松下政経塾 The Matsushita Institute of
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Report
2000年1月

塾報

「新」北海道創造・下川町の挑戦
我孫子洋昌/卒塾生

 北海道下川町。町の発展を、銅や森林資源といった天然資源に頼ってきたが、国際競争力を失うと同時に過疎化が始まった。しかし、普通の過疎の町とは違った取り組みが、今、多くの注目を浴びている。その秘密に迫る。

 
 私は、昨年4月から「北海道産業クラスター創造活動」に身を置いている(『塾報』1999年3月号参照)。そして現在は活動の中でも特に注目されている下川町に滞在している(地図参照)。
 かつて下川町には銅山があり、最盛期には百貨店や劇場まであって非常に栄えていたという。今では廃坑同然の巨大な鉱業所と、立て替えた直後に休鉱が決まり学校の歴史も終えたという皮肉な小学校跡がひっそりとたたずんでいる。
 また、下川町は森林資源の供給地としても本州の建設を支えてきた。ここから運び出した木材が関東大震災や第2次大戦後の復興に使われた。町の人口も1965年には15,000人を越え、北海道の他の地域と同様に日本の発展を資源の供給の面から支えてきた。だが、廉価な資源が海外から入ってくるようになると、北海道はあっさりと切り捨てられた。下川町の人口も約4,500人と激減し、活気は失われた。しかし下川町は事態に甘んじていなかった。普通の過疎の町とは違った、さまざまな取り組みが行われている。

 たとえば、下川町森林組合の木炭や円柱材加工場がある。これは全道に広がっている「産業クラスター創造活動」のモデルとしてもよく取り上げられる。20年前、雪害によって多くのカラマツの幼木が被害を受けた。これをきっかけに、それまでは利用法に困り、使いみちを模索していたカラマツの間伐材に新たな活用法を編み出したのだ。間伐材は径が小さいため用途が限られる。それを何本かまとめて円柱状に加工することによって、庭のフェンスや河川の自然堤防などに使えるようにした。しかしそのままでは腐食や虫害で4、5年しかもたない。そこで、木酢液に漬け込み、その後煙で燻すことで耐久力アップを図った。環境にやさしいと、自然公園などから大量注文が来ている。

 加工に重要な役割を持つ燻煙と木酢液は間伐材を木炭化する工程で得られるもので、いわば「ゼロ・エミッション」の先駆けである。この仕組みを作るために、下川の人たちは様々な頭脳(研究者)の助けを借り、地元の資源(森林資源)を使って次々と商品開発をし、収益を上げていった。そのプロセスこそが「産業クラスター創造」の考え方である。これによって新たな雇用が生まれたことは言うまでもない。今も「他にも使いみちがあるはずだ」とカラマツの可能性を模索し続けている。「山から持ってきたものは全部使う」という彼らの意気込みは、戸田一夫氏(北海道経済連合会会長)が道内各地でクラスター研究会が発足する際などに折に触れて言う、「地元にある資源をしゃぶりつくす」という精神に通じるものがある。下川町に居ると、天然資源として森林をとことん使い、地元の人材を活かそうとする姿が実感できる。

 北・北海道森林林業体験ツアー「フォレスト・コミュニケーション・イン・しもかわ」も、回を重ねて今年度で4回目となった。これまでに約100名の参加者が下川町にやって来た。このイベントは、「ぜひ我が町へ」という悲壮感がなく、地元の手作り感覚が実に心地よい。それは地元で会社を経営する人と、役場のスタッフ、そして森林組合の人で構成した実行委員会が非常に機動的だからだろう。参加者が体験する最大のものは、森林作業や森林ウォークといった実際に体を動かすことはもとより、地元の人々、中でもUターン・Iターン者の先輩との交流ではないだろうか。「下川ってこんなところですよ」、「山の作業はこんな感じですよ」というスタンスだが、毎年のように参加者の中から移住希望者が出ている。これまで5世帯が移住し、森林を都会に知ってもらうとともに、移住者を受け入れるチャンネルとなっている。

 とはいえ課題もある。誰が移住希望者を引き受けるのかということだ。職がなければ人は来ない、人が来なければコミュニティは崩壊する。コミュニティが崩壊するところに雇用は生まれない。いかに雇用を生み出すか、新規開業を地域で促す仕組みを用意するか、地域に課せられた大きな宿題である。これは日本中の過疎の町や村に共通する問題だが、下川町はより多くの住民がこのことを認識しているという点で他と違う。

 下川町の中心部から東へ10kmほど行くと、日本初のエミュー牧場のある一の橋地区に到着する。経営者の今井宏さんは埼玉出身だが、アメリカの大学で農業を学んでいた時に、留学していた下川町役場の職員と出会い、エミューの飼育を下川町で始めることになった。エミューはオーストラリア原産の走鳥類でダチョウを小型にしたイメージだが、ダチョウほど攻撃性がなく飼育しやすい。肉・オイルは欧米や台湾で人気がある。
 一の橋地区は営林署が廃止され、コミュニティそのものがなくなってしまう危機に瀕している。しかし、今井さんが移住しエミューを飼い始めたことで、彼の理想に共鳴し、札幌や埼玉から彼の事業を手伝おうという若者がやってきた。日本での飼育は彼らが嚆矢である。どうすれば繁殖が順調に進むのか、餌は何をどう配合すれば良いのかなど、基礎から一つひとつクリアしてきた。日本での消費量はまだまだ小さいが、現在はオーストラリア産のエミュー肉を輸入し、地元の飲食店のほか、札幌や横浜の店に納入している。一日も早い国産のエミュー肉が待たれるところだ。現実に肉を売らないとほとんど収入がない彼らを、地元の人々が物心両面で支えている。起業者を支える環境は、都会に比べて地方のほうがあると感じる。

 また、「さーくる森人類(しんじんるい)」は全道的に注目されているサークルのひとつだ。下川へのIターン者・Uターン者が中心となって設立した。マスコミに取り上げられることも多い。森人類は名前の通り、森林との関わりを第一に掲げる。森林の町といえども、関連した業種に携わっていないと森を身近に感じることは少ない。主な活動は月に2回ほど行う町有林の保全整備(枝打ちや除伐)だが、家族を伴う山での作業は実に和気あいあいとしている。森林に積極的に関わっていくことで、地域の魅力やアイデンティテイをより身近に感じ取ることができるようになる。汗を流し、五感で森林の魅力を感じる。そこに集うメンバーと地域について語り合う。下川の森林を基に経済や社会の持続可能な発展のために何をすべきかを考え、将来は「森林NPO」を目指している。私自身、このサークルで末永く森林と付き合っていきたい。

 98年4月から活動を開始している下川産業クラスター研究会では、あらゆる分野からさまざまな人が、毎月(分科会によっては2週に1度)集まって、将来の下川町について議論し、商品開発に向けた検討をしている。道内各地にクラスター研究会があり、それぞれ現状に対する危機感を持っているが、下川町の研究会は一味違う。たとえば「グランドデザイン部会」は、下川全体をどういう地域にしていくのか、10年や20年という期間ではなく、もっと長期にわたる構想を描いている。「21世紀創造プロジェクト部会」は、下川町に住む若者(エミュー牧場の今井さんたちや、役場の新人職員、酪農家の後継者など)が集まっては、地域の将来について考える。そしてこの分科会で『ビバ!』というPR紙を発行している。地域にある「これは面白い!」というものを発掘して、その認識を共有していこうという活動である。地域の中で流通可能な「地域通貨」を実際にメンバー内で実験したり、今までの発想では考えつかないようなことを、「できないことはない」と挑戦している。遠くを見つめる目とメンバーの多様さなど、他には見られない。毎日のように北海道内外から、海外からさまざまな人が視察に訪れる。この町にはそれほど人を引きつけるものがある。私もまさしく「ビバ!しもかわ!」と感じている。
 私は「北海道をよいところに」というテーマを持って松下政経塾に入塾し、産業クラスター創造という運動にたどり着いた。塾での研修が自分の将来と北海道の未来のためにつながっていくよう、これからも歩み続けたい。

2000年1月 執筆
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