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日本経済の停滞が著しい。以下の表の通り、他の先進国が着実に実質賃金を積み上げる中で我が国のみが下降の一途を辿り、一人あたりGDPはついに韓国に抜かれてしまった。さらに2022年現在、長引くコロナ禍に加え、ロシアのウクライナ侵攻に端を発する世界的なエネルギー価格の上昇が輸入品価格を押し上げ、給与所得は上がらずとも物価だけが上昇し続けるスタグフレーションに突入し、国民生活を圧迫している。戦後以来の国是として掲げ続けてきた「軽武装・経済大国」路線にさえ、暗雲が垂れ込みつつある。
こうした現状の打破には、イノベーションによる生産性向上とともに、国際情勢の影響が比較的少ない、安定したローカル経済圏を守り育てていくことが重要である。地域企業の再生に注力する経営コンサルタントの冨山和彦氏は、グローバル大企業が我が国のGDPに占める割合は3割程度、雇用においては2割程度に過ぎず、残りの7割、8割については地域密着型の中小企業が担っていることを指摘している[2]。日本は決して大都市だけ、大企業だけで動いている国ではない。
しかし実際のところ、過疎化や高齢化が進む地方において、それも政令市や中核市ではない小規模な自治体において、どのような経済の在り方を探求することができるだろうか。筆者は、福岡県福津市津屋崎町にあるコミュニティ施設「津屋崎ブランチ[3]」を拠点に、これからの地域経済について考える研修[4]に取り組んだ。
福岡県福津市は、以下の地図の通り、北九州市と福岡市の中間に位置する人口7万人弱の市である。「九州の湘南」とも呼ばれ、風光明媚な海岸ではマリンスポーツが盛んである。
近年は特に福岡市の成長が著しい中でベッドタウンとして機能し、福津市の人口も子育て世代をはじめとする移住者の増加で急速に拡大を続けている一方で、その成長には大きな地域差が存在している。
そもそも福津市は2005年に旧福間町と旧津屋崎町が合併して誕生した。JR駅を抱える福間エリアが福岡との接続性の高さから発展を続ける裏で、鉄道が廃線してしまった津屋崎エリアは衰退の危機に瀕していた。かつて「津屋崎千軒」と呼ばれ、港町として大いににぎわっていた津屋崎では、江戸時代以来の古民家が次々と空き家になり、歴史や伝統が失われつつあった。
そのような状況下、津屋崎ブランチが誕生したのは2009年である。創設者の山口覚氏は、都会と地方の格差に問題意識を持ち、大手建設会社から地域活性化を目指すNPO法人に移り、その後出身地である福岡へと移住した。当初1年半の地域おこしプロジェクトであった津屋崎ブランチは、古民家再生や起業支援、教育、観光、イベント企画など幅広く事業を展開していく中で、近隣住民だけでなく移住者や行政も巻き込みながら持続し、津屋崎における住民主体のまちづくりを支えている。
津屋崎ブランチでは多様な事業が多様な企画者によって日々生まれているが、本論文では経済に注目していることから、特に起業支援とイベント企画の二点に絞って記したい。
まず起業支援活動について、津屋崎ブランチでは「プチ起業塾」と名付けられ、年齢性別問わず希望する住民すべてが参加できるものとして実施されている。古民家を改修したゲストハウス内の広い和室で行われる起業塾では、パワーポイントもエクセルも使用されない。代わりに参加者はマジックペンを手に大きな模造紙を囲み、対話の中でやりたいことを見つけ、事業の形へと落とし込んでゆく。
「プチ」と名付けられているのには理由がある。そもそもこの起業塾では生業としての大きなビジネスは志向しておらず、あくまで月3~5万円の収入を目指している。仕事は一つに絞る必要はないとして複業を前提とした方針を掲げているのは、都市部と比較してマーケットが小さいローカル経済との相性を考えてのことであろう。そのほかにも、既存ビジネスを導入する「開業」ではなく、小さくとも新たなビジネスを作り出す「起業」を目指すこと、「立地勝負」では大手チェーンに勝てないことから、社員の人柄や店の雰囲気などで勝負する「立質勝負」に持ち込むことなど、ローカル経済で事業を行う上でのさまざまなポイントが共有される。
上記のようなノウハウに限らず、参加者同士がコミュニケーションを行う中で意気投合し、役割分担しながら新しいビジネスに取り組むチームが出来上がるさまも筆者は目にした。「新しいことを始めたい」という思いを後押しするための設計として、地域に適した仕組が用意されている。
続いて、イベント企画について、こちらもイベント自体の収支よりも、イベントを通じて人と人が出会い、それが新たな事業へと繋がっていくことが念頭に置かれている。筆者の滞在中には、お弁当をテーマとした映画を鑑賞し、その後参加者全員でおにぎりを握って頬張り、さらに希望者は木工所において自らの手で弁当箱を作ることができるという、二日間にわたる「弁当の日」イベント[6]が開催された。近隣住民はもちろん、遠方から訪れた方も含めて初対面の参加者も多く、地域住民と移住者、子どもと高齢者など、背景や世代を超えた交流が見受けられた。
山口氏は、「1回行うだけでは単なるイベントだが、3年続ければ取り組みになり、10年で歴史になり、30年で文化になる。文化とは、もはや誰が最初に始めたのかすら分からないくらい、地域で当たり前になっている状態。それを目指したい」と述べた。津屋崎での滞在期間中、様々なイベントの企画ミーティングにお邪魔したが、対話をベースに「やりたい」を引き出し、それを応援したい人が現れ、イベントが具体化していく一連の流れを目にする中で、これからのローカル経済における一つの理想形を感じた。
2021年11月、とある社会学者と話した際に、「制度を変えてもこの国は良くならない。人をアップデートするしかない」という話題が出た。筆者が記憶している氏の論旨は次の通りである。
“我が国の現状は「沈みゆく船の座席争い」の様相を呈した既得権の奪い合いとなっている。その背景には「公」の概念の喪失があり、それはどれほど制度を変えても人間の内面が変わらない限り元には戻らない。誰もが己を最優先する時代から再び公を尊重できるようにする、つまり「自分だけが生き残るための座席争いにかまけず、沈みゆく船への対処法に全員で向き合う」ようにするためには、地域コミュニティが鍵を握っている。地域コミュニティを維持するには、「安い」という己の利益に飛びつかず、生産者を想像し、彼ら彼女らの暮らしを支えるために、外部からの安価な輸入品より、多少金額が高かろうが顔の見える周囲の知人から食糧などを調達することが重要となる。地域を守り育てるために、一人一人がプラスアルファのコストを必要だと思えるかどうか、地域の将来への投資だと考えられるかどうか。それは制度で強制できるものではなく、公の概念に基づく人間の想像力に任せられている。”
津屋崎ではまさに、野菜を顔の見える知人から買い、都会のコンサルタントに頼らず自分たちの努力と工夫でまちを盛り上げ、まちの将来を語り合う数多くの場が存在しており、あらゆる立場や年齢、そして価値観の壁を超えて地域コミュニティに参加し作り上げていくさまが繰り広げられていた。2009年に津屋崎ブランチが誕生した当時には、まちづくりに携わる方々の高齢化が進み厳しい状況となっていた。それが今では、発展著しい福間エリアも巻き込み、静かだが不可逆的なムーブメントになっている。
とはいえ、福間との関係性については、今でも完全な統合が実現しているとは言い切れない。実際に筆者も津屋崎の住民から、行政資源が福間エリアに集中して投下されていることに対する悲しみや、合併への後悔を耳にすることがあった。しかし、過去にとらわれていても現状は変わらない。これからどうするか。どうしていきたいのか。そのような対話を積み重ねることが、ローカル経済と地域コミュニティにおいて何より重要である。
津屋崎ブランチの玄関をくぐると、「未来会議室」と名付けられた広い居間が現れる。小学生から地域のお年寄り、外国人旅行者まで、多様な人物が自由に集い語り合うこの部屋には、三つだけルールが課されている。
・未来を語る。
・人を褒める。
・断定しない。
過去に固執したり、他人を否定したり、「絶対」「無理」「ありえない」で思考停止したりする限り、何かを「やりたい」という気持ちは生まれ得ない。持続可能な地域経済は主体的な住民参加に支えられている。
国家は地域の集合体である。津屋崎で見たローカル経済の在り方には、我が国のこれからを考える上での大きなヒントが隠されている。
[1] 全労連HP「実質賃金指数の推移の国際比較」https://www.zenroren.gr.jp/jp/housei/data/2018/180221_02.pdf (最終閲覧日2022/11/1)
[2] 冨山和彦, 田原総一朗(2021)『新L型経済 コロナ後の日本を立て直す』, KADOKAWA, p.38
[3] https://1000gen.com/ (最終閲覧日2022/11/1)
[4] 2022年9月1日~25日にかけて実施
[5] 一般社団法人ふくつ観光協会「福津のこと」https://fukutsukankou.com/fukutsu/(最終閲覧日2022/11/1)
[6] 2022年9月17日、18日の二日間にかけて、津屋崎の「みんなの木工房 テノ森」にて実施。両日合わせて約50名が参加した。
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Taigi Izaki
第42期
いざき・たいぎ
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自立した地方政府による「多極国家日本」の実現