Thesis
「西洋の物質文明は科学の文明であり、武力の文明となってアジアを圧迫している。これは古来、中国でいわれている『覇道』の文明であり、東洋には、それより優れた『王道』の文化がある。王道の文化の本質は道徳、仁義である」(1924年、神戸にて孫文)
米国同時多発テロで始まった21世紀初頭の10年間は、不安定で不透明な時代の幕開けだったのではないだろうか。イラク占領政策失敗に伴う米国の威信低下と中国など新興諸国の台頭、多極化。グローバル大競争時代による世界的な貧富の格差の拡大。地球温暖化などの環境問題、鳥インフルエンザやエイズなどの病気…。結局、19世紀から世界を席巻した覇道的価値観は、人心の荒廃を生み、ギスギスした世界を築いた気がする。だが、このような時代だからこそ、独自の文明を持つ日本が果たせる役割は大きいのではないだろうか。その一つの鍵が、長い歴史を経て培ってきた日本人の伝統的思考である。
日本の伝統文化、風土、歴史に育まれてきた、高邁な「徳」、「伝統精神」を持つ日本人と日本が、「仁」「義」「礼」、「衆知を集める」「主座を保つ」「和を尊ぶ」「武士道精神」を以って、国際社会の世話人、調停役として国際貢献活動を積極的に行い、同時にその高い精神性までも世界に広げることで、人類の繁栄、幸福に貢献する。ひいては日本自身に「尊敬による安全保障」をもたらす。日本は「品格ある国家」として、王道を歩むのだ。
今回、私は、松下幸之助塾主が唱えた「徳行国家」「大番頭国家」をベースに、歴史的側面を踏まえ、今後の日本が進むべき国家戦略を展望した。混迷を極める今こそ、国益中心主義を超えた「徳行国家」は、安全保障、外交戦略としても極めて有効なのではないだろうか。
テロ、地球温暖化、鳥インフルエンザ、…。現在、人類が抱える課題は、いずれも地球規模で発生し、被害も甚大であり、その解決には国家という枠組みを超えた、地球規模の取り組みが必要だ。しかし、世界各国は未だ国家中心の視点に立ち、自国の国益を守り、最大化することを最優先している。このような状況下でこそ、日本は敢えて国益を超えて、人類に貢献していく姿勢を力強く示すことで、自らの存在感、ソフトパワー(その国が持つ独自の魅力によって、自国が望んでいる結果を、国際政治の場で実現させる力)を高めていくことが出来ると考える。
「西洋の物質文明は科学の文明であり、武力の文明となってアジアを圧迫している。これは古来、中国でいわれている『覇道』の文明であり、東洋にはそれより優れた『王道』の文化がある。王道の文化の本質は道徳、仁義である」「あなたがた日本民族は、欧米の覇道の文化を取り入れていると同時に、アジアの王道文化の本質も持っている。日本がこれから後、世界の文化の前途に対して、いったい西洋の覇道の番犬となるのか、東洋の王道の干城(盾と城)になるのか、あなたがた日本国民がよく考え、慎重に選ぶことにかかっている」。1924年の神戸での講演。中国革命の父・孫文が発した言葉だ。
また、松下塾主は、その著書『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』の中で、理想の日本の姿として、「日本自体が物心一如の繁栄と高いモラルの下、各国の繁栄・発展、世界の平和に貢献し、その精神性の高さが世界から理解され、日本は様々な国際紛争のよき調停役としての役割を果たしている」という姿を描き出した。さらに、「他国間に争いが起きた時、その仲裁をしなければならない場合もある。そんな時でも、その国に何が正しいかをみわける見識なり、争いをしている両者を説得する力がなければ、とてもその仲裁はできない」「(外交の)総合力の柱となるのは、やはり徳というものではないかと思います。したがって、これからの日本は“精神大国”というか“徳行国家”といった姿を目指してゆくことが肝要ではないでしょうか」「日本は世界の中の大番頭として、単なる経済大国から世界の調整国家へと変わっていかねばならない」と、著作などで述べている。
この両者の描いた日本の姿は、まさしく王道であり、私なりに解釈すれば、日本の伝統文化、風土、歴史に育まれた「徳」という格式の高いソフトパワーをもって、世界の繁栄と平和に貢献し、その精神性を世界に広げる、その際には、大国同士のパワーゲームには向かない分野において、大きな力を発揮するミドルパワー外交を展開することで、日本の力を存分に発揮するということだと考える。日本は日本の実力を踏まえ、日本らしく考え、行動して初めて価値を持つのではなかろうか。国際社会を一つのオーケストラにたとえるならば、全体のメロディーを壊さぬよう、独善的な演奏は慎まなければならないが、日本人にしか出せない音色を出せば、それは格調高い新たな感動を生む。時には日本の音色を中心にした曲を演奏してもいい、と周囲の国が思ってくれる。そのような価値を持つ国を作るためには、国民一人一人が品格を持つ「土台」があってこそ、なすべきことが出来るのではないだろうか。
では、日本に育まれた「徳」とは、そして日本の伝統精神とはどのようなものだったのだろうか。
日本人の精神は、当時の社会、文化、風土で咀嚼され、作られたものだと言える。自然を畏れ、自然と人間の調和を重んじる風土、美しい街並みや田園風景、豊かな自然が、繊細さ溢れる情緒を生み、その土台を礎に家族愛、郷土愛、祖国愛、人類愛が生まれ、高い道徳心が育まれたのだと思う。論理だけで考える欧米文化とは異なり、論理の限界を知った上で、目に見えないものも大切にし、情緒的な感性も生かす、それが日本人の精神性ではないだろうか。
松下塾主が考える日本人の伝統精神の三本柱は、「衆知を集める」「主座を保つ」、そして「和を尊ぶ」だった。すなわち、海外も含め、広く知恵を集め(衆知を集める)、それを自らがしっかりと受け止めて咀嚼し、自らに最適なものにし(主座を保つ)、徹底的に皆で議論し、最後はお互いに理解しあう(和を尊ぶ)ということだ。この中でも「和を尊ぶ」ことは、徳行国家を考える上で、特に大きな意味を持つと考える。その源流は聖徳太子の十七条の憲法の第一条「和をもって貴しとなす」にある。国土の狭い日本では、対立する相手を排除することを繰り返すより、徹底的に話し合い、和解の道を探る。論理で主張するよりも、人間の感情を重んじて物事を処理するよう心がる方がうまくいくという意味である。聖徳太子の「和」は、従順であれというのではなく、徹底的に議論をし、お互いに納得をすることをさす。この「和の心」、相手も自分も尊重する考え方は、徳の中でも高い位置づけにあると考える。
松下政経塾の研修の必須科目である、茶道、剣道、書道は、型を重視し、型を身に付けた上で、自分なりの味わいを出していく。礼の心、おもてなしの心など様々な精神性が根底に流れるが、それらには何気ないものに美を見出し、芸術の域にまで高めてしまう、日本人ならではの感性があったからこそ成立した文化ではないだろうか。そして、茶道や剣道が諸外国に受け入れられている状況を見れば、その感性は世界にも通じるものがあると考える。
この日本の精神は、限界が来ている覇道的価値観に対する、新たな価値観たりうるはずだ。米国同時多発テロからサブプライムローンまでの10年間は、世界を駆け巡ったアメリカナイゼーション的な価値観への不満と不安定さが、一気に露呈したということなのだと思う。
「日本が行う外交には日本人の歴史観や死生観、日本の魅力が反映される必要があり、外からの借り物の知恵では駄目である。日本自らが長期間、自信をもって実践していることでなければ、世界の舞台では説得力を持たないのだ」。外務省の神余隆博氏の言葉は非常に説得的だ。長い日本の歴史に根差す伝統的思考方法は、大きな武器になる。そして、この外交を実現するためには、外交に携わる外交当事者はもとより、国の総合力の観点から、何よりも国民一人一人が日本の歴史と伝統文化、精神に対して深く共感し、自信を深めなければならない。
アメリカの政治学者、サムエル・ハンチントンによれば、世界には西欧文明、東方正教会文明、中華文明、日本文明、イスラム文明、ヒンドゥー文明、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明の8つの主要な文明があり、日本文明以外の文明には複数の国が含まれる。日本文明だけは完全に一国だけで、その意味で日本は「孤立した国家」であるという。しかし、「他のいかなる国に対しても文化的な共通性にもとづいて支援をする責任がなく、したがって自国の独自の権益を思うがまま追求できる」とも指摘しており、それは逆に、日本しか持ちえない強みにできる。
たとえば、今後、多極化する国際環境の中で、日本はその精神を前面に打ち出し、国益を超えた「徳」の側面から、国際社会の「世話役」「調整役」に徹し、地域紛争の解決に積極的に乗り出すのだ。紛争予防、PKO、平和構築のような紛争の事前・事後の段階だけでなく、紛争(政治紛争か武力紛争かを問わず)が実際に生じている段階での平和的解決、すなわちピース・メーキング(平和創造活動)に、より積極的に貢献していくのだ。特にしがらみのない、アジアやイスラム世界で果たせる役割は大きい。これは、日本が欧米とは一線を画した歴史、独自の文明に属しているからこそできる外交であり、徳という日本の強みを生かした外交である。また、日本の芸術ともいえるものづくりの強み、特に省エネ、環境技術を生かし、地球温暖化や人口急増、グローバル化による様々な弊害に対応していくということは、日本の徳をますます高め、より国際社会での存在感を増すことが出来る。
現在の国際情勢を見た時、日本がかつての一国消極的平和主義に戻るのは不可能に近い。これは冷戦時代ゆえに米国から保障された生き方であり、この道を進めば国際社会における発言権も急速に弱まるだろう。高い徳を持った「世話役」として徳行外交を行うことが、結果的には、日本を尊敬される国に押し上げ、「尊敬による安全保障」にもつながるのだ。
そして、このような品格ある国家を作るためには、この国を作る日本人が徳のある国民であることが必要である。国民自身が誇りを持てる「品格ある国家」になり、はじめて国際社会での発言権も増すはずだ。
かつて日本人が持っていた徳を、現在の私たちはどれくらい持っているのだろう。確かに、近代化が進む中で、日本の伝統的な精神は徐々に失われ、徳も輝きを失い始めた。特に終戦後、GHQの占領政策により、戦前戦中の歴史や文化、伝統に秘められた精神まで、全てを否定的に捉える風潮が蔓延したことで、その勢いは急速に増したのではないだろうか。この歴史の断絶に加え、さらにバブル期で拝金主義が頂点に達し、一転、平成不況が訪れ、その後のグローバル化や構造改革が行われると、経済的格差にとどまらない、希望格差社会とも言える状況が訪れた。為政者や一部の人は安易な自己責任論を突き付けた。自己中心的な個人主義を掲げ、「金で買えないものはない」と堂々と言い切るホリエモンのような、お金と地位などの限られた基準でしか物事を測れない、いわば日本人の精神的改造とも言える状況となってしまった。慈悲の心も憐憫の情もない、損得と効率、薄っぺらい論理だけで全てが解決出来ると思う、矮小で浅ましい人間が増えてきているのは、感覚論だが、事実のような気がする。
だが、それでも、今の日本人は、日本人しか持ちえない風土や情緒の中に生きており、その精神性は、日本人の根底に受け継がれているのではないだろうか。私は団塊ジュニアに属する世代だが、それでもまだ、両親から受けてきた教え、「弱いものいじめはするな」「卑怯なことはするな」、「憐憫の情」などが、今の自分に生きているからだ。ただ、今後は、この日本人の持つ道徳観を意識的に育てていく必要はあるだろう。国家目標の一つに「徳行国家」を掲げた時、その目標に合わせて、国民に高い徳を身につけようという気風が生まれる、というのは楽観的すぎるだろうか。それでも、国が明確に「徳行国家」を目標として掲げることは、その第一歩になると信じたい。
先月、松下政経塾の研修で、私は2週間をかけ、ベトナム、シンガポールを訪れた。そこで聞いたのは、日本と日本人に対する高い評価と信頼だった。例えば、アジアの某国の人間は威張り、ゴルフのプレイ中にキャディーを平気で殴りつける。だが、日本人は様々な場面で対等な立場で接してくれ、紳士的にふるまってくれると。英BBC放送と米メリーランド大学が2006年11月から2007年1月の間に、27カ国の約2万8000人を対象に国際世論調査を行った。その結果、「好影響を与えている」との回答の割合が最も高かったのは日本とカナダだったという。同大学は、その理由を「ソフトパワーを連想させる」を挙げた。
日本人は、自分たちのこれまでの歩みと、今現在の自分たちに、もっと自信を持って良いのではないか。戦後の日本外交が取った吉田路線は、確かに日本が独自に国家戦略を考える気概、能力すらも奪ってしまった。だが、多くの果実を残したことも事実である。「徳行国家」「大番頭国家」をベースにした、この外交・防衛戦略は、吉田路線の果実を上手く生かしながら、日本と日本人をより高みに導いてくれるはずだ。
私は松下塾主が唱えた、「徳行国家」という言葉に魅かれた。なぜなら、見返りは後からついてくるものであり、基本的には「無私の心」を以って人類に貢献するのだという格調高い気概を感じたからだ。私が描く理想の日本の姿は、世界から尊敬される品格を持ち、覇道ではなく、王道を以って、国際秩序形成に影響を与えうる国だ。そのためにも、日本人が本来、自己に内在する伝統精神を、歴史を踏まえて見つめ直し、それを土台にどのような「品格ある国家」を作り、世界と日本のために生かせるのかを、常に考えていきたい。そして、この「徳行国家」は、日本人自身にとって、精神的な豊かさを実現する真の幸福につながるものでなければならない。その結果、ついてくる「尊敬による安全保障」とは、日本が世界にとって必要不可欠な国である、と世界の人々から思ってもらえる国であり、この姿はまさしく王道であり、品格ある国家の姿であると考える。
かつて、大正末期から昭和の初めにかけて駐日フランス大使を務めた詩人のポール・クローデルは言った。
「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でどうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本人だ」
現代に生きる私たちは、この言葉の中に先人への敬意と、現代の姿への反省、そして未来への自信を見出せるはずだ。
参考文献
松下幸之助『日本と日本人について』 PHP研究所 1982年
松下幸之助『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』 PHP研究所 1994年
松下幸之助『PHPの言葉』 PHP研究所 1975年
佐藤悌二郎『松下幸之助の自衛観』 PHP総合研究所 1994年
松下政経塾『松下幸之助塾主政治理念研究会資料』 松下政経塾
松下政経塾政経研究所国策研究会『私たちはどのような国を目指すのか』 松下政経塾 2009年
ジョセフ・ナイ『ソフトパワー』 日本経済新聞出版社 2004年
サミュエル・ハンチントン『文明の衝突』 集英社 1998年
添谷芳秀『日本の「ミドルパワー」外交』 筑摩書房 2005年
稲盛和夫 堺屋太一『日本の社会戦略』 PHP研究所 2006年
藤原正彦『国家の品格』 新潮社 2005年
神余隆博『国際危機と日本外交』 信山社出版 2005年
本田優『日本に国家戦略はあるのか』 朝日新聞社 2007年
Thesis
Shuhei Chiba
第30期
ちば・しゅうへい
仙台市議会議員(太白区)/自民党