Thesis
本論では松下幸之助(以下、塾主)の言葉「好況よし 不況さらによし[1]」について考察を行う。塾主がこの言葉にどのような意味を込めたのか、また当時の日本の政治経済に対して塾主はどのようなことを考えていたのかも合わせて述べる。
「鳴かずんば 殺してしまえ ホトトギス」(織田信長)
「鳴かずんば 鳴かしてみせよう ホトトギス」(豊臣秀吉)
「鳴かずんば 鳴くまで待とう ホトトギス」(徳川家康)
戦国の三英傑の性格をイメージして読まれたといわれる有名な句である。それぞれ個性があるが、共通しているのは、鳴くホトトギスこそ価値のあるものであると考えている点である。
松下政経塾にてある時、塾生から「塾長(=塾主)なら『鳴かずんば』の下にどう作られますか。」という質問があった。質問に対し塾主はこう答えた。
「鳴かずんば それもなおよし ホトトギス[2]」
この句から考察するに、塾主はホトトギスとは鳴くものだと考えていない。鳴くことのできるホトトギスも、鳴かないホトトギスもそれぞれ「よいもの」として受け入れているのだ。
塾主は塾生に「融通無碍[3]」という言葉を使って「何にもとらわれない」ことを説いた。物事に執着せず、考えに幅を持たせることが成功につながると考えていた。よって、塾主には多様な事象を「良いもの」「悪いもの」に二分せず、どちらも良さがあるものとして受け入れる価値観があったように思う。これは塾主の言う「素直」にもつながる考え方であり、だからこそ不況すらも良いものだと捉えることができたのではないだろうか。
企業にとって「好況よし」とは容易に理解できるだろう。好況であれば自然と商品の売れ行きが良くなり、営業利益は右肩上がりになりやすいからだ。商売人にとっても気が楽な状況といえよう。しかし不況はその反対に消費者の購買意欲は減退し、商品の売れ行きは悪くなる。一般的な商売人にとって避けたい状況であろうが、塾主はなぜ不況を受け入れることができたのか。それは「不況こそ日頃の勉強の成果がでる[4]」と考えていたからである。
不景気になると、消費者が商品を吟味するようになる。そうすると、それまで勉強してきた店のサービスや商品の良さが目立ちよく売れるようになると塾主は考えていたのだ。
景気の変化は一企業が制御できるものではない。そして好景気と不景気は交互にやってくるのが世の常である。塾主はこの景気の波に飲まれない経営を意識していた。だからこそ、不況の際も変わらぬ経営ができるよう好況期に学び、不況期になお商品が売れるように努めていたのである。塾主によると「(前略)要は好不況にかかわらず、日ごろから、商売の本道をふまえ、一つひとつの仕事をキチンキチンと正しくやっていくよう努めること[5]」で未来永劫商売の兜の緒を締め続けることができるのである。
戦後日本は大きな生産過剰に陥った。とりわけセメントが余剰であったが、当時の政府は「不景気は経済の病気」と何も施策を行わず、結果としてセメント会社は四割から五割の操業短縮を行った。しかしながら当時、セメントが本当に国内全体に行き渡っていたわけではない。不況により減少した消費に生産を合わせるという国策は、物資を無尽蔵たらしめるべきと考えるPHPの理念に大きく反している。塾主はそのPHP理念に則せば、むしろ消費を拡大させるべきと考え、先のセメントの例でいえば、国が大規模なインフラ事業でも行うことで、セメント消費を拡大し、さらには雇用の創出によりこの不況を乗り切るべきと考えていた[6]のだった。
塾主は「不景気などというものは、その方策によろしきを得れば、本来ありうるはずがないと思うのであります。[7]」と述べ、生産を抑えるのではなく消費を刺激することこそが生産と消費の調和であると考えた。
不況の原因はどこにあるのか。そもそも人的なものかあるいは自然の理法によるものなのだろうか。結論から述べると塾主は不況が天地自然の理に則していると考えなかった。宇宙は常に生成発展するものであり、不況という一時的ではあるが国家経済の成長が阻害されるような事態は、この天地自然の理にそぐわないのである。
天地自然の理とは「雨が降れば傘をさす[8]」ようなものだ。人は何気なく傘をさすが、その中には素直な心がある。自然な心の中に物のありのままの姿と真実を見つけることができる。つまり天地自然の理に則る国家経営とは私心に囚われず、衆知を集め、その国家経営理念に基づくものであるのだ。
戦後日本の不況は凄惨なものであった。戦争という人為的な異常事態により、不況に見舞われることになる。その後の国策もこの異常事態に右往左往しているような状態で、衆知を集めることも、国民を導く国家理念を提言することもなかった。塾主はこの人為的な過ちに不況の原因があるとみている。まさに「その方策によろしきを得れば不況などありうるはずもない」と考えていたのである。
当時の日本政治に対する憤りから、塾主は様々な国家ビジョンの提言を行った。代表的なものは「新国土創成[9]」と「無税国家[10]」である。不況時には「新国土創成」により過疎過密問題からの脱却や生産量の増加を図り、好況時には「無税国家」を掲げ政治コストの削減と先行投資型国債の発行により、国民の雇用創出や可処分所得増加による消費行動の積極化を推進する。
さらに、その実践者となりうる長期的な展望を持ったリーダーを育成する機関として、1979年に松下政経塾を建塾したのである。
塾主による「好況よし 不況さらによし」という言葉の真の意味は何かと考えると、二つの意味があるように思える。一つは松下電器の経営者としてよい経営のありかたついて述べたということで、不況時には好況時に見えなかった企業努力の差が出てくるという意味である。もう一つは国家経営の理念を考える哲学者として、不況時にも正しい国策を得ることで、その事態を脱却できるということである。
共通して言えることは「不況から多くのことを学ぶことができる」ということである。松下電器の従業員も不況時にはお客さんからより一層サービスや商品を吟味されることで、その向上に努力するようになる。政府も不況を経験することで、それに学び二度起こらぬような政治を心がけるようにできるのである。
・松下幸之助『実践経営哲学/経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』
・松下幸之助『わが半生の記録 私の行き方考え方』
・松下幸之助『PHPのことば』
・『パナソニック百年史』
・松下幸之助『日本をよくするために… 政治を見直そう』
・松下幸之助『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』
・財団法人 松下政経塾『「松下幸之助塾主政治理念研究会」資料』
・松下幸之助『松下幸之助発言集ベストセレクション第三巻 景気よし不景気またよし』
・『松下政経塾 塾長問答集』.松下政経塾編
・『松下政経塾 塾長講話録』.松下政経塾編
[1] 松下幸之助『実践経営哲学/経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』 p144.PHP研究所
[2] 松下幸之助『人生談義』.PHP研究所
[3] 『松下政経塾 塾長問答集』p160-162.松下政経塾編
[4] 松下幸之助『実践経営哲学/経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』 p145-147.PHP文庫
[5] 同上。
[6] 松下幸之助『PHPのことば その二十一』
[7] 同上。
[8] 松下幸之助『道をひらく』p8.PHP研究所
[9]松下幸之助『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』p40-43.PHP研究所
[10] 松下幸之助『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』p276-280.PHP研究所
Thesis
Taiyo Katayama
第45期生
かたやま・たいよう
Mission
人的資源の再配分を軸にした経済大国の実現