論考

Thesis

松下電器起業に見る建塾理念

【本稿では、松下政経塾がなぜ、何のために建塾されたのかという建塾の理念について、「松下電器起業」の観点から論じる。松下電器の起業は、松下政経塾だけでなく、PHPなどに通じる松下幸之助塾主の原点ともいうことができよう。本稿は、松下電器起業という体験が政経塾の建塾趣意書・塾是・塾訓・五誓にいかに結びついているかを考察した。】

 建塾趣意書・塾是・塾訓・五誓は、なぜ、何のために松下政経塾が建塾されたのかという問いに答えるものである。本レポートでは、この基本精神を「松下電器起業」の観点から論じていく。
 そもそも、大阪電燈株式会社に15歳で入社した松下幸之助塾主(以下、塾主)がどうして松下電器の起業を決意したのだろうか。理由の一つに体調に関する不安があった。若い頃は体が弱く、仕事を休みがちで、日当制では収入が安定しなかったのである[1]。それに加えて、検査員に出世して、職工時代よりも仕事が楽になったが、肺尖カタルという病にかかってしまう[2]。このような健康問題に加えて、出世と前後して自分で開発を進めていたソケットが会社に採用されなかったことによる不服が塾主の「どうかしてソケットをものにしたい」という信念に火をつけることになった[3]
 さて、「いったん決めましたからやめさしていただきます」と言い放ち、ソケットの製造に着手した塾主には、金も知識もない状態であった[4]。どこで材料を買うのか、どのような値段で売るのか、ソケットの胴体となる錬物の製法さえも分からない状態で、自分達の手で1から研究・製造を進めたのである。このように、無我夢中になって製造したソケットの売り出しは、不調であった。まだまだ研究が不十分だったのである。しかし、もう改良する資金もなく、このまま仕事を続けていくことは難しいことは分かりきっていた。それにもかかわらず、塾主は、仕事を見切ると言う気持ちにはなれず、生活を切り詰めながら、ソケットの改良・製作に
 そんな折、思いがけず扇風機の碍盤の注文を受け、多少の収益を得ることができ、商売を続けることができるようになった。このように、辛抱が自分の予想しないかたちで成功に結びついたことから、塾主は、
 「ものに強い執着をもって、決して、軽々しくそれをあきらめるということをしてはならないと思う。しかしまた、頑迷であってはならない。いつでも他に応ずる頭を働かせねばならない。」[5]
と述べている。
 碍盤の注文が継続したことにより、本格的に器具を制作するための、施設の移転が可能になった。松下電器創業の家が大開町に設けられたのである。そしてその町工場で作られた2つの製品の存在が松下電器を「新しいものを安価に作る工場」という、生活に役立つ製品を作る企業として社会に認識させるものになった[6]。改良アタッチメントプラグと二灯用差込みプラグは、当時の流行品であったが、十分に研究し尽くされたとは言えなかった。塾主は、既存品をそのまま量産するのではなく、改良や工夫を施すことで、他社製品に性能や価格に差をつけることに成功した。夜12時まで働いた分、革命的な売上げを見せることになったこの2製品によって、松下電器の基盤が築かれたのである。
 当然、この成功の裏には、塾主と従業員との協力がある。当時も、製品の製作方法を公開することは、同業者を増やしたり、技術を盗まれる危険のあることだった。しかし、松下電器では、従業員を信頼し、新製品の技術を秘匿にすることなく、誰もが製造に携わることができていた。また、塾主は、第一次世界大戦後の大不況による社会運動や労働運動が盛んな中においても、従業員の福利増進、融和親睦をはかる歩一会を設立し、全員の連帯を訴えた。激動の時代を所主も従業員も1つの家族のように、「全員が歩みを1つにして、1歩1歩着実に進もう」と考えたのである[7]
 また、電話の架設や工場の拡張を経て、一人前の工場になった松下電器のこれまでの軌跡を振り返り、塾主は、「石の上にも三年」と述べている[8]。資金も知識もない状態から始まり、ソケットの開発が失敗に終わるも、辛抱して、無我夢中に仕事に励んだ結果、こうして松下電器の基礎を築くことができた。そして、塾主は、これからも仕事本意に、勢いまじめに、正直に正しくやろうと決意したのである[9]。その後も、熱心に、松下電器は従業員と協力して、砲弾型電池ランプの製造販売や関東大震災の復興に尽力していくことになる。
 さて、松下電器起業と松下政経塾建塾の理念との関わりは深いように思われる。五誓にある「素志貫徹」について、創業直後に見られるように、苦心して完成させたソケットがほとんど売れず、給料も払えない状態になり、他の創業メンバー2人も辞めていった。家計についても婦人が度々質屋に通う有様であったが、塾主は「どうしてもわしはやる」という心持ちで一人になってもソケットの改良を続けた。そのうちに、扇風機の碍盤の注文が舞い込み、松下電器の成功に続く道が開けたのである[10]
 また、「自主自立」について、塾主が松下電器の最初の基礎を築いたと回想する「二灯用差込みプラグ」という商品は、吉田商店に販売を任せて、月に2千個から3千個へ、3千個から4千個へ増産をしている最中、東京方面における値引き競争に吉田商店がひるみ、販売計画を解消せざるをえない状況になった[11]。しかし、塾主は「こうなると自分の手で売らねばならぬ」ということで、大阪や東京の問屋を直接自分で話をして回った。大阪では、直接メーカーがということもあって印象も良く協力も得られ、東京でも、気風に苦労するも地道に説得をして回ることで、相当の注文数を得ることができ、結果として資金も工場も販売も良い結果につながったのである[12]
 「先駆開拓」についても、松下電器の発展に大きく貢献した「砲弾型ランプ」にまつわる。当時の自転車ランプは、ローソクやガスが主流であった。また、電池ランプも見受けられたが、2,3時間しか持たないものであった。塾主は、途中で消えず、明るいランプを考案する電池ランプを考案するにあたり、市場に出回る既成品にとらわれず、根本的に機構を変えることで30,40時間も電池がもつ画期的なランプを創造した[13]。しかし、このような実用的で経済的なランプの販売は、電器屋や自転車屋が電池ランプは使い物にならないという先入観にとらわれおり、乗り気薄で、出鼻を挫かれてしまう。そこで、小売屋に目をつけ、砲弾型ランプを無料で配り、実際に店頭で実験をしてもらい、結果が良ければ買い取って売ってもらう革新的な方法を採用し[14]、2,3ヶ月もすると月に2千個は売れるようになるなど非常な成功を収めた。
 松下電器起業時代に「感謝協力」を感じられるエピソードが関東大震災に見られる。震災後に再び東京市出張所を開設にあたり、40円のバラック建ての中で進む営業準備において、塾主が見たのは、4坪足らずの土間に3畳1間の居間で業務し、晩は2畳ほど床几で眠る店員の姿であった[15]。塾主は、休むところもない場所で、何の不平も言わず、昼夜を問わないで活動している人たちを見て感謝せずにはいられなかったという[16]。その働き甲斐あって、東京の業績は順調に進んでいくのであるが、当時の松下電器は、出張所以外でも皆が真剣に活動しており、塾主も「ほんとうにもったいないことのように」感じたという[17]
 そして、「万事研修」という言葉にもあるように、例えば、塾主は、代理店制度の実施を計画した際に、大阪地区の販売を担当することになった山本商店と他の地方代理店との板挟みとなった。塾主は、そのようなステークホルダーとの関わりの中で、「ずいぶん骨が折れた[18]」と回想しているが、商売の考え方や進め方やなどについて大きな学びを得ている。
 以上のように、建塾に際し、塾生には「このようなリーダーになってほしい」という思いには松下電器起業時代の影響を受けていることが考えられる。

 

[1] 松下幸之助『私の行き方 考え方』(PHP研究所、1986年)60-65頁。

[2] 松下幸之助『リーダーを志す君へ』(PHP研究所、1995年)78頁。

[3] 松下幸之助・前掲注2)75頁。

[4] 松下幸之助・前掲注1)66頁。

[5] 松下幸之助・前掲注1)75頁。

[6] 松下幸之助・前掲注1)88頁。

[7] 松下幸之助・前掲注1)101頁。

[8] 松下幸之助・前掲注1)103頁。

[9] 松下幸之助・前掲注1)104頁。      

[10] 松下幸之助『君に志はあるか 松下政経塾 塾長問答集』(PHP研究所、1995年)117頁。

[11] 松下幸之助・前掲注1)84-85頁。

[12] 松下幸之助・前掲注1)87頁。

[13] 松下幸之助・前掲注1)116-117頁。

[14] 松下幸之助・前掲注1)126-128頁。

[15] 松下幸之助・前掲注1)145頁。

[16] 松下幸之助・前掲注1)145頁。

[17] 松下幸之助・前掲注1)146頁。

[18] 松下幸之助・前掲注1)153頁。

参考文献

執行草舟『悲願へ』(PHP研究所、2019年)

松下幸之助『君に志はあるか』(PHP研究所、1995年)

松下幸之助『私の行き方 考え方』(PHP研究所、1986年)

松下幸之助『リーダーを志す君へ』(PHP研究所、1995年)

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三藤壮史の論考

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Masashi Mito

三藤壮史

第43期生

三藤 壮史

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