Thesis
日常当たり前のように使う、“がんばる”という言葉。「失敗したけれど、よくがんばった」という言葉が示すように、日本には成果に関わらず、努力する過程そのものに価値を見出す考えがある。あまりに当たり前すぎて見過ごされてきたが、“がんばる”精神の中に日本人らしさというものを見ることができるのではないだろうか。
日本人らしさとは何だろうか。
そんな問いに対し、ある人は「武士道」と答え、またある人は「平和を愛する心」と答える。やや批判的な答えとしては「ムラ社会」であったり、「外国文化のモノマネ」であったりするかも知れない。それらの答えはある程度の真実であろう。しかし、「らしさ」というのは、誰もが当然すぎて疑問とも思わないところに表れているものである。そこで、日本人らしさを、日本人なら誰でもあたり前で疑問に思わないところに求めてみたい。それは、一生懸命さや“がんばる”ことに価値を見出す姿勢である。
一生懸命さやがんばるということに価値を見出す、言葉を替えればがんばることは尊い、というのは当たり前ではないかと思われるかもしれない。だが、がんばることに価値を見出す、というのは万国共通のことだろうか。がんばる=成果とは関係なく、努力することそのものが価値となる、というのはかなり特殊なことではないだろうか。
以前に、外国人向けの日本語新聞「ひらがなタイムス」で面白い記事を読んだ。日本に暮らし、働いているアフリカ出身の男性が、これから日本で暮らそうとしている後輩外国人へのメッセージとしてこんなことを言っていた。
「日本で暮らすことはとても大変で、はじめはなかなか受け入れてもらえなかった。外見も違うし、感覚も違うからね。しかし、日本では、“がんばって”いれば必ず認められる。ぼくは自分の仕事を“がんばった”ので、今は地元の人に受け入れられているよ」
がんばれば周囲が必ず認めてくれる、というのは我々日本人にとってあまりに当たり前のように思える。しかし、実はがんばる人を認める、がんばることに意義を感じる、というのは日本人に特有なものかもしれない。
デフタパートナーズ会長でベンチャーキャピタリストの原丈人氏は、自らのスタンフォード大学ビジネススクール時代にベンチャーキャピタリストに会おうと努力した際の体験をこう書いている(1)。
シリコンバレーの経営者が私のような学生とも比較的気軽に会ってくれたので、同じ調子でベンチャーキャピタリストにもすぐ会えるだろうと思っていました。ところが、アポイントメントを得ようとしても、すぐに断られる。ベンチャーキャピタリストは経営者よりさらに忙しいのか、と思ったものです。会社の入り口で待ちぶせるなど、彼らに会おうと努力してみました。日本の感覚でいえば、そんなことを五回も繰り返すと可哀そうに思って会ってくれる人も多いのですが、シリコンバレーでは違います。何をそんな無駄なことに時間を使っているのだ?という感じで、通りすぎてしまう人が多かったのです。
(『21世紀の国富論』原丈人)
「日本の感覚でいえば」と書かれていることに注目したい。会ったこともない、アポイントメントをとろうとしても断られるベンチャーキャピタリストに会うために、原氏は会社の入り口で待ちぶせる、という手段を取った。その裏には、そこまで“がんばれば”認められるだろう、という期待があったのではないか。しかし、“がんばる”ことに価値を認めないアメリカ人ベンチャーキャピタリストにとって、原氏の“がんばり”は何の価値もない、無駄な行為であったのである。ここには“がんばり”に価値を認める文化か否かのギャップがあり、そのための行き違いがある。
外国の物語で、結果はどうあれがんばることそのものに価値を求めるような話というのはあまり思い浮かばないように思う。ステレオタイプな言い方をすれば、階級社会のヨーロッパではどんなにがんばっても階級の壁は越えられないし、アメリカではどんなにがんばっても結果が出せなければただの「ルーザー=敗者」である。
欧米以外の文化ではどうだろう。曽野綾子はアラブの精神について「アラブのIBM」を挙げる。アラブのIBMとは、I=インシァラー、B=ブクラ、M=マレシ、を意味する。それぞれ「神の思し召しがあれば」、「明日」、「過ぎたことは仕方がない」と訳されるようだ。アラブ人と仕事をしていると、交渉中にしょっちゅうそれらの言葉が出てくるという。仕事について、「本当に大丈夫だな」と問えば「インシァラー、神の思し召しがあれば」、「いつできるのかね」と聞けば「ブクラ、明日」、仕事が失敗したら「マレシ、過ぎたことは仕方がない」とアラブ人は答えるのだそうだ(2)。
唯一絶対の神が存在する文化では、人間のがんばりなどはとるに足らない小さなことなのかもしれないし、人間の運命があらかじめ決まっているとする文化でもがんばりは無意味なのだろう。アラブ人がIBMで応じるようなそれらの問いに対し、もし日本人ビジネスマンであれば、「がんばります」あるいは「がんばったんですが」と答えるだろう。
日本文化においては「結果はどうあれがんばろう」「うまくいかなかったけどがんばったからよい」という言葉をよく聞く。成果に無関係に、努力する過程そのものを尊ぶ姿勢が感じられる。
新入社員が職場に入ってきて、挨拶するときのことを想像してみてほしい。私はこんな能力がありますと自己をアピールしたり、私はこの職場でこんな成果を出したいのです、と言いすぎたりすると、日本的文化のなかでは浮いてしまう。新入社員の挨拶で求められる言葉はただ一つ、「一生懸命がんばります」である。
そもそもがんばるとは、「我に張る」が転じたもので、(1)我意を張りとおす、(2)どこまでも忍耐して努力する。(3)ある場所を占めて動かない、の意味がある(広辞苑)。また、広辞苑は、「がんばりズム」という言葉を「あきらめず頑張り続ければ事を成就できるとする考え方。頑張り主義」として掲載している。
我を張りとおすという語源から考えると、もともとはがんばることはあまりいい意味ではなかったのかも知れない。しかしいつのころからか、がんばる、は良い意味に転じ、頻繁に使われるようになった。
それでは、日本人の“がんばり”好きの背景はなんだろうか。
「がんばる」とは努力する過程そのものである。結果ではなく過程に価値を見出すというのは、日本人の「道」好きとも相通ずるところがある。柔道、剣道、茶道に書道、あげくの果てにはナニワ金融道まで、日本人は何でも「道」にしてきた。そこには過程そのものに価値を見出し、結果はあまり問わない姿勢がある。最後の例ではかなりシビアに結果を問われそうだが。
松下政経塾で学ぶフランス人インターン生が、日本人とヨーロッパ人、アメリカ人の違いについてこう言ったことがある。
「プロジェクトを行うとすると、日本人はHow、どのように行うかにこだわる。これに対し、アメリカ人はHow much、どれくらい成果が得られるか、を問い、ヨーロッパ人はWhy、なぜそのプロジェクトをやるかという理由にこだわる」
ここにも過程にこだわる日本人の構図を見ることが出来る。
日本人の“がんばり”好きについて、会田雄次はそれを短距離競走に例えてこう書く(3)。
わたしたちは必ず、ひじょうに短い先の目標を定める。十日間がんばれ、二十日間がんばれ、せいぜい一年間がんばれということになり、そういうときにはエネルギーが集中する。(略)
日本人は突貫工事とか、追いつけ追いこせ、という形にするときひじょうにうまくいく。これは、やはり内側を向いている人間の心理、内側を向いている精神的姿勢の特徴であろう。それはまたある一面からいえば、ひじょうな長所であるかもしれない。
一方、ヨーロッパ人に対して、三日間だけ、一年間だけがんばれといっても効果は少ない。
(『日本人の意識構造』会田雄次)
ここでは会田氏は“がんばり”好きの理由を日本人の「背後主義」、すなわち外に背を向け、常にうつむいて内側を向いている姿勢に基づくものであるとしている。常に内向きであるため、敵はいつでも背後からやってくる。背後からやってくる敵の姿はよく見えず、想像するしか方法はない。だからイメージしやすいような短期目標が日本人にはむいているし、短期目標に“がんばる”ときに最もうまくいく、というのが会田氏の主張である。
このように“がんばる”ことが好きで、他人が“がんばる”ことを評価するという風潮が日本人にはあるが、当然ながら“がんばり”は決して良いことばかりではない。周囲の暗黙の期待に応えようとして仕事をがんばりすぎ、若くして命まで落としてしまう過労死は日本人特有の現象であり、いまや「karoushi」、「karoshi」としてそのまま海外で報道されている。
また、成果にかかわらず“がんばる”ことそのものを求めすぎてしまうと、方向性を間違えてもなかなか軌道修正できない。誤ったスタート地点からがむしゃらにがんばってしまうと、とんでもない結果がもたらされることもある。
ことに当たるときにHow、過程にこだわるだけでなく、ヨーロッパ人のようにWhy、理由を突き詰めて考え、アメリカ人のようにHow much、成果をシビアに求めることを同時に行うことができればどんなによいだろう。
“がんばり”が尊重されるようになったのはいつからなのだろうか。また、それぞれの時代で“がんばり”精神はどのように扱われてきたのだろうか。直接検証することは難しいが、試みに考えてみる。
稲作は5000年から6000年前に日本列島に伝わったとされる。「田の草取り」の言葉に象徴されるように、温暖湿潤な日本では、農業は常に雑草との闘いである。他人が遊んでいる時間も寸暇を惜しんで草取りをがんばれば、効率はともかくなにがしかの成果があがるので、がんばる価値がある。
これに対し、狩猟ではどんなにがんばっても獲物が獲れなければ無意味であり、無駄ながんばりは体力を消耗するだけの行為である。たとえがんばらなくても獲物を仕留める才能があれば共同体において認められるし、どれだけがんばっても獲物という成果があげられなければ認められない。
天沼香氏は“がんばり”を「短期的集中的に耐えてやりぬく」ことであるとし、この時代に“がんばり”精神の起源を見る。すなわち、熱帯や亜熱帯で自生していた稲を、日本の土地で作れるようには相当の努力が必要であり、決まった期間に、短期的、集中的に力をあわせて“がんばり”、稲作を定着させた、と指摘している(4)。
それまでは王朝国家=出自が重視された国であったのに対し、自らの才覚によって武士が台頭し、権力を握るようになる。すなわち、がんばることで成果が得られるようになった。がんばるに近い言葉に一生懸命があるが、一生懸命がもともと一所懸命であり、中世の武士が与えられた領地を命がけで守ることから来ていることから考えると、このころには一生懸命がんばることを尊ぶ価値観が存在したのかもしれない。
室町時代には一揆がさかんに行われるようになった。武士階級の抑圧に対し、農民が団結して抵抗するという構図であるが、連判状をみるとリーダーをおかずに全員で力をあわせて「がんばる」という姿勢が感じられる。また一揆によって直接権力者を倒すことができなくても、一定の抵抗を示すことができれば圧力をかけて交渉を有利にすることが出来るので、成果が出なくても“がんばる”甲斐があったとも言えよう。
また戦国時代に入ると、豊臣秀吉を筆頭に、出自とは関係なく己の“がんばり”によってどこまでも出世できる可能性が出た。
士農工商などの身分制度、鎖国などにより社会は流動化をやめ、安定化した。町民においてはがつがつと“がんばる”よりも、宵越しの金は持たずに浮世を楽しむようになった。
幕末になると社会の不安定化・流動化により、“がんばり”が日の目を見るようになる。一例だが、西郷隆盛は下級武士の出身であったが、“がんばった”ため島津斉彬公に見出され、後に代表的日本人とも呼ばれるようになる。
明治維新が無名の若者たちによって成し遂げられ、その後一気に西欧先進国と肩を並べるまでに日本が成長した時代である。西欧以外の国家が“がんばり”により、西欧と対等になれることを示し、非西欧諸国に勇気と希望を与えた時代であるとも言えよう。
第二次世界大戦において、敗色が濃くなるにつれて“がんばり”精神は過度に強調された。“がんばる”ことですべてがうまくいくはずといった、過剰な精神論は、時として悲劇をもたらす。なぜ“がんばる”のか、“がんばる”ことでどのような成果がもたらされるのかも考えられていれば、と思わざるを得ない。
敗戦後、“がんばる”精神は復興の基礎となった。国民が敗戦に打ちひしがれていたままであれば、現在の日本の姿はない。また、高度経済成長期には、時代的要因もあり、“がんばる”ことで国民の多くが利益を得ることができた。このため、「どんなときでも“がんばれば”うまくいく」という信念を改めて持つようになった。
平成二十一年の現在、“がんばり”精神の在り方はどこかいびつなように思われる。過労死に至るまで“がんばり”を続ける者がいる一方で、“がんばって”も報われない、と学ぶことや働くことに価値を見出さない若者もいる(5)。若者がどんなに“がんばって”いても報いようとせず、代替可能な労働力とみなし、過労死するまで“がんばらせ”、切り捨ててしまう企業がある(6)。“がんばっ”ても報われない原因を流動性をなくした格差社会に見、いっそのこと戦争により全てが引っくり返ってしまえばよいのに、という感情すら見られる(7)。
日常生活で“がんばる”という言葉がこんなにも使われている社会というのは日本以外にはないように思う。しかしそれは、背景に「誰だって頑張ればなんとかなる」比較的均質で流動的な社会があったからこそではないだろうか。もし、勤勉に“がんばって”働いても「なんとか」ならないほど格差が広がり、固定化した社会になったとしたら、日本人は果たして100年後にも“がんばる”ことが出来るのだろうか。
“がんばる”ことは日本人の美徳であり、どんな人であれ“がんばる”ことで周囲に認められるのが日本社会の良さである。その美徳と良さが100年先まで続いていくように、今から進むべき道を模索し、“がんばって”いかなければならない。
引用・参考文献
(1) 原丈人『21世紀の国富論』平凡社 2007年
(2) 曽野綾子『アラブの格言』新潮社 2003年
(3) 会田雄次『日本人の意識構造』講談社 昭和47年
(4) 天沼香『日本人はなぜ頑張るかーその歴史・民族性・人間関係』第三書館 2004年
(5) 内田樹『下流志向 学ばない子供たち 働かない若者たち』講談社 2007年
(6) 雨宮処凛『生きさせろ!難民化する若者たち』太田出版 2007年
(7) 赤木智弘『「丸山眞男」をひっぱたきたい―31歳フリーター。希望は、戦争。』 文春新書編集部編『論争 若者論』収録 文藝春秋 2008年
Thesis
Hirokatsu Takahashi
第29期
たかはし・ひろかつ
医療法人理事長
Mission
医療体制の再生 科学技術による高齢化社会の克服