松下政経塾 The Matsushita Institute of
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1996年3月

塾生レポート

欧州の外国人問題の二冊の参考文献
平島廣志/卒塾生

 
 「人権か公民権か? 両者は重ならない。・・・(中略)・・・、両者の不一致はそのまま近代社会における<外人問題>(原文)への対応に現れている。外人問題の難しさは、すべて公民と人間を隔てる壁にあるといえよう。・・・(中略)・・・どうしたって、公民である度合いによって人間である度合いも決ってくる。・・・(中略)・・・人間と公民の間にある傷それが外人である。公民権を取り上げてしまったら後にどれほどの人権が残るのだろうか?」

 フランスの女性哲学者ジュリア・クリスティバ(Julia Kristeva)はその著書「外国人 ~我らの内なるもの~ 」の中でフランスの外国人政策に言及し、”国民(公民)”の創造を絶対的命題とする近代国民国家は、それ故に非・国民(公民)に対して国民(公民)と同等の権利を付与することを本能的に忌避する傾向にあり、これは西欧が本来持っている民主主義の価値観、人道主義、人権思想という価値軸と鋭く対立すると、述べている。

 このクリスティバ女史の見解が意味しているものは、移民問題、難民問題、定住外国人問題、人種差別問題、民族問題など<外人問題>の根底に、人間としての権利を得るためには国民であることを強要する国家の問題がつねに潜んでいるということである。むしろ、逆説的に国民(公民)を創り出すためには、<割り引かれた権利>のまま放置された外人=非・国民(公民)の存在がどうしても必要であると言いかえたほうがスッキリするだろうか。
 すくなくともクリスティバは中央集権的国家のフランスをさして「フランスは、外人がもっとも外人である場所」と言い切っている。

 こういう鋭い感覚は、日本人として日本に生まれた人間には持ち得ないものである。
 クリスティバ自身が第2次世界大戦末期のブルガリアにユダヤ人として生まれたということ、その後共産政権の粛清を逃れ、五月革命前夜のパリに亡命した政治難民であったことが、哲学者として彼女に一貫して、固定された記号、秩序、安定した意味や制度の限界を追究させ、「越境し、硬直しがちな世界をひびいらせてゆく”外人”たち」に目を向けさせてる思想的背景になっている。

 欧州における外人問題は、第2次世界大戦を境に大きく変化してきている。

 戦後における外人問題は、大きく二つに分けられる。一つは冷戦とポスト冷戦期における政治難民、戦争難民の問題であり、二つめは60~70年代の経済成長期に流入した非欧州系経済移民の問題である。また敢えてここで三つ目を加えるとすれば近年激増している難民を装って出稼ぎ目的のため亡命を試みる経済移民の問題であるといえる。

 この様な外人の激増による欧州の非欧州化は、折からの経済環境の悪化にともない(もしくは失業者の増大にともない)、ネオ・ナチなどの狂信的「排外主義」を台頭させ、また一般にもいわゆる「外人嫌い」の感情をじょじょに広めつつある。

 しかし、ここで気をつけるべきは、この「排外主義」と「外人嫌い」は明確に分ける必要があるということである。

 移民に集団暴行を加えたり、難民収容所を焼き打ちにしたりするネオ・ナチの排外主義は、末端の人々は別として政治的イデオロギーにまで高められたものであり、人種分離型の社会改革を目標としているのである。

 移民や難民に対する偏見が非欧州社会の後進性というさらなる偏見をつくり出し、先進的な欧州社会に侵入してくる非欧州人に対する闘いを最大の目的にしている。つまりそういう意味で欧州域内もしくは白人社会に限定的であるといえ、彼らネオ・ナチは国家にとらわれない「超国家」性を持っているといえる。

 それに対して一般の人々の「外人嫌い」というのは、生活レベルでの文化摩擦に起因することが多い。ある程度の偏見が存在するのも事実であるが、ネオ・ナチの様な排外主義を固定しているわけでもなく「外人嫌い」であっても「ネオ・ナチ嫌い」でもあるという場合が多いのであり、けして一般に言われるように普通の人々の中に存在する「外人嫌い」が現在欧州に荒れ狂う狂信的排外主義のバックボーンになっているわけではない。

 しかし将来それらが、一つに結合し普通の欧州の人々も巻き込んで全欧州的な政治的イデオロギーに発展しないとも限らない。
 第2次大戦前の欧州における外人問題がまさにそういうかたちで形成されてきたのである。
 戦前の欧州における外人問題とは、ずばりユダヤ人問題であった。

 前述のクリスティバの著書にも出てくる思想家ハンナ・アレントはこの19世紀後半から20世紀にかけて欧州に吹き荒れた「反ユダヤ主義」とナチズム誕生の関係をその名著「全体主義の起源」で解明している。

 彼女は、この本で中世以来脈脈と受け継がれてきた欧州におけるユダヤ人差別の感情が、まずはオーストリア・ハンガリー帝国のウィーンにて初めて反ユダヤ主義という政治的イデオロギーにまで高められ、フランスに飛火しやがて戦間期のドイツで全体主義と結び付いて行く過程を彼女自身がユダヤ人とは思えないほど冷静に分析している。

 クリスティバの「外国人」とアレントの「全体主義の起源」の二つの著書は、社会の中の日常の些細な差別感情や偏見が、経済環境の変化や人種的摩擦を呼び起こすような象徴的事件の下で急速に暴力的な手段で社会変革をめざす政治的イデオロギーに発展あるいは結合してきたかを雄弁に物語っている。

 偏見、差別、優越感や劣等感などその社会が持つトラウマ(精神的外傷)は容易に社会変革という文脈の中で、過激化しやすい。

 今後日本も急変する東アジアの国際情勢の渦中で、果してどれだけの自制心を発揮できるだろうか。韓国、北朝鮮、中国という国と日本の国内に住む韓国人、北朝鮮人、中国人は別であると良識を持つことができるであろうか。

 単にそれらの国と外交上うまくやるというだけでなく、国内政治において歴史の精算に始まり、人種に基づく偏見、差別の根絶を心がけて行くべきだろう。

1996年3月 執筆
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