松下政経塾 The Matsushita Institute of
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1995年11月

塾生レポート

スウェーデンの難民は、いま幸せか
平島廣志/卒塾生

 
 スウェーデンの冬を初めて体験する者は皆、その厳しい寒さもさることながら日照時間の極端な少なさに驚くのではないだろうか。11月下旬ですでに一日の日照時間は約4~5時間程度。昼間の3時を過ぎたらもう夜が始まるといった具合である。さんさんと降り注ぐ太陽と白夜という、夏のベストシーズンにきただけならなかなか理解できない北欧のもう一つの顔がそこにはある。

 考えてみれば今日のスウェーデンを初めとする北欧の高福祉国家群はすべて、スウェーデンと同様かあるいはそれ以上の厳しい地理的条件、気候的条件の中に存在している。工業資源に乏しく、大部分の国土は農耕に適さない。近代工業化以前の北欧は欧州でも最も貧しい国々の代名詞であった。

 スウェーデンでは、この貧困に対して、老若男女、障害がある者もない者も国民皆が力を合わせて頑張ろうという考えが、「国民の家」という福祉国家の基本理念に結実したと言える。福祉国家という、たわわに実のなる大木を育んだ土壌が、厳しい自然と荒涼とした大地であるというのもいささか歴史の皮肉めいておもしろい。

 今回、スウェーデンの難民政策を勉強するにあたって日本で様々な本や資料を読み漁ったが、その中に訓覇法子さんという方が書いた「スウェーデン人はいま幸せか」(NHK出版)という本があったのをここストックホルムに来てから不思議と思い出すことが多い。本の内容については紙面の関係上(?)ここではあまり詳しくふれないが、だいたいのあらすじは訓覇さんのスウェーデンでの生活体験をもとに福祉国家スウェーデンの「福祉」は人々に何をもたらしたのかを書いたものである。

 印象的だったのはその内容よりも(内容ももちろんすばらしいのであるが)本の題名につけられた「いま幸せか」という本質的な問いかけのほうであった。
 何故印象的かと言えば、その対比において「日本人はいま幸せか」というテーマは成り立たないか、あるいは成り立ち難いからである。「経済的には豊かのような気がするけど、幸せかどうかと聞かれるとちょっと・・・、でも幸せじゃないってわけでもないし。」というのが、大方の日本人(私も含めて)の感想ではないだろうか。

 これは実感として政治と生活が距離的に遠いことに起因していると言える。逆にスウェーデンでその問が成り立つのは、政治が「福祉」を媒介として国民生活のすみずみにまで良かれ悪しかれ関係を持っているからである。
 すなわち、この本の「スウェーデン人はいま幸せか」という題は、「本質的に”福祉”というものは人間を幸福にするものなのか」という文脈で読むべきなのではないだろうか。「福祉は幸せにするか」という大命題が存在する社会だからこそ自分自身を省みて「イエス」か「ノー」か初めて判断できるのである。

 この本を思い出した直接のきっかけは、このストックホルムでスウェーデンの政治についてご指導いただいている共同通信社の高橋功氏に言われた一言であった。
 「自分が幸せであって初めて、他人の幸せについても考えられるのです。難民問題や移民問題がスウェーデン人にとって極めて身近な問題であり、日本人にとってまったくそうでないことの原因はここにあると思います。」スウェーデンの難民受け入れ政策を勉強しに来ました、と切り出した私に開口一番いただいた言葉がこれであった。

 高橋氏が言っているのは、もちろん個人的な幸福論ではなく個々人がその国において政治システムや社会システムから恩恵を受けているという認識とそれらのシステムに自分が積極的な役割を果たしている、もしくは果たす義務があるという考えを持ってなければ、難民や移民、外国人といった人々にまで考えが及ぶはずがない、ということである。

 確かにスウェーデン政府がこれまで打ちだしてきた難民政策、とりわけ受け入れた難民に対する細やかな心遣いは、それが自国の国民が負担する世界に名だたる高い税金で賄われていることを考えると、一般のスウェーデン人が余程この難民について問題意識を持っていることが必要であろう。

 世界中の難民が行きたい国ナンバー1にスウェーデンを挙げるのは、整った受け入れ政策や難民受け入れ枠の大きさもさることながら、受け入れた難民を自国の国民と分け隔てなく平等に扱おうとするスウェーデン政府の姿勢のためであると思える。クロアチアのボスニア難民キャンプでおこなった聞き取り調査ではほぼ8割の難民が、ケニアの難民キャンプでも7割以上が庇護希望国としてスウェーデンを挙げていた。

 誤解がないように付け加えるならばスウェーデンでも手ばなしで難民を向かえ入れているわけではない。国民の70%以上が今の政府の難民政策は寛大すぎると世論調査でも答えているし、284の自治体の内、9つの自治体が難民の受け入れを拒否しており、厳しい経済危機がつづく中、国民の間にも難民を「福祉のただ乗り」と冷たい目で見ている人達も少なくない。また、アフリカ系の移民に対する投石などの嫌がらせもあり、入店を断られたなどの日常の摩擦もよく耳にする。

 しかし、スウェーデン政府の偉い所は、このようなささやかな日常の差別に対してもきちんと取り上げて表沙汰にし、国民とともに議論していこうという姿勢である。通称DOと呼ばれる人種差別禁止オンブズマンの設置や刑事罰のともなう差別禁止法の制定をはじめ教育の現場でも繰り返し人種間の距離と亀裂についてその恐ろしさを教えている。

 スウェーデン政府の移民や難民政策を今日の姿に発展させたのは社会民主党政権と故オロフ・パルメ首相の功績に負うところが大きい。
 パルメはスウェーデンという小国の立場から東西冷戦下の米ソ両大国を批判し続け、軍縮の促進、後進国の開発援助や民族自立への援助そして基本的人権の擁護などをめざす「積極的中立政策」を展開したが、当然この政策の中には難民の受け入れなど人道的側面が強く含まれていた。特に70年代の南米チリからの大量の難民を人道上の問題と受け止めジュネーブ条約の難民認定資格に因われない姿勢でのぞんだことは、その後のスウェーデンの寛大な難民政策の方向性を決める大きな契機になったと言える。

 もともとパルメが父親の家業を継がず、政治の道を志したのも青年時代に戦禍からスウェーデンに逃れて来たバルト三国の難民たちの悲惨な姿を見て衝撃を受けたのがきっかけだったといわれている。閣僚時代に自らベトナム反戦デモにも参加したパルメの姿に、内に福祉国家を掲げ、外に平和と人権の旗を振ったスウェーデンの最も輝いていた時代を重ねた人々も多かったのではないだろうか。

 1986年2月28日の寒さ厳しい夜。いつものように夫人と連れだって映画を観に行ったその帰りに、スウェーデン首相オロフ・パルメは数名のテロリストに射殺される。享年61歳であった。今でも中世様式で有名なアドルフ・フレデリック教会のすぐそばの地下鉄の入口の路面に「1986年2月26日、オロフ・パルメここに倒れる。」と金でできたプレートがはめ込まれているのを見ることができる。来年ではやパルメの没後十年を迎えるスウェーデンであるが、今だ庇護を求めてやってくる難民の姿は陸続として後を絶たない。

 最後に話の筋として横道にそれた「スウェーデンの難民はいま幸せか」という命題に戻らなければいけないだろう。
 彼ら難民が幸せか幸せでないかは、ストックホルムの街を家族で散策する彼らの顔を見れば察しがつくと思う。私も旧ユーゴスラビア、ネパール、ケニアそして日本と祖国を逃れて暮らす難民たちと知り合う機会を度々得たが、スウェーデンの難民ほど笑顔が多く穏やかな目をした難民は見たことがない。もちろん前述の様に個々人でのレベルでは異国の地に生きていてちょっとした摩擦もあるのだろうが、この国の難民はまぎれもなく世界で最も高度な社会福祉制度の恩恵を受けている人々なのである。
 戦争や飢餓といった難民たちの故国の状況、もしくは日本で暮らす難民のような絶え間ない差別にさらされた状況の相対評価においてはスウェーデンの難民は確実に「いま幸せ」であるといえるだろう。

 しかしそれでもスウェーデンにおいて祖国帰還を夢見てやまない難民が多いのは何故だろうか。

   今秋11月、アメリカの片田舎デェイトンでボスニア分割・和平合意が結ばれたが、その直後の世論調査でスウェーデンにいるボスニア難民の95%が帰還を希望しているという結果がでた。4年にわたる内戦で疲弊した祖国、自分の家も土地も分割線上の向こう側にあるかもしれない祖国への帰還を熱望するボスニア難民の姿は、難民にとって至上の幸福とはどんな場所であろうと自分の国に帰ることであることを教えているようである。

 報道によると、はやければ年明け早々にもスウェーデンやドイツなど難民が避難している欧州各国からボスニアへの帰国事業が始まるそうだ。昨年の夏、ザグレブからフランクフルトに向かうルフトハンザの機上で、隣のシートで窓に顔を押し付けて泣いていたボスニア難民の少年がいた。たしかドイツの施設に引きとられていったはずのあの少年もまた、来春には祖国に戻るのだろうか。

1995年11月 執筆
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