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上半期における研修では、①課題認識の深化②解決の方向性を示し、実践することを念頭に、「多文化共生社会における国家アイデンティティ」とは何かを探求する中で、映画製作を通じたプロジェクトを企画してきた。本稿では、前回の「研究実践報告Ⅰ」に引き続きその後の活動を報告するとともに、新たに見えてきた論点を整理し、考察する。
まず、前稿で挙げていた課題として、「多文化共生社会における国家アイデンティティ」とは何かを探求する中では実際に多文化共生の実践者としての様々なアクター・現場を視察し、多元的なニーズの存在を可能な限り現実に即した形で理解する必要があると考えていた。
一方で、その後の研修を続け多種多様な事例に触れる中で、移民法制にまつわる政策の変遷や、数ある自治体の個別具体的な共生事例だけに捉われるのではなく、まずは多様化する社会において日本人が大切にしていきたい価値観とは何なのかを知ることこそが肝要なのではないかとの考えに至った。むしろ、そのような社会的価値の根底に流れる文化や、伝統に対する理解を深めることなくして発信活動を行うことは不可能であり、日本人の共生観に対する深い洞察無くして指針を持とうとすることは机上の空論を述べているに過ぎないと感じた。
そこで、後の海外事例調査に先んじて、この数か月間は研修の大部分を日本人の精神的基盤となる思想・価値観を探ることにあて、そこから日本人が多様化する社会において大切にしていきたい社会的価値とそこから派生する共生社会を構想することを試みた。本稿では、数々のインタビューの中でも特に石川県で開催された工藝EXPO[i]に参加した際、多くの伝統工芸士、作家、職人の方々に伺ったお話のなかでの所感をまとめる。
「工藝に携わる中で、日本の伝統とは何かについて考える機会はあるか」との問いに対して、多くの方々が「あまり無い」と答えたことに驚いた。この理由として考えられるのが、「日本の伝統」という言葉の意味合いの広大さである。日々各々の伝統工藝に真剣に向き合い、技術を高め歴史を継承していくことに重きを置く方々にとって、「日本の」伝統を問うことはあまりに飛躍がある。むしろ、多様で一つ一つのかけがえのない伝統工藝こそが日本の伝統を構成しているのであり、この地域性と広がりを例え概念上であっても統合しようとすること程野暮なことはないのかもしれない。
これに対し、「伝統とは何だと思うか」という問いに対しては「変えてはならないものを明確にし、守ること」だとの回答が印象的であった。具体的には、原料、行程、製法といった技術的なことを仰っていた。歴史と伝統と美の融合としての工藝品という情緒あふれるイメージからはいささかプラグマティックに聞こえるかもしれないが、これは私の考える伝統観とも非常に近しいものであるとの印象であった。人間の生活の知恵が凝縮され、実用の中で変化し続けてきた工芸品は、個人の力に止まらないまさに先人の英知の結集として存在しているのであり、決して個人の芸術的センスや手先の器用さだけでは成り立たない。ナショナルアイデンティティを探求する上でも、伝統や文化の輪郭を顕わにした結果、我々が守ろうとする社会の価値観が何であれ、詰まるところ「変えてはならないものを明確にし、守ること」ができれば、どのような社会の変化にも対応し、そこから活力を引き出すことができるのではないだろうか。
多文化共生の現場を研修させていただく中で感じた個人のナショナルアイデンティティとの不接合、すなわち、大部分の日本人がナショナルアイデンティティに対し共通の認識をもっていない(あるいはいかなる認識をももっていない)ことに対する実感は、改めてナショナルアイデンティティというものの輪郭の曖昧さとその存在意義を私に問うた。
本稿では詳しく論考しないが、元来、多くの日本人にとって「ナショナル」なアイデンティティを持つことは馴染みの薄い態度であり、イエやムラへの帰属意識は自然に醸成されても、国への帰属意識は意識的に醸成されなければ生じ得なかったのである。政府は、幕末からの政治的変動により多元化する日本人のアイデンティティを統合し、諸外国からの外圧に対抗するため、天皇の下の「臣民」としての国民アイデンティティを強化した。
グローバル化の進展に伴い、人の国家間移動も活発になっている世界では、多様なバックグラウンドを持ち複数国に拠点を構えて生活する人々も増えている。多拠点生活の中で複数の国家にシンパシーを感じる個人にとって、ナショナルアイデンティティはどのような意味をもつのだろうか。多様化する現代社会における個人のアイデンティティとナショナルアイデンティティの交接点を探ることで、日本人がこれまで何を大切にしてきたのかを知る一助としたい。このような個人的方針の下、我々にとっての「普通」(あるいはこれまで「普通」だったこと)を形作る伝統や文化、社会の価値観を顕わにしていきたい。
最後に、ナショナルアイデンティティを再定義しようとすることとは、元来人間のもつ多元的なアイデンティティの一部分(国家)を強調することでもある(本来言語化できない文化や伝統が明らかになることで得られる帰属感や安心感、またそれらを定義することで生まれるマジョリティとマイノリティ)が、裏を返せばその強調なくして国民をまとめることは不可能であり、社会がカオスに陥るというイメージを払拭することは難しいという前提があるのではないだろうか。塾主の発言を振り返ってみる。
「この日本の国には一億あまりの人がいます。その一億の人は、それぞれ顔かたちもちがえば、好みもちがう。職業にしてもものの考え方にしてもいろいろさまざまです。一億人が一億人みなどこかしらちがっているといってよいでしょう。けれども、その一億人がみな、自分の意思によらずして、日本人として生まれてきたという点において、いわば共通の運命を持っているとも考えられます。(中略)われわれが日本人であること、そしてそれは一つの運命であることをしっかりと自覚し、そこからよりよい日本の姿、国の姿を生み出していこうという共通の心がまえを持ちたいものだと思います。」[ii]
真に個人のアイデンティティが尊重され、多様性が包摂される社会におけるナショナルアイデンティティを考えるうえで、塾主の仰る「共通の心がまえ」と文化や伝統がどのようなかかわりをもつのか、そしてこの心がまえが現代社会においてどのような意味をもつのか、引き続き考えを深めたい。
[i] 経済産業省.“工藝EXPOウェブサイト” 伝統的工芸品月間国民会議全国大会.2024,
https://kougei-expo.com/
, (参照2024-12-23).
[ii]松下幸之助.『人間を考える第二巻 日本の伝統精神 日本と日本人について』.PHP研究所,1982,224p.
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Kisa Shimizu
第43期生
しみず・きさ
Mission
誰もが自尊心をもち、生き生きと幸福を追求できる社会の実現