論考

Thesis

水平線の家族法論
―矛盾と共生する21世紀家族法改革―

はじめに

 我々は「より良い家族法」を構想せずにはいられない。これは、法を志す者として、また社会の一員として避けがたい衝動である。現に苦しんでいる人々―法的保護から疎外されたカップル、親権を争う離婚当事者、虐待に苦しむ子どもたち―を前にして、「完璧な解決などない」と達観して済ますことはできない。
 同時に、我々はいかなる制度も新たな抑圧を生みうることを歴史から学んできた。婚姻制度はその内部の愛を保護すると同時に、婚姻外の愛を差別してきた。親権制度は子を守る一方で、親の支配を正当化する装置にもなりうる。この認識を忘れ、「新たな制度こそ最終解決だ」と信じ込むことは、危うい全体主義への道である。
 現代日本の家族法改革論議は、奇妙な停滞に陥っている。選択的夫婦別姓、同性婚、生殖補助医療における親子関係―これらは長年議論されながら、本質的な進展が乏しい。保守は「伝統的家族の価値」を、改革派は「個人の尊厳と自由」を掲げ、従来の議論は個人主義と共同体主義、近代と伝統といった二項対立の間で振り子のように揺れてきた。
 2024年の民法改正により、共同親権の導入や親の責務の明文化、養育費・財産分与の実効性を高める規律など、子の利益を前面に出す方向への重要な前進があった[1]。しかし、多くの場面が当事者の「協議」に委ねられる構造(以下「協議主義」と呼ぶ)のもとでは、力関係の非対称が法的帰結に直結しやすく、実効性確保の課題はなお残されている。
 1947年の民法改正は、明治民法の「家」制度を否定し、「個人の尊厳と両性の本質的平等」に基づく先進的な家族法を創設した。しかし、75年以上を経た今日、戦後家族法もまた現実との乖離を深めている。21世紀の家族は、もはや一つの理想像に収斂しえないのだろうか。多様な形態、流動的な関係性、個人化する価値観が交錯するなかで、家族法は何を守り、何を促進すべきか。本稿は、この問いに対し、「子の成長発達権」という視座から答えを模索する。
 この課題に取り組むにあたり、本稿は「脱構築」という方法を採用する。家族法は「大人/子」「親権/子の権利」「保護/自律」といった二項対立で構造化されており、多くの場合、前者が後者に優越するヒエラルキーを形成している。しかし、これらの対立項は相互に依存し、一方なしに他方は成立しない。
 脱構築とは、こうした二項対立を単に解消するのではなく、「完全に二つに分けることはできない」ことを明るみに出し、硬直化したカテゴリーを内部から問い直す思考技法である。本稿がこの方法を用いるのは、従来の二項対立的枠組みでは、家族内で最も脆弱な立場に置かれる子の視点を十分に汲み取れないと考えるからである。対立関係の向こう側に、子の成長発達を軸とした新たな規範的地平を切り開くことが、本稿の狙いである。
 本稿はまず、第1部で、家族をめぐる現状を概観し、日本の家族法の特徴である協議主義がもたらす構造的課題を分析する。第2部では、「成長発達権」の概念を検討し、これを家族法の指導原理として位置づける理論的枠組みを提示する。第3部では、親子関係の成立・親権・公的関与のあり方について、成長発達権の視座から具体的な制度設計の方向性を論じる。最後に、本稿の議論を総括し、家族法改革の展望を示す。

第1部:序論

1.家族の現状

家族の多様性・流動性
 21世紀の日本社会において、家族はかつてない多様化と流動化の渦中にある。かつて自明とされた「標準的家族モデル[2]」―夫が就労し、妻が専業主婦として家事・育児を担い、子2人を育てる4人世帯―は、もはや総世帯の4.6%に過ぎない[3]。共働き世帯は1,200万を超え、専業主婦世帯の約3倍に達する[4]。これは法制度の前提としている家族のあり方が根本から変容していることを物語る。
 多様化は形態変化にとどまらない。事実婚、夫婦別姓、同性カップル、さらには「家族」の範囲認識自体が成員内でも一致しない事例が増加している。離婚により、子の約8人に1人がひとり親世帯で生活する現実は、家族の流動性が子の成育環境に直接影響していることを示す[5]

少子高齢化
 少子高齢化は家族機能の根幹を揺るがしている。合計特殊出生率は2022年に1.26と過去最低を記録し、人口置換水準2.1との差は拡大している[6]。平均初婚年齢は女性29.5歳、男性31.0歳、第1子出生時の母の平均年齢は30.9歳に達した[7]。25~29歳の未婚率は女性61.3%、男性72.7%であり、20代での結婚はもはや標準的とは言いがたい[8]
 1960年に現役世代11.2人で高齢者1人を支えていた比率は、2020年には2.1人にまで低下した[9]。「8050問題」に象徴されるように、世代間扶養機能は限界に近づいていると思われる。

個人主義化と社会的ネットワークの脆弱化
 現代家族の顕著な変化は個人主義化である。「パラサイト・シングル」現象に見られるように、親に経済・精神面で依存しつつ、個人の生活水準や自由を優先する価値観が広がっている。家事・育児分担の男女格差(平均3:7)への不満[10]、「自分の方が損をしている」という心理的不公平感の蔓延は、家族が共同体というより個人の集合として捉えられている傾向を示唆しているとも考えられる。
 こうした個人主義化の進行と並行して、家族を支える社会的ネットワークの脆弱化が進んでいる。かつて1960年代の都市部の家族を支えていたのは比較的強力な親族ネットワークであったが[11]、きょうだい数の減少や母親の有職化、人材の流動性増大により、現代の家族は近隣での社会的ネットワークを十分に形成できなくなっている[12]。6割の母親が「近所で子どもを預かってくれる人がいない」と回答し[13]、親が子育てに頼れる先として保育園・幼稚園・学校が約半数を占める状況は[14]、家族が孤立化している現状を端的に示している。  統計数理研究所の調査で、日本人の約74%が「たいていの人は信頼できない」と回答する現状は、個人主義化の極端化の一断面といえよう[15]。さらに、情報革命によってコミュニケーションが変容した。トー横キッズに代表されるように、SNSや携帯端末により、個人は家族の枠を超え自由にネットワークを形成できる一方、五感を通じた親密な関係性が希薄化し、他者への信頼基盤が揺らいでいると考えられる。

子の成育環境への影響
 このような親族・近隣ネットワークの脆弱化は、子の成育環境に深刻な影響を及ぼしている。孤立した親は育児不安に陥りやすく、虐待やネグレクトのリスクが高まることが研究で明らかになっている[16]。DV相談は年間約12万件に達し、児童虐待の相談件数も増加の一途をたどる[17]。また、親の学歴や世帯年収といった初期条件が子の教育機会を左右し、格差が世代間で連鎖する傾向も指摘されている[18]
 「家・学校以外に居場所がない」と答える子どもは約2.5人に1人であり[19]、子どもたちは極めて狭い社会で生きることを余儀なくされている。その学校や家庭が安全な場所であるとは限らず、いじめや虐待により、子どもが安心して成長できる環境が保障されていない事例は少なくない。

家族はどこへ行くのか
 以上を総合すると、家族の社会的・個人的機能の多くが外部化され、すべての人が当然に属する社会単位としての家族は成立しにくくなっている。しかし、拙論「水平線の家族論」で示したように[20]、機能が外部化されても家族に最後まで残る本質的機能があるのではないか。それは「子が最初に所属する環境」としての役割である。
 子は外部サービスへのアクセス能力を持たず、その扉の開閉を周囲の大人に依存せざるをえない。霊長類学が示す「家族と共同体」という重層構造において、家族は子がアイデンティティを育み、共感と承認を学ぶ最初の場である[21]。血縁や契約に還元できない、時間と空間とコミュニケーションの蓄積が生む共感の持続的共有。どれほど社会が変化しても、子の成育に不可欠な環境として家族に残される唯一無二の機能である。
 しかしながら、現状の家族法制は、このような家族の変容と子の成育環境をめぐる課題に十分に対応できているだろうか。次節では、日本の家族法の特徴と課題を検討し、とりわけ「協議主義」がもたらす構造的問題を明らかにする。

2.家族法の特徴と課題

 このような家族を支える日本の民法―とりわけ家族法―はいかなる特徴を持つのか。
 日本の家族法は、明治民法(1898年)の「家制度」が否定され、「個人の尊厳と両性の本質的平等」に基づく戦後民法(1947年)が成立したという「進歩の物語」として、しばしば語られるが、これは単純化しすぎだろう[22]
 明治民法は戸主権を中心とする「家」制度を法制化した。戸主は家族に対する居所指定権を持ち(明治民法749条)、婚姻には戸主同意が必要で(同750条)、妻妻の行為能力は大きく制限されていた(同14条)。これを「伝統的淳風美俗」とする見解は当時から激しい論争の的となった[23]
 明治民法の前身である旧民法は、前近代の単純な法制化ではなく、西欧近代法の「近代家族」モデルを日本文脈に翻訳する試みだったと言える[24]。穂積八束が「民法出デテ忠孝亡ブ」と批判したのは、ボアソナード起草のフランス流個人主義が祖先祭祀に馴染まないと考えたからである[25]。これに対し中田薫は、八束説を儒教思想に拘泥し「固有の歴史を無視」した誤謬として批判し、改正後の家族法制を「前古無類の新制度」と断じた[26]。しかし、1898年施行以降、大改正なく存続した。
 戦後、憲法24条は「婚姻は両性の合意のみに基づく」「夫婦の同等」「個人の尊厳と両性の本質的平等」を宣言し、民法から家・家督等の規定や不平等規定が削除された。もっとも、この「革命」の内実には連続性もある。「家」は廃止されたが「夫婦の氏」が機能を一部継承し、家督相続は廃止されたが嫡出・非嫡出の区別は残置された[27]。器は「家」から「標準家族」に置き換わったとも評しうる。
 明治から現行に通底する顕著な特徴は、多くの規定が「白地規定」として当事者自治に委ねられている点である[28]。民法は大枠のみを定め、具体は当事者の「協議」に委ねている。この構造は、一見多様性を尊重するように見えるが、実際には問題も生んでいる。
 それは、家族内の力関係が法的帰結に直結することである。例えばDV相談は年間約12万件に達し、多くが女性からの相談である。この状況下で「加害/被害」当事者の協議に公正を期待するのは困難であろう。経済力の非対称も深刻で、結婚・出産を機に女性の約半数が離職し、離婚時に経済的に劣位に立つことが多い[29]。離婚の約87%が協議離婚で、子の意見聴取の法的義務や最善の利益の制度的担保も乏しい[30]。統計では、養育費の取り決めは約46%、実際の支払は約28%、面会交流の取り決めは約30%に留まる[31]。多くの子が一方の親との関係を断たれ、経済的支援も受けられない状況が生じている。
 近時の改正は、この協議主義に対して一定の修正を試みている。2022年改正では懲戒権が削除され、親の行為規範として子の人格尊重と体罰・有害言動の禁止が明文化された。また、嫡出推定制度や再婚禁止期間の見直し、嫡出否認・認知無効の否認権者の拡大等により、子自身の出自に関する主体性が部分的に承認された。
 2024年改正では、親の責務(子の人格尊重・発達への配慮・双方の協力義務)が新設され、親権は「子の利益のために行使」すべきことが条文上確認された。離婚後についても共同親権が可能となる一方で、虐待・DV・激しい対立等がある場合には単独親権を選択すべき基準が示され、監護者に親権者と同等の権利義務を与える規律も整備された。養育費については、子の監護費用への先取特権付与や、協議離婚で養育費の定めがない場合の「法定養育費」制度、財産分与の原則2分の1・請求期間5年化、扶養債権のワンストップ執行などが導入されている。
 もっとも、これらは依然として当事者の協議と申立てを前提としており、協議の具体的方法や子の意見聴取、公正な交渉条件を制度として保障するにはなお不十分である。実務においても、養育費不払い、面会交流の不履行、DV・支配関係下の「合意」など、協議主義の限界を示す事例は少なくない。

3.解決方法としての脱構築

家族法の権利論を再考するにあたり、本稿が脱構築を採用するのは、従来の二項対立的権利理解の限界を超えるためである。脱構築は対立を解体し、多層的理解を可能にする。デリダが示したように、対立概念は相互依存し補完しあう[32]。家族法においても、保護と自律、依存と独立は相互に浸透し、ときに反転する動的関係として把握されるべきである。
 家族法は「大人/子」「男/女」「嫡出/非嫡出」「血縁/非血縁」「婚姻/非婚」「親権/子の権利」などの二項対立で構造化され、多くで一方が他方に優越するヒエラルキーが形成されている。たとえば「大人/子」では、大人は理性的・自律的・完成、子は非理性的・依存的・未完成として位置づけられ、親権や後見の基礎となってきた。しかし、私たちは、子も年齢に応じ判断能力をもち、大人もまた完全な自律からは程遠いことを経験的に知っている。
 各項は相互依存する。「親」は「子」によって親となり、「婚姻」は「非婚」との対比で意味を得る。この相互依存性の認識は、固定的ヒエラルキーを流動化させる。保護と自律も、本来は相補的である。従来理論は二項対立に依拠してきたが、この枠では家族関係の複雑性と流動性を掬いきれない。特に子の権利では、保護の客体としての子と権利主体としての子を単純対立で捉えることは、その本質を見誤る。
 これまで、子は親に付属する客体として扱われがちだった。ならば、その客体に寄り添い、主体としての子の視点を家族法に取り入れる必要がある。しかし、二項対立自体から止揚原理は導きがたい。指導理念となる「第三の項」が要る。

第2部:総論

1.成長発達権とは

 近年、少年法研究において、少年に憲法上の一定の権利が認められ、これが少年法の法益であるとの見解が展開されている[33]。いわゆる「成長発達権」である。この概念は少年法にとどまらず、家族法においても第三の項たりうるのではないだろうか。
 拙論「成長発達権と少年法61条の正当性[34]」で検討したように、成長発達権は「自律的生存の可能主体」に対して、段階に応じた自己決定と、その成長・発達過程それ自体を憲法上の権利として保障するものである[35]
 その根拠は、旭川学テ事件最高裁判決[36]が示した「国民各自が、一個の人間として、また一市民として、成長・発達し、自己の人格を完成・実現するために必要な学習をする固有の権利」に求められる。同判決は教育を受ける権利について述べたものの、その背後に包括的な成長発達への権利の存在を示唆している。
 実際、憲法26条2項の教育を受ける権利、教育基本法1条の「人格の完成」、児童福祉法の「心身ともに健全な育成」、少年法の「健全育成」は、子の成長発達という共通価値を志向する。これら個別法的権利の背景に、憲法13条前段の個人の尊重および25条の生存権を根拠とする総則的・背景的権利として成長発達権を位置づければ、「自己決定を行使しうる生存に向かう主体」として、その未熟性を含め尊重する憲法上の基礎づけが与えられる[37]
 この権利概念の革新性は、子を「未だ権利主体ではない存在」ではなく、「まさに成長発達の途上にある人格」として、その現在において尊重されるべき存在に位置づける点にある。
 福田教授の指摘によれば、「少年が基本的人権の主体として『個人として尊重され』、あるいは『個人の尊厳』を享受しうる主体であるという憲法規範上の意味は、成人とは異なる『少年であること』の特殊性において、少年に自律的生存主体へ向かう『成長発達権』が憲法上保障されている」という[38]
 成長発達権は、自由権的側面と社会権的側面を併せ持つ総合的権利である。すなわち、成長発達を妨害・阻止する干渉を排除する自由権であると同時に、成長発達の促進・援助を求める社会権でもある[39]
 山口教授は、成長発達権を「自己決定権を有する完全な自己決定主体(=成人)ではない子が、社会(=共同体)の中で対等(=未熟なままで対等であること)のパートナーシップを有すること」を前提に定義する[40]。この「未熟なままで対等」という一見矛盾した表現は、脱構築的思考の射程をよく示すものと思われる。
 本庄教授が強調する意見表明権の重要性も、この文脈で理解されるべきである。子の意見表明権は単なる手続的権利にとどまらず、成長発達権の「実効的保障装置」として機能する[41]。大人は、子が表明する意見を踏まえ、「最善の支援は何かを検討」し、「結果を子に伝達」し、「可能な限り納得を得た上で支援を実施」する義務を負う[42]。こうしたプロセスの反復を通じて、子の人格は形成される。
 なお、成長発達権は総則的・背景的権利であるが、それゆえ具体化法によって、成長段階に応じた権利保障が図られる必要がある。

2.憲法24条における家族像の転換は

 憲法24条は家族法の憲法的基礎として重要である。1項は「婚姻は両性の合意のみに基づく」「夫婦の同等」を掲げ、2項は「婚姻および家族に関するその他の事項」について「個人の尊厳と両性の本質的平等」に立脚すべきことを定める。
 条文は「両性の合意」「夫婦」を中心に据え、最高裁も夫婦同氏制合憲判決(最大判平成27年12月16日)で「夫婦とその子からなる集団」という家族モデルが読み取れる[43]。他方、成長発達権を憲法上の原理として承認するならば、子の関与する家族法領域では、規範的重心の再配置が要請される。
子の成長発達は憲法上の要請であり、親の婚姻関係はそれを支える環境の一つにすぎない。現実に、離婚やひとり親世帯の増加が子の環境に影響を及ぼすなかで、「夫婦の永続性」を前提とするだけでは子の成長発達を十分に支えられない場合があるのではないか。
 よって、憲法24条2項の「個人の尊厳」は、家族における最も脆弱な個人である子の尊厳を第一義的に保護すべきものと解しうる。成人である夫婦は自己の意思で婚姻・離婚が可能だが、子は親を選べず、その決定に従属せざるを得ない。この非対称性に鑑みれば、24条は子の権利をも内包する。
 右に述べた通り、成長発達権を13条・25条・26条と体系的に位置づけるとき、子が関与する領域では、制度設計の中心は親子関係の安定と子の発達支援に置かれるべきである。したがって、憲法が想定する家族像は「夫婦とその子」という単層モデルに限定されず、「親子を核とし、その養育を支える配偶者・パートナー関係」を含む構図として再定位されうる。
 なお、この再解釈は24条の婚姻保障や配偶者平等を減殺するものではない。子を介さない領域(婚姻成立要件等)では24条の枠組みが基軸であり、子が直接影響を受ける領域(離婚後の親責任配分・監護・面会・養育費等)では、子の最善の利益たる成長発達権が優越的に考慮される。
 とりわけ、親子関係を婚姻から切り離して構想することは、同性婚がなお制度化されていない現状においても、子を中心とする憲法24条・13条解釈のもとで、同性による共同養育の承認可能性を理論的に開く意義を持つ。

3.成長発達権を保障する家族法

 憲法24条の再定位を踏まえ、家族法でどのような法的効果を導きうるか。
 第一に、適切な養育を受ける効果である。これは物質的ニーズの充足に限られず、情緒の安定、知的刺激、社会的関係構築を含む包括的養育を意味する。親や養育者はこれを実現する責任を負うが、成長発達は家庭内のみならず広い関係性の中で実現される。ゆえに、学校や地域社会も子の成長発達を支える環境提供の責任を分担する。家族の自律と公的介入は対立ではなく相補関係と捉えるべきであり、家族の自律は国家からの自由という消極的意味にとどまらず、他者と関係性を構築する積極的自由でもある。ただし、この自律は絶対ではない。
 第二に、家族成員の基本的人権、とりわけ子や脆弱な立場の成員の権利が侵害される場合には、公的関与が正当化されうる。DV・虐待・ネグレクトなど、子の成長発達に重大な影響を及ぼす事象は、関与を検討すべき事由となる。関与は原則として支援的であるべきで、段階性が重要である。最初は相談・助言、次に在宅支援、それでも改善が見られない場合に一時的な分離を検討し、最終的に関係の見直しに至るという段階的アプローチが望ましい。各段階で家族の自律を最大限尊重しつつ、必要な範囲で関与を行う。特に予防的支援が重要で、育児支援・カウンセリング・経済的支援を早期に提供することで危機を未然に防ぎうる[44]。これは自律の否定ではなく、その条件整備である。
 第三に、子が関係性に能動的に参加し、成長する機会を確保する効果である。その中核は意見表明の保障と段階的自己決定の拡大である。親の権限と責任は、子の年齢・成熟に応じて変化すべきで、乳幼児期は全面的保護、学童期は一定の自律性、思春期は意思の尊重、青年期は自己決定の支援へと段階化されるべきである。
 次章から、子の成長発達に直接関与する親子法について具体的立法論を展開する。

第3部:親子法

 親子法の理念には、①「家のための親子法」②「親のための親子法」③「子のための親子法」という流れがあるとされる[45]。明治民法では三者が混在しつつも①②が優位であった[46]
 戦後、「家」制度は廃止され、父母の平等が強調されたが、右に述べたとおり「標準家族」への変奏に留まった。子の成長発達権という観点からはなお不十分である。離婚や面会交流の現場では、協議か調停かを問わず、男女の感情的対立が先行し、子の奪い合いが生じがちである。男女平等理念と子の利益が、しばしばゼロサムに配される矛盾がある。
 こうした矛盾のなかで家族法は、嫡出や親権といった観念を通じて子の地位安定のため一定の線引きをしてきた。本稿は、成長発達権の視座から、この③に肯定的に応答できる親子法の枠組みを構想しようとするものである。

親子関係について
 子の成長発達において安定した地位をいかに築くか。父子関係は積極的証明が困難で、原則として「妻が婚姻中に懐胎した子は夫の子と推定」される(改正民法772条1項)。「婚姻前に懐胎し、婚姻後に出生した子」も同様である。
 従来は、懐胎時期の立証困難に対応するため、「婚姻成立後200日経過の後、または婚姻解消・取消し後300日以内出生の子は婚姻中懐胎と推定」する期間規定が置かれていたが、2022年改正により、現在は出生時期を基準とする枠組みに改められた(改正民法772条)。
 民法は私人関係を規律する基本法であり、家族法も例外ではない。772条が父子を強く推定するのは、男性が育児に参加することで、長期の扶養を必要とする人間の子を保護する「家族」という子育て単位を創造した人類の知恵の法的反映とも言えるだろう。
 一方で、霊長類の子は生得的に親を認識せず、幼児期の親密な関係から親を認知する[47]。共同保育を通じ、子はまず、父親を含む家族を媒介に世界を知る[48]。こうした関係性の中で、思春期には近親相姦が回避される方向の社会的・心理的メカニズムが働く[49]
 このことから、親(とりわけ父)の存在は、子にとってア・プリオリではなく、母子の双方向認知を基盤とする「社会的親」として構築される側面があることがわかる。現行家族法は出生時に強い推定を与えるが、その後の関係の「働き」には十分踏み込めていない。子の成長発達の観点からは、親子関係を一度きりの法的画定に委ねるのではなく、継続的・流動的な社会的事実として捉え直す必要がある[50]。ここでは血縁よりも、継続的関与・扶養・情緒的絆といった社会事実的親子関係を重視することが地位の安定に資すると考えられる。
 以上を踏まえ、21世紀の親子関係は、まず出産の事実により母子関係が開始する。次に、出産費用の拠出、同居・共同生活の実態等の事実に基づき、母はパートナー(現行法上、通常は夫)を「追加の親(親権者)」と指定できる制度を検討しうる。パートナーが否認しない場合、親子関係を推定する。これらの手続は出生時に開始して子の地位を早期安定化させるのが望ましい。
 「追加の親」とするのは、父母分業が経済・社会格差の温床となってきた歴史を踏まえ、自由・平等の観点から固定的ジェンダー役割を前提としない育児パートナーを想定するためである。出生時に母は、ジェンダー不平等を顕在化させない形で子育てにコミットするパートナーを指定できる仕組みが望ましい。母が夫以外の人物を育児パートナーとして選択するケースなどのように、推定の枠組みの外から子との法的親子関係を取得する場合には、現行の里親制度や養子縁組制度を援用することになる。
 代理出産など生殖補助が合法化された場合も同様で、生まれた子が別のカップルの受精卵であっても、親の法的確定は原則として分娩した女性に帰すのが整合的である。依頼者が親となるには、まず里親等として社会的事実を積み上げ、最終的に養子縁組により法的親子関係を確定する流れが考えられる。
 もっとも、本稿が親子関係を「暫定的なもの」として構成するのは、出生時点の一度きりの画定では、DVの有無や養育の的確性を適切に判定しえないからである[51]。子の成長発達権の観点からは、一定期間ごとに親子関係の実態を定点観測し、その結果に応じて親の地位と権限・責任を調整する仕組みが要請される。追加の親に対しては、税制・社会保障・育児関連権利等のインセンティブを与えつつ、その享受を継続的な関与と結び付けることで、名目的な親指定や親子関係の否認、短期的な制度利用を抑制することができるだろう。
 こうした定点観測を通じて、DVの発現や養育の不適切性のみならず、追加親へのインセンティブが不正に利用されていないかも検証し、必要に応じて親子関係の見直しや公的支援への切替えを行うことが求められる。成長段階に応じて適切な養育がなされているかを継続的に確認し、DV・虐待・ネグレクト等により子の成長発達が著しく損なわれている場合、あるいは発達特性に対応した養育が著しく困難な場合には、親権制限・停止等の措置を検討することが相当である。
 なお、2022年改正では、嫡出推定制度と女性の再婚禁止期間が見直され、出生時期を基準とする柔軟な枠組みへと改められた。あわせて、嫡出否認・認知無効の否認権者が父のみから母・子・前夫等へと拡大され、成年に達した子自身が一定期間内に出自を争いうる制度が導入された。これらは、無戸籍問題の緩和や外観説の調整とともに、血縁よりも社会的親子関係を重視する本稿の立場とも整合的である。

親権について
 親権は子の身上監護(監護・教育、居所指定、職業許可)と財産管理・代理を指す。
 2022年改正では懲戒権が削除され、親の行為規範として子の人格尊重と体罰・有害言動の禁止が新設された(改正民法821条)。2024年改正では、親の責務として、子の人格尊重・年齢と発達への配慮・自らと同程度の生活水準を確保する扶養義務、さらに婚姻関係の有無を問わない父母の協力義務が明文化された(改正民法817条の12)。あわせて、親権は「その子の利益のために行使しなければならない」とする規定が置かれ、親権を親の権能ではなく、子の利益実現のための責務として再定義する方向が鮮明となっている(改正民法818条等)。
 離婚後の親権についても、父母双方を親権者とする共同親権が可能とされた一方で、虐待・DV・激しい対立などから共同行使が子の利益を害する場合には単独親権とすべきことが明記された(改正民法819条等)。親権の行使方法についても、原則は共同行使としつつ、日常の監護・教育行為については一方が単独で行えること、重大事項で協議が整わないときは家庭裁判所が一方の単独行使を定めうることが規律されている(改正民法824条の2等)。さらに、監護者には親権者と同様の権利義務が付与され、実際に子と生活を共にする者が居所指定などを含め日常的な監護・教育を単独で行えるようにされた(改正民法766条、824条の3等)。
 成長発達権の観点からすれば、これらの改正は、親権を「親の支配」から「子が良い養育者を持つ権利」を実現するための制度へと部分的に方向転換させるものと評価できる。しかし、なお多くの場面が「父母の協議」に委ねられており、権力非対称や暴力のある関係では、子の利益と成長発達権を実質的に保障しきれていない。
 子の利益を成長発達権として捉えるなら、それは親権行使の物差しにとどまらず、必要に応じて親の権能を再配分・制限する根拠となりうる。すなわち、親権とは子が自身の身上監護と財産管理・代理を適切に担う「親」を持つ権利の制度的表現であり、親の権能はそのために付与された手段にすぎない。この転換により、親の支配・序列の再生産から離れ、子のエージェンシーを中心に据えつつも、子の意思形成・判断力の段階性を踏まえた制度設計が要請される。
 重要なのは、「互いに尊重」というスローガンの下で協議に白地を残すことではなく、正解が不確実な状況であっても、当事者が安全に「折り合い」を模索できる手続と場を法制度として保障することである。
 もっとも、危険や圧力が存在する状況では、まず安全を確保する経路が必要である。暴力・支配・経済的搾取・宗教的強制、医療や就学の妨害があるとき、子は言語による表明だけでなく、行為(家出等)によっても保護を求める意思を示しうるものとして、支援につなげる仕組みを整えるべきである。子本人に加え、産みの母や、母から推定されるパートナーも、相手方による不適切な親権行使が疑われる場合に申立権を持つことが望ましい。虐待等は家族内で生じた場合であっても違法行為であり、必要に応じて刑事・行政上の保護を優先させることも重要である。

公的介入について
 上述した子の成長発達権を家族法の中核原理として据えるとしても、現行民法の協議主義の限界を補う公的関与のあり方については、慎重な設計が求められる。
 しかし、それは直ちに国家が家族の在り方の「正解」を一方的に決定してよいことを意味しない。むしろ、憲法24条は家族の私的自治を前提としており、憲法26条・27条に関連して議論されてきた親の教育権も、家庭内で子に価値観や生活様式を伝える第一次的責任を親に認めるものと理解されてきた。
 子の成長発達権を根拠とする公的関与は、国家が「正しい家族像」を押し付け、それに親子を従わせる装置となってはならない。成長発達権が要請するのは、特定のモデルへの同調ではなく、多様な家族のあり方を前提としつつ、子が安全と愛着、発達の機会を得られる条件を整えることである。
 したがって、公的関与の中心的役割は、家族の自治を否定することではなく、自治が実質的に機能するための条件を整えることにある。何を法で定め、何を当事者の協議に委ねるかを明確にし、合意形成を支える標準的な手続と情報提供を用意することで、当事者が対等な立場で「折り合い」を模索できる環境を整備することが求められる。
 まず、子の最善の利益と成長発達権を優先的に考慮すべきことを、解釈・運用の指針として明確化する。この指針から離れる判断には理由の明示を求め、原則の形骸化を防ぐ。また、安全の確保と比例原則を基本的な要件として位置づけ、危険が疑われる場面では暫定的な措置として安全を優先しつつ、関与の程度は必要最小限にとどめ、段階的に調整していく。
 次に、協議の内容を具体化するため、監護計画の作成を促す仕組みを整える。離婚届・調停・審判の各段階において、監護計画の提出を推奨し、未提出や内容が不十分な場合には、専門職による作成支援を受けられるようにする。それでも合意に至らない場合には、暫定的な取り決めによって最低限の事項を補充することが考えられる。暫定的な取り決めは一定期間ごとの見直しを前提とし、当事者間で合意が形成されれば柔軟に変更できるものとする。
 計画に盛り込むべき事項(生活・居所、教育、医療、交流の頻度・方法・安全確保、情報共有、再協議や第三者関与の手順など)は、ガイドラインや標準様式として示すことが望ましい。子の手続的権利についても、年齢や成熟度に応じた意見聴取、説明、記録化を原則とし、聴取を行わない場合にはその理由を明示することが求められる。
 さらに、紛争の初期段階において安全面の確認を行う仕組みを整えることが重要である。暴力、経済的支配、ストーキング、医療・教育への重大な妨害、依存症等の兆候に基づき、当事者間の協力が可能な事案とリスクの高い事案とを早期に見極めることで、適切な対応につなげることができる。リスクが高いと判断される事案については、安全確保を優先した手続(並行養育、第三者立会いのもとでの交流、安全な場所での受渡し、所在の秘匿など)を選択肢として用意しつつ、その具体的な内容や範囲は個々の事情に応じて柔軟に判断されるべきである。
 決定の時間設計としては、暫定性と定期的な見直しを組み込むことが望ましい。監護計画や主要な措置について、6か月から12か月程度を目安に状況を確認する機会を設け、進学・転居・重大な医療行為等の節目には改めて協議や見直しを行う仕組みを検討すべきである。医療・教育に関する意思決定では、年齢や成熟度に応じて子自身の決定できる範囲を段階的に広げ、親の関与を比例的に調整していく考え方を明確化することが考えられる。
 もっとも、公的関与は個別の紛争処理にとどまらず、予防的な支援としての役割も重要である。繰り返し述べているように、本稿が親子関係を暫定的なものとして捉え、定期的な確認の機会を設けることを提案するのは、深刻なDVや虐待が顕在化する前の段階で、ストレスや孤立、養育上の困難の兆候を把握し、早期に支援につなげる可能性を開くためである。監護計画や養育費の履行状況、学校・医療現場からの情報を緩やかに共有し、必要に応じて支援や調整を行うことで、事後的な対応に頼らずに子の成長発達を支える余地が広がるのではないだろうか。
 養育費について、2024年改正により、先取特権が付与され(改正民法306条3号、308条の2)、協議離婚で養育費の定めがない場合も「法定養育費」として最低限の費用を請求できる制度が創設された(改正民法766条の3)。さらに、財産開示から差押えまでのワンストップ執行(改正民事執行法167条の17)、収入・資産情報の開示命令(改正家事事件手続法152条の2等)など、実効性確保の制度が整備された。
 これらの改正、離婚後も親子関係が継続することを前提に、養育費を子どもの権利として位置づけ、その履行を確保しようとする点で評価できる。他方で、その基礎づけは依然として、「法律上の親」であることに置かれており、「社会的親」としての関与の有無や程度を正面から評価する枠組みには至っていない。
 もっとも、「社会的親」中心の構成は、「関与しないこと」による責任逃れのインセンティブを生みうる。そのため、養育は、第一に子どもの生活の連続性を保障するミニマムな給付(児童手当・ひとり親施策等の拡充や、公的基金による立替払い)を整備することによって、「社会的親」がいない状況においても子が貧困に陥らない土台を公的に引き受けるべきである。
 そのうえで、「社会的親」として子と関わり続ける者に対して、税制・社会保障・育児休業・居住の安定・将来の扶養・相続に関する地位の安定等のインセンティブを付与し、継続的関与と養育責任の双方を社会的事実に結び付ける設計が求められるだろう。定められた暫定養育費(現在運用されている算定表の下限)の履行は給与天引き・口座引落しをデフォルトとすることが考えられる。
 また、子の声の実装として、行政から独立した子どもアドボケイトを法定化し、学校・医療・施設での面談アクセス、意見書の訴訟関与資格、守秘と重大ハーム時の例外通報を規定する。意見の不表明が不利益とならないよう、回避行動や身体症状等を意思のシグナルとして評価する枠組みも指針で整える。
 こうした発想に基づく支援は、行政の裁量に委ねるだけでなく、利用しやすい制度として整備されることが望ましい。妊娠期から就学までの継続的な支援について、訪問や相談の機会、専門職へのアクセス、一時的な休息(レスパイト)の提供などの目安を示し、健診未受診や長期欠席等の兆候が見られた場合には支援につなげる仕組みを設けることが考えられる。支援の経過や判断の理由は記録し、必要な範囲で関係者が共有できるようにする。情報へのアクセス管理や所在秘匿の必要性については優先順位を明確にし、面会交流の実施状況や養育費の履行状況などの指標を把握することで、制度の改善に役立てることができるだろう。
 そして、公的関与においては、行政だけでなく司法の役割も重要である。行政や立法は、福祉政策や家族政策において時代の潮流や政治的な影響を受けやすい面がある。「子どものため」という名目のもとで、特定の家族像が望ましいものとして誘導される可能性も否定できない。子の安定した成長発達が、そのような短期的な政策の変動によって左右されることは避けるべきである。
 したがって、公的関与を行政の裁量のみに委ねるのではなく、司法による審査や法的な観点からの確認が機能する仕組みを整えることが重要である。具体的には、裁判所による事後的な審査に加えて、弁護士等の法曹が監護計画や支援プランの作成段階から助言を行い、比例原則や親の教育権・家族の私的自治との調和という観点から確認する機会を設けることが考えられる。
 また、DVや葛藤の激しい事案については、行政が作成する安全確保のための計画や監護案について、弁護士や家庭裁判所調査官が早期に確認し、関与が過度になっていないか、あるいは安全確保が不十分になっていないかを点検する機会を設けることが望ましい。
 法曹は、紛争の終局において権利の存否を判断する専門職にとどまらず、監護計画の作成支援や行政による措置の確認、子どもおよび親の意思の整理と調整といった場面で、継続的に関与することが期待される。こうした司法的視点が実務に組み込まれることで、成長発達権と家族の私的自治との調和を図りつつ、過度な家族への関与を抑制する仕組みが具体化されるのではないだろうか。
 以上は、抽象的な理念だけを掲げて具体を当事者に丸投げするのではなく、最低限の安全と生活の保障を支える枠組みを明確にしたうえで、標準的な手続と支援を整え、当事者の自治を実質的に機能させることを目指すものである。家族の多様性と流動性、そして家庭内における価値形成の自由を前提としつつ、力関係による不公正を緩和し、「親の権能をどう配分するか」から「子の発達過程をどう支えるか」へと視点を転換していく道筋を、実務のレベルで具体化することが求められている。

おわりに

 本稿は、現代家族の多様化・流動化を前に、家族法を「子の成長発達権」を中心に再構築することを提案した。これは家族を否定する試みではなく、むしろ、家族が子の成長発達を支える最重要環境であることを再確認したうえで、その機能を最大限に発揮させるための法的枠組みを構想する営みである。
 本稿は、第一に、「脱構築」という方法を導入し、個人主義対共同体主義、自由対保護、大人対子どもといった二項対立の相互依存性を可視化し、子の視点を軸にヒエラルキーを組み替えた。特に「大人/子」の脱構築により、子を保護の客体でも「小さな大人」でもなく、成長発達の主体として位置づけ、保護と自律という相反する要請を、単純な選択ではなく、場面ごとに組み替え続けるべき緊張関係として捉え直した。矛盾を消すのではなく、矛盾を前提とした制度設計を志向した。
 第二に、成長発達権を憲法および国際法の観点から基礎づけ、家族法の解釈原理として位置づける枠組みを提示した。これにより、選択的夫婦別姓、離婚後の養育責任、面会交流、生殖補助医療といった個別テーマを、場当たり的にではなく、一貫した原理から検討することが可能となる。成長発達権は、日本の子ども法制と家族法の諸領域を貫く指導理念となりうる。
 第三に、親子法および公的関与の在り方を、「親のための権能」から「子が適切な養育者を持つ権利」へと視点を転換しつつ、それでもなお家族の自律と公的関与との緊張を残す枠組みを構想した。親は子の最も身近な保護者であると同時に、最も深刻な危険の源泉にもなりうる。本稿は、この矛盾する要請を、「どちらか一方を採用する」ことで解決するのではなく、親権の再定義、段階的な介入、子の意見表明権の保障などを通じて、矛盾を管理し続ける制度として組み替えようとした。
 家族法改革は、私たちの「生き方」を根底から問う。子の成長発達権を中核とする家族法が示す社会とは、親子が安全に関係を築き直せる社会であり、同時に、親子関係から一時的に距離をとることも含めて、子に複数の居場所と選択肢が保障される社会である。
 社会で安心と安全を得たいなら、親となる者は積極的に子に関わり、信頼関係を築かなくてはならない。他方で、子がいつ親元を離れても安全に暮らせるよう、地域社会や学校、職場との関係性を育む必要もある。近代以降、家庭から切り離された職場で一日の大半を費やす生活様式のもとで、それがどこまで可能かは大きな課題である。この困難を直視するなら、少なくとも、職場や地域に子どもが出入りし、受け入れられ、親以外の大人と関係を構築できる仕組みを社会全体で整えることが求められるだろう。
 子の成長発達権を中核に置いた家族法は、大人たちにそのような社会的実践を要請している。その社会で、子どもには、そうして関わる大人たちを信頼してほしい。しかし、信頼は命令で生じない。まずは大人が人を信頼し、子を託し、責任を分かち合う作法を身につける必要がある。家族だけに子育てを任せきるのではなく、「家族と共同体」が重なり合いながら子を支えるという構造は、拙論で触れた霊長類の共同保育にも見られるように、人類が長く営んできた子育て文化に連なるものである。
 様々なリスクが指摘されうることを承知のうえで、それでもなお本稿の提言が社会の良識に適うと判断するなら、私たちはその社会に向かう決断を重ねるべきである。もはや家族に任せておけば問題を直視せずに済む時代ではない。決断して初めて、これまでいかに家族だけに過大な期待が押し付けられてきたのかを自覚し、「家族と共同体」が協力して責任を果たす道を考え、試行錯誤が始まるのではないだろうか。
 家族法は永遠に未完成である。しかし、その未完成性こそが人間の生の豊かさと矛盾を抱えた自由の余白を保証する。法は、この捉えきれなさと矛盾を認めたうえで、それでも最低限の枠組みを提供しようとする。不完全であり続けること、批判に晒され続けること、例外から学び続けることを自らに課す法体系こそ、21世紀の家族法にふさわしいのではないか。
 矛盾は解消されない。家族と家族法のあいだの緊張も終わらない。本稿が描こうとしたのは、家族という水たまりに閉じこもるのでもなく、家族を捨て去るのでもなく、子どもたちを大洋へとつなぐ通路としての家族と共同体の関係を絶えず編み直していく社会である。そのような社会に向けて一歩を踏み出すことが、現に苦しむ人々への肯定的な応答となることを願う。

[1] 法務省「民法等の一部を改正する法律の概要」2024年。

[2] 総務省統計局「家計調査 用語の説明」

[3] 是枝俊悟「総世帯数の5%にも満たない「標準世帯」」大和総研、2018年。

[4] 日経新聞「共働き世帯1200万超、専業主婦の3倍に 制度追いつかず」2024年。

[5] 畠山勝太「“ひとり親世帯”の貧困緩和策――OECD諸国との比較から特徴を捉える」2017。

[6] 厚生労働省「令和4年(2022) 人口動態統計(確定数)の概況」2023年、4頁。

[7] ニッポンドットコム「晩婚晩産―第1子出生時の母の平均年齢30.9歳に : 1980年の第3子出産年齢は30.6歳」2021年。

[8] 総務省「平成27年国勢調査」総務省統計局、2015年。

[9] 内閣府「令和6年版高齢社会白書」2024年。

[10] 株式会社リクルート HR 研究機構 iction!事務局「週5日勤務の共働き夫婦 家事育児 実態調査 2019 ~夫のホンネ、妻のホンネ~」株式会社リクルート、2019年。

[11] 増田光吉「鉄筋アパート居住家族のNeighboring」『甲南大学文学界論集』11、1960年。

[12] 落合恵美子『近代家族とフェミニズム 増補新版』勁草書房、2022年、224-232頁。

[13] 厚生労働省「子育て世代にかかる家庭への支援に関する調査研究報告書」2021年。

[14] PIAZZA「子育て中の孤立や孤独に関する調査」2020年。

[15] 山岸俊男「安心社会から信頼社会へ: 日本型システムの行方」中央公論新社、1999年。

[16] 落合恵美子、前掲注12)183頁。

[17] 内閣府男女共同参画局、「DVの現状について」、2020年。

[18] 松岡亮二『教育格差』ちくま新書、 2019年。

[19] 子ども家庭庁「こどもの居場所づくりに関する調査研究 報告書概要」2023年。

[20] 三藤壮史「水平線の家族論」松下政経塾、2024年。

[21] 山極寿一『家族進化論』東京大学出版、2021年。

[22] 大村敦志『新・家族法 たそがれ時の民法学』有斐閣、2025年、425頁以下。

[23] 大村・前掲注22)433頁以下。

[24] 村上一博『日本家族法史論』法律文化社、2020年、224頁以下。

[25] 村上・前掲注24)iv頁。

[26] 村上・前掲注24)iv頁。

[27] 大村・前掲注22)439頁。

[28] 水野紀子「家族への公的介入」水野紀子、深町晋也、石綿はる美編『家族への公的関与 支援・介入・制裁』日本論評社、2025年、23頁。

[29] 畠山勝太、前掲注5)。

[30] 厚生労働省「令和4年度 離婚に関する統計の概況」2022年。

[31] 厚生労働省「全国ひとり親世帯等調査」2021年。

[32] 高橋哲哉『デリダ 脱構築と正義』講談社学術文庫、2015年。

[33] 服部朗「少年事件報道と人権」『少年法の展望−澤登俊雄先生古稀祝賀論文集』現代人文社、2000年。服部朗「成⻑発達権の⽣成」愛知學院大學論叢法學研究44巻1・2号、2009年。

[34] 三藤壮史「成長発達権と少年法61条の正当性」国際基督教大学、2016年。

[35] 福田雅章「少年法の拡散現象と少年の人権」同『日本の社会文化構造と人権』明石書店、2002年、461頁。

[36] 最大判昭61・5・21刑集30 巻5号615頁。

[37] 本庄武「成長発達権の内実と少年法 61 条における推知報道規制の射程」一橋法学 10巻3号、2011、849頁。

[38] 福田・前掲注 36)461頁。

[39] 福田・前掲注 34)463頁。

[40] 山口直也「関係的権利としての子どもの成長発達権」『刑事法における人権の諸相−福田雅章先生古稀祝賀論文集』成文堂、2010年、170頁。山口直也「子どもの成長発達権と少年法六一条の意義」山梨学院大学法学論集 48号、2001年、86頁。

[41] 本庄・前掲注37)849頁。

[42] 福田雅章「『子どもの権利条約』の基本原則と少年司法」・前掲注 35)483項、本庄・前掲注 36)851頁。

[43] 篠原永明「婚姻・家族制度の内容形成における考慮事項とその具体的展開」甲南法学58巻3・4号、113頁。

[44] 富田拓『非行と反抗がおさえられない子どもたち 子どものこころの発達を知るシリーズ8』合同出版、2017年。

[45] 吉田邦彦『家族法(親族法・相続法)講義録』信山社、2007年、149頁。

[46] 吉田・前掲注44)149頁。

[47] 山極寿一「ジェンダーと家族の未来」学術の動向 = Trends in the sciences、日本学術協力財団、2019年、17項。

[48] 山極寿一『森の声、ゴリラの目 人類の本質を未来につなぐ』小学館新書、2024年、177項。

[49] 山極・前掲注21)19項。

[50] 吉田・前掲注44)217頁。

[51] 筆者実施の2025年調停委員へのアンケートより

参考文献

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・山口直也「関係的権利としての子どもの成長発達権」『刑事法における人権の諸相−福田雅章先生古稀祝賀論文集』成文堂、2010年。
・山口直也「子どもの成長発達権と少年法六一条の意義」山梨学院大学法学論集 48号、2001年。
・山田八千子編『法律婚って変じゃない?-結婚の法と哲学』信山社、2024年。
・吉田邦彦『家族法(親族法・相続法)講義録』信山社、2007年。

English Abstract

This paper re-examines Japanese family law in the context of rapidly diversifying and fluid contemporary family forms. It argues that postwar family law—while formally premised on individual dignity and gender equality under Article 24 of the Constitution—remains structurally anchored in a “standard family model” and in a pervasive ideology of party autonomy and “consultation-ism.” This framework leaves children, and particularly those in fragile family situations, insufficiently protected.

Methodologically, the paper adopts “deconstruction” in the Derridean sense, not to dissolve normative distinctions but to reveal the mutual dependence and internal instability of the binary oppositions that organize family law: adult/child, male/female, marital/non-marital, blood/non-blood, parental authority/children’s rights, and so on. By unsettling these hierarchies, the paper seeks to open a new normative horizon centred on the child.

The core proposal is to place the “right to maturation and development” (seichō-hattatsu-ken), developed in juvenile law scholarship, at the heart of family law. Drawing on constitutional provisions on dignity (Art. 13), livelihood (Art. 25) and education (Art. 26), as well as key case law, this right is conceptualized as a comprehensive constitutional right of the “potentially autonomous subject”: it entails both freedom from interference that obstructs maturation and a social right to positive support for development. Children are thus “not yet” rights-holders but persons whose ongoing maturation is itself worthy of present respect.

On this basis, the paper reconceptualizes family law in three steps. First, it re-reads Article 24 to shift its normative centre of gravity, in child-related domains, from the couple to the parent–child relationship and the child’s development. Second, it sketches a parent–child law that prioritizes social parenthood and continuous involvement over a one-off legal fixation of status at birth, and that redefines parental authority as an institutional expression of the child’s right to have adequate caregivers. Third, it designs a model of public intervention that moves beyond blank “consultation-ism” by legally structuring monitoring, support and decision-making procedures, while avoiding authoritarian state prescriptions of a single “correct” family form. The paper concludes by outlining a vision of a society in which families and communities share responsibility for securing the conditions of children’s maturation and development.

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三藤壮史の論考

Thesis

Masashi Mito

三藤壮史

第43期生

三藤 壮史

みとう・まさし

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