Thesis
台湾総統選挙、米露の大統領選挙、日本の総選挙を始めに、今年は世界的に選挙の年である。今月13日には韓国で総選挙が行われる。金大中政権に対する中間評価、また市民団体の「落選運動」などが注目を集めている。
「韓国政党政治の最大の問題点は、1人のボスを中心とするボス政党であり、地域感情を含んだ体質である。……明確な問題意識とビジョン、新しい政策を揃え持つ場合、政党が5つ、6つ、いや10まで増えても何の問題もない…… 結局、審判は有権者の役割だ。しかし、いかなる理由にしろ、地域感情を鼓吹し、その風に便乗しようというDJ(キムデジュン金大中大統領のイニシャル)対反DJの総選挙構図や地域感情に振り回されるような古い政治の形態は終わらせなければならない」。
本年2月21日に韓国を代表する日刊紙『中央日報』に載った社説である。「それでも、地域感情は許すべきではない」というタイトルのこの社説は、今月13日に行われる韓国総選挙を見守る韓国言論界と国民の気持ちを代弁したものだ。韓国の総選挙はいつのまにか、国民に未来のビジョンを提示する「祝祭」ではなく、韓国の政治が持つ慢性的な弊害を表す「悪祭」となっている。
帝王型大統領?
今回の選挙は、21世紀の韓国の未来にどんな意味を持つのだろうか。まず言えるのは、1998年に発足した金大中政権に対する中間評価という意味合いである。『朝鮮日報』が2月21日に実施した世論調査によれば、韓国民の60%以上が、「総選挙の意味するものはここ2年間の金大中政権に対する評価」と考えている。つまり韓国民は今回の選挙を長期的な視点、未来を見据えたものとして受け止めていないということだ。国際化や情報化に代表される21世紀への準備だとか、「統一韓国」に向けての長い道のりの出発点といった意見は、一切聞こえてこない。つまるところ、この選挙は、完全に国内指向的な行事である。
経済的な側面から見ると、韓国は今、他のどんな国よりも良い状況にある。わずか2年で、深刻な為替危機から完全に立ち直り、現在、平均7%という驚異的な経済成長率を記録している。韓国の外貨保有高は、支払不能(デフォルト)寸前から世界第5位の約700億米ドルにまで上昇した。この驚異的な回復は、「経済大統領」を自認する金大統領の強力なリーダーシップなしでは不可能だった、というのが国際経済の専門家の評である。国難を克服したリーダーとして、国民からA+の評価をもらうに値する。しかし政治の現実はそうではない。
金大統領は経済危機からの回復過程で強力な政策を施行したが、その一方で、議論とか合議制といった民主主義の原則をないがしろにした。大統領にとって立法、司法、行政の3権は、問題解決の障害だった。特に、政治の舞台である立法機関は、与党も野党も大統領の指導力を阻む存在だ。議論する時間があったらすぐにでも行動する、という大統領のスタイルにあっては、野党は、その存在すら認められていないように見える。自ら30年近くを野党生活で過ごした大統領にしてこのような政治姿勢をとるというのは、歴史の皮肉と言う外ない。
97年の大統領選以来、金大中大統領に対立する政治家たちは、「北風、すなわち1997年大統領選挙の時、北朝鮮が金大中大統領誕生を阻止するため軍事力で威嚇しハンナラ党を助けるように動いた」とか「軍風、すなわちりー・フェチェン李会昌ハンナラ党党首の子供が兵役を忌避した」といったスキャンダル絡みでマスコミに登場してきた。そこには、野党をスキャンダルや賄賂事件のシンボルとして国民に伝えようとする意図があったように思われる。一方、野党側は、大統領が率先する「野党潰し」の背後には、常に国家情報院(前の安企部、KCIA)の存在があると主張する。真偽はともかく、金大中大統領が政権を取って以来、野党と与党は一度たりとも対話らしい対話をしていない。
このような不協和音の中、いつからか韓国言論界は金大中大統領を「帝王型大統領」と呼び始めた。大統領は青瓦台(韓国の大統領官邸)においてさえ、スタッフに政策決定に参画させず秘書的役割をあてがうだけである。自分の能力を過信した「参謀なき大統領」とさえ言われている。「金大中大統領は他人の話を1分以上聞くことができない」というのが韓国の政治家の一致した評だ。大統領の統治スタイルは、周辺の人間を「イエス・マン」にしてしまった。
また、金大中大統領は大統領に就任するや地域基盤である全羅道出身の人々を青瓦台やその他の政策決定部署に配置した。大統領制度は人事について「オール・オア・ナッシング」である。3000に及ぶ主要な政策決定担当者が大統領の一声で決まる。
一方、野党にとって、このような地域感情を煽る人事は恰好の政権批判材料となる。「帝王型大統領」を相手にした野党の攻撃は、しばしば「地域感情」という韓国政治の弊害を再燃させた。本来、韓国の東と西、すなわち慶尚道と全羅道に分かれていた地域感情は、金大中政権誕生後、権力に疎外された非全羅道と権力の中枢にある全羅道という、全韓国を巻き込む構図に発展した。21世紀にふさわしいビジョンと政策を示せない政治の現状にあって、地域感情は野党が攻撃を仕掛ける好材料である。逆に与党の立場からも、地域感情は自陣営の団結をより強固にするための最強のイデオロギーとなる。4.13総選挙はこのような雰囲気が最も尖鋭な中で行われる。かくて、地域感情は韓国の選挙を束縛し続ける。
落選運動の投げ掛けた波紋
「政治9段」、つまり政治のプロを自認する金大中大統領は、昨年夏、早々と総選挙の準備に入った。国民の評価を座して待つというのではなく、積極的に動いて好意的な支持を引き出すという戦略である。その第一歩は、まず国民の「政治への変革意志」に沿い「新しい血」へ入れ替えるというものだった。世代交代である。386世代と呼ばれる、現在30代で、1980年代に大学に通い、60年代に生まれた若者を、金大中大統領を支持する与党の看板候補としていち早く登場させた。金大中大統領の下に駆せ参じた386世代は、大学在学中、民主化運動の先頭に立った世代でもある。大統領はまた、有権者の過半数が女性であることを考えて、総選挙の公認立候補者の30%以上を女性に割り当てるように指示した。この公認決定方法は、地域感情とは全く関係ない新しい基準による適切な「変化」として国民には受け入れらている。
このような変化の中、「総選挙市民連帯」という市民団体が積極的に介入し始めた。1000余りのさまざまな組織から構成されるマンモス組織であるこのNGOは、韓国政治を汚くしている政治家の「公認反対名簿」を発表した。その波紋は日本でも広く報道されたところだ。この市民団体が発表した名簿には、与党より野党の重鎮と呼ばれる政治家たちが多く含まれていた。野党は、直ちに総選挙市民連帯と金大中政権との謀略だと主張した。国民はこの主張には同意していないが、結果だけを見ると、落選運動は金大中大統領の政権基盤を強化する方向に作用し、疑惑を招くのも無理からぬところがある。金大中大統領は、歴代政権と違い、市民団体と「特別な蜜月関係」を享受してきた。金大中政権の発足後、市民団体の幹部として働くことは、行政のトップにすぐにでも抜擢される可能性があることを意味するようになった。市民団体の政治参加は法的に禁止されているにも関わらず、にである。
さらに言えば、落選運動そのものも選挙法違反である。しかし金大中大統領は「国民の意思なら」という但し書きで、市民団体の不法活動を認めた。韓国言論界は大統領のこの発言を「造反有理」(理由があれば一度決められたことに反対してもかまわない)という、中国の文化大革命当時、毛沢東が紅衛兵に対して発した言葉と同じだと批判している。
結局のところ、最初は国民から絶対的な支持を受けた市民団体の政治介入も、最後には金大中支持派と反金大中派、つまり全羅道と非全羅道に分ける「悪材料」として帰着し、国民の関心から遠く離れた。
連立の一翼を担ったキムジョンピル金鍾必前国務総理率いる自由民主連合が、金大中大統領率いる民主党と訣別宣言をしたのは、このような状況のためである。自民連は、金大中大統領政権と行動を共にして非全羅道地域から攻撃を受け、民主党と運命を共にすることを拒んだのである。
また、金大中大統領と長らく政敵として戦ってきたキムヨンサム金泳三前大統領が、再び注目されるようになった。金大中の民主党、金鍾泌の自民連、そして野党のハンナラ党のどこからも公認されなかった政治家たちが、金泳三前大統領を中心に結集し、釜山中心の政党創設という選択肢を生んだ。選挙を控えて、韓国は金泳三前大統領が基盤とする慶尚道地域、金大中大統領の全羅道、金鍾泌前国務総理の忠清道、野党の李会昌氏のソウル特別市という「四分五裂」の状態だ。政策とビジョンではなく、地域と縁故が4.13総選挙の争点となっている。
総選挙後の展望、そして大統領選挙へ
与野党を問わず、なぜこの総選挙を金大中大統領の中間評価と位置づけることにやっきになっているのだろうか。その理由は、この選挙での勝敗が後2年の任期を残す金大中大統領のレイムダック(先行きが見えて権力を失うこと)を左右し、2002年12月に予定されている次の大統領選挙に多大な影響を及ぼすと考えられるからである。金大中大統領が後任大統領の指名に影響力を行使できるかどうか、それを決める分水嶺なのである。大統領からすれば、ここでこれまでの政権運営に対する国民の支持を明らかにし、後継者問題に影響力を残しておきたい。逆に野党もここで勝利し、金大中「帝王型大統領」を沈黙させ、次の大統領を野党から出すための足がかりとしたい。
選挙の後、韓国の政治状況はどのように変わるのだろうか。皮肉な言い方をすれば、国民にとって4.13総選挙は野党が勝っても、与党が勝っても大差ない。政治が提供するサービスは、国民が求めるものからかけ離れているからだ。環境、福祉、失業、未来へのビジョン、半島の統一、政策の信頼性および透明性など、政治が論議すべき問題には何の言及もされていない。選挙は本来、国民に選ばれた人々が国民の意思に沿えない場合、より有能な人にその場所を譲り渡す機会である。ところが韓国では与党であっても、野党であっても政治家はよく似て、誰もビジョンなど持っていない。この点で国民には選択権がないに等しい。今回の総選挙で立候補者の30%以上が交替する。しかし、新規で公認された候補者は、ミス・コリア、スポーツ選手、テレビ記者、映画俳優など知名度はあっても政治能力については未知数な人ばかりである。
つまるところ、総選挙は単に与野党の議員配分を塗り替えるだけである。問題は選挙後に現れる後遺症である。より激化する地域対立、選挙過程での不法行為を巡る攻防、急速に失われる大統領の指導力、そして消耗的な政治戦争……。そこに雨後の筍よろしく現れる次期大統領を狙う人々。
新世代の大統領予備軍はいわゆる三金政治(金泳三、金鍾泌、金大中を中心とした政局運営)の精算を前面に出し、あらゆる無責任な政策を乱発して、国民の関心を買おうとするであろう。場合によっては「国民の審判」という名分の下、過去の歴史問題を蒸し返すことも予想される。北朝鮮関連の議題は、大統領を望む者には魅力的なテーマである。国民の支持や関心を集めるためには、どんな使い方でもするだろう。大統領志望者が金正日党総書記と会うために北朝鮮と途方もない取引をしたり、逆に北朝鮮を崩壊させようと攻撃的な手法に出ないともかぎらない。似たようなことは1992年と97年の大統領選挙の時にもあった。今回の総選挙がそれらと違うのは、大統領選の雰囲気が1年も前から醸し出されていることである。
こうした状況の中で、国民が信頼できるのは何か。「落選運動」で力を見せた各市民団体か。しかし彼らもよく見ると互いに異なるビジョンを抱え、葛藤している。政治のアマチュアという点でも、選挙が終わればその影響力が弱まることは間違いない。結局、一世代以上もの間、韓国政治を牛耳ってきた三金が選挙後もある程度の影響力を維持するだろう。
韓国人にとって、総選挙も大統領選挙も地方選挙も、あらゆる政治過程は単に騒々しく紛らわしいことにすぎない。しかし、結果がどんなに自分の意見と違っていても、国民として責任をとらなければならないのが民主主義の原則である。政治の水準は、政治家の水準はもとより、政治家を選んだ国民の水準に基づいているからだ。
韓国の若者の多くは、次の新しい大統領の任期が始まる2003年1月1日には三金の力は完全に消失していて欲しいと望んでいる。21世紀の扉の入口で行われる4.13総選挙が、「三金の祝祭」となるか、国民のための祝祭として記録されるか、全ては韓国民の選択にかかっている。
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