論考

Thesis

人間力を活かした政治・行政へ-理想の国家像と政治経営の要諦-

2055年「日本の人口は9000万人割れ、高齢化率は40%。高齢者1人に対し、15~64歳は1.3人。世界のGDPの15%を担っていた日本は、今や5%弱・・・」今のままの政治・行政システムではこのような日本を迎えてしまうだろう。最後のチャンスに何をすべきかを考えた。

1.50年後の日本

 今から約50年後の2055年、日本はどのような国になっているのだろうか。

 『日本の人口は9000万人割れ、高齢化率は40%。高齢者1人に対し、15~64歳は1.3人。世界のGDPの15%を担っていた日本は、今や5%弱。一方2カ国合わせて10%にも満たなかった中国・インドは、今や2カ国で半分弱。消費税率は北欧レベルの25%で、50年前の福祉水準をなんとか維持。建て替え時の不必要性・財源不足から、民間住宅・公共施設・道路の半分は放置され、廃墟列島に。円は1ドル=200円時代を迎え、ビックマックが1000円を超すなど海外からの輸入品や海外旅行は一部の国民だけの楽しみに。』

 日本は今、間違いなく大変な転換期を迎えている。

 身の回りを見てみれば、200円超え寸前のガソリン価格、人口減少、小売店売上高の減少、GDPのマイナス成長、消費税率再値上げ論議、消えた年金、教員採用の口利きと暗い話題に事欠かない。

 しかしそのような事は、具体的事柄は別にしても、中国、インドなどの新興国の目に見える台頭や、需要の急激な増加による原油や食糧といった資源の高騰という外的な変化。超少子超高齢化社会、人口減少による内需減衰、生産力低下、社会保障費の増大という国内の社会変化。ブラックボックス内で行なわれる政治家・公務員の反社会的行為。ということで10年前からも容易に想像でき、手立ても打てたはずのことである。

 今のままでは、この延長線上に間違いなく今予測される確実性は高いが暗い50年後を迎えてしまう。

2.理想の国家実現のために

 私が言いたいことは2つある。

 1つは、ありのままを伝え、認めることが必要だということである。オリンピックのメダルがごとく、国民に過大な期待を抱かせるのではなく、情報の所持者・発信者は現状を隠さず伝え、国民はその現状をきちんと認識し、それをもってどうしたら良いかを考えることである。

 もう1つは、ではそれを踏まえてどうするかという方向が一部の人間だけで決められ、さらにその方向性も間違っていて、皆が望む結果に結びついていないのではないかということである。皆を欺き続けることで、何か悪いことが起こった際には、過去の人間の過ちだけのせいにする。誰のためにするかという使命もなく、責任もなく、損害を被るのは全国民である。

 理想の国家像を考えていた。理想の国家像は皆それぞれ持っているのではないか。なぜ理想の国家は実現しないのか。それは、それを実現する過程に問題があるのではないかと思うのである。

 それでは、その問題を排除するにはどうすれば良いか。それには、政治・行政の要諦を今一度しっかり考え、要諦のもとに理想の国家を実現する政治システムにしなければならないと思う。

 本レポートでは、今の政治・行政の一番の問題点をはっきりさせ、その改革を通じ、理想の国家実現のための道程を探っていきたい。

3.現在の政治・行政システムの問題点

 政治・行政に今一番欠けているものは、誰のための政治・行政かということである。この原因は大きく2つあると考える。

 1つは、政治家あるいは行政職員の使命感の問題である。政治・行政のそもそもの目的を忘れ、自己の擁護と繁栄のみを目的としているところに問題がある。そもそも常識から逸脱している考え方は問題外としても、私はこの問題が解決しないことは、ある面では当たり前かもしれないと考えるようになった。人間のたぐい稀な能力は信じたい。しかし、その能力をきちんと引き出すシステムが必要なのではないか。

 もう1つは、誰のための政治・行政かということを考えても考えなくても、結果は違うとしても、本人にはほとんど影響を与えない政治・行政システム、端的にいうと人事システムの問題である。この人事システムについて考えていきたい。

 政治家にしろ、行政にしろ、この2つが持っている資源は、人そのものしかない。しかし、その人に関わる人事システムがまったく疎かなのである。

 まず政治家から考える。国会議員(ここでは衆議院議員)・地方議員に共通して言える一番の問題点は、議員としての本来の仕事と、本来なら民意を表現する4年に1回の選挙とが必ずしも結びつかないことである。民間企業の社員であれば、その人間の評価は、ある期間の仕事の内容によって評価されるのが普通である。しかし、政治家の場合は、もちろん仕事の内容で評価されることももちろんあるが、どちらかというと、評価のための活動、すなわち選挙のための運動をどれだけしたかと評価されがちである。仕事の内容ではなく、上司とうまく付き合い、アピールの方法がどれだけうまいかで評価されたのではたまったものではないはずである。それでは、初めはいくら志を持って議員になったとしても、仕事をやらなくなるのは人間の特性から考えてみれば当たり前である。

 今はこれが悪循環に至っている。政治家は、仕事が評価されないから、言葉はなるべくわかりにくく、内容もなるべく伝わらないように難しくする、国民はその難しさからから政治家に興味を持たなくなる、マスコミは国民の関心から、内容そのものよりも、政治情勢やわかりやすいスキャンダルのみを追いかけるようになる、政治家はますます国民にわかりくいような政治をし、選挙に勝つことだけを目標にする、国民は選挙にだけ関心を持つようになる、あるいは、政治から興味をなくす。

 良い政治家がいなければ、良い国がつくれるはずはない。この改善策については、後に述べる。

 1つは人事評価制度である。行政職員、つまり公務員の最大の問題点は、人事評価制度が極めて硬直的ということである。つまり、クビになることがないということと、年功が一番の評価基準になることである。終身雇用、年功序列は日本型経営の特徴であり、功績であり、これ自体を否定するものではない。しかし、あまりにもこれだけにとらわれているのが、現在の公務員制度である。

 どんなにやる気がなくても、クビになることはない。どんなに頑張ったとしても年長者の上司になることはない。ある程度までは皆一緒の待遇を受けるという環境で誰がずっと一生懸命働けるであろうか。公務員は数字が出る仕事ではないから、評価できないということをよく聞く。では、民間会社のスタッフ部門は人事評価できないのか。大きな評価の差はつけることはできないかもしれないが、決して評価できないということはないはずである。

 もう1つの問題点は、仕事の相手が国民ではなく、国、もっと言えば省になっている点である。仕事の相手が国ということは、お金の出所が国になっているということである。これは政治家にもいえることではあるが、官僚であれば、国民のためになることをするのではなく、省のためになることをする、地方公務員であれば、お金をとってくるのは、国民からではなく、省からであり、国民のための仕事のやり方を考えるのでなく、省が決めたやり方から逸脱しないようにすることが、求められた仕事のやり方ということである。優秀な行政職員ほど、国民のためではなく、省のために働くことができる現在の国や地方自治体のあり方は、そもそも根本的に限界にきている。

4.何を改革すべきか

 では、具体的にはどうしたら良いだろうか。

 まずすぐにとりかかれることは、徹底的な情報公開である。政治家であれば、議会の決議や審議内容にしろ、行政職員であれば、起案内容にしろ、徹底的に情報公開することである。政治家であれば、無記名採決、非公開会議は廃止し、その採決・会議結果、行政職員であれば、議会での発言内容や起案の可否をインターネットやケーブルテレビ等ですぐに情報をとれるような環境を整えることが第一である。様々な文書も役職名での通達や起案ではなく、個人名を併記して、誰が責任を持って事柄にあたったかをはっきりさせることで、責任や国民からの評価の明確化を果たすことができると考える。既にこのような取り組みの一部は、鳥取県で行なわれており、既存の政策や慣習にとらわれない本当に国民のためになる政策を優先するという効果が現れている。

 同時に取り組まなければならないことは、税金の複雑でわかりにくい流れを改めることである。現在の税金の流れは、誰のための政治・行政か、あるいは、誰に税金を納めてもらっているかを忘れさせてくれる。大きな問題は、地方自治体は3割自治とよく言われるように、サービスは全てその地域の住民のためのものにも関わらず、その原資となる税金は自前では半分も調達できていないことである。それはよく言われるように、全国一律で、基礎自治体は国や県、県は国の意向に沿った事業をすることになり、無駄が出ているということはもちろんだが、自治体の目的である地域とともに繁栄することとの因果関係が薄くなってしまうという問題点がある。地方交付税というものがある。この制度の本来の目的は、日本国民が全国どこに居ても、全国均一なサービスを提供しなければならないという趣旨のもと、標準な水準でどうしても必要な支出のうち、自前の財源で足りないものを補填しましょうというものである。この元々の趣旨はそれなりに国民ニーズからも常識的に考えてもおかしいものではない。しかし、この他に、現在では例えば、合併特例債のように、合併で必要な事業は7割の財源は地方交付税をつけましょう、過疎地域での事業の借金も7割は地方交付税をつけましょうというように、完璧に紐付きの補助金と化している。さらに、例えば、産業振興に取り組んで、自前の税金が増えましたということになると現在の制度では、自前の税金が増えた分、そのまま地方交付税が減るという当たり前のような当たり前でないことになるのである。

 では、どうしたら良いか。簡単なことである。事業を受け持っている現場に税金が直接入るようにする。頑張った自治体は報われるようにする。ということである。そうすれば、政治家も行政職員も中央ばかりを見るのではなく、住民と対話しながら仕事を進め、緊張感が出てくるのである。

 ではなぜ実現しないか。それは、国として、なるべく現場ではなく本社にお金を集めたがっているし、頑張っている事業会社ではなく、本社の言うことを聞く事業会社が報われるようにしたいからである。権限をどうしても持ちたいのである。もう本社が事業をする時代は終わった。本社は本社でしかできない仕事に集中し、国もホ-ルディングカンパニーのようになっていけばよい。

 上記の考えに、どのような発想で取り組めばよいか。それは、徹底的に日本の民間から手法を盗むことが、一番簡単で一番効果がある。日本行政の成功モデルは、間違いなく過去のものである。幸運なことに、民間は15年前にそれを痛感し、新たな日本モデルを築こうとしている。

 組織から人事、仕事の流れ、新卒・中途採用、購買、広報に至るまで、盗めるところはたくさんある。慣習や固定概念ではなく、国民のためを考えれば、必ず取り入れることがあるはずである。そうすれば、明日から政治・行政は変わる。庁舎では挨拶をされ、週末には庁舎が開くようになり、電話をすれば名前を名乗るようになり、3年ごとの部署移動は当たり前ではなくなる。全て普通の感覚で言えば当たり前のことが当たり前になる。政治・行政は特殊な領域である必要は決してない。

5.理想の国家と政治経営の要諦

 これまで、現在の政治・行政の問題点を述べてきた。
私が本レポートを通じて一番言いたかったのは、顧客志向である。政治・行政にとっての顧客は誰か、それは間違いなく国民である。

 最近は、CS(カスタマー・サティスファクション、顧客満足)という言葉が一般的になった。松下幸之助塾主が成功した理由は、CSという言葉が生まれるはるか以前から、このことを意識していたからのではないかと思う。しかし、これはCSだけが目的でもないのが、塾主の考え方であったと思う。塾主の丁稚の頃のエピソードに、タバコの買い置きの話がある。お客様に頼まれる度にタバコを買いに行くのは非効率である。買い置きをしておけば、度々買いに行く必要はなくなるし、すぐに渡されるのでお客様にも喜ばれる、また、まとめ買いにはおまけがついて来るので、自分も得をするというものである。

 国民の事を一番に考え、国民が繁栄することで、その恩恵は自分にも帰ってくる。政治家・行政職員はそのことをもう一度考えてもらいたい。国民がダメだから自分の給料が減らされるというのではなく、国民が豊かになることで自分の給料も上がるという、小さくケチな話であるが小さい動機でも良いから、今一度、一生懸命国民のために頑張ってもらいたい。

 今の日本にはご法度のように、行政職員個人の仕事に対しても、各自治体に関してもモチベーションを与えるものがない。民間に学ぶものは学ぶべきだ。

 私が考える理想の国家は、国民のために一生懸命働く政治家・行政職員と国のことを真剣に考える国民が一体となっている国である。

 塾主は理想の会社を、理念と技術をもって実現しようとした。今、私たちは理想の国家を、理念とシステムをもって必ず実現したい。

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塔村俊介の論考

Thesis

Shunsuke Tomura

松下政経塾 本館

第27期

塔村 俊介

とうむら・しゅんすけ

奥出雲町教育委員会 教育長

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