Thesis
ローマクラブの著書『成長の限界』に出会い、活動を始めて3年が経とうとしている。1972年に発表されたこの著書を元に持続可能な社会に向けて活動を踏まえ、塾生として目指すべく2030年の理想の日本に向けての構想を述べたい。
ローマクラブの出した成長の限界には、資源の枯渇や地球温暖化の進行に今から有効に対応していかなければ、早ければ、地球は今後50年から100年の間で「成長の限界点」に達すると述べられている。
未だに世界は、加速度的な趨勢のなかにあり、世界人口、工業化、汚染、食料生産、資源の使用は、増加したままである。こうしたし後に最も起こる見込みの高い結末は、資源消費の幾何級数的増加が突然の制御不能な現象を起こし、有限な資源埋蔵量を急激に食いつぶし、地球が限界状態に達する。資源の枯渇や地球温暖化の進行に今から有効に対応していかなければ、場合によっては、地球はあと2030年には歩みを止める事になる。
今、疑問を呈しても、なかなか脱する事が出来ないのは、世界全体で成長が一種の恐怖観念になってきているからである。GDPの成長率を国家の豊かさとしている現在の思想では、一国の経済は去年よりも今年、今年よりも来年が成長していなければならないとなり、他国に比べて低い成長は危険であり、ゼロ成長やマイナス成長は破滅的であるというのが、世界の基本的な思想の根底にある。そのため、「成長への恐怖観念」が無意識のうちに、国家だけでなく、我々に個人にも染み込んでいるため、なかなかその成長の歩みを止める事が出来ずにいる。
「成長への恐怖観念」のGDPであるが、本当に豊かさを表しているのか。日本は、このGDPが世界第3位である。しかし、世界の中で、日本が世界で第3位の「豊かさ」が伴っていると感じているだろうか。豊かさが伴っていないというのが多く方の実感ではなかろうか。おそらく数値だけでは測れない豊かさというものがある。そのため、ブータンでとりいれているGNH(Gross National Happiness)という国民総幸福量という考え方あり、多くの国の注目を集めている。
GDPは、戦争の兵器をつくっても上がる。一方で、家庭と人が幸せに過ごす時間はGDPには全く寄与しない。つまり、いくらGDPが成長したからと言って、そのぶん幸せも伸びているわけではない。 成長が必ずしもすべて幸福に結びつかないのは明らかである。GDPの根底にある「ものを生産し消費する」というサイクルが必ずしも、幸福の増加に直結していない。逆に考えれば、成長率の低下は必ずしも不幸の始まりではないのに、我々はあたかもGDPや経済が成長しない事を不幸の始まりとして感じてしまう。
それでは、このまま成長すれば2030年はどのようになるのか?世界の人口は戦後40年間で2倍に人口が増加し、先の2011年10月31日には70億人を突破した。驚くべき人口の増加ペースである。また、それに伴い食糧やエネルギーの需要も大幅に増加している。そのため2030年には、80億人以上になるといわれている。(国連人口部による推計)
特に、13億人の中国は、その石油消費量は年々増加し現在世界の1割強を占める。今では、アメリカについで世界第2位の消費国であり、2007年には原油の輸入が国内生産量を上回った。また、2009年に1次エネルギー消費量は、アメリカを抜き世界最大となった。中国をはじめとする新興国においても、先進国同様に世界中で、工業化、都市化、モータリゼーションの進展によりさらなる需要の拡大の流れが起きている。新興国が本格的に工業化のフェーズに入ってきた現在、再び環境・資源を犠牲にした、かつての成長モデルを繰り返すことは避けなければならない。
さらに、地球の温暖化がこのままの勢いで続けば、地球の平均気温は20~30年の内に2度高くなるといわれている。そのため、エルニーニョ、ラニーニャなどの異常気象が今まで以上に起こるようになる。その影響もあってか、タイでは、今年度に入り6月から9月にかけて続いた記録的な大雨が起こり、この期間のタイ国内の雨量は平年より3~4割多く、10月に入っても雨は降り続いた。こうした降雨の規模は「50年に1度」のレベルの大雨が続き、大規模な洪水が発生した。大雨の原因としては、太平洋東部の赤道付近で海水温が低下するラニーニャ現象の影響が考えられている。
それでは、成長の限界をいかに回避していくのかという視点について松下幸之助塾主を踏まえ、私見を述べる。松下幸之助塾主は、戦後、荒廃した日本において、物心一如の繁栄をすることで、豊かさを得られるとしている。真の豊かさについて、物を生産し消費するだけでなく、物心両面に渡る事が幸福を生み出すとしていた。また、実践経営哲学の中で、『企業は社会の公器である。したがって、企業は社会とともに発展していくのでなければならない。企業自体として、絶えずその業容を伸展させていくことが大切なのは言うまでもないが、それは、ひとりその企業だけが栄えるというのでなく、その活動によって、社会もまた栄えていくということでなくてはならない。また実際に、自分の会社だけが栄えるということは、一時的にはありえても、そういうものは長続きはしない。やはり、ともどもに栄えるというか、いわゆる共存共栄ということでなくては、真の発展、繁栄はありえない。それが自然の理であり、社会の理法なのである。自然も、人間社会も共存共栄が本来の姿なのである。』(1978年(昭和53)PHP研究所発行「実践経営哲学」より)と述べている。
我々の社会は、本来自然も人間社会も共存共栄をし、豊かさは物心の両面が必要であり、塾主が述べる事が新しい社会づくりのヒントとなると考えている。国家が生き残るのは競争に打ち勝ってライバルを蹴落とすのではない。地球上の自然を前にすれば、国家や企業間に敵も味方もない。破滅的な成長を遂げればお互いが無くなくなってしまう。そのため、自国や自社といった利己的な考えでなく、自己の活動が社会全体の幸福につながっているかということを見直す必要がある。松下幸之助の言うように企業は社会の公器である。つまり、国家の経済をけん引している企業活動そのものが社会のためによいという経営哲学をすべての企業が持つ必要がある。
日本が果たす役割にとって大切なのは、急場しのぎによる解決ではなく、人間としてのどうあるべきだという事について、国家の在り方を2030年見据えて変革する必要がある。人間の要望と地球に害を及ぼさない方法は必ずある。これ以上環境破壊を起こさず生活できる。
2030年に向けて日本が目指すべきモデルが、最先端の環境技術を用い、都市中にある高層ビルに「垂直農場」を作ることである。垂直農場とは、一度は商用に使えないほど荒廃した都市のビルの空きスペースに新たに農場として復活させる方法である。土を使わず、水耕及び空中栽培で、食用、バイオ燃料用のあらゆる植物を育てる事や植物を利用した「生きた」浄水施設としても使う考え方である。今のように農業を田舎の土地ではなく、都会の屋内で大規模な農業をすることを目的としている。この考え方を提唱したのは、今から10年以上前の1999年に、コロンビア大学のディクソン・デスポミエ教授である。
未来の都市型農業と言われるこの考え方は、マンハッタンなどの高層ビル群の中でも、土を使わずに水耕栽培で野菜を育てることにより、農地を垂直化できるという発想であり、つまり高層ビル型の野菜工場をさす。垂直農場は、現在の農地を減らすのではなく、これ以上農地を増やさない概念である。その理由は、2050年までに、世界人口の約80%が都市部に住むという予測がされており、30億人の全体人口増加を加味すると、とても現在の農地では対応できない時代が来る。このような時代になった時に、人間はまた自分たちが生きるために農地を切り開き、地球を傷つけ続けるのではなく、テクノロジーを駆使して、この問題を解決することが、より人間としての使命であるとしている。私たち人類は、豊かになる一方で、地球環境とともに生きる必要があり、成長の限界を打開し持続可能な社会を実現するための1つのヒントとなる考えである。しかし、野菜は土から作るものが当たり前という考え方や、コストの面、技術面等でまだまだ課題もある。
一方で、徐々に新しい事例も生まれている。国内事例の一つに兵庫県の逆瀬川の駅にできた駅前の空きビルを利用した植物工場がある。今まで使っていなかった空きビルの敷地を利用して、水耕栽培、IT技術を駆使して植物工場を作る事に成功した。葉物野菜を約3カ月で種から収穫できる施設になり、現在では話題を呼び多くの方が利用している。今後「垂直農場」を実現するためにものづくりの技術を1次産業へ投入する必要がある。今まで、高度技術やコンピューターの制御はあまり1次産業に投入されてこなかった。しかし、今こそそうした高度な先進技術で1次産業を活性化すべきである。現在、6次産業化という言葉があるが、今は、生産、製造、販売までの流れをまとめて、6次産業と言っている。たとえば、今まで生産に特化していた農家が製造も、販売も行い、中間にかかる流通コストの削減をする。それが、6次産業化といわれている。確かに今までかかっていた物流コストは削減できるし、顧客と直接つながることができればそのニーズも把握できる。一つの改革である。しかし、これでは大きな変化にはつながらない。ましてや、食糧の自給率アップにはそれほど寄与しないと考えている。高度な日本のものづくりの技術によって、発芽から栄養分配システムの監視、収穫までの一連の生産機器を製造する事が出来る。これ以上発展途上国の土地を使って大量の農薬や燃料を使って作る農業から脱し、自らの国の中や都市の内で作物を生産する極端にいえば、地域の者を自分たちの地域で作り消費していこうという地産地消という言葉もあるが、もし垂直農場の技術が高まれば、その店で消費する作物のほとんどを店の中で作り消費する「店産店消」という考え方もできるかもしれない。
技術が発達すれば雨や日差しや適度の気温、場所を選ばずに作物の生産が可能になる。屋外農業では、生産に永久的な破壊を起こす異常気象が地球全体で起きている。たとえば、洪水、干ばつ、竜巻など屋外農業が非常に不安定な状態にさらされている。
垂直農場は、増え続ける都市部の人口を養うためにこれ以上環境を損なわずに食物を生産できる。また、農地を解放して元の生態系に戻すことができ、その跡地に植林をすることも考えられる。もし、植林をするスペースが増え、森林が再生すれば生態系サービスも回復し、二酸化炭素が大気中から除かれ、生物多様性も回復する。世界中でそのような事が起きればこれから起こりうる資源の枯渇化や、食糧問題といった事に対して良き打ち手となる。ものづくりの国日本が今度は、1次産業にその力を注ぎ、世界への新しい貢献をすることが求められている。
参考文献
『垂直農場 明日の都市・環境・食料』 ディクソン・デポミエ 2011年 NTT出版
Thesis
Masato Ishii
第30期
いしい・まさと
Mission
持続可能な活力に満ちた地域社会の実現