松下政経塾 The Matsushita Institute of
Government and Management

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2013年2月

塾生レポート

経営に理念を、人の力を
林俊輔/卒塾生

人生の経営者から事業体の経営者へ。経営の神様と呼ばれた松下塾主の経営観を考察し、将来の指導者を目指す自らの糧とする。

 

1)はじめに

 私は経営者である。経営の神様と称された松下塾主によると、人間が計画を持って行う諸活動はすべてこれ経営である。すなわち、私は自分の人生の経営者であり、家族の経営者なのである。しかし、一般的にいわゆる経営と呼ばれる事業体の長としては経営者としての経験は無い。それゆえ将来の指導者を目指すものとして、塾主の経営観を学び、深耕していくことで、その要諦を感じ取り、自らが事業体の長となるその時に向けて糧としていきたい。

2)何をおいても経営理念の確立が大事

“私は六十年にわたって、事業経営にたずさわってきた。そして、その体験を通じて感じるのは経営理念というものの大切さである”(1)

 これは塾主が自身の事業体験を通じて培い、実践してきた経営についての考え方、いわゆる経営理念、経営哲学をまとめた「実践経営哲学」の冒頭に述べられている言葉である。塾主の考える経営の要諦とは、何をおいても経営理念を持つことだといえるだろう。経営理念とは、会社は何のために存在しているのかという存在意義を明らかにし、この経営をどういう目的で、またどのようなやり方で行っていくのかという、経営の進め方についての基本的な考え方を示したものである。そして、その経営理念は、社会の繁栄のためになることを前提とせねばならず、企業は社会の公器であるとの考えを抱いていた。
 塾主はこの、生産者、実業家の使命というものを、水道の水から気づき、俗に水道哲学と呼ばれるようになったものである。

“あの水道の水は、加工され価〈あたい〉あるものである。今日、価あるものを盗めば咎〈とが〉めを受けるのが常識である。しかるに、道ばたにある水道の水の栓をひねって、あまりの暑さに行人が喉〈のど〉を潤さんとて存分にこれを盗み飲んだとしても、その無作法さをこそ咎める場合はあっても、水そのものについての咎めだてはないのである。これはなぜであるか。それはその価があまりに安いからである。何がゆえに価が安いか、それはその生産量があまりに豊富であるからである。いわゆる無尽蔵に等しいがためである。ここだ、われわれ実業人、生産人のねらいどころたる真の使命は。すべての物資を水のごとく無尽蔵たらしめよう。水道の水のごとく価を廉ならしめよう。ここに来て初めて貧は征服される。  宗教、道徳の精神的な安定と、物資の無尽蔵な配給とがあいまって、初めて人生の幸福が安定する。ここに実業人の真の使命がある。自分がわが松下電器の真の使命として感得したのはこの点である。ここに諸君にお話しする松下電器の真の使命は、生産につぐ生産により、物資をして無尽蔵たらしめ、もって楽土の建設を本旨とするのである。”(2)

 道端の水を飲んでも、誰も咎めないのは、その量が豊富で安価であるからであり、生活物資の豊かさに加えて、精神的な安定があってはじめて人類の平和と幸福が実現するというものである。社会の繁栄のためとする経営理念に基づけば、強い使命感の下に、従業員は一つの方向に向かって進むことができるようになると考えた。事実、松下電器では、塾主がこの産業人たる使命を感得し年を新たな創業の年、命知元年として告示したところ、それ以降従業員も使命感を持って仕事に取り組み、いわば「経営に魂が入った」状態になったのである。
 そして、経営理念は一人ひとりの血肉となってはじめて活かされてくる。そのため、あらゆる機会に繰り返し繰り返し訴えなければならない。いかに立派な経営理念を掲げていても、それが社員に浸透し、血肉となっていなければ、まさに絵に描いた餅であり、それは無いも同然なのである。

 自分の経験に照らし合わせて考えてみると、前職で10年間勤めた会社にも確かに素晴らしい経営理念と経営ビジョンが存在していた。しかし、それに向かって各々の社員が力強い活動をしていたか、と言われると、必ずしもそうではなかったのではないか、という疑問を抱かざるを得ない。印刷業というその活動のすべてを得意先に依存する受注産業の特殊性からか、自社の理念、ビジョンに沿って各々の活動が行われるというよりも、各個人が得意先の要望に応じて、その都度ベターな選択をしている。そして、その個々の業績の積み重ねが総体としての会社の業績となっている。自社の経営理念を血肉化し、それに照らし合わせて各々が行動しているというよりは、むしろ得意先企業の理念に沿って活動していた、そんな印象を受けている。それゆえ、社員一人ひとりの活動が真に力強さを得て、全体として一つの方向に向かって推進していくような姿がみられにくかったと思う。結果的に社員や集団として、各々は精一杯頑張っているものの、活動が散漫となり、それらのポテンシャルを活かしきれていない状況に陥ってしまっていたように感じる。

 ここで一つの疑問が湧いてくる。経営環境は時代によって大きく変化する。例えば、戦前と戦後では政治体制も異なれば、経済環境も大きく異なっている。また近年のグローバル化時代において、国の捉え方そのものが変わってきてしまっている。では、そんな時に、経営理念は変えなくてよいのだろうか。否。塾主の考えに基づくと、経営理念は、時代、国を超えて不変なものとされている。もちろん、具体的な経営活動そのものは時代時代によって変化するし、国によって事情も異なるため、経営のやり方は無限であり、それぞれの持ち味を活かすべきなのである。そのためにも、正しい経営理念を持つと同時に、それに基づく具体的な方針、方策がその時々にふさわしい日に新たなものでなくてはならないのだ。
 では正しい経営理念とはどういったものなのであろうか。それは、社会の真理、自然の理法に従い、正しい世界観、社会観、人生観に根差したものでなければならない。そしてそれは、汗を流した現場体験と懸命な思索より創られるものであると塾主はしている。人類の目指すものが同じだとしても経営理念が各々異なるものとなるのは、経営者のその体験、経験からくる人生観や社会観に基づいたものであるが故である。

 経営理念には その事業体に属している全員を力強い活動へと導く効果と、経営する側にも重要な効果を持っていると塾主は述べられている。
 経営者は常に孤独であり、自ら孤独な決断をしなければならない。そして、従業員を生かすも殺すも経営者の判断如何で決まってしまうことさえあるだろう。だからこそ、自らが迷った時、苦しい時に、経営の目的、初心に立ち返るための心の拠り所として経営理念が必要だと塾主は言う。経営理念があるからこそ、経営者としての責任を果たし、幾多の困難を乗り切れるのである。

 まさに経営者は経営体における王者としての権限と責務に対する自覚が求められる。そして、単に王者として支配するということではなく、経営者には自然の理法に従い、この世の中の生成発展に寄与する使命がある。すべては人間から、人間の幸せを求めることに経営は存在しており、すなわち、人間大事の経営ということが重要なのである。
 人間というものは、みずから自主的に、責任感を持って事にあたる時、やり甲斐を感じ、大きな成果を上げていく。塾主は松下電器の経営において、資金や技術開発、その他経営の各面にわたり自力を中心に行う「自主責任経営」の考え方や、一人ひとりが自らの責任を正しく自覚し、自主的に仕事に取り組んでいくための「事業部制」などの仕組みを取り入れていった。これもひとえに人間本来の持つ力を信じ、引き出していくための創意工夫である。経営は創造であり、それ自体きわめて価値が高いものだとして、一つの芸術であるとまで言っている。
 経営を形作っているものが人間である限り、人間の力を最大限引き出すこと以外に経営を伸ばすことはできないのである。

3)経営を推進するのも、支えるのも人間である

 塾主は経営において、当然なすべきことをなすことが重要であるとも述べられている。それは端的に言えば、いい商品をつくって、それを適正な利益をとって販売し、集金を厳格に行うということである。単に商品を届け、顧客の満足を得ることだけではなく、適正に利益を上げることの重要性も説かれていた。使命を遂行し、社会に貢献した報酬として社会から与えられるのが適正利益だと考えていた。
 しかし、この数字が独り歩きし、行き過ぎた拝金主義的な経営に陥ってしまわないようにするためにも経営理念というものは非常に重要になってくると考える。前職時代につとに感じていたことだが、一般に事業目的、目標は数値化することが難しいため、便宜上、その代替として、事業の進捗を管理するために売上や利益数字を目標に掲げられることが多い。だが、これがいつの間にか、売上や利益等の数字を上げることが目的化してしまうことが多々ある。私自身が実感として感じていたことであるが、数字のためだけには人間は動けない。組織が小さい時には、経営者が直接、従業員に語りかけ、熱を伝えることが可能であるため、理念と目標が入れ替わることは少ないかもしれない。しかし、組織が肥大化し、経営者の熱が伝わりにくくなると、管理するための数値が、理念を超えたところに目的化していってしまう。だからこそ、人間(従業員)の力を最大限引き出していくためにも、各々に使命感を持たせる企業理念が大切で、それを繰り返し訴えて浸透させていくことが重要なのである。

 そして、これは一つの人間の特徴でもあると思うが、マイナスの熱は人から人へ伝わりやすいが、プラスの熱は伝わりにくい。例えば、私が経験してきたバレーボールというチームスポーツで考えると、やる気の無い選手が一人いた場合、瞬時にチームメイト全員にそれは伝播し、チームは勝利に向かって意識を統一することが難しい状況となる。一方、監督の勝利にかける熱い想いが、チーム全員を感化し、本当の勝利へと導くまでには、繰り返し繰り返しメンバーに語りかけ続けることが必要となる。この繰り返しをやめた瞬間に、また各々の意識がもとの低いレベルまで戻ってしまうことが多々ある。しかし、一度、火が付いた人間は、その周囲に熱を発することができるようになる。だからこそ、繰り返し語りかけ、共感者となるメンバーを増やしていくことが必要となる。この共感させ、同じ方向を向いていくための指針が理念なのである。

 人間の活動を力強いものとするためには、適度な渇望感が必要であるとも考える。人間は外から満たされ過ぎた時、エネルギーが生まれにくく、自らの力を発揮しにくくなることもあるのではないだろうか。何もかも与えて、満たしてしまうのではなく、適度な渇望感や向上心を刺激し、人間の持つ本来の力を引き出すような制度や施策が求められるのではないだろうか。経営者は、働く環境や資源を与え過ぎたり、命令に対する服従を迫ったりするのではなく、各々の持つ力が引き出されるように努めるべきではないかと考える。

4)日本の農業に経営を

 私の志は日本農業の再生と価値創造である。
 日本の農業を取り巻く環境が厳しい状況であることは、何も今に始まったことではない。しかし、近年、担い手の高齢化や地方の過疎化の加速に加え、世界における自由貿易の流れを受けて、より一層厳しい状況に追い込まれていっている。
 そんな中、農業には経営が無いと叫ばれて久しい。作物を作る行為としての「農」は存在しているが、そこには仕事や職業を意味する「業」の部分がごっそり抜け落ちてしまっているように感じる。特に日本の農業は環境に多くを依存しており、作物は作ってみなければその収穫は分からないという考えに依拠して行われることが多い。そこには計画性が抜け落ちてしまっている。経営を計画通り行うためには、いかに外部環境要因(自分で動かせない要素)を内部要因化して活動できるかが重要である。今の農業の姿のように外部の環境に対して完全に受動的になるのではなく、置かれた環境を理解し、能動的に作用していく意識を持つことが求められる。
 確かに、農業界にも素晴らしい経営者は多々いる。しかし、大部分の農家に経営観が不足してしまっていることが、時代の変化に適応できず、苦境に立たされている原因の一つではないだろうか。農業は本来、人間の生存の基盤であり、根源的な欲求である食を満たすだけでなく、その環境との相互依存性の高さから、未来に向けた重要な役割を担うべき産業であることは間違いない。しかし、日本の農業は家族経営が基本となり、「分相応」に立ち振舞うことが是とされてきたのである。であるが故に、意識は内向きとなり、社会の繁栄に資する理念を描きにくい面があるのではないだろうか。

 繰り返しになるが、農業は本来、その存在そのものが、社会の未来に貢献する重要な産業である。この使命に自らが気付き、その使命を果たすべく行動することが力強い活動を生み出す源泉になるに違いない。その使命に気付き、正しい経営観を持った農家が増えることが、すなわち農業の再生と価値創造に繋がることを信じてやまない。そして、自らも正しい経営理念を持ち、それを力強く推進していくことで、農業の価値創造に貢献していきたい。


引用文献:

1.松下幸之助『実践経営哲学』PHP研究所 1978年 P.7
2.PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室編『松下幸之助発言集31』PHP研究所 1992年 PP.19-20


参考文献:

松下幸之助『人間を考える 第一巻』PHP研究所 1975年
松下幸之助『人間を考える 第二巻 日本の伝統精神 日本と日本人について』PHP研究所 1982年
松下幸之助『実践経営哲学』PHP研究所 1978年
PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室『松下幸之助発言集1-45』PHP研究所 1991-1993年
佐藤悌二郎『松下幸之助成功への軌跡 その経営哲学の源流と形成過程を辿る』PHP研究所 1997年

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