Thesis
本稿の目的は、私が一生涯をかけて「防衛産業の育成・強化」という課題に取り組むことを明示することにある。よって、日本の防衛産業が置かれた現状や課題の詳細、それに対する解決策の私論を論じることは次稿以降にしたいと思う。
米国東海岸の街、フィラデルフィア。その郊外にある自宅から車を20分ほど走らせる。のどかな住宅地を抜け、林を抜けるとふと広い空間が現れる。一面に畑と野原が広がっている。そこから更に数分車を走らせると、右手に高いフェンスに囲まれた巨大な建物が幾つも見えてくる。その建物の傍には、小さな建屋が点在しており、よく見るとその側面には護衛艦に装備されているレーダーが据え付けてある。ふと左手を見ると野原の真ん中から、護衛艦の上の部分がひょっこり顔を覗かせている。それこそが私の学び舎、Combat System Engineering Development Site(CSEDS)である。そう。ここは Moorestown。世界最強と言われる防空システム「イージス・システム」の研究・開発の中心地である。私は1年間、米海軍の研究施設であるCSEDSで学び、その後海上自衛隊の研究開発部隊で1年半勤務することになる。日米の軍事技術力とそれを育む産業規模の格差、政治的・社会的制約によって音を立て崩れる防衛生産・技術基盤に直接的に関わるこの2年半に及ぶ経験が、防衛産業への思いを駆り立てる原点になっている。
CSEDSの外観
("Alternate Wars" Web siteより引用)(1)
防衛産業を、具体例を交えて説明すれば、例えば戦車や護衛艦、戦闘機を作る産業である。ある報告書によれば、戦車の製造には1,300社、護衛艦の建造には2,500社、そして戦闘機の生産には1,500社が参加しているという(2)。これを端的に説明するならば、「国家防衛の任に供する装備品を賄う産業」(私案)となるであろう。ただ、より正確にこの「防衛産業」という産業を定義づけるにあたっては、まず、わが国において防衛産業と密接に関係すると思われる防衛省及び防衛省内に設置された防衛生産・技術基盤検討会が示す定義、そして産業という側面に着目し経済用語を専門に扱う辞書が示す定義を確認してみたいと思う。以下、それぞれが示す定義である。
● 防衛省
「単に、最終需要者が防衛庁に限定されている産業の総称で、その実態は広範多岐にわたる産業分野の集合体であり、従って状況は業種毎に異なっている」(3)
● 防衛生産・技術基盤検討会
「防衛装備品にかかる開発・製造(購入)・運用支援・維持整備・改造・改修等に携わる企業やこれらの企業の経済活動」(4)
● 経済辞典
「装備その他の軍の需要をまかなう産業部門。軍の調達する物資でも一般の民需品と変わらない物は除き、軍用に特化した物を供給する産業を指すことが多い」(5)
まず、防衛省による定義であるが、「最終需要者が防衛庁に限定されている産業」ということで、警察や海上保安庁という治安機関が導入している装備はその対象から外れていることが確認できる。また、細かい点ではあるが、「防衛庁」という表現からも分かるように最近の状況に合わせた見直しがなされた形跡は確認できない。次に、防衛生産・技術基盤検討会の定義であるが、防衛装備品にその対象を限定していることが確認できる。そして、辞典による定義であるが、「軍の需要をまかなう」という表現にもあるとおり、軍が存在しないわが国の産業形態ではなく、「軍需産業」に関する説明であることが確認できる。つまり、上に紹介した3つの例からは、その対象が防衛分野に限定された産業であること、そして、最近の状況にまたは我が国に即した表現ではないことが見て取れる。
上記の3つの定義を踏まえた上で、私は、防衛産業の定義を、現時点のものであるという限定付きで、次のように定めたい。
【防衛産業】(Defense & Security Industry)
「国家安全保障に関わるハードウェア及びソフトウェアの研究・開発・生産・販売・維持管理の全て又は一部を担う産業の総称」
この定義の最大の特徴は、防衛産業を広義に解釈してNational Security(国家安全保障)という側面にも着目している点である。情報収集衛星や巡視船、警察が有する特殊車両や特殊装備品といった、国家安全保障に関係する装備品を生産する産業も私の述べる「防衛産業」に内包されるという点を、ここで明らかにしておきたい。
防衛産業が、「国家安全保障に関わるハードウェア及びソフトウェアの研究・開発・生産・販売の全て又は一部を担う産業の総称」(私案)であることは、第1項で述べたとおりである。ここでは、まず、日本の防衛産業の特徴を概観してみたい。以下、列挙する。なお、以下に示す点は経産省、防衛省及び日本経団連が示した資料(6)に基づいて作成したことを明言しておきたい。
・ 憲法及び武器輸出三原則等などにより制約
・ 防衛装備品の開発生産費用はほぼ100%国費に依存
・ 防衛産業規模は約1.9兆円であり、工業生産額に占める比率は約0.7%(自動車産業の約1/20)
・ 各企業における防衛事業の占める比率は4%程度
・ 民間の膨大な研究開発投資が、国による国防研究費を補う構造
・ 硬直的な防衛装備品調達制度
要するに、防衛力の基盤という国家として欠かすことの出来ない産業でありながら、政治的・社会的制約により、研究開発から販売や維持管理に至るまで、極めて窮屈にして歪な産業構造になっているということである。国策として防衛産業に注力する諸外国とは大きな違いである。ちなみに、参考までに、その状況を武器輸出という観点からまとめた一覧表を下に示しておきたい。
次に、日本の防衛産業の現状と課題を概観してみたい。以下、先に示した経産省等の資料を基に、列挙する。
・ 防衛予算が減少する中、各企業は防衛関係事業を継続するため、社員の配置転換や関連する民需製品の拡大などでリソースの維持を図るなど企業努力を継続
・ 民需転換が困難な防衛固有技術(武器・レーダー・管制誘導・弾薬・ステルス等)の基盤維持には国による投資が必要であるが、装備品の調達数量は減少しており、基盤維持が困難
・ 予算削減に伴う採算の悪化から、過大請求などの 不祥事が多発
・ 原価計算方式により、基本的にコスト削減インセンティブが働かない
・ 技術、設計図などは原則国有財産
・ 防需依存度が50%超の中小企業が存在
・ 長期にわたる装備品の使用に対応する維持補給体制の維持 とコスト増
防衛予算の削減により、企業負担は増大する一方、利益は減少し続け、“儲からない”防衛産業から身を引く企業が続出。2010年4月時点で、2003年以降に撤退・倒産した戦闘機・戦闘車両関連外注企業(下請け企業)は計56社に上る(7)。
これまで、防衛産業の特徴と、それが直面する現状と課題を概観してきた。しかし、実は、それらはあくまで表層的な問題に過ぎない。防衛産業を巡る問題の本質は、戦後の日本に見られる、軍事分野を忌み嫌う姿勢にある。つまり、そもそも、上に示した論点を議論すること自体がタブーしされ、これまで長きにわたり、冷静にして活発な検討を加える機会すら逸してきたということである。よって、防衛産業に関わる諸問題を本質的に解決するためには、本来、国民の軍事分野に対する嫌悪感及び忌避感自体を払拭する必要がある。国を語り、国を守ることの大切さを語り、そのために必要な装備品を作ることの重要性をごくごく自然な形で語れる状況にまで社会が成熟しなければ、実はこの問題は本質的には前進しないのである。
民主主義の核心の一つは、軍事という部分を政治や社会に内包している点にある。しかし、戦後の日本は現在に至るまでそれを内包できずにおり、むしろ、軍事という分野を枠外または異質なモノとして「区別」している。その典型例が、武器輸出三原則等の見直しに関連して度々耳にする「武器輸出」と「平和国家」の関係についての議論である。当該議論では、武器輸出をすると平和国家ではなくなるという。そこで、その指摘が本当かどうか、ここで簡単に検証してみたい。
もし仮に武器輸出をすることが、平和国家でなくなるとする。そうなると、世界最大の武器輸出国であるアメリカは当然平和国家ではなく、ヨーロッパ諸国の中で最も武器輸出の売上のあるイギリスも平和国家ではなく、国防輸出庁を擁して国策として武器を輸出しているスウェーデンも平和国家ではなくなる。しかし、その様なことはない。いずれの国も世界の平和と安定に寄与する意志と能力を持つ平和国家である。すなわち、「武器輸出」と「平和国家」の関係に関する議論は、全く関連性を持たない議論なのである。念の為、別の角度からもこの点を検証してみる。度々耳にする先の議論における論調によれば、武器輸出の問題に一つは「死の商人」に加担することだという。そして、それゆえに武器を売買することが平和国家の立場を危うくするのだそうである。仮にそうだとするならば、武器輸出を自らしていなくても、武器を輸入し、その恩恵を最大限に享受している国も平和国家ではなくなる。それでは、その典型的な国はどこか。間違いなく、日本である。米国製からイギリス製、スイス製の装備品まで導入する我が国は、少なからぬ額を装備品本体またはライセンス料に投じている。国民の税金は、間違いなく外国の防衛関連企業に流れているのである。こうした日本の姿勢を平易な言葉で表現するならば、次のような論法になる。「武器を売ることは、人を殺すことに繋がるので良くありません。そんなことは、平和国家がやるべきことではありません。だから私達は武器を売りません。でも、武器は必要なので、誰か売って下さい」。このような主張を世界のどの国が、真っ当だと認めてくれようか。奇異そのものでしかない。わが国は、こうした破綻した理論から、いい加減に卒業し、冷静かつ腰を据えた議論をすべきである。我が国周辺における軍事情勢の変化はもちろんのこと、防衛産業界が置かれた厳しすぎる現状を見るだけでも、日本にはもはや、感情論や感覚論に議論を左右されている余裕は残されていないのである。
ここまで、防衛産業が意味するところと全体像を概観してきたわけであるが、本論の最後に、防衛産業が持つ意義について簡単に触れておきたい。これも、先に示した資料を基に列挙してみる。
・ 抑止力と外交上の自律性を担保
・ 国土・国情に合った装備品を主体的に確保
・ 国内生産による迅速な供給と支援・能力向上
・ 国力である経済力及び技術力の一部を構成
・ 先端技術の波及効果及び雇用創出による経済波及効果
・ 輸入・ライセンス生産時のバーゲニングパワー(交渉力)を構成
つまり、防衛産業は、防衛力のみならず、経済力や外交力、技術力といった国力の一部を構成し、補完する要素を有しているのである。単なる「産業」としては割り切れない要素を持っている点に留意する必要がある。
防衛産業というものは、国として、民間としてどの程度のヒトとカネをその分野に投入するのかという、「程度」に関する議論があるのは当然である。しかしながら、本来、その必要性については論じるまでもない分野である。その理由を改めて述べるまでもないが、ドイツが経済技術省経済輸出管理庁を、フランスが国防装備庁を、韓国が国防省防衛産業庁を擁して国策として防衛産業を育成し、装備品を諸外国に輸出している事象からもこのことは言えよう。しかし、日本は、そうした状況にはなっていない。むしろ、行政府に目を向けても、やっと防衛省内に担当「班」が設置された程度であり、社会的には必要性を説き、理解を得るという素地作りがそもそも求められている段階にある。「防衛産業の育成・強化」という課題が、そうした素地の延長にあるものだとするならば、実に、根の深い課題である。だからこそ、一生涯を掛けてでも取り組みたいと思うのである。
【注】
1.“Alternate Wars” Web site http://www.alternatewars.com/BBOW/Weapons/AEGIS_Versions.htm(2013.3.1アクセス)
2.防衛生産・技術基盤研究会 『防衛生産・技術基盤研究会中間報告』(防衛省、2011年):p5 http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/meeting/seisan/houkoku/02.pdf(2011.10.29アクセス)
3.防衛省「I 我が国防衛産業・技術基盤の特色及び位置付け」 防衛省Web site http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/meeting/bo-san/houkoku/01.html(2013.2.27アクセス)
4.防衛生産・技術基盤研究会 『防衛生産・技術基盤研究会最終報告』(防衛省、2012年):p3 http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/meeting/seisan/houkoku/final/report.pdf:p3(2013.3.24アクセス)
5.金森久雄他編 『経済辞典』(有斐閣、1991年)
6.鈴木英夫 『岐路に立つ我が国の防衛産業』(経済産業省産業技術環境局局長PPT資料、2013年):p14-16 http://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/13011101.pdf (2013.3.24アクセス)
防衛省 『防衛生産・技術基盤』(防衛省PPT資料、2010年):p4 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/shin-ampobouei2010/dai5/siryou1.pdf (2013.3.24アクセス)
佃和夫 『防衛力を支える基盤』(日本経済団体連合会防衛生産委員会委員長PPT資料、2009年):p6 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ampobouei2/dai6/siryou3.pdf (2013.3.24アクセス)
7.前出、『防衛生産・技術基盤』:p7
【参考図書】
・浅田正彦 『兵器の拡散防止と輸出管理』 有信堂高文社、2004年
・桜林美佐 『誰も語らなかった 防衛産業』 並木書房、2010年
・永松恵一 『日本の防衛産業』 教育社、1979年
・森本正崇 『武器輸出三原則』 信山社、2011年
Thesis
Taisuke Hirose
第32期
ひろせ・たいすけ
三菱電機 社員