Thesis
隣国・韓国の工場で新入塾生8人が労働実習を行った。1997年来の経済危機から立ち直りを見せてきた韓国経済だが、一方で大胆なリストラなど激震も続く。工場の現場で、またトップとの懇談の中で塾生は何をつかんで来たのだろうか。
4月に入塾した第20期生8人が、韓国の工場で研修を行った。松下政経塾では毎年、新入塾生に必修カリキュラムとしてアジアでの労働体験を実施している。今年は、事前に専門家による韓国の経済・社会・政治に関する講座や語学研修を受けた後、6月7日から24日までの間、韓国の大宇グループの大宇自動車・群山工場で実施された。参加したのは奥健一郎、喜友名智子、五味吉夫、鈴木烈、畠中光成、平山康樹、森岡洋一郎と佐賀県庁からの特別塾生・田中百合子の8人。最終日の6月23日には大宇グループ本社で終了式と金宇中会長の講話が行われた。
■工場にて
大宇グループは、韓国立志伝中の人物で全国経済連合会(全経連:日本の経団連にあたる)の会長である金宇中氏が、1967年に30代で興した繊維会社からスタートしたものだ。金氏は70年代末に造船・自動車産業に参入、80年代には電子・航空産業などにも手を広げ、韓国4大財閥の一つを一代で築き上げた。
政経塾と大宇グループは、インターンの受け入れなどを通じて交流を続けており、大宇グループでの研修は今年で4年目になる。これまでは数人ずつのグループになり別々な工場へ送られていたが、今年は群山にある大宇自動車一カ所で8人が同時に研修した。
群山は全州につぐ全羅北道・第2の都市で、韓国西海岸にある。市街地は都市化が進み、アパートが立ち並んでいるが、中心から一歩外れると辺りには水田が広がっている。大宇自動車群山工場は市の中心からバスで約20分、95年に生産を開始した大宇最新鋭の巨大工場である。世界各地にある大宇自動車の工場から技術を学ぶ研修生もここで受け入れているということで、塾生の滞在中にもリビアから約100人の研修生が来ていた。
塾生8人はこの群山工場で一工員としてボディ・ショップ(車体部門)、ペイント・ショップ(塗装部門)、アセンブリー・ショップ(組立部門)など自動車製造のほとんどの工程に携わった。
ボディ・ショップはドアの組立など車の各部分を生産する。ペイント・ショップは車体に塗装する所で、車体の表面を紙やすりで滑らかに整える作業などが塾生に割り当てられた。アッセンブリー・ショップは作られた部品の組立をする最終工程である。フロント部分にメーターやクーラーを取り付けたり、エアバッグ・ホースの取り付け準備などに追われた。
派遣された塾生がまず戸惑ったのはコミュニケーション。現場では日本語はもちろん、英語もほとんど通じない。塾生もハングルはまだまだ初歩程度、というわけで活躍したのがボディ・ランゲージ。「この材料をここに持ってきて、こんな風にはめ込んで」と身振り手振りで研修が始まった。
通常の作業工程に入るのだから当然、厳しい体験もした。ペイント・ショップでドアをガムテープ止めする作業をした森岡塾生は、少しでもテープにしわができると担当の趙班長が飛んできた。胸倉をつかまれて怒鳴られ続けることもあった。はじめは「なぜそこまでこだわるのか。次の工程では剥がされるのに」と理由がわからなかった。しばらくして「自分の仕事はペイント・ショップの最終作業で、この工程にとっては自分で『出荷』なのだ。少しでも汚い仕上げをすれば、ペイント・ショップがしてきた仕事すべてが台無しになる」と気がついたという。ちなみに鬼の班長さん、研修が終わる間際には、大宇のエンブレムをつけるという、名誉ある作業をさせてくれたそうだ。
オフタイムは、他の工員に混じって寮生活をした。一緒になってサッカーをしたり、酒を飲みに出かけたり、「ジェネレーションは国境を越えているんだなぁ」と感じたという。その一方で、北朝鮮との緊張や徴兵制などに、「この国は今も戦争の渦中にいるのだ」と、自分と同じ世代の中に戦争が息づいているのを肌で感じたという塾生もいた。
田中塾生は以前、佐賀県庁の職員として福岡・長崎県とともに、韓国1市3道(釜山特別市、全羅南道、慶州南道、済州道)との観光モデルコース作成に携わった。日本側は3県の観光スポットの分量にも配慮し、事前に合意された2泊3日・3泊4日のそれぞれのコースを作成した。これに対して韓国側は事業参加している1市3道を均等に巡回するコースを、日本人にとって興味があるかどうかに関係なく、実際の標準旅行日数からもかけ離れた4泊5日、5泊6日で提示してきた。なぜ韓国側は互いに話し合い譲歩しないのか理解に苦しんだものだが、今回の事前講座や現地での話で、改めて韓国内の地域対立の根深さに気づいたという。それは政治の世界にも反映している。「海外との事業を行う際には、相手国の歴史に対する深い理解が不可欠だと実感した」というのが彼女のコメントだ。
■マクロの視点から韓国を見る
研修最終日の6月23日には、金宇中会長も加わってソウルの大宇本社で終了式が行われた。それまで汗を流してきた工場現場というミクロの視点から、今度は創業者を通してマクロの視点で韓国経済をみつめる機会が、塾生に与えられた。
日本の経済企画庁が7月13日に発表した海外経済報告(7月四半期報)によれば、「(アジアの)景気は総じて底入れしたとみられる」ということで、前回(4月)の「景気は多くの国で後退しており、総じて厳しい状況」から大きく上方修正された。韓国についても「景気は回復しつつある」となっているが、最悪は脱したものの現状はまだまだ厳しい。たとえば失業率は1997年に2.6%だったのが98年に6.8%に跳ね上がったそのままである。
大宇グループも97年末に韓国を襲った経済危機以来、金大中大統領の打ち出した財閥改革(ビッグ・ディール)政策の下、変革の真っ只中である。ビッグディールは財閥間で得意な事業を強化し、不採算部門を整理する財閥間の事業交換のことで、大宇は乗用車、商社、金融などをグループの主力業種に絞り込み、国際競争力の一層の強化を図っている。金会長が「大宇と他の財閥との違いは海外志向が強いことである」というとおり、大宇は中欧・東欧の市場ではイタリアのフィアットを抜き、フォルクスワーゲングループに次ぎ2位の座を占めている(99年1月から3月期の自動車販売シェア)。大宇自動車の生産能力は韓国で126万台、ポーランド、ルーマニア、インドなど国外事業で90万台だが、構造改革の結果、2000年末までに生産台数を韓国・海外あわせて270万台に拡大することを目指している。また金会長は、朝鮮半島に中国やロシアの朝鮮民族の住む地域も加えた「大朝鮮経済圏」という壮大な構想も持っている(『産経新聞』1998年10月20日付「サム・ジェームソンの目」)。財閥再編という激震の中にあっても、常にグローバルな視点を失っていない。
金宇中会長は「9時から5時」でなく「5時から9時」(早朝5時から午後9時まで働く)、年間200日は海外出張と言われる猛烈実業家である。「歴史の発展のためには偉い人たちの犠牲が必要だ。犠牲の精神はリーダーに絶対必要だ。犠牲は会社のため、民族のため、世界のため。これが無いとリーダーになる資格はない」と塾生たちに熱いメッセージを送った。
「大宇で一番働いているのは間違いなく金会長」と自他共に認める人の言葉だけに、リーダーのあり方として塾生に強烈な印象を与えた。工場での厳しさと心からの親切、そして金会長からダイナミックな考え方、変革の機運とリーダーとしての心構えを教えられた。
韓国は97年7月のタイバーツ暴落以来のアジア経済危機から完全には脱していないし、大宇グループも新たな再建の途上にある。
なお、翌24日には金泳三・前韓国大統領の自宅を訪れて話をきく機会にも恵まれた。韓国の政治・経済界のトップから直接話を聞き、その激動ぶりを実感できた研修であった。
Thesis
Nobuyoshi Kai
第3期
かい・のぶよし
拓殖大学副学長/国際学部教授
Mission
民主化と経済発展 タイ政治史 アフリカの紛争