松下政経塾 The Matsushita Institute of
Government and Management

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1997年10月

塾報

イギリスの予算案を読む
平島廣志/卒塾生

 今年5月に誕生した18年ぶりのイギリス労働党政権。「ロケットスタート」と言われる矢継ぎ早の改革断行で高支持率を維持している。しかし通貨統合や高まるインフレ圧力など難問は多い。ブレア政権の今後を予算案を通して考える。

 
 「ビッグイシュー!」と叫びながら街頭で雑誌を売る奇妙なホームレスたちを ロンド ンでよく目にする。この『The Big Issue』という雑誌、「ホームレスの、ホー ムレス による、ホームレスのための情報誌」が謳い文句で、記事も編集もホームレス、 売るのもホ ームレスというユニークさがロンドンっ子に受けている。価格は80ペンス(約 160円) で、その内45ペンスが販売しているホームレスの取り分となる。ホームレスの雑 誌といって もばかにできない。見た目も記事も立派だ。何より路上生活者の視点が面白い。 ロンド ンはこんなホームレス文化が成り立つほどホームレスが多い。大多数は健康な若 年層で ある。彼らは失業者で、余りにも長期間職業に就いていないため社会に適応でき なくな っている。そんな若者(18~25歳)が25万人、低所得の母子家庭が100万世帯あ る。因 みにイギリスの人口は約5,800万人である。

 労働党新政権成立から2カ月経った7月2日の朝、ゴードン・ブラウン蔵相がダ ウニン グ街11番地の蔵相官邸前で記者会見に応じた。この日は予算案発表の日だった。
 「今回の予算案における我々の最重要課題は、雇用と教育である」。
 蔵相のスピーチは、自由競争の若い敗者たちを英国労働市場に復帰させる決意 に満ち ていた。「経済は知識を基盤としてグローバル化しつつある。ゆえに喫緊の政府 の使命 は時代に即応した職業技能をすべての人々に提供することである。」「そのため に、今 こそ戦略的で長期的な教育への投資を我々は必要としている」。

 労働党は今回の予算案に「ステークホルダー・デモクラシー(利害関係者の民 主主義 )」という基本哲学を据えている。昔アメリカのカウボーイたちは自分の土地の 境界線 上にステークと呼ぶ杭を打って所有権を主張した。転じてステークとは投資や利 害関係 者を表す意味となり、「社会の複雑な利害関係を調整する人物・組織」をステー クホル ダーと呼ぶようになった。労働党は、政府は競争の制限ではなく、競争で崩壊し た企業 と労働者の関係を租税や教育で再構築する役割、つまりステークホルダーの役割 を果た すべきだと主張している。
 具体的には、増収に好転した財源から52億ポンド(約1兆4億円)を費やし、 「Welfar e to Work(職業への福祉)」という英国史上空前規模の職業訓練計画を発表し た。対 象は6カ月以上失業している25歳以下の若者と小さな子供を抱える片親である。 プログ ラムでは、大学などの教育機関で1週16時間、最長75週間、実社会で通用する職 業技能 を学べる。
 しかし「飴と鞭」(イブニングスタンダード紙)と評されるように、政府は計 画に参 加しない対象者に、ペナルティーとして失業手当ての大幅カットを決定した。生 活保護 で遊んで暮らす無気力な失業者には厳格な態度で臨むという意思表示である。毎 週、私 が駅前で『The Big Issue』を買っている“Bee"と名乗る24歳の女性ホームレス に、今 回の政府の決定について尋ねてみた。すると、ここでは書けないような言葉でブ レア氏 を罵った。
 政府は第2段として総額23億ポンドに上る包括的学校教育改革案も同時に発表 し、 片親支援のための保育所に教育バウチャー制度(クーポン券を親に与え、学校を 選択させる 制度。教育に市場原理を導入)を拡大すると述べた。さらに不足する児童福祉職 員の養 成に、国営宝くじの利潤を当てて、今後5年間で5万人の若者に職業訓練を施すと いう。

 以上の歳出を、政府は増税と民営化で捻出する。固定資産税を1%上げ2%に、 煙草 税、ガソリン税、酒税もそれぞれ19%、4%、19%に上げた。サッチャー元首相 も手をつ けなかったロンドン地下鉄公社の民営化やガス、電気等公益企業の政府所有株式 の売却な ど、保守党以上の行革路線を進めている。他方、企業の社会的役割を重視し、法 人税を 大企業31%、中小企業21%と2%近く減税する。
 組閣直後に、イングランド銀行に金利の完全な調整権を付与したのも、ケイン ズ政策 と訣別するという市場への意思表示である。首相は今後景気対策は金融政策、つ まり中 央銀行によるマネタリーベースの管理を中心にし、雇用のための財政出動は行わ ないと 宣言している。政権発足後、イングランド銀行は早々と公定歩合を7%に引き上 げたが 、労働党が最も恐れるインフレは99年まで2.5%程度を予測している。経済成長 は欧州最高で、 今年は2.25%を記録しそうである。自然増収で予算案の財政再建計画は明るい。 特に赤字 の元凶、NHS(国民医療制度)の負債は今年3億5千万ポンド(700億円)削減す る。財政 全体で来年度は132億5千万ポンド(2兆6千億円)、99年度は55億ポンド(1兆1千 億円) 赤字削減し、GDPの2.5%以内の圧縮を目指す。

 予算はその国の青写真であり、予算書はその国が奈辺を目指すのかを示す哲学 書とい える。今回の予算案を読んで感じることは、もし将来、歴史においてブレアリズ ムとい う言葉が認知されるならば、それは単なる競争社会でも、競争を規制する社会で もない 、「競争力のために投資する社会」(P・マンデルソン下院議員の言葉)を目指 す理念 になるであろうということである。


(ひらしま こうじ。 1969年熊本生まれ。明治大学卒業後、松下政経塾に入塾。 現在、 ロンドンで労働党政権のマイノリティー政策を研究中。)
1997年10月 執筆
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