Thesis
我々第18期生は、昨年暮に行われた韓国の大統領選挙を共同研究として取り上げ、その調査のため投票日(12月18日)を挟んで1週間、ソウルに滞在した。投票直前の関係者の様子と、選挙結果の分析を報告する。
ソウルに入った14日の夜、テレビで公式の討論会が行われていた。主な候補者である金大中、李会昌、李仁済の3氏に司会者が質問し、それに各人が答えるというものだった。
最後の討論会であったにもかかわらず相手候補の批判ばかりだったが、2時間の討論で候補者の考え方・人格をかいま見ることができ、有権者にとっては有益な情報が提供されたと思われる。
16日には、京畿道の水原駅前で行われた金大中氏の街頭演説を視察した。今回から名物の数十万人を動員しての屋外集会が禁止されたため、会場である駅前広場には約500人程の支持者が集っているにすぎなかったが、金大中氏が姿を現すと、「金大中、金大中」の大合唱で、韓国国旗の小旗を振って、熱狂していた。
しかし会場を一歩離れると街中は普段と変わりがなく、いたって静かなものであった。
投票の前に、国民会議の崔祁先総務局長、政治マーケティング研究所の金年五所長、週刊朝鮮のシン・チョンロック記者の3氏に選挙予測を聞いた。崔総務局長は、過去3回の大統領選挙を金大中氏と共に戦ってきた人物で、今回の選挙では前回得票数を上回ると確信しており、当選への自信をうかがわせた。金所長は、ハンナラ党政策委員会言論分析部で李会昌氏の選挙戦略を支援してきた人物で、崔総務局長とは対照的に対立候補の金大中氏を意識した発言が続いた。シン記者には、中立的な立場から「誰が次期大統領として望ましいか」という問いに答えてもらった。それは、「国民が李会昌氏の主張する『三金政治の終焉』や『世代交代』を望んでいるか、金大中氏の主張する『政権交代』を望んでいるか」に拠るということだった。
◆金大中当選とその背景
結果は周知のとおり野党第一党・国民会議の金大中候補(72)が1千万票を超える得票で、旧与党のハンナラ党・李会昌候補(62)に約40万票の差をつけて当選した。1971年の大統領選に挑んで以来、4度目の挑戦で初めての当選である。これはまた韓国史上初の与野党の政権交代でもあった。
最終開票結果によると、投票率は80.6%。前回(81.9%)を1.3ポイント下回り、これまでに8回行われた大統領直接選挙で2番目の低さだった。得票率は金大中氏が40.3%、李会昌氏が38.7%、李仁済氏が19.2%だった。
落選し続けた金大中氏だが、その原因には「反政府闘士」という急進イメージ、それに出身地「全羅道」の狂信的なまでの支援に対する嫌悪があった。それが今回なぜ当選できたのか。考えられる理由は次のとおりである。
◆これからの韓国
1998年2月25日に発足する金大中新政権を取り巻く情勢は厳しく、歴代政権でも最悪といっていいほどの課題を抱えてのスタートである。与党となる国民会議は、選挙協力した自民連の議席を合わせても国会の過半数に及ばず少数与党の不安定な基盤に立つ。選挙公約だった「議院内閣制への改憲」を少数与党でどのように進めるかが注目される。
また国際通貨基金(IMF)の緊急融資を受けるまでに至った経済をいかに立て直すか、その対応策にも注目が集まる。金大中氏の大統領就任で、30数年続いた慶尚道出身者による政権は終わる。社会の病根といわれてきた慶尚道対全羅道の「地域対立感情」の解消も新政権の課題となるのは間違いない。
いずれにせよ、課題の多い今の韓国をいかに再建するのか、金大中氏の政治手腕が問われるところである。
(きしかわけんご 1997年4月~98年3月、地方自治体インターンとして佐賀県庁より出向。)
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