論考

Thesis

命知

1.はじめに

 本レポートでは、松下幸之助塾主の人生における出来事を遡り、命知にまつわる塾主の思考の痕跡を検討することで、塾主がこの松下政経塾に何を求めたのか、そして何を願って建塾したのか探求する。すなわち松下政経塾の建塾理念を「命知」から読み解くものである。

2.「命知」とは

 「命知」とは真の「使命」を「知る」ことである。塾主の真使命は「物心ともに栄える楽土の建設」であり、これを1932年に知った[1]。楽土とは「だれもが各々与えられた天分を自由に活かすことのできる社会[2]」のことだ。天分を自由に活かすためには多様な職が必要で、多様な職を生むためには豊かな文化が必要だろう。そして豊かな文化を醸成するためには社会が物心一如の繁栄をしていなければならない[3]。塾主はこれを後に考えるに至る。そして同時に塾主には産業人としての使命もあった。生産に次ぐ生産により物資を無尽蔵たらしめ貧乏を克服するということである[4]。次に塾主が命知に至った背景を概説する。

3.綱領・信条

 一代で日本を代表する大企業を築き、「経営の神様」とまで言われた塾主であったが、その経営は常に一直線に進んだわけではない。そこには塾主の煩悶があった。1929年、松下電気器具製作所は「松下電器製作所」へと改称し[5]、新たに綱領・信条を制定した[6]

綱領
「営利ト社会正義ノ調和ニ念慮シ 国家産業ノ発達ヲ図リ 社会生活ノ改善ト向上ヲ期ス」[7]

信条
「向上発展ハ各員ノ和親協力ヲ得ルニアラサレハ得難シ 各員自我ヲ捨テ互譲ノ精神ヲ以テ一致協力店務ニ服スルコト」[8]

 特に綱領に着目すると、命知以前より企業が社会や国家に寄与するものであるという考えがあったようである。
 塾主の事業観や社会への意識は当時台頭してきた共産主義・社会主義の思想が背景にあるものの、ヘンリー・フォードから大きな影響を受けている[9]。フォード社は大量生産・大量消費を目指し、「値下げ」を逐次行うことで購買階級を広げ、社会へ貢献した企業である[10]。またその生産方式は当時の他企業と一線を画しており、塾主はその理念とともに参考にしていた。
 ただし、綱領について言及すべきは営業利益も求めているところである。時に相反してしまうこの営利と社会正義の狭間で悩んでいたように思われる。

4.塾主と宗教

 塾主は松下電器の経営を考えるにあたって様々なものを参考にした。その中で前述のフォードとともに大きな影響を受けたのが宗教である。宗教団体を訪問することが多くあった塾主だが、どこか特定の宗教に入信していたわけではない。宗教がいかにして人を惹きつけ、その活動に一体感を持たせているのかに深い関心があったようである[11]
 そんな中1932年3月、塾主は知人U氏に誘われ天理教の本部を見学した[12]。そこで塾主が見たものは壮大な規模かつ念入りに手入りされた建造物と、孜々としてうまずたゆまずの態で奉仕する大勢の信者たちであった。U氏は当時の一般事業界において思想的に暗澹たるものがあるとし、宗教によって精神的に確固たる安心をもって事業を進めていけるのだと塾主に訴えた。塾主はその一連の出来事に大変感動し、帰路に就くと経営や事業の意義というものについて改めて深く考えた。そこで宗教は悩んでいる人を救い、安心を与え、人生に幸福をもたらす聖なる行いであると結論付ける[13]。そこで塾主は産業人としての使命は「物を世にあふれさせ、日本人を貧乏から救うこと」であると考えるに至り、それは宗教と同じく聖なる行いであると考えた[14]。そしてこの「物」と「心」がともに満たされ豊かであることによって塾主の使命すなわち楽土は建設されるのである。

5.第一回創業記念式

 使命を知った塾主は、その使命を達成すべくいくつかの行動を起こした。松下電器第一回創業記念式はその一つである[15]。記念式では「実業人の使命というものは貧乏の克服である。社会全体を貧より救ってこれを富ましめるにある。」[16]と従業員に訴えた。つまり楽土の建設において必要不可欠な「物資の豊かさ」を松下電器事業において達成しようとしたのだと考えられる。この内容は記念式で行った所主告辞にも読み取れる。

所主告辞
「(前略) 凡ソ生産ノ目的ハ吾人日常生活ノ必需品ヲ充実豊富タラシメ、
而シテ其生活内容ヲ改善拡充セシメルコトヲ以テ其主眼トスルモノデアリ、
私ノ念願モ亦茲ニ存スルノデアリマス。 (後略)」[17]

 ここには塾主の「水道哲学」がある。水は人間が生きていくのに必要不可欠なものである。しかし、喉の乾いた人に勝手に水道の水を飲まれたとしてもさほど気にしないだろう。それは、国内どこでも蛇口を捻れば水が飲め、高価なものではないからである。つまり日本において水道水は豊富にあるから争わないし、安価なものなのだ。塾主はすべての物資に同じことがいえると考えた。生産に生産を重ね、無尽蔵に製品が流布すれば、どんな人でも買えるだろうと。こうして貧乏の克服が達成できると考えた[18]
 さらにこの命知は250年かけて達成されるものである。250年を10分割して25年を一つの節として、さらにその25年を建設時代(10年)、活動時代(10年)、貢献時代(5年)に分割した計画を立てた。そして、1932年5月5日を創業命知第一年とし記念式を敢行したのである[19]

6.自己責任経営

 創業記念式と同日、松下電器は職制改革を行いその一年後には事業部制を導入した[20]。3つの事業部を設け、それぞれにラジオや乾電池などの事業を担当させ、自主責任経営にあたるような体制を確立させた。これにはいくつかの理由があった。一つは事業が拡大する中で、塾主一人では事業全体に目配りすることが難しくなっていたことである。この頃に体調が優れなかったことも一つの要因だという。その上で、真の理由はラジオ事業を別にして急速に進めたかったからだと考えられる[21]
 各事業部は一つの企業と同程度の判断と自由を与えられたが、それは経営幹部に試練でもあり、その判断に迫られる重責の中で幹部たちは経営者としての視点を養っていった[22]。この考えは次に述べる松下政経塾設立の理念にも生きてくるものである。

7.松下政経塾

 ここまでで塾主は松下電器の経営を通して「物」の豊かさに尽力してきた。では「心」はどうだろうか。確かに物資が充分にあれば、心はある程度満たされよう。しかし、それだけでは不十分である。国民が安心して心満ちた生活を送るためには、国家の繁栄を前提にしなければならない。このことは設立趣意書の「社会生活面においては、青少年の非行の増加をはじめ、潤いのある人間関係や生きがいの喪失、思想や道義道徳の混迷など物的繁栄の裏側では、かえって国民の精神は混乱に陥りつつあるのではないかとの指摘もなされている。これらの原因は個々にはいろいろあるが、帰するところ、国家の未来を開く長期的展望にいささか欠けるものがあるのではなかろうか。」[23]という文言からも、塾主が国民の精神的・道徳的安寧のために国家の長期的展望を求めていたことが窺える。
 塾是には「(前略)新しい人間観に基づく 政治経営の理念を探求し 人類の繁栄幸福と 世界の平和に貢献しよう」[24]とあり、この政治経営の理念とは新しい人間観に基づくものである。塾主は塾生にその使命の探求すなわち命知を求め、人生をかけた実現を願ったのである。
 塾主の「物心ともに栄える楽土の建設」という使命に資するため、長期的な視野を持ち人々を指導するリーダーを育成する機関として、松下政経塾が設立されたのである。

参考

●松下幸之助(昭和37年1月15日)『私の行き方考え方』.実業之日本社

●松下幸之助(2014年5月2日)『実践経営哲学/経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』.株式会社PHP研究所

●松下幸之助歴史館パンフレット」.パナソニックミュージアム

●松下幸之助(昭和35年)「仕事の夢 暮しの夢」.実業之日本社

●百年史編纂委員会ブランドコミュニケーション本部歴史文化コミュニケーション室(2019年11月27日)「パナソニック百年史」.パナソニック株式会社

●松下幸之助(1952年9月発表)『PHPのことば その42』

●松下政経塾HP(2024年5日27日現在)「財団法人松下政経塾設立趣意書」
https://www.mskj.or.jp/about/setsu.html

●松下政経塾HP(2024年5日27日現在)「塾是・塾訓・五誓」
https://www.mskj.or.jp/about/oath.html


[1] 百年史編纂委員会ブランドコミュニケーション本部歴史文化コミュニケーション室(2019年11月27日)「パナソニック百年史」p72-78.パナソニック株式会社

[2] 松下幸之助(1952年9月発表)「PHPのことば その42」

[3] 同上

[4] 松下幸之助(昭和37年1月15日)『私の行き方考え方』p292-299.実業之日本社

[5] 百年史編纂委員会ブランドコミュニケーション本部歴史文化コミュニケーション室(2019年11月27日)「パナソニック百年史」p54-57.パナソニック株式会社

[6] 同上

[7] 同上

[8] 同上

[9]松下幸之助(昭和35年)「仕事の夢 暮しの夢」p76-79.実業之日本社

[10] 同上

[11] 百年史編纂委員会ブランドコミュニケーション本部歴史文化コミュニケーション室(2019年11月27日)「パナソニック百年史」p73-74.パナソニック株式会社

[12] 松下幸之助(昭和37年1月15日)『私の行き方考え方』p277-289.実業之日本社

[13] 同上p290-291

[14] 同上

[15] 百年史編纂委員会ブランドコミュニケーション本部歴史文化コミュニケーション室(2019年11月27日)「パナソニック百年史」p75-78.パナソニック株式会社

[16]  松下幸之助(昭和37年1月15日)『私の行き方考え方』p295.実業之日本社

[17]  同上p298-299

[18]  同上p290-292

[19]  同上p292

[20]  百年史編纂委員会ブランドコミュニケーション本部歴史文化コミュニケーション室(2019年11月27日)「パナソニック百年史」p79.パナソニック株式会社

[21]  同上p79-81

[22]  同上p82

[23]  松下政経塾HP(2024年5日27日現在)「財団法人松下政経塾設立趣意書」
https://www.mskj.or.jp/about/setsu.html

[24]  松下政経塾HP(2024年5日27日現在)「塾是・塾訓・五誓」
https://www.mskj.or.jp/about/oath.html

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