論考

Thesis

農業と経営 ~松下幸之助塾主の理念を通じて考える~

担い手の高齢化や地方の過疎化の加速に加え、世界における自由貿易の流れを受けて、日本の農業を取り巻く環境は、より一層厳しい状況に追い込まれていっている。そんな中、農業には経営が無いと叫ばれて久しいが、農業と経営について松下幸之助塾主の新しい人間観に基づく政治・経営の理念と照らし合わせ考察する。

1)はじめに ~日本農業を取り巻く環境の整理と問題提起~

 2010年10月1日、菅直人首相(当時)が、所信表明演説で、突如としてTPP(Trans-Pacific Partnership Agreement)締結交渉への参加を表明したことから、にわかに日本農業の危機が新聞やテレビなど各種メディアの見出しを踊り、農業界が国民から脚光を浴びることになった。
 これまでもGATTウルグアイラウンドにおける多角的貿易交渉の合意、それ以降のWTOでの交渉など貿易自由化問題が遡上に上る度に、農業団体の猛反発とともに、農作物の貿易問題は取りざたされてきた。
 ここで語られる農業の姿は常に弱者としての農業従事者の姿であり、諸外国と比較すると必ず日本が劣勢に立たされるという前提に立った議論が多くを占める。

 担い手の不足、農業従事者の高齢化、過疎化や地域間格差など、農業を取り巻く環境は私が学生だった時分の20数年前に教わった状況と問題の本質は大きくは変わっていない。担い手不足による耕作放棄地は埼玉県の面積とほぼ同等の40万ヘクタール1)にも及び、高齢化は農業従事者の平均年齢が66歳2)と、超高齢化へと進み、むしろ問題が深刻化しただけなのである。
 もちろん、この間、この状況を打破しようと政官学民、各々が様々に取り組んできたことは紛れもない事実である。しかし、農業界総体を捉えた時に、一国民として受ける印象は、ひどく閉鎖的で、まるで時が止まってしまっているかのような錯覚を受けてしまうのは何故だろうか。

 日本の農業、特に稲作は日本の国家成立過程に深く関わっており、村落形成、日本人の伝統精神の構築に多大な影響を及ぼしてきたことは疑いのないことであろう。つまり、日本、日本人にとって農業とは単なる産業というだけではなく、風土、人を取り巻く環境そのものであり、文化そのものと言っても過言ではないのである。
 昨今、湧き起っている農業の衰退は、一産業の衰退ではなく、日本の国づくりの根幹に影響する大きな問題であると言ってもよいのではないのではないだろうか。実際、農業の持つ多面的機能(洪水防止、地下水かん養、土壌侵食防止、気候緩和、人間性の回復など)は数兆円の価値を創出しているとも言われており、一産業として捉えるにはあまりにも実態を反映していない性急な論かとも思う。

 ただし、だからといってこれまでの農政過程に強くみられるように、農業、農家をただ弱者として守ればよいというわけではないはずである。農業の産業としての特殊性を考慮すれば、他の商工業と同様に議論し、発展していく余地は必ずあるはずである。
 本稿では「農業」「農家」≒「弱者」であるという既定路線の議論から離れて、敢えて農業を産業としてみたときに、いかなる課題が存在しているのかという観点で論じてみたい。

2)日本農業の経営課題

 まずは農業が他の商工業と何が異なるのかを明らかにしておきたい。農業の特徴の主なものを以下に挙げてみたいと思う。

 ・土地や風土など環境要因に左右される部分が大きい
 ・土地利用型である
 ・水利用など、地域全体において他者と相互に作用、影響し合っている
 ・地力作りや種苗の手当など長い年月の積み重ねが必要である
 ・季節変動による周期が存在し、農作業適期が限られる
 ・規模の論理を得にくい
  など

 細かな特殊性は挙げればキリが無いが、最大の特徴は自然を相手にしており、不確定要素が大きいということに尽きるのではないだろうか。
 しかし、その特徴を理解しておけば、他の商工業同様、やはり人間が行う営みであり、同じ人間が行う行為である限りは、共通点は多く見出せるのではないかと考える。そこで塾主の経営観と照らし合わせながら、農業について考えていきたい。

「農業は、毎年一年生である」

 これは専業農家を約50年営んでいる私の叔父の言葉であるが、これは農業の特徴を言い得て妙であると思う。例え同じ土地、同じ作物を育成していても、相手が自然である限りは、時々刻々と変化し、同じ状況は二度と訪れない。50年実践しても、結局は春が来て、新たな作付けを始める時には、また一からのスタートなのである。
 作物を見て、風の声を聞き、当たり前のことを、当たり前に実践する。その時、その時に必要な情報を感じ、考え、ベストな選択を全力でしている。これは塾主が経営の要諦として考える「雨が降ったら傘をさす経営」に通じるものではないだろうか。
 「雨が降ったら傘をさす経営」とは、天地自然の理に従い、なすべきことをなす経営である。その、なすべきことをキチンとなしていれば、経営というものは必ずうまくいくものであるとも言っており、その意味では経営はきわめて簡単なのであるとも言っている。そう、この天地自然の理に従うということをまさに地で行っているのが、農業なのだと思う。しかし、一方で、限りない生成発展というのが、この大自然の理法であるとも塾主は述べている。
 なので、本来この天地自然の理に従っているならば、おのずと生成発展の道を辿っているはずなのである。「農業は毎年一年生である」という言葉には、常に状況が変わる中、一年生としての意識を持ち、真摯に農作物と向き合う姿勢、態度の現れであると捉えることができる反面、毎年ゼロベースからスタートする状況は、常に日に新たに生成発展していく姿とは異なった姿も垣間見られるのではないだろうか。

 これは何が問題なのだろうか。
 それは兎にも角にも、経営観が不足しているということなのではないだろうか。だからこそ、多くの農家が時代の変化に適応できず、苦境に立たされていることの原因の一つではないかと思う。確かに日本の農業は環境に多くを依存しており、作物は作ってみなければその収穫は分からないという考えに依拠して行われることが多い。収穫量をコミットすることができないため、協同組合や量販店といった収穫されたものを納める先から、その場、その場で価格を決められてしまうという従属的な立場から脱却することができないのである。そのため、収益をコントロールすることができず、計画性といった他の商工業の経営において当たり前とされていることが抜け落ちてしまっているように思う。塾主は、人間が計画性を持って行う全ての活動は「経営」であると定義しており、その意味で計画性が、やや欠如している農業に経営観が足りないとされても仕方がないことなのかもしれない。

 そして、塾主が経営において最も大切であると述べているのが、経営理念を持つことである。

“私は60年にわたり、事業経営にたずさわってきたそして、この体験を通じて感ずるのは、経営理念というものの大切さである” 3)

 これは松下電器産業(現パナソニック)の創業60周年にあたり、塾主が発した言葉である。経営理念とは会社は何のために存在しているのかという存在意義を明らかにし、この経営をどういう目的で、またどのようなやり方で行っていくのかという、経営の進め方についての基本的な考え方を示したものである。そして、その経営理念は、社会の繁栄の為になることを前提とせねばならず、企業は社会の公器であるとの考えを抱いていたのである。

 農業はその性質から、本来、人間の生存の基盤であり、根源的な欲求である食を満たすだけでなく、その環境との相互依存性の高い関係性から、未来に向けた重要な役割を担うべき産業であることは間違いない。しかし、日本の農業は家族経営が基本となり、「分相応」に立ち居振舞うことが是とされてきたのが実情である。であるが故に、その営みそのものが、社会の未来に貢献している重要な産業であるにも関わらず、意識は内向きとなり、社会の繁栄に資する理念を描きにくい面があるのではないだろうか。これが生成発展の道への妨げになっている一つの原因であると考える。

 また今一つの生成発展を妨げている要因は、農業政策の中心が保護を前提としているということなのではないだろうか。確かに世界的に見ても農業自体はマイナス産業であることは事実である。農業保護の大きさを図る指標として国際的に用いられているパーセントPSE(生産者支持推定額)をみてみると、OECD(経済協力開発機構)の推計によれば、2008年時点で日本は47.81%となる。一方、米国6.85%、EU30.53%、カナダ13.05%と、カナダのような農業国においても、先進国では、PSEは農業の付加価値額を上回っている状況である。これは何を意味しているかというと、メディアから受ける印象では、日本だけが農業を過度に保護し、特殊な政策を取っているように認識しがちであるが、先進国では一般に農家の政治力が強く、農業が保護される傾向があるということである。
 そして、農業は食料だけではなく、生きていく上で必要とされる食糧生産を担っているという意味で、国家安全保障戦略上、ある一定以上の保護が不可欠であるという点も見逃せない。

 しかし、同じ「保護政策」と言っても、諸外国と日本とには、根本的に理念に差異があるように考える。諸外国のそれは、保護することによって農業を強くし、産業として育成するものであり、日本のそれは、文字通り保護するだけで、その先に農業のあるべき姿があるわけではないようにみえる。つまり、日本農業全体の経営理念とビジョンが欠如しているということに他ならないのではないだろうか。
 諸外国の保護政策が、成長の補助となっているのに対して、日本の保護はまるで、絶滅危惧種をただ失われないように、細々と守り続けているようなものなのではないかとさえ思ってしまう。

 そして、農家の保護の仕方そのものが、人間の本性に反しているものと言わざるを得ない。塾主の新しい人間観によると、人間には万物を支配、活用し、生成発展へと導く崇高なる使命があるとともに、人間には無限の可能性が秘められている。初めから農業、農家は弱いものである、守るべきものであるという認識に立ってしまっては、可能性を信じることはできなくなってしまう。必ず発展していくものであると信じることが本来は必要なのではないだろうか。
 また塾主の経営観のうち、重要な考え方の一つとなる生産性の向上についても同様なことが言えるのではないだろうか。塾主は松下電器産業の経営の中で、人間の持つ本性を捉え、各々の力をいかんなく発揮するようにすることで、人を活かす経営、すなわち生産性の高い経営を実現してきた。しかし、日本の農業保護の現状はどうか。減反に次ぐ、減反といった米の生産調整から、一定の基準を満たす農家に一律で一定金額を渡す戸別保障制度に至るまで、生産性向上への意欲をそぐばかりか、無秩序な土地利用を許し、熱意のある農家への土地集約を阻むことにも繋がっており、生産性の向上とはかけ離れた状態となってしまっている。これは人間の持てる可能性が発揮されるようなものになっているのだろうか。
 そして、この東西南北に広く伸びて、その立脚する風土も異なる地方(北海道を除く)を、一纏めに論じる制度設計そのものにも無理があるように思う。例えば、九州と東北地方では、温度や日照時間等の気象条件も大きく違えば、平野部と中山間部では農業適地の面積や配置も異なるのである。本来であれば、やはり、それぞれの地方や人の持つ特性を適材適所に配し、対処していくことが全体としての生産性向上へと結びついていくのではないだろうか。もちろん、個別にすべてフォローすることを求めているのではない。作付の品目や、経営規模といった合理的な単位、セグメントに対応した制度を設計していくことが必要なのではないかと考える。

3)農業経営の正しい姿を求めて

 ここで改めて断っておくが、私自身、農業は単なる産業ではなく、日本人の根幹を形作っているものであり、多面的価値のもたらすものの大きさから言っても、いかに生産性が低くとも、一定以上、農業を守っていくことは必要であると考えている。しかし、ここまで述べてきたように、ただ弱者として捉え、持てる可能性を引き出さない(引き出せない)保護の仕方には疑問を呈さざるを得ない。これを解決するには、何をおいても、この日本の農業をこの先どうするべきなのか、どうあるべきなのか、まさに農業における国家百年の大計が必要であると考える。かつて猫の目と揶揄された農政も、この経営理念がはっきりしていないからこその、その場しのぎの右往左往の結果から生まれたものであろう。その全体として目指すべき姿が明確になってはじめて、個々の持つ力がいかんなく発揮されていくのである。

 農業全体の経営とも言える農政の姿だけでなく、個々の経営を見ても、そこに正しい経営観を持つことが今求められている。それには、何をおいてもまず、農業もまた経営であるということを認識することから始まる。そして、社会の未来に貢献する重要な産業であるという認識に立ち、その使命に自らが気づき、その使命を果たすべく行動することが力強い活動を生み出し、新たな価値を創造していく源泉になるに違いない。

 いずれにしても、農業全体の経営には、先ほど述べた通り、あるべき姿の策定が最も先決である。日本全体にとって農業はどのような位置づけで、農業はいかにあるべきか、ということを今一度、共通認識として持つことが農業の発展には必要である。  農業が他の商工業と異なる点の一つとして、人材や土地といった一般にヒト・モノ・カネと表現される経営資源が限られていることも挙げられる。しかし、一方で昨今、四つ目の経営資源として重要度が増している情報は、農業の価値を高める上で重要な強みとなりうるのではないだろうか。その業としての歴史の長さから言っても、過去から脈々と受け継がれてきた知恵もこの情報の中に含まれている。まさにこれは、人間の天命を発揮させ、生成発展へと向かわせる上でも、経営をうまくいかせる上でも、塾主が常々もっとも必要だと説いていた「衆知」そのものといえるだろう。今こそ、未来の日本の農業のために、過去から現代にかけて皆の衆知を結集する時なのである。

 日本農業のあるべき姿を指し示し、しかるべき方向へと農業界を導く役割の一端を自らも担うべく、今後とも精進していきたい。そして、日本農業の限りない生成発展を私自身は信じている。

 最後に農業の安定は社会国家の安定に繋がるとして、農業の更なる生産性向上を期待して発言した塾主の言葉を紹介して、本稿を締めくくりたい。

“日本は、むかしから、農業を基本として国家の経営がなされてきました。そして、農業の安定ということは、現代においては、いっそうたいせつな問題になっています。世界でも、農業の安定している国は、国家全体としても安定をえているのです。
 したがって、これからの日本は、新しい時代にぴったりした農業立国をはかっていかねばならないと思います。それには、なんといっても、すぐれた若い農業人の力が必要です。あらゆる仕事はひとの問題です。熱意のひとの必要は、農業も例外どころではありません。
 せまい国土の日本ですが、新しい時代を迎えている現在および今後の農業には、未開発の、つまりかくされた分野がいろいろありましょう。それだけに、これからのあなたや、あなたの仲間の若々しいエネルギーで、創意くふうする余地が多いのです。あなたは、これからの仕事を、むかしのままでやっていこうなどと考えておられないことはいうまでもないでしょうが、じっさい、そんなことがあってはいけない。長い歴史と伝統のある農業であるとはいえ、また、日本の気候風土に合った農法であるとはいえ、これからは、その伝統のうえに、文化性・科学技術を生かしていかなければならないと思います。
 たとえば、お米や野菜のほかに、新しい成長農産物を手がける。小さな土地でも、新しい考え方・新しい技術の導入によって、いままでとは比較にならない高能率な生産を期待できるのです。” 4)

注:農業生産や農業所得を支持している政策手段によって、消費者ないし納税者から生産者に移転した金額

引用文献:
1)農林水産省「平成24年度食料・農業・農村白書」 2013年 p.281
2)農林水産省「平成24年度食料・農業・農村白書」 2013年 p.153
3)松下幸之助『実践経営哲学』PHP研究所 1978年 P.7
4)松下幸之助『若さに贈る』講談社 1966年

参考文献:
松下幸之助『人間を考える 第一巻』PHP研究所 1975年
松下幸之助『人間を考える 第二巻 日本の伝統精神 日本と日本人について』PHP研究所 1982年
松下幸之助『実践経営哲学』PHP研究所 1978年
松下幸之助『若さに贈る』講談社 1966年
PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室編『松下幸之助発言集1-45』PHP研究所 1991-1993年
安岡正篤『人物を創る 人間学講話「大学」「小学」』プレジデント社 1988年
網野善彦『日本の歴史第00巻「日本とは何か」』講談社 2000年
財部誠一『農業が日本を救う こうすれば21世紀最大の成長産業になる』 2008年
神門善久『さよならニッポン農業』NHK出版 2010年
生源寺眞一『日本農業の真実』筑摩書房 2011年
申孝重『農業の多面的機能と経済的価値』北海道農業 2002年

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林俊輔の論考

Thesis

Shunsuke Hayashi

林俊輔

第33期

林 俊輔

はやし・しゅんすけ

株式会社de la hataraku 代表取締役/アジアユニバーサル農業研究会 事務局

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