Thesis
松下政経塾は志を同じくした海外のさまざまな団体・個人と交流を行っている。政経塾をモデルに韓国でつくられた塾はどのような活動を続けているのか。中国の政治家が日本に求めるものは何か。政経塾のアジアとのつながり、その一端を紹介する。
経験を通じて学ぶ:韓国「機会の学塾」
「日本の青少年はなぜ荒れるのですか?」。
質問は韓国語だが、眼差しから真剣さが伝わってくる。ここは韓国・釜山市の中心街にあるビルの1フロア、昨年開塾した「機会の学塾」(きかいのがくじゅく)での一コマだ。岡田邦彦・松下政経塾塾頭は9月12、13日の2日間、韓国を訪れ、釜山の機会の学塾で講演した。この塾は、現地放送局の理事であった劉判洙さんが昨年9月に開いたもので、年齢や職業や性別に関係なく将来の夢を持っている人々を対象に講義を行う、一種の生涯教育機関だ。研修期間は6カ月で授業時間は100時間、現在は25歳から53歳までの2期生30人が学んでいる。3分の2の塾生が職業を持っているが、韓国を襲った深刻な経済危機の中で、失業した人もいるとのこと。そのせいか女性の姿が目立つ。「自己啓発、地域開発、リーダーシップ養成」という目的のために集まった塾生たちは、最後まで熱心に岡田塾頭の講演に聞き入った。
劉さんはこの塾を松下政経塾にヒントを得てつくったという。いわば「韓国版松下政経塾」だ。彼は1995年に松下政経塾を訪れ、約1カ月の間、茅ヶ崎、京都などで過ごした。その後も21世紀を担う新しい人間、新しい人間、新しい地域社会ひいては新しい韓国社会の形成に貢献できる教育・学習機関の設立に向け、準備を続けてきた。そしてついに釜山にこのユニークな塾を開いたのだ。
機会の学塾への応募資格は高校卒業以上。授業料なし。さらに講師への謝礼もなし。釜山市内の一等地にあるオフィス(68坪)も他の財団からの提供を受けている。「知識人の役割は評論するだけではないはず。隣の人のために何かを実践すべきだ」という劉さんの呼びかけに大学教授・会社社長などが多くの有識者が賛同、無料で講師を務めようという申し込みは常に50人を越えている。一方、応募者も予想以上だった。すでに1期生30人が卒塾して、たとえば「LOVE クッキー」を発売して経済危機下で親が失業して学校へ通えなくなった子供たちへの援助を行うなど、活発なボランティア活動を行っている。 講師も場所もボランティアなら、塾生が行う活動もボランティア、何から何まで奉仕の精神で行われるこのような塾は、韓国でも全く初めてのことだ。
岡田塾頭もそのような劉さんの呼びかけに応じた。「知識情報社会と人材育成」と題した講演では、劉さんと政経塾のつながりに触れた後、「現代はスピードの速い時代で、あっというまに時代が先に進む。しかしアインシュタインはインターネットを使ったことがなかったし、ニュートンもカントもテレビを見たことがない。キリストも仏陀も同じ。これらの創造的な人は膨大な情報ではなく、少ない情報の裏にある真理をつかんだ」と切り出した。さらに、インターネットなどの技術と、人間の精神との間にある課題として判断力の重要性を強調した。塾頭によれば判断力には3つの段階があるという。それは胆識(人間性)、知識(具体的な技術)、そしてその中間で人間性に基づいて知識を使ってなにかを判断する見識である。岡田塾頭は「この3つをバランスよく育てていくことが大事だ。とってもいい人だけど何をやってもドジを踏むとか、知識があるけれど人に好かれないというのは、どちらもバランスが悪いから。知識も人間性もいいけれど判断ができないのも困る。ところで、機会の学塾で講義をした人で評判がよかったのは、実際に仕事をしている人と聞いている。自分で経験したことは他人には絶対に真似できない。そして皆、それぞれ貴重な経験を持っている。その自分の経験を通して学ぶことがあるのではないか」、と松下政経塾の塾是(塾の基本的精神)から「自修自得」をあげ、機会の学塾でも「本当に何をしたら世の中の役に立つか考えること」を勧めた。講演後の質疑応答では、冒頭のように日本の青少年の非行や犯罪についてや、ハンディキャップを負ったり疎外されている人たちの現状について質問が飛んだ。そこからは、近い将来の韓国の問題として、日本の社会問題を真摯にとらえていることが感じられた。
岡田塾頭は「将来指導者になっていく若い人たちをぜひ育ててほしい」と機会の学塾への希望を語る。そして「劉さんの広範な人脈と信用、そしてキリスト教の精神に基づく奉仕の精神を感じた。厳格な中にも活動的で実践的なところが素晴らしい」と「韓国の政経塾」にエールを送った。松下政経塾はこの他にも、大宇グループとの交流・韓国労働実習(『塾報』98年9月号参照)や研究員の受け入れを通じて韓国との交流を続けている。
新しい中国を見てほしい:中国・黄華氏ほか要人との会談
9月16日には日中平和条約20周年を記念して行われたシンポジウムのため来日した黄華・中華人民共和国国務院元副総理兼外務大臣(中国国際友好連絡会会長)ら中国要人と、政経塾スタッフ・塾卒業生の政治家との間で意見交換会が行われた。黄氏は1978年に日中平和友好条約が結ばれた際の中国の外務大臣(日本側は故・園田直氏)である。会には黄氏のほか藍暁石・中国世界民族学会副会長、何理良・中国宋慶齢基金会常務理事(黄氏夫人)、蒋立峰・中国社会科学院日本研究所副所長などが同席した。政経塾側からは岡田塾頭を始めスタッフと、卒業生から逢沢一郎(松下政経塾第1期生)・笹木龍三(第3期生)・玄葉光一郎(第8期生)・中田宏(第10期生)の各衆議院議員が参加した。
黄氏は席上でまず、1987年に東京で松下幸之助塾主と会った話を披露した。その中で「松下さんは、世界の文明は東方から始まり欧州・米国をたどって再び東方に到る。そして今後の文明の盛衰は、どのようなリーダーがトップにいるかによって決まる、という話をされました。妻と一緒に感銘深く聞いたのを覚えています。その松下さんの育てようとした若い人たちに会ってみたかった」と話した。その後、現在は「国境を越えてお金が瞬時に移動する時代だ。国家の置かれている状況は20年前と大きく違っているけれど、だからこそ日中関係の重要性は増すばかりだ」、と将来展望について話した。
また同席した金煕徳・中国社会科学院日本研究所対外関係室主任は、今回の意見交換会の意義を次のように述べた。
「日中関係は冷戦時代の特殊状態からスタートしました。現在、お互いのチャンネルの高齢化や、これまで民間中心で政治家のパイプが少なくなっていることなども含め、日中関係は国際関係の変化に対応しているとは必ずしも言えません。率直に言って、日中間の外交の太いパイプが切れるかもしれない、という危惧があります。そうした中で日本の若い政治家のみなさんにお願いしたいことがあります。若いみなさんは日本の高度成長の時代に生まれました。アメリカ文化の影響を強く受け、古い中国の文化をあまり知りません。また日本が貧しかった時代のことも知りません。中国を長い歴史の中で見るのではなく、ただ貧しい国という目で見がちです。そうではなく、改革・開放を経て、やっといい時代に入ろうとしている中国を見てほしい。相手の国に行って若い世代と交流してほしい」。また中国の民主化について、「急速な経済改革と民主化を同時に行うことは難しい。旧ソ連の失敗を中国の指導者は心配していると思う。しかし、村レベルでの選挙など、民主化は着実に進んでいます」と語った。
松下政経塾は中国社会科学院日本研究所を中心に中国との交流を進めている。中国、韓国とも過去の問題を含め、必ずしも日本との関係は良好ではない。しかし黄氏も述べたように松下幸之助塾主は「21世紀はアジアの時代。その時代の受け皿をつくるのだ」という思いで松下政経塾を創設した。日本と中国・韓国など東アジアの国々が協力して繁栄の時代をつくる理想を掲げていた。松下政経塾は今後とも国家、地域レベルともに見据えながらアジアとの交流を続けていきたい。
Thesis
Nobuyoshi Kai
第3期
かい・のぶよし
拓殖大学副学長/国際学部教授
Mission
民主化と経済発展 タイ政治史 アフリカの紛争