論考

Thesis

21世紀の有権者のあり方

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2000/8/29

「政治」の貧困が叫ばれて久しい。しかし、一向にそれは改善される兆しがない。一国の「政治」はその国の国民の別な姿でもある。とすれば、「国民」から乖離した「政治」は存在しない。日本の政治の何が問題なのか、政策研究大学院大学教授の飯尾潤氏に話を聞いた。

55年体制が生み出した政治の無力化

 「55年体制」というのは、もともと自民党と社会党の二大政党制と理解されてきました。しかし、実際には社会党がたいして伸びず、そういう事態はまったく起こりませんでした。そして、この体制は1993年の政権交代によって崩れたということなのです。しかしこれも、政権交代の可能性が日常化していない、という意味で問題を残しています。
 55年体制はそれなりに安定した仕組みでした。表面上は、自民党の一党優位の長期政権ですが、選挙の時に自民党という党はなく、派閥単位の与党連合対ばらばらの野党というのがその実態です。
 この体制には興味深いルールがあります。自民党は、選挙や国会など表立ったところでは野党と対立したそぶりをみせながら、本質的なところでは妥協を繰り返していたという点です。重要法案、これは世の中に対して大切ということではなく、与野党が対立する法案という意味ですが、自民党はそういうものについて、その場は野党に譲り、次の国会で成立させるということをずっとやってきました。ここに大変な問題が隠されています。それはこの仕組みでは、選挙での選択と国会での選択は無関係になるということです。野党の要求を与党が実現してしまうと、野党の支持者はどちらを支持しても要求は実現するわけですから、それ以上野党を支持する理由がなくなる。そうすると、政権交代を起こそうというエネルギーが溜まらない。それは、政策転換を求められた時に、選挙で決着することができないということです。つまり、55年体制とは、大転換をしようにもそれを国民に訴えかけるということができない仕組みだということです。

選挙の意味と政党の役割

 選挙の際に、よく「庶民感覚を持った人がいい」というようなことを言う人がいます。しかし、庶民がそのまま選ばれるのであれば選挙は要りません。古代ギリシャのアテネでにおいて直接民主制を採用していた時期には、役職者はくじ引きで選びました。くじ引きならば庶民と同じような人が選ばれます。では、なぜ、われわれはくじ引きではなく選挙をするのか。それは選挙が政治の得意な人を選ぶという機能を持っているからです。ある程度政策のことも分かり、党派対立の駆け引きのことも分かり、一般有権者に代わって駆け引きをやって政治を成り立たせる専門家を選びたいというとき、選挙は有効だからです。ところが、日本の選挙では、政治の得意な人ではなく、選挙の得意な人が選ばれるという不都合が生じました。
 これを解決するのが「政党」です。日本人の多くが誤解していますが、「政党とは政治家の集まり」ではありません。政党とは、社会と国家をつなぐもので、国会議員だけでなく国会議員を当選させようと選挙運動をする人をも含めたものです。そう解すると、選挙の得意な人が選挙運動を一生懸命やって政治の得意な人を選挙に出すという仕組みができれば、活動家と国会議員は必ずしも一致する必要はなく、この問題は解決します。ところが現実は、選挙が得意であればよく、しかも当選回数で大臣にもなれるので、「大臣」とは政策のわからない人でも務まるようになり、同時に、優れた人がなってもきちんとした仕事ができないようになってしまいました。
 一般に、議院内閣制で選挙をすると与野党対立型になり、両者はそれぞれ自分に都合のいいことを言い、相手の具合の悪いことを国会で攻撃する、という形になります。この力学が働くと、政党の政策は体系化し、いいことだけを言っているわけにはいかなくなります。それが政権の公約、連立政権であれば与党の公約と野党が選挙協力するときの公約となって、ある程度、有権者が選ぶ際の基準となります。そして、最終的に総理大臣の選択へとつながる。つまり、議会で多数を取ると、政策の実現に一歩近づくことが保証される。ところが、日本では政党がその本来の役割を果たしていない。

歪んだ日本の議院内閣制

 議院内閣制とは、一般有権者が国会議員を選び、国会議員が総理大臣を選び、総理大臣が大臣を選んで各省を監督させる制度で、これが議院内閣制における民主制の建前です。しかし、日本ではほとんどの人が、議院内閣制は官僚内閣制だと理解しています。それは、大臣に選ばれた人が選んでくれた人のではなく、自分がなった省の代表だと勘違いして、役人の言うことをよく聞くからです。閣議では各大臣の意見はもちろん違ってかまいませんが、最後には意思統一をして、内閣はそれに対し連帯責任を負うことになっています。ところが、自分を各省の代表と勘違いしているような大臣が集まって閣議をしても意見は一致しません。大臣が意見を変えるわけにはいかないからです。そこで省庁は事前に一致したものだけを閣議に出す。これが官僚内閣制です。日本国憲法は議院内閣制を定めたのに、内閣法以下の法律は解釈によって官僚内閣制になっている。そこで、今度は、これでは民主主義ではないと政府・与党体制という異様な仕組みが生まれました。政府が二重化して、内閣で作る政策と与党で作る政策と、政策が二つあることになった。

能動的な有権者が民主主義を支える

 一般に政治家と官僚との間に三つ――統制・分離・協働――の規範があるとされています。しかし現代日本においては、政治家が内閣を通じて官僚を統制する仕組みが十分ではありません。ところが、個別の与党議員は官僚たちと密接な関係を持っており、政策執行に口を出すこともあるという形で、分離の規範も守られていません。政治家は官僚を都合のよいように使い、また官僚も自分たちで決めた政策を通すために政治家を使うという点では、協働しているのかもしれませんが、本来の意味での協働とは違うようです。棲み分けて利益のやり取りをしているにすぎない。
 これが、日本の政治がバラマキ政治・無責任政治になっている所以です。では、そうなってしまった一番の原因は何かというと、有権者が行政まで含めて「政治」というのは政治家がするものだと思い込んで、自分がするものだは思っていないということです。ボランティアで政治家を応援して、思っているような国に変えたいという人たちが極めて少ない。そういう人たちがあまりにも少ないために、「政治家」が商売になって、国会とか議院内閣制がまったく機能しなくなっている。
 そういう意味で、議院内閣制、あるいは政党政治に工夫が必要です。こういうと、一足飛びに「首相公選制だ」という人がいます。しかし、首相公選制は直接選挙ではありますが、直接民主制ではありません。いったん選んでしまったら、後はその人に任せきりになる危険が強い。みんなで議論して積み上げるというメカニズムが備わりにくいところがあります。それに、米国のように立法府と行政府が対立すると、意思統一をできるだけ統一的にやる必要がある場合、あまり有効ではありません。

 日本はともかく議院内閣制をきちんとやり、「政党」をきちんと確立し、その上で21世紀型の政党を築いていくのが最も望ましい方法だと考えます。おそらく、21世紀型の政党というのは、旧来の共産党型や自民党型の政党などとはまったく違うものになるでしょう。ごく普通の有権者がこういう日本をつくってほしいという政策課題において討議し、そこへネットワーク型で政治家が集まって来る。そして、そういう人々が選挙運動もして、政治家の監視もする。そういう型の政党が出て来るだろうと思われます。ですから、今一番必要なのは、そういう政党をつくっていく人です。それはつまるところ、代議制民主主義をきちんと機能させることができるくらい能動的な「有権者」ということです。


<飯尾潤氏 略歴> ※いずれも執筆当時
1962年神戸生まれ。
東京大学法学部卒業。同大大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。
埼玉大大学院政策科学研究科助教授、政策研究大学院大学助教授を経て、同大学教授。

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