論考

Thesis

「地域格差」はなぜ生まれたのか

「格差社会」「地域格差」格差とは一体何なのか。格差を生み出したものは何なのか。格差を超える鍵を探し出すため、格差を生み出した歴史に迫る。

1.はじめに-地域格差とは-

 「格差社会」という言葉が日本でもてはやされ、社会現象として受け入れ始められている。皆さんは普段の生活で格差社会を感じることはあるだろうか。一億総中流社会が崩れ、各個人間の所得の格差が明らかになり、その格差が拡大している中、この新たな社会とどう向き合い、どのように解決をするかについては、様々な議論が続いている。

 さて、「地域格差」である。個人間の格差もさることながら、大都市圏と地方圏の格差も今までは景気回復の違いや人口減少というあまり実感のない感覚から、最近では、夕張市の財政破綻や医師不足、集落消滅など生活のまわりに目に見える形で現れ始めている。

 「地域格差」とは一体何なのであろうか。現在地域格差というと主に都市部では充足していて農村部で不足しているものを指すことがほとんどである。所得、人口、インフラ、地方自治体の財政力・・・。確かに地域によってそこに住む人々の生活水準あるいは企業には差があるし、それに伴う自治体の体力にも大きな差が出てきている。しかし、今までも地域格差はあったにも関らずあまり顕著には感じられなかった。それは、その格差と言われる部分を埋めるため、また縮めるため国からの支援があったからである。しかしその支援は期待も実現もできない時代となった。

 本レポートでは、「地域格差」と呼ばれるものの実態は何なのか、その地域格差を生み出したものは何なのかを考察することを主題に、これからの地域はいかに「地域格差」と向き合っていけば良いのかを考えていく。

2.地域格差の実態

2.1.人口格差

 「地域格差」を測る物差しとして、まずは人口を取り上げてみたい。第1回の国勢調査が実施された1920年(大正9年)に5600万人弱であった日本の人口は、今から約50年前の1955年(昭和30年)には9000万人強(対1920年61%増)、2005年(平成17年)には1億2800万人弱と1920年に比べ2.28倍に増加している。(参照:国勢調査)都道府県別の人口推移を見てみると、首都東京都は1920年に370万人であった人口は、1940年に730万人強、戦時中の疎開等の影響を受け1947年には500万人まで急減するが、2005年には1260万人弱と1920年に比べ3.4倍に増加している。この近代85年間で一番人口が増加した都道府県は神奈川県で1920年に130万人強であったものが、2005年には880万人と1920年に比べ6.64倍に大幅に増加している。一方、一番人口が増えていない都道府県は島根県で1920年に71万5千人であった人口は1955年に93万人弱(対1920年30%増)とピークを迎えるがその後減少を続け、2005年の人口は74万2千人となんと1920年に比べ3.85%しか増加していない。74万2千人というと戦前1930年の人口とほとんど変わらない。1925年から2005年までの人口増加上位は神奈川、埼玉(435%増)、千葉(353%増)、愛知(247%増)、大阪(241%増)と続く。一方、ワーストは島根、高知(19%増)、徳島(21%増)、山形(26%増)、秋田(27%増)と元気がないと言われる各県が続くように、人口のだけが格差の指標ではないが、一端を現しているといえるだろう。

2.2.所得格差

 次に都道府県別の県民所得を比較する。県民の所得格差は、地域格差の大きな要素の一つであると同時に他の様々な格差と大きく関っていると考えられる。内閣府「平成16年度県民経済計算」によると、一人あたりの県民所得が一番多いのは断トツで東京都の460万円、以下愛知(344万円)、静岡(325万円)、滋賀(324万円)、神奈川(317万円)である。一番少ないのは、沖縄県で(199万円)、以下青森(215万円)、高知(217万円)、長崎(219万円)、鹿児島(221万円)と順で、トップの東京都と最下位の沖縄県では2.3倍の開きがある。県民所得下位5県平均に対する上位5県平均の格差倍率は高度経済成長が続く1955年から石油ショックの1970年代前半までは2.0倍前後あるものの、それ以後は1.5~1.7倍と一時期に比べると所得格差は縮小しているといえる。

2.3.財政力格差

 最後に都道府県別の財政力格差を財政力指数をもとに比較する。各都道府県の財政力指数は各県の財政力の自立度を示すものであるが、直接的には地方税率の違いや、各種手当ての違い、また、地域独自の政策が打ち出されるかどうかという違いが生まれてくる。与当然、財政力に余裕がある地域は、児童手当等の公共サービスは手厚くすることも可能である一方、余裕がなく厳しい地域は公共料金の値上げ等生活を直撃し、格差を助長させるものである。財政力指数が高い県は、総務省平成17年度地方公共団体の主要財政指標一覧によると、上位から東京(1.11)、愛知(0.89)、神奈川(0.82)、大阪(0.71)、埼玉(0.65)、低い県は、下位から島根(0.21)、高知(0.22)、鳥取(0.24)、秋田(0.25)、長崎(0.25)となる。東京都が十分な税源を持つある一方で、財政的にほとんど国頼みの地方県があり、その差は大きなものということが良くわかる。機能が違うので単純比較はできないが、財政破綻した夕張市の平成17年度財政力指数が0.225であったことを考えると下位県の財政力がいかに厳しいかがわかる。

3.地域格差を生み出した原因

3.1.地域格差を生み出した原因

 今まで見てきたように、地域格差は様々な面で具体的な数値の上でも大きな格差があり、増減はあるもののその格差は徐々に大きくなってきた傾向があると共に、このままでいくと各種統計で推計されているように今後もより大きなものになっていくと考えられる。またこれらの他にも、県庁所在地で唯一高速道路が開通していない鳥取県などの交通インフラ格差や最近では、ブロードバンド整備の違いによる情報格差、あるいは医師の偏重による医療格差の現象も格差といえる。

 では、このような格差を生み出したものは、一体何なのか。私は大きく3つの原因があったと考える。1点目は、産業転換である。高度経済成長期に見られた第一次産業から第二次、第三次産業への転換は、各県の生産力、人口移動に大きな影響を与え、政策あるいは立地上、優位であった地域は現在の上位の県となっていったと考えられる。各県誕生の経緯が石高を基にした農業生産力のある程度の平準化から誕生したことを考えると新たな産業の誕生は大きな変動要素であった。2点目は、人生観の変化である。多産多死から多産少死、少産少死という家族の変化、あるいは、交通インフラや情報インフラの発達というものは、日本全体が相対的に狭く感じさせると同時に、各地域の移動の機会・動機を多くし、ある地域で一生を過ごすという人生観そのものを変化させた。3点目は、東京一極集中・中央集権である。ヒト・モノ・カネ、権限・情報・文化の東京への一極集中、全国一律で全国東京化を目指す中央集権体制は、より東京への一極集中を生み出し、それらの一方的な発信源である都市部と受けてである農村部の格差を生み出したものであると考える。以下、それら3点の原因を詳しく考察する。

3.2.産業転換

 日本ではこの100年、前半半世紀は増減を経ながら約半数余りの人間が農業を中心とする第一次産業に携わってきた。1950年の全国産業別就業者割合は第一次産業が48.3%、第2次産業が21.9%、第3次産業が29.7%と第一次産業が圧倒的な就業者数を擁している。戦後の混乱が収まり、池田勇人首相(1960-1964首相在任)の「所得倍増計画」に代表される高度経済成長期を迎える1960年前後に第1次産業の就業者数は、第3次産業、第2次産業を下回り、2005年にその割合は第1次産業が4.8%、第2次産業が26.1%、第3次産業が67.2%と大きな変化を遂げるに至った。日本の高度経済成長を支えた工業は、四大工業地帯をはじめとする太平洋ベルト地帯に発達し、新たな雇用の発生は、人口移動と地域経済力の発展をもたらした。GDPの変化は人口移動と県民所得の格差と大きな相関関係があり、GDPの変化が大きい時代は非大都市圏から大都市圏への人口流入が大きくなるとともに所得格差が広まる傾向があった。(人口移動については、上記流入数が石油ショックの影響による1974年、バブル崩壊の影響による1993~95年はマイナスとなっている)第一次産業は様々な対策はとられるものの産業として規模も所得も魅力あるものとはならず、産業人口は減少の一途となっており、1950年当時就業人口割合が66.0と高かった島根県をはじめとする農業を産業基盤としてきた県は依然として厳しい現実となっている。第2次産業の発展した地域は、第3次産業も同時に誘発し、産業転換の波に乗ってさらなる発展を果たしていった。

3.3.人生観の変化

 次に人生観の変化について考える。人生観の変化として大きなものは家族構成の変化である。非大都市圏から大都市圏へと最も大きな人口移動が生じた1960年代は出生率が4以上あったべビーブーマー世代が中・高卒業を迎える時期であった。それ以前の多産多死時代から多産少死時代へと移った時代でもあった。当時から現在まで、日本人の根底にある長男・長女は家を継ぐという考え方・実際の行動自体は大きな変化はないが、この時代、第3子、第4子には継ぐべき家もなく、また農村部には雇用もなかった。結果として、新たな産業があり、就業機会も多い大都市圏へと人口流入が進んだ。それは、結婚というものもこれまでの比較的近い地域での出会いから全国的な出会いへと変化させ、両親の近くにいずれは移住するという選択肢もとりづらいものにし、就業地が一生の居住地となっている世代と考えられる。また交通インフラの整備による移動の容易化、通信手段の発展によるコミュニケーションの容易化、移動者の大量化によるコミュニティの変化は、必ずしも出生地でなければ居心地が悪いということをなくし、人生選択の多様化を与えたと言える。

3.4.一極集中・中央集権

 最後に一極集中・中央集権について考える。戦後の産業転換、経済成長は先進国各国が経験したものであるが、その中で日本の東京圏への一極集中は極めて高いものがある。連邦制国家のアメリカ合衆国、あるいはイタリアの多極都市化はいうまでもなく、歴史的経緯の違いはあるものの日本と同じ工業国であるドイツの首都であるベルリン、あるいはイギリスの首都であるロンドンの人口はそれぞれ、333万人(1950年)→333万人(2000年)、820万人(1951年)→732万人(2001年)とほとんど変化がない。東京への一極集中は、政治、経済、文化、情報、人材と全ての分野にわたった。戦後敗戦から立ち直るべく政府は、都市部への重点投資をせざるを得ず、また「国土の均衡ある発展」に舵を切ったあともそれは「国土の均質な発展」であり、全ての地域が東京をお手本にしなさいというものであった。しかし、それはある商品分野で新興小企業がシェアNo.1の老舗企業に挑むがごとく、無謀であり、勝てない勝負であったと考える。東京への一極集中・中央集権体制は、日本の復興において機能し、大きな成果を出したことは間違いないが同時に地域格差を生み出した大きな原因ではなかっただろうか。

4.地域格差の概念を超えて

 これまで、「地域格差」と呼ばれるものの実態を掴みながら、それを生み出したものは何なのかということを考察してきた。これらの格差は変化する要素もあるかもしれないが、少子高齢化、人口減少社会を迎えより顕著なものになっていくであろう。人口だけ考えてみても2030年には東京都の推計人口は1215万人と現在とほとんど変わらないのに対し、例えば、2030年の島根県の人口は63万人と2005年に比べさらに15%減少し、また高齢化率は33%に達し、その格差は開くばかりである。

 しかし、悲観ばかりはしていられない。格差の拡大もさることながら、格差社会の終焉は、各個人間の格差と同様に、最下層の崩壊だからである。年収が少ない、結婚できない、子供ができない、老後は一人暮らし、生活はできない。地域においても、税収が少ない、公共サービスが提供できない、人の減少、集落の消滅、地域の消滅。

 「地域格差」というと経済的な指標が注目され、都市圏に比べ非都市圏に何が不足しているかということが対象となりがちである。しかし、逆に非都市圏に比べ都市圏に不足しているものもたくさんあるのではないだろうか。広大で安価な土地、豊かな自然、食料、物価の安さ、人間同士の繋がり・・・。しかし、これらはわかっていても東京基準からすると何一つ大きな魅力となるものではなかった。

 格差社会から脱皮する方法がそれぞれの人間の長所を引き出す機会と多様な教育を提供することであるように、各地域の格差をなくすためには、地域の長所を引き出す機会と、全国一律・東京志向でない多様な政策を実現する必要があると考える。

 昔から「地域格差」があったことは間違いないが、現在の決定的な格差を生み出したのは戦後のことである。戦後60年余り経った今、現状のままでは、間違いなく「地域格差」はなくならないであろうし、もっと広がるであろう。今こそ、考え方とシステムを変革する必要があるのではないだろうか。それを実現するためには、どのような国家が理想なのか考える必要があるだろう。

 本レポートでは「地域格差」原因について考察を試みた。「地域格差」現状は大変厳しいものがあり、その原因が変わってない今、このままではその格差は開く一方であるだろうと未来を悲観した。では新たな未来を切り拓いていくためにはどうしたら良いか。レポート第2弾では、理想の国家像を追求していきたい。

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塔村俊介の論考

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Shunsuke Tomura

松下政経塾 本館

第27期

塔村 俊介

とうむら・しゅんすけ

奥出雲町教育委員会 教育長

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