Thesis
本レポートでは、PHP(Peace and Prosperity through Happiness)研究と呼ばれる松下幸之助塾主(以下、塾主)の活動が、どのように松下政経塾設立に結び付いたのかという観点から塾主研究の成果をまとめる。PHP運動がどのようにして建塾に結び付くのか、塾主の人生から建塾の理念を紐解き、塾が建てられた経緯やその原点にある塾主の想いについて述べる。
1946年、終戦のわずか1年後にPHP研究所創設。そしてその33年後の1979年に、松下政経塾は設立された。玉音放送を聞いた晩、直ちに国家の再建に移るべきだという強い使命感とそのために自分に何ができるのかを考え、塾主は眠れない夜を過ごした。しかし燃えるような決意を胸に活動を再開しようとした矢先、戦時中軍需工場として協力していた松下電器はGHQによる7つの制限を受けてしまう。思うように商売ができない葛藤と、政府の無策に対する苛立ち。そして敗戦国である日本の焼け野原にありながらも真の繁栄とは何かと問い続けた塾主は日本を真に再建するために、物質的繁栄だけでなく精神の復興にも力を注ぐべきだと考え、物心一如の繁栄、そして世界の平和と幸福を目指したPHP研究所設立へと向かった。
ここに、財閥指定を受け、自身の事業だけでなく生活面で窮地に追い込まれながらも、すべてを失った日本への想いと日本を真に成熟した文化国家にするという塾主の強い原動力が感じられる。なお、1932年、天理教本部などの宗教施設も訪問しており、宗教が実現する精神的な拠り所とそこから生まれ出る人々の活力に感銘を受けている。ここで塾主は松下電器が製造するのはモノではあるが、松下電器も共通して「人間生活の維持向上の上に必要な物資の生産をなし、必要かくべからざるこれまた聖なる事業であ」[i]り、モノと精神、すなわち物心の繁栄はどちらが欠けても立ち行かない両輪であるとの気づきを得ている。そこから自己の事業を通してこの世界から貧をなくすという自身の使命を実感し、その後の松下電器創業記念式典にて「物心一如の繁栄」に言及している。命知元年として知られる式典であったが、ここにPHP理念の芽生えをみることができるのではないだろうか。
物心ともに豊かな社会を実現し、世界の平和を実現するために日本がどのように寄与していくのか。塾主はそのようなことを考え、PHP(Peace and Happiness through Prosperity)研究所を創設した。塾主は、戦後の荒廃した社会で苦しむ日本国民を目の当たりにし、真の繁栄を招来する理念とその実現に向けた具体的方策を探求する必要性を痛切に感じたと述べている。そのためにまず人を知ることが何よりも重要であるとしており、「われわれが求めているのは人間の繁栄、平和、幸福である。だとすれば、まず人間とはいかなる存在なのか、人間自身を知ること、人間の本質を究めることが何より大切ではないか。ここにPHP研究の基点をおくべきだ」[ii]と述べている。具体的には、PHP研究所によって立てられた国民の生活、民主主義の在り方、政治、教育等多岐にわたる十目標の実現に向けた具体的方策を策定し、それらを各界の指導者及び一般大衆に向けた提言にまとめ、政治を含む各界からの力で実行するということである。
研究所設立当初に掲げられた十目標は、塾主が晩年に月刊PHPや様々な媒体で発表する各提言や政策・構想などの基礎になっているものも多い。この後PHP研究はPHP運動へと発展し、衆知を集めそれを世間に発表・実践し大衆を啓蒙することとなったが、終戦直後の日本社会において、物質的繁栄だけでなく日本の精神的な復興にまで焦点を当てた活動を行っていたことの意義は大変大きなものである。
人間に与えられた役割とは何なのか、人生や幸福の意義とは何か、善と悪とは何かといった、人間観や人生に着目した研究を行い、を少しでも解消すること。そしてそれを通して国民それぞれが自身に与えられた天命を全うし、あらゆる個性を活かした社会を実現する助けとすることを目指している。これらのPHP研究を活かした具体的提言を行う上で目指すべき方針として第一次研究十目標が掲げられた。以上のように、一連の活動を通して塾主の求めた平和・幸福・繁栄を内包する社会を実現することがPHP研究所設立の背景にある。
政教分離を前提としながらも「国とは何か」「私たちの社会はどうあるべきか」「人間観を持つこと」や「国家経営はどうあるべきか」、はたまた「どう生きるか」といった幅広くも抽象的な問いに真っ向から対峙し研究することのできる場としてのPHP研究所の存在は非常に意義深いものがある。塾主から発した理念や考えを世に発信しようとするこのPHP研究を通して学校教育だけでは到達することの困難な、心の繁栄を追求し、人生の意義や社会の向かうべきビジョンに対する衆知を集めそれらに啓蒙される人々が一人でも増えるよう、PHPは現在まで活動を続けている。
PHP運動と呼ばれるこの活動は、幸之助が後に哲人経営者と呼ばれる素地を養う期間でもあった。しかし、政府の長期的展望の無さや日本を導く政治経営の探求、そして何よりも次世代を担う指導者育成が急務であるとの強い問題意識から、塾主はこの時すでに松下政経塾の原案ともいえる、将来の日本を支える人材育成に特化した場を設けたいとお考えであった。[iii]
1980年、春。塾是「真に国家と国民を愛し 新しい人間観に基づく政治・経営の理念を探求し 人類の繁栄幸福と世界の平和に貢献しよう」を掲げ、松下政経塾が開塾された。建塾の理念として、物心一如の人類の繁栄・平和・幸福の実現を求め、そのための国家の長期的展望を探求すること。人間の本質とは何か、幸福とは何かなど、多様化する価値観の中でも変わらない普遍的な価値は何なのかについて考え抜くことを塾生は求められている。
具体的には、研修の中で人間観に対する考察を深め普遍的な問いに徹底的に向き合うこと。自修自得で本当の知恵を備えたリーダーを育成する中で、国家百年の計を創り、日本そして世界に新たな黎明を得ること。そして、その実現手段としての国家経営の理念を探求し、実践者となることが求められている。[iv]これらの期待の根底にあるのは、リーダーを志す者が塾主の想いを受け継ぎ繁栄によって平和と幸福を招来する手助け・育成をし、塾外でもそれぞれの立場でこのような姿勢をとる日本人が増えるよう働きかけることが二十一世紀の発展への道筋であるという塾主の強い思いである。
ではなぜ周囲の反対により一度は断念した[v]建塾を決めたのか。その答えは、やはり燃えるような使命感であったといわれている。当初私案を持ち掛けたが、実業家として大きな成功を収めた者が政治にかかわることのリスクを懸念する周囲の反対から断念している。しかしその想いだけは消えることなく塾主の中で燃え続けていた。その間、新政経運動と呼ばれる知識人・財界人からなる研究会を通じた講演活動や、1972には先の「人間宣言」をブラッシュアップした『人間を考える』を発表するなど、書籍を通じた社会への提言活動を継続して行っている。しかしいまだ混迷にある社会と、世界や日本社会の変化をみていても、やはりこのままではいけないとの思いから人材育成のための松下政経塾建塾の必要性を実感されたのである。
塾主の、「自身の燃えるような志、想いというものを伝えなければならない。それを懸命にやるということが、天地自然の理に従うこと」[vi]であり、「何としてでもぼくがやらねばならぬのだ」という非常に強い使命感が、建塾への道筋となった。塾主曰く、それが真に正しいことであるならば必ず実現されるという、ある意味で自然の理法に従うことが塾の成功を信じるということでもあったが、実際に塾主の憂国の念に通ずる日本の現状を深く憂慮する塾生が集まったことを受け、日本にはそれを可能とする国運が十分に備わっていると塾主は確信している。
私たち一人ひとりが自分に何ができるのかを考え、自らの人生をかけて己の志を実現することがすなわち「真に国家国民を愛する」ことであり、賭けてみるということではなく、これは必ず成功するということ。また成功するしないにかかわらず、やらなければならない仕事を信じて行うということが肝要である。このような塾主のお考えにそれぞれが共鳴し、私たちが志をもって入塾したということ。そして現に松下政経塾が43年目を迎えた今日まで続き、各界で自らの志を実現すべく活動するたくさんの指導者を輩出しているということが塾主の想いが現代に活かされていることの確かな現れであると考える。塾主自身が自らの命知として目指した松下電器でのモノの繁栄、そしてPHP 活動を通して目指した心の繁栄。これらを両輪とした物心一如の繁栄を実現すべく、塾主は志を燃やされた。私はこの志の炎を絶やさぬよう、そして松下政経塾から日本、ひいては世界に真の繁栄をもたらすべく、一塾生として自分のできることに向き合い、日本を少しでも良い国にするために己の志を燃やしたい。
[i] 松下幸之助、『私の行き方考え方』実業之日本社、1962、p251
[ii] 松下幸之助、『人間を考える 新しい人間観の提唱 真の人間道を求めて』PHPビジネス新書、2015、p7-8
[iii] 松下幸之助、『松下政経塾塾長講話録リーダーを志す君へ』PHP文庫、1995、p50
[iv] 松下政経塾、『松下幸之助のめざしたもの 松下政経塾塾生への講話から』松下政経塾、2015、p6松下政経塾、『松下政経塾設立趣意書』
[v] 松下幸之助、『松下政経塾塾長講話録リーダーを志す君へ』PHP文庫、1995、p52
[vi] 松下幸之助、『Voice 提談 新しい日本のために 不確実な時代を確かな時代に』PHP 、昭和53年12月号
『松下幸之助が考えた国のかたちⅠ』松下政経塾編集
『松下幸之助が考えた国のかたちⅡ』松下政経塾編集
『松下幸之助が考えた国のかたちⅢ』松下政経塾編集
『「君に志はあるか」松下政経塾塾長問答集』松下幸之助
『松下政経塾塾長講話録リーダーを志す君へ』松下幸之助
『人間を考える』松下幸之助
『日本と日本人について』松下幸之助
『松下政経塾・塾理念の手引 塾是・塾訓・五誓について』松下政経塾
『松下政経塾・塾理念の手引 PHP研究とPHP理念』松下政経塾
『松下幸之助のめざしたもの 松下政経塾塾生への講話から』松下幸之助
『松下幸之助発言集42巻』
『松下幸之助成功への軌跡』佐藤悌二郎
『松下幸之助の遺言』青野豊作
Thesis
Kisa Shimizu
第43期生
しみず・きさ
Mission
誰もが自尊心をもち、生き生きと幸福を追求できる社会の実現