の価値ととらえて、思考を停止してはいけないと想う。特に、十分な国民的議論もなく、明治期、あるいは大東亜戦争後にそれらが上から与えられたわが国においてはなおさらである。本当に自由であるならば、「自由を批判する自由」もあるべきだ。そして、それらの理念や観念の正負の面を勘案して、先に述べたような、より高いレベルのものを目指していくべきではないかと考えるのである。それこそが、真にあるべき生成発展の姿であるからだ。

 しかしながら私は、ここで満足する訳にはいかない。冒頭でも述べたように、たとえ欧米の近代的合理主義が、まだまだ改善の余地があるにせよ、人類にとって有用なものであるとしても、それだけでわが国が力強く繁栄していくとは考えない。何かしら付加すべき、わが国独自の価値が必要なのである。以下に、それを探ってみようと想う。

わが国独自の実現すべき価値の考察

 ここでもう一度、わが国の近代化(文明化)受容の端緒に戻りたい。先に、わが国の文明観を大転換したのが福沢諭吉であったことを述べたが、一方でわが国本来の文明観に最後までこだわり続けたのが西郷隆盛であった。彼の文明観を表す有名な言葉は、「文明とは道の普く行わるるを賛称せる言にして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言うにはあらず」というものである。ここでいう「道」とは、道理であり、正義である。この根底にはわが国に根付いた儒教思想があり、この文脈における政治とは、「徳」による統治、すなわち「王道」である。西郷は、海外事情を見聞するにつけ、西洋文明の非道さや残虐性を観て、そこに「覇道」を感じたはずだ。江戸城の無血開城の背後には、欧米列強につけいられまいとする西郷の断固たる覚悟があったのである。

 その後、明治新政の骨格をつくり上げた西郷は、征韓論争(遣韓論争)を経て下野し、後に西南戦争で官軍と戦うことになる。西郷にとって、欧米のスタンダードに則って台湾や朝鮮に非道の外交を始めた明治政府を赦せなかったのは想像に難くない。西郷は、王道から外れた明治政府に立ち向かうという大義をもって、最期まで戦い抜いたのである。

 もちろん、西郷が最後までこだわり続けた文明観は、明治維新によって全てなくなってしまったのではない。たとえば、日露戦争後、岡倉天心が『茶の本』において、その文明観を明らかにしている。その後も、その文明観はたしかに息づいている。その際たるものが、わが松下政経塾において、儒学を学ぶ伝統であるだろう。私はここに、わが国が付加すべき価値を見出せると考えるのである。

 儒学とは一言でいうならば「修己治人」、つまり己を正しく修め得ることを敷衍していくことで、国を治めようとする政治哲学である。よく私たちの間では、「政治家になることよりも、何を為すかが大切だ」という言葉を耳にするが、さらにその上を進み、「何を為すかよりも、政治家として、人間としてどうあるかが大切だ」という考え方に通ずるものと理解している。

 ここで断っておくべきことは、徳による政治は、決してわが国や東洋だけのものではない。古代西洋の哲学者プラトンも唱えている。しかし、そこで重視される徳目は、国によって、地域によって、様々であろう。だからこそ私は、わが国に伝統的に根付いた徳目の中から見出そうとする姿勢が大切だと考えるのである。

 わが国の儒学において重要となる徳目は沢山ある。その中でも特に重要であり、西郷の「敬天愛人」にも通ずるものは、「仁」すなわち自分以外の人、もの全てを思いやり、愛することであろう。言い換えれば、情け、憐み、慈悲、惻隠、いたわりなどである。これこそ、わが国が堅持すべき、あるいは今後実現すべき価値の一つではないかと考えるのである。

 また藤原氏は、著書の中で「情緒と形」、特に自然に対する繊細な感受性や惻隠の情を中心とする武士道精神の重要性を強調している。これもまた、わが国独自の重要な価値であると想う。他にも、思想・哲学・宗教・芸術など、多くの分野から重要な価値を導き出せると想う。そうして、議論を深めていくことが大事ではないだろうか。

 戦前の記憶が邪魔をしているのなら、表現は良く検討する必要がある。しかしその場合でも、根本の意義や精神は変わってはならないと想う。そして最も重要なのは、国民の代表者であり、政治の直接的な実行者である政治家が中心となって、わが国独自の価値を深く認識し、身に行うと共に、それを憲法をはじめとする国家の法制度や無形の国民意識・常識などに、議論を伴いながら浸透させることであると想う。欧米発の価値や理念ばかりを普及させるべきではないと想うのである。

 このような試みは、歴史において先人たちが、何度も試みたのではあるまいか。しかし、それが制定以来60年も経つ現行憲法や、現在の改憲論議に十分反映されていないことが悔しいのである。近頃、教育基本法の改正をめぐる論議が賑やかである。この中でも、「公共の精神」や「わが国と郷土を愛する」といった文言が耳目を集めている。だが、教育基本法を改正するだけでは国家の全体像に欠けており、いかにも中途半端である。わが国が堅持すべき、目指すべき価値やそれを含む国家像を示すためにも、憲法改正論議における上記内容をも踏まえた議論のさらなる活発化を期待し、注視しようと想う。

締め括りとして

 以上述べたことの実現は、決して容易なことではない。困難なことである。しかし、それなくしては、自由や平等や民主主義と同等の、あるいはそれ以上の、わが国固有の価値を見出すことはできない。また確固たる国家像も持ちえず、ひいては、わが国の力強い長期的繁栄は達成されないのではないか。

 ここにおいて、儒学や坐禅をはじめ、茶道、書道、剣道など、わが国の伝統精神、伝統文化を体得せんと日夜励んでいる私たち政経塾生の使命は一層大きくなる。それが伊達でないとするならば、これに関する議論を私たちが牽引役となって進めていかなければならない。

 私も微力ながら、その責任の一端を担い得る一人になろうと決意する次第である。

参考文献

北山邦子『日本男児よ立ち上がれ!!侍ルネッサンスONE』幻冬舎ルネッサンス、平成18年
藤原正彦『国家の品格』新潮新書、平成17年
岩田温『日本人の歴史哲学』展転社、平成17年
岡崎久彦『百年の遺産』産経新聞社、平成14年
芦部信喜『憲法』岩波書店、平成11年
内村鑑三『代表的日本人』岩波文庫、明治41年
その他、塾生レポートなど

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安田壮平の論考

Thesis

Sohei Yasuda

安田壮平

第25期

安田 壮平

やすだ・そうへい

鹿児島県奄美市長/無所属

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